2016年7月31日日曜日

念の入った芝居 (分離2 見ることと眺めること(1))

1968年5月21日の日記に、とりとめのない話題の中に、ドン・ファンには孫がいるということがわかります。(P35)(名前はルシオ。この巻の少し後で登場します)

「ラ・カタリーナ登場」で出てくる「義理の娘」との関係はどうなのでしょう?(教え78)

後の話題で、ドン・ファンの息子が事故で亡くなったことをあたしたちは知りますが、ドン・ファンに何人の子供がいるのかは不明です。(『無限の本質』で息子が登場します。この息子と事故の件の関係が不明です。pendingにさせてください)

追記2017/4/10)残念ながら、その後、関連情報は見つかっていません。

一人息子と仮定しますと亡くなった息子の嫁が上記の「義理の娘」、孫は彼らの子供ということになります。

第一巻目に続き、この巻でもカルロスは、依然として西洋の合理的な解釈にこだわります。東洋風の深い知恵を持つ老人と、科学と文明の申し子である西洋人が出会って最初は未開人をなめてかかる西洋人が老人の知恵に傾倒していく、というのはこのテの話の設定として欠かせないパターンです。

1968年5月22日の日記では、最初にペヨーテを体験したときのホスト、ジョンも交えてミトテの運営には、実はこっそりと合図(参加者たちのキュー出しなど)や合意形成があるのではないかと主張しますが、あっさりと否定というかむしろ馬鹿にされてしまいます。

カルロスが弟子修行再開する決心がつかないのを見たドン・ファンは彼の復帰への一歩として、また「騙す」必要があると伝えます。

以前、お前をだました。わしの恩師がわしをだましたようにな」(分離40)

以前、だました、とあるのはカルロスに数年前におきた女呪術師ラ・カタリーナとの”戦い”を指します。

また、「わしの恩師がわしをだました」とあるのは最初にこの『分離したリアリティ』を読んだとき読者は、サラっと流してしまいます。ドン・ファンがいかに酷い目にあわされたかはシリーズ後半になってようやく明らかになります。

ドン・ファンシリーズは、日記(ジャーナル)とさらにそこで語られる思いで話のようにエピソードの時系列が入れ子になって錯綜するために出来事の前後がわからないときがあります。
それを、おさらいしたいなというのもこのブログ記事の目的(楽しみ)の一つなので確認しました。

前述のドン・ファン捻挫事件が、1961年11月23日(教え78)。
『分離したリアリティ』では、その後の詳細が書かれています。(分離252)

ここでは、捻挫の日から10日後(おそらく61年12月3日)にドン・ファンを訪ねると捻挫がすっかり良くなっていたと書かれています。
おそらく、この捻挫もカルロスをだますための芝居だったのでしょう。
じゃ、嫁もグルか?

この日に、一旦ドン・ファン自身がカタリーナと相対するための旅に出ますが失敗(したことに)します。その後(12月4日以降)、「数か月」この件についてドン・ファンが関わらなかったとあるので、、カルロス自身とカタリーナとの対決(対決内容はあらためて)が1962年の中頃までに起きた出来事だということがわかります。

ドン・ファンは、その一件が済んだあと、カルロスに、一連のカタリーナ事件はドン・ファンが仕組んだ罠(芝居)だと告げます。カルロスの怒るのなんのって。

『分離したリアリティ』のこの箇所では1968年の記事ですから1962年は、6年も前のできごとだということがわかります。

では、本稿の最後ということで、以前、ドン・ファンが夕暮れが世界の裂け目といったフレーズを書きましたが、ここでは「暗闇(日中の暗闇)は「見る」のに最良の時だ」(分離36)と言っています。この台詞の英語版を掲載しておきます。
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He said the darkness――and he called it "The darkness of the day"――was the best time to "see."

どこまでも意味深です。

2016年7月30日土曜日

閑話休題 日本とメキシコ

ここのところエントリーの文章がやたらと長くて、くどいのであっさりと。

オアハカ(たぶん)にて(1)』で日本とメキシコの大きさを比較した図を入れましたが、実際の大きさを比較するサイト「The True Size of ...」というサイトで正確に比較できるというので図に起こしました。

緯度が割あいと近いせいか、普通の地図上の比較とさほど変わりがないようです。
左が前に作った図。右が”The True Size of ...”というサイトで作ったものです。


2016年7月29日金曜日

オアハカ(たぶん)にて(2)  (分離 第一部「見ること」への準備 1ドン・ファンとの再会(2) )

さて、そのオアハカの公園のベンチで雑談ついでに旅の途中、車がエンコして滞在したホテルでのできごとを話します。

食べ残しに群がる少年たちの貧困生活を見て気の毒に感じた。
ロサンゼルス(の豊かな)生活との対比に衝撃を受けた(P30)というエピソードを聞かせたら、ドン・ファンに幸せの尺度について嗜(たしな)められます。

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「たしか以前お前はわしに、人間の最も偉大なことは知者になることだと言わなかったか」
「お前のその豊かな世界が、知者になるのを一度でも助けてくれたことがあると思うか」(分離31)
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ドン・ファンは気が利いたことをポンポン言いますよね。

呪術(あるいは知?)で人々を「変える」ことで貧しい人たち助けられるのではないか?その一環としてカルロスを変えようとしているのでは?と問いかけるカルロスにドン・ファンが答えます。

お前を変えようなどとは思っていない。いつか人間を別の仕方で見られるようになるだろうが、そうすれば人間を変える方法なぞないことがわかるだろうよ

真理ですね。変われるものならとうに変わってますとも、と一瞬そう思いましたが、ドン・ファンの言いたいのはそうではなくて・・・、

小さな煙を使うと人間を光の繊維として見るのを手伝ってくれるそうです。(P32~P33)
呪術を修行して「見る」ことができるようになると、人間が輝くタマゴに見えるようになるともいいます。(P33)
ドン・ファンは、この後も光の繊維といったりタマゴといったりしますが、いずれにせよ、あたしたちは何がしか光っている存在なのだそうです。

ま、全員タマゴなんだから、変わりようがないというのがドン・ファンの話でして、高度なカウンセリングとはまったく無関係です。

ドン・ファンは不可知なものに関してはきっぱりとわからない、っていうので潔いですし、それがまた彼の魅力かと思います。

以前、カルロスが天国について聞いたときもこんな感じでした。

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カルロスが「え?そこは神のいる天国かい?」と尋ねるとドンファンは、
「お前頭おかしいんじゃないか?わしは神のいる所なぞ知らんぞ」と馬鹿にされます。
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タマゴというとあたしに「カルロス・カスタネダ」の本を進めてくれたTim.Sが同時期にくれた本を思い出します。
”The Crack in the Cosmic Egg”というタイトルの本です。

これもニューエイジ系の本では人気があったそうですが、実はあたしこちらは当時(もちろん今も・・・)、英語が難しくて読んでいません。時間ができたら再挑戦してみようと思っています。

 

2016年7月28日木曜日

オアハカ(たぶん)にて(1)  (分離 第一部「見ること」への準備 1ドン・ファンとの再会(1) )

※『分離したリアリティ』の「序文」の記事を忘れていたので、いったん公開した本稿(ドン・ファンとの再会の(2)を取り下げました。翌日(2016年7月29日)に再公開します。
クリックして拡大

1968年4月2日の日記では、ドン・ファンとカルロスが中央メキシコの山岳地帯の小さな町にある公園のベンチに座っていたときの話を回想しています。

カルロスがドン・ファンに初めて会った町の名前を後あとまで明らかにしていないのと同様、ここは、とある町という感じで書かれています。(分離29)

カルロスは、人の名前、場所など後半に進むにつれて少しずつ明らかにしていく傾向があります。その気が緩む感じ理解できます。

おそらくこの町は、後のエピソードでたびたび登場する「オアハカ」の街のことだと思います。

メキシコの形なんてものは覚えていないので全体図載せました。参考までに日本の大きさと比べてみました。ソノラからオアハカまでですと、直線で日本縦断と同じくらいですね。

オアハカ、もろに山岳地帯です
一般的に「中央メキシコ」というとどのあたりなのでしょう?ざっと調べてみるとメキシコ合衆国(Estados Unidos Mexicanos)の首都「メキシコシティ」は中央メキシコにあるということだそうです。

そしてオアハカを調べました。メキシコシティよりは地図では下にありますがまぁ、中央メキシコって感じです。「山岳地帯」にあるかどうか確かにするために今回は、Google Earthを使いました。

オアハカ、たしかに山岳地帯ですね。

オアハカ中心部、真ん中にある大きな公園が例の場所かも?

二人はオアハカの「公園」のベンチでよく時間を過ごします。
次は、Google Street Viewで公園をうろついてみました。ま、これは確証が得られるほどの情報がありませんのでマップ上にある公園から、これかもな?くらいの感じでピックアップしてみました。
ただし、「ベンチ」があることが必須です。

上の航空写真で”アラメダ”と書いてある公園です

このベンチで、二人は、ドン・ファンがいっしょに住んでいるマザテック・インディアンの友人を待っていた(分離29)とあります。

すっかり忘れてましたが、ドン・ファンは当時、ルームメイトと暮らしてたってわけですな。
これってもしかするとドン・ヘナロのことでしょうか?
おさらい二巻目なので続く内容であらためてわかるのかもしれません。
Huautla de Jimenez.jpg

追記)ヘナロさんです。第三巻『イクストランへの旅』の第二部で明らかになります。(旅314)

ところでマザテック・インディアンって?

日本語で検索してみますと、いきなりドラッグ関係のトピックがずらずらっと出てきました。どうやら危険ドラッグ(旧脱法ドラッグ)の原材料となる草花を扱う民族らしいです。
日本語にはウィキ情報がないようなのでまた英語で調べてみました。

Mazatec people(マザテック人)
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The Mazatec people are an indigenous people who inhabit an area known as the Sierra Mazateca in the state of Oaxaca in southern Mexico, as well as some communities in the adjacent states of Puebla and Veracruz. The meaning of "Mazatec" translates to "people of the deer," derived from the Nahuatl word Mazatl meaning deer
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マザテック人は、南メキシコのオアハカ州、シエラ・マザテカ山脈や隣接するプエブラ州やベラクルズに住んでいる先住民である。
”マザテク”は”鹿の人々”を意味し、ナワトル語のマザトル(鹿)に由来する。
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ここではオアハカを中央ではなく「南メキシコ」と言っていますね・・・。
中を飛ばして”Traditional religious rituals”(伝統的宗教儀式)の項目によると、

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Mazatec tradition includes the cultivation of entheogens for spiritual and ritualistic use. Plants and fungi used for this purpose include psilocybin mushrooms, psychoactive morning glory seeds (from species such as Ipomoea tricolor and Turbina corymbosa), and perhaps most significant to the Mazatecs, Salvia divinorum.This latter plant is known to Mazatec shamans as ska María Pastora, the name containing a reference to the Virgin Mary.
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マザテックは伝統的に、精神と宗教儀式に使う幻覚剤(誘発性植物)の栽培を行う。
こうした目的のための植物と菌類(キノコ)にはシロシビン・・・・以下、省略
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またまた部族談義になりますが、やはりドン・ファンの交際範囲はヤキ・インディアン単一のトライブを超えた「国際的」呪術者組合の活動だということがわかります。

2016年7月27日水曜日

分離したリアリティ ~序文~

いよいよ(って先は長いですが)『分離したリアリティ』に入ります。
以前にも書きましたが、ドン・ファンシリーズを読み始めるのは、この巻から入るのがいいと思います。

『ドン・ファンの教え』からですとドラッグの話が中心で登場人物は少ないし、後半のフィールド・ノートがちんぷんかんぷんだし話の展開も平坦だからです。
カラスの話があるので、あたしゃ好きですけどね。

その点、この『分離したリアリティ』では、あのドン・ヘナロを始めさまざまな登場人物たちが彩りを加え始めます。

この巻では、いったん弟子修行をギブアップしたカルロスがずるずるっと元の弟子生活に戻っていく流れでカルロスは第二期と呼んでいます。身体が離れられないの類ですな。
知者になるには軽やかで柔軟でなけりゃいかん(分離16)」とか言っていいくるめられてしまいます。

この第二期では、呪術師の必修科目「見る(seeing)」ことについて多くを学びます。(分離16)
あたしたちが目にしているこの世界は「見る」とまったく異なる様相を呈してくるそうですが、幸か不幸かあたしがその姿を見ることはなさそうです。

またまたドン・ファンが誘惑します。
「見る」にはきざみを吸うことが必要不可欠である」
「あのはかない世界をかいま見るのに必要な速さを与えられるのは煙だけだ」

ここでいう「速さ」というのは、ドラッグを使わないとなかなか見る力を身に着けることができないという意味です。

※と書きましたが、間違いでした。これは文字通り「スピード」のことです。

そして、なんと!(ってあたしだけですが)この二巻目の序文で、すでにドン・ファンをカルロスに紹介した友人の名前(ビル)が公開されているのですね。
これまで、まったく気が付きませんで『無限の本質』までわからないのかと思い込んでいました。(出会った町の名前は、まだ明かされていません)

前巻のラスト「戦いの形 (教え11 魂の奪回)」で、ドン・ファンが「わしはもう戦士でもディアブレロでもない」、じゃ何なんだ?という疑問を呈しましたが、いきなり答え?が序文で書かれています。

自分は「ブルホ」(brujo)である。それは、呪術師、医術師、治療師のような意味である。(P13)また、呪術師を知者と呼び換えているそうです。

ドン・ファンは「見る」のを得意?としているが、違うことが好きな呪術師もいるといい、その例として「サカテカ」という人物を例にとります。(P20)
サカテカは、見るのではなく「踊る」のを得意としているそうです。

カルロスは、この巻でドン・ファンを伴わずにドン・ファンの知り合いだということで二人の呪術師をノンアポで訪問します。その内の一人が、このサカテカで、1962年5月14日に訪れたとあります。
もう一人、ヴィサンテはこちら

最初に知り合った経緯は書かれていませんがカルロスがサカテカをもともと知っていて、いつでも訪ねてくればいいと言われていたからです。

(※カルロスが参加したミトテのメンバーだったのかも?)

ところが、その言葉とは裏腹に訪問したカルロスに何の用だ、とばかりのそっけない態度をとります。このテの気分にムラのある奴ってイヤですよね~(笑)

このサカテカが、ドン・ファンが「見る」のを好むのに対して「踊る」のが好きなのだそうです。(P20)

それはさておき、カルロスはサカテカを訪れた際、「ドン・エリアス」という呼びかけをします。家をたずねると最初は留守で、老婆が出てきます。ドン・エリアス(サカテカ)の奥さんだそうです。

このエピソードは、以降もここでしか出てきませんがシリーズ後半に明らかになるドン・ファンの恩師の恩師、ナワール・エリアス(Elias)、その人なのでしょうか?
もしそうならば、家にいたこの老婆こそ、彼のパートナー、アマリアだったのではないでしょうか?
(技法P128)

追記2016/07/30)この”サカテカ”は、どうやらドン・ファンの師匠の師匠ではないようです。
師匠の師匠のナワール・エリアスは、エリアス・ウリョア(実践P9)がフルネームなので、違うのかなと思います。ただ、ミドルネームなどもありますので、ここでは違うらしいとだけ書いておきます。

もうひとつ面白い描写があります。カルロスは、サカテカを訪問したとき肩からテープレコーダーを下げていたと書いてあります。

サカテカを訪ねたのは、1962年の5月です。カセットテープは、ウィキによるとフィリップスが1962年にはじめてリリースしたとあるのでアメリカ人の学生がいきなり手にしているとは考えにくいと思います。となるとオープンリールでしょうか?カセットが世に出るくらいですから小型のテープレコーダーくらいは市場に出回っていたかもしれません。東京オリンピックの二年前、日本の放送が始まって10年経っていない時期です。カルロスは、金持ちだったのでしょうか?

いずれにせよ、手書きメモの猛者とも思われるカルロスが文明の利器をもってインディアンを訪ねている光景は新鮮です。ドン・ファンには録音を禁じられていましたが、一般的なフィールドワークでは使用していたのかもしれません。

また、ドン・ファンとの対話をいかにメモが得意だとしても、あれほど克明に生き生きと再現できるのだろうか?(だからフィクションではないのか?)と思ってしまいますが、ひょっとするとカルロスはドン・ファンに黙って内緒で録音していたのでは?とも思います。(本当にあった話だったとしたらですが・・・)

追記2017/4/27)あたしの後日談があります。この時期、カルロスが私物のテープレコーダーを持っているのは不自然ではありません。

2016年7月26日火曜日

閑話休題 肩甲骨の間

今に至って、シリーズ後半を読んだ後知恵の感想ですが、カルロスの「魂の奪回」においてのディアブレラとの戦いはカルロスが疑った通り、非常によく仕組まれた、はたまた質(たち)の悪いドン・ファンによる修業の仕掛けだったと知れます。
ドン・ファン自身もその恩師から騙されてもっとひどい仕打ちにあっていますし。

カルロスの場合は、この偽ドン・ファンとの対決、そして二巻目以降に続くラ・カタリーナとの対決(もちろんこれもドン・ファンの仕掛けです)、そして高校卒業試験?のような「深淵へのジャンプ」の3つが弟子としての覚悟を試される大型イベントと言えましょう。

今回、積ん読状態になっていた日本語版ドン・ファンシリーズを読み進めてみまして、後半、つまり『力の第二の輪』以降に、前半四部作の修業時代にわれわれ読者にまったく語られていなかった非常に多くの出来事があったことが明かされます。

それは、カルロス当人が「通常の意識状態」になくドン・ファンの手により「高められた意識状態」に起きていた事だからだという話になっています。

「高められた意識状態」になっている間の人の行動や思考は、「通常の意識状態」に戻っている時にはまったく忘れられているのです。
この「高められた意識状態」になっている間の忘却内容を思い出すのもどうやら修業の一環のようなのです。

そのことについてはエントリー「メスカリト問答」の項目でちょこっと触れました。

「メスカリトがあんたを連れて行ってくれるとき何が見える?ドン・ファン」
「そういうことは普通の会話の時は言えんな」(教え104)

この「高められた意識状態」という発想が商業的に続刊を発売するための発明(方策)だったという穿った見方もできますが、実際に修業の初期から存在していた状態とすると上記の会話が確かに示唆していると言えなくもありません。

弟子になって日の浅いカルロスを高められた意識状態に持っていくにはドン・ファンはカルロスの背中、肩甲骨の間を強く叩くのだそうです。この動作でカルロスの意識の集中ポイントをずらすのです。(体術)

そこで、あらためて読み直してみても少なくとも一巻目には肩甲骨の間を叩く場面はありませんでした。かろうじて上記の対話が示唆しているだけです。

次回から二巻目の『分離したリアリティ』に入ろうと思いますが、再読で背中を叩く場面があることを願ってやみません(笑)

追記)それっぽい箇所を見つけましたが・・・・※リンク切れのためpending

追記2016/6/6)上の追記のリンク先が切れてしまっていてどこかわからなくなってしまいました。その代わりこちらはいかがでしょう?

2巻目かどうかあやふやですが、少し記憶に残っているのは、ドン・ファンがカルロスを床の上でごろごろ転がす場面だけです。転がす場面を何度も書いているくらいだから、背中叩く情景描写あってもおかしくないと思うのですが・・・。

追記)上記の文章、皮肉がわかりにくいかと思うので野暮ですが、付記しておきますと「高められた意識」という考え方が商業的に後付けで発想されたアイデアなのでは?と心配しているわけです。

2016年7月25日月曜日

戦いの形 (教え11 魂の奪回)

この章が『ドン・ファンの教え』の最終章で、カルロスは非常に恐ろしい体験をした結果、1965年の9月に弟子を一旦辞めることになります。

一旦辞めるというより、この本(『ドン・ファンの教え』)の執筆時には、完全にやめたつもりになっていました。
その後、カルロスは、1968年4月に『ドン・ファンの教え』が出版された時、この本をプレゼントするためにドン・ファンを再訪します。
弟子を廃業してから3年近く経ってからのことです。

さて、その65年9月。
幻覚誘発性植物を取り過ぎたために、普通のときにも「非日常的現実の特別な状態」に精神が陥いることが多くなり自分がおかしくなってきてるのではないかと思い始めます。

悩みを相談したカルロスにドン・ファンがそれは何者かに罠をかけられ「魂を失っている」ためだと説明されます。

ドン・ファンがカルロスの魂を奪った者を探しに行く間、自分の最良の場所に胡坐をかいてとどまり、身の危険を感じたら「戦いの形(fighting form)」をとるよう指示されます。

戦いの形とは、一種の踊りのようにふくらはぎと右足の腿をたたき、左足を踏みならす動作だそうです。
これってよくわかりませんな。

原文をチェックしました。
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It consisted of clapping the calf and thigh of my right
leg and stomping my left foot in a kind of dance I had to do while facing the attacker.
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「戦いの形」は、攻撃者に相対している間、踊りのような感じで右足の腿とふくらはぎを(手で)叩いて、左足は踏み鳴らす。(体術)
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ふくらはぎが「右足」ということがわかりました。
でも、同時に右足の太ももとふくらはぎを叩くのはどのようにやるのでしょう?
いや待てよ、右足の膝を曲げた状態なら右腕全体で腿とふくらはぎの側面を一度に叩けますよね。
そのとき、左足を踏みならすって?右足を曲げているわけだから中腰でやるのかな?
ま、いいか。自分でやるわけでもなし。

また、本当に危険(命が危ないとき)な時は小石を投げろ、怖くなったらメスカリトの歌を唄ってもよいだろう、とも言われます。
本当に危ないかどうかなんてどうやったらわかるんだ?とカルロスは問いますが、当然ですよね。ドンファンは叫び声が上がるような状態だといいます。

実際に、この後、ドン・ファンの偽物に襲われそうになったときカルロスは恐怖のあまり叫び声を上げ地面から拾った石を投げつけます。

む。「地面」? やはりカルロスの「最良の場所」ってポーチじゃなくて庭のようですね。

ドン・ファンのフリをした相手は手を変え品を変えカルロスを誘い出そうとしますが、カルロスはぎりぎりのところで難を逃れます。
カルロスは、直感的に、ドン・ファンの偽物は若くて太った女だったと思います。

みごと魂を奪いかえす戦いに勝ったあと、ドン・ファンとの反省会でも相手が女呪術師(ディアブレ)だと教えてもらいます。

彼女はディアブレラで強力な助手(盟友ではない)を持っているそうです。
助手は世界の一方に住んでいる霊でディアブレロが病や苦痛を引き起こすのを手伝います。

例のごとく、この「助手」という呪術用語はシリーズのここでしか登場していないと思います。
用語の使い方といえば、この章ではドン・ファンの恩師(後に名前で語られるナワール・フリアン)のことを「わしの恩師はディアブレロで戦士だった」と述べるくだりがあります。

どうも、ドン・ファン自身は、ディアブレロではなく呪術師であるとの認識なのですが、ディアブレロと呪術師は違うのでしょうか?

次の引用をご覧ください。
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わしには心のある道、心があるかもしれない道を最後まで進んで行くしかないんだ。そこを旅して、わしにとってする価値のあることはその道を最後まで進んで行くことだけさ。そしてそこを旅するんだ――息もつかずに目をみはってな(教え220)
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これは英語版の裏表紙にも記載されているドン・ファンの最も有名な言葉ですが、この直前に、
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今日、わしはもう戦士でもディアブレロでもない。
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とあります。わかりません。じゃ、なんなの?(追記その説明?
だって、カルロスに戦士になれっていってたじゃない。

ドン・ファンは、カルロスにディアブレロになるために特に学ぶべきことは「二つの世界の裂け目までどうやって行き、どうやってもう一つの世界に入るかってことだ」(P220)と語りますがディアブレロでなくても(呪術師でも)学んでいるようでこうした職能の違いがよくわかりません。

しかも、ドン・ファンはディアブレロという職能にはあまりいい印象を持ってないようなのになぜ、ディアブレロになる方法を教えているのか?単に話が広がっただけかもですが。

さて、この体験の後、謎の敵に勝利したとわかっていても、また夜になって同様の恐怖を味わってもう耐えられないと観念し弟子をやめることにし、自分は知者の第一の敵、恐れに敗れてしまったと思います。


2016年7月24日日曜日

教え10 カラスへの変身

この章は、この本のメイン・イベント。
ついにカルロスは「煙」を吸ってカラスに変身します。

はじめは普通に喫煙していたのですが、カルロスがつい眠ってしまうのでドン・ファンは(眠り込まないように)鳥に変身させるように方針を変えたように書いてあります。

「きざみ」はパイプに詰めて、火をつけて吸います。火をつけるために炭を使うそうですが、その炭をつかむためにカルロスがせんたくばさみを改造して作った炭つかみを見て噴き出す場面があります。
こうした小ネタは、本当にリアルですよね。

本文の日付の様子からいいますとカルロスは、二回カラスに変身します。
最初は、1965年2月7日の日記。変身するまでの様子が書いてありますが、その日はどうやらそこまでです。

まばたきをするたびに体がカラスに変わっていきます。
顎がカラスの足に。尾は首から出てきて床をする感じをつかめ、と言われます。
翼は(少しつらいけど)頬骨から出てきます。
気色悪いですな。
カラスに変身した後は、カラスのように物を見る練習をさせられます。

ドン・ファンがカラスへの変身を好むのかについて語っている箇所があります。
この箇所はあたしが特に印象に残った場面でして、20代に初めて読んだとき、えらい感心しました。水元公園で害鳥として大型のケージにとらえられているカラスを見てうっかり呪術師が捕まってたら大変だなとつい心配してしまいます。

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わしがカラスになるのを学んだのは、その鳥が一番効果的だから。(中略)人間もカラスを悩ますことはできん、ここが大事な点だ。人間なら誰だって大鷲や特別な鷲や他のどんな大きな普通でない鳥だって見分けがつくだろ、だがカラスを気にとめる者がいるか?カラスなら安全だ。(教え209)
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1965年3月28日の日記は、いきなり変身セッション後の話になります。

変身したとは書いてないのですが、ドン・ファンに放り投げられ、飛んで行って他の銀色の鳥三羽と出合って遊んだ、とあるので、読者はあぁ変身したのだなぁとわかる展開です。この不親切な書き方は、ドン・ファンシリーズ全体がそんな感じでわざとなのか?はたまた書き手としての腕の悪さなのか?
はたまた、そこがジャーナル(日記)を本にした雰囲気なのでそれでいいのか?
いろいろ考えます。

セッションから目覚めるまで三日かかったいうのですから大層なトリップです。
目が覚めると用水路の底に水につかって仰向けになっていたのは、ドン・ファンが目覚めさせるために寝かせたからですが、カルロスの一連の体験では頭から水をかけられたり灌漑用水路に浸けられたりして復調させられることが頻繁にあります。

カラスになったカルロス(まぎらわしい)が出会った銀色の鳥たちは、カラスだったそうです。
ドン・ファンいわく「カラスの黒い羽は本当は銀色なのだ。カラスが見ると銀色に見える。白いハトはピンクか青。カモメは黄色に見える」

カルロスが出会ったカラスたちは、「運命の密使」であり、彼らが飛んでいく方向が問題なのだそうです。
カルロスはカラスたちが「自分たちは北から来て南へ行くところだ。今度会うときも同じ方向からやって来るだろう」と言ったことを必死に思い出します。

またまた方角登場ですが、「運命の密使」たちとの出会いは会った時間帯も意味があるそうです。出会ったのが夕方であることをなんとか思い出したカルロスは、ドン・ファンに死んだらカラスに生まれ変わると告げられます。

ここで登場した「運命の密使」という用語は、その後、まったく登場しません。
ドン・ファンシリーズは、このテの意味深そうだけどその場限りの用語なり概念が多いような印象を受けます。

適当に場当たりに作っているからか?
誰が?

カルロスの場合は、例の捏造説に一票入ります。

適当なことを言ってるのがドン・ファンの場合、『時の輪』の『ドン・ファンの教え』の注釈部分での告白(時 P025)にあるとおり、カルロスがイメージしているシャーマンをそれらしく演じるために仕組んだ虚構の数々のひとつだったのかもしれません。

カルロスが世界の姿を見ることができるようになるための方便としてのシャーマニズムだったとも言えます。いつもながら、そうだったらいいなと思います。

「盟友」という初期作品群で大きな比重を占める存在も後半になるとあまり登場しなくなってきます。その後、後半戦では「非有機的な生命体」についての説明が増えてきますが、ある時、突然「非有機的存在」と「盟友」がイコールであるかのような記述があって(技法P72)、聞いてないよと思いました。

一度限りしか登場しないシャーマン用語が多いとけなしたそばから違うことを書きますが、後の巻でシャーマンの能力として最も重要な「見る」(知覚)ことについての言及がここで最初に登場します。

煙の力についてのドン・ファンの言葉です。
「煙は力を求める者のためにあるんじゃないんだ。見ることを本当に望む者のためにだけにあるんだ」

自分が他の生き物に変身するような体験(幻覚)は相当ショッキングなことなのでしょう。1965年4月10日の日記では、自分がクスリの摂取のためにおかしくなってきているのではないかという不安にかられはじめます。

この『ドン・ファンの教え』に記載されている摂取の回数はそれほどではないですが、『夢見の技法』(技法P53)では、「当時、大量の幻覚誘発性植物を取らされていた」と書いています。

煙で体が溶ける体験と同様、今回も本当にカラスに変身して飛んだのか、傍から見たらどうなのか?とカルロスはとことんこだわります。

2016年7月23日土曜日

はじめてのトカゲのおつかい(教え9もうひとつのトカゲの呪術)

1964年の年末、ドン・ファンにせっつかれカルロスは再度、トカゲを使った占いを行います。

ダツラの伐採をはじめ複雑な手順をノートを見ながら行いますが、やはりトカゲの捕獲で往生します。
トカゲ話しかけなければいけないという指示を思い出して話しかけると、なんと二匹連続して見つけることができました。

どんな話をしたのでしょう?
「ばかばかしいと思いながら」と書いてあるので、「トカゲちゃん出ておいで」みたいなフレーズでしょうか?

ここでまたトカゲの種類に立ち返ります。日本語版で、

「ばかばかしいと思いながらもトカゲに話しかけてみてからを持ち上げたら」しびれたようになって動かないトカゲを見つけたとあります。

石の下にいるトカゲってやはり小さいんじゃないのか?と思いました。トカゲ手術インチキ説を打破するためには、そこそこでかいサバクイグアナでなければいけないわけです。

いずれにせよ、カルロスの手の力だけで持ち上げられる石です。それほど大きなものではないはず。
原文を確認しました。

I lifted a rock

とあります。幸いにもstone(石)やpebble(小石)ではありませんでした。
それにしても「話しかけた」まじない効果で都合よく麻痺して動かないトカゲってのも不思議ですが・・・。

口と目をぬい合わせるのは最もむずかしい仕事だった」とある例の手術を済ませて一匹を逃がすと北東に逃げて、これは、良いが困難な体験の前ぶれだそうです。

ドン・ファンの話には「方位」関する霊験が多く登場します。
神秘的な行為や現象に方位は欠かせない要素なのでしょうね。

ところで、カルロスは占いの際に、ダツラ・ペーストを塗り込んではいけないと言われていた額にうっかり塗ってしまいますが、無事「帰還」します。

額の中央に塗るのは、まずかったが無事だったのはおそらくおまえがひどく強いか、草がお前を気に入ったかどちらかだな」とドン・ファンが分析します。

Ishi.jpg
1911年、アルフレッド・クローバー
(左)とヤヒ族のインディアンのイシ
このエピソード。仮にフィクションだとすると、もうすこしドラマチックな展開にすると思うのですが、あっさりしています。思いますに、やはり微妙に事実と虚構を織り交ぜているのではないでしょうか?

自分にお告げを話すトカゲは、体に結び付けてあります。ラリってる状態の中、トカゲはミニチュア人間のような声で話します。
(本当は映画に出てくるミニチュア人間のようなが正解(笑))

占いのテーマは、盗まれた本についてのものでした。カルロスが聞いた内容の中に以下のようなエピソードがあります。

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アルフレド・クローバーの名前が頭に浮かんだ。
それがクローバーではなくてその諸説を発表したのはジョージ・ジンメルだぞと『言った』。
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アルフレド・クローバー(Alfred Louis Kroeber、1876年6月11日 - 1960年10月5日)というのは、アメリカの文化人類学者だそうで、なんと、あのSF作家の―というより一般の方々には『ゲド戦記』のと言った方がいいかも―アーシュラ・K・ル=グゥインのお父さんだそうです。
インディアンの文化を研究した人だそうですので、ダツラの作用で連想したのでしょうか?

当然、カルロスもヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞の気鋭のSF作家、ル=グゥインについては知っていたかもしれませんね。
(今、調べたら『闇の左手』が1969年。ドン・ファンの教えが68年出版)
あたしも全部とはいいませんが、SFマガジン連載時にたくさん読みました。

ジョージ・ジンメル(Georg Simmel、1858年3月1日 - 1918年9月26日)は、ドイツ人の哲学者・社会学者です。
『ドン・ファンの教え』の碑文(エピグラフ)に彼の言葉が引用されています。

トカゲが報告した「諸説」とは何についてのことだったのでしょうね。

2016年7月22日金曜日

名前の力 (教え 8 メスカリトの教え(2/2))

彼(メスカリト)の名前や彼がどうお前を扱ったかを生きている者に言ってはならんぞ。
習った歌は、守護者を呼ぶために使い、彼を呼ぶときはいつも彼の名前といっしょに使わなければいけない。
そのうちにメスカリトは他の目的のための別な歌を教えてくれるだろう

とメスカリトに教わった名前とマイ・ソングの取扱いについてドン・ファンから注意を受けるカルロス。

こうした「自分のもの(この場合、名前はメスカリトの呼び名ですが)」というのは人に教えてはいけないことになっています。

アニミズムでは、ごく一般的な規則のようで、ファンタジー系の小説やアニメでよく使われる設定です。
自分の本当の名前を人に教えてはいけない、知られてしまうと操られてしまうのだ!の類ですな。
(『ゲド戦記』、『千と千尋の神隠し』・・・・)

ちなみに、あたしが昔習った瞑想で使うマントラも人には教えてはいけないと言われて、とても宗教がかった感じがしました。
でも、なぜかこのテのことって言いつけを守ってしまうものでいまだに守り続けています。

このパーティーの描写で感じたのは、彼らインディアンたちは、このようなセッションを日常的に開催しているのだろうか?ということです。

それとも、ドン・ファンの要請に応じてカルロスの試練のため特別にしつらえたものなのでしょうか?

シリーズ後半になると、このテのグループシーンがどれもこれも「仕組まれた」機会であることが多く、読者のあたしも再読ですっかり疑り深くなってしまっています。

追記2017/04/25)後半の「仕組まれた」的な内容は、虚構だと判断しました。

これは幕末の話
メスカリトとの交流を通じ、カルロスは徐々に非日常的な状態に親しんでいきますが、同時に自分の存在に対して不安を感じるようになってきます。

世界ってどっちがホンモノ?
荘子の『胡蝶の夢』状態です。


夢を見ていた。蝶になって飛んでいる夢だが、ひょっとして自分こそが蝶が見ている夢なのではないだろうか?
「夢見」については、このシリーズ後半から重要な要素になっていきます。

創作説側からの解釈をしますと、カルロスが後から夢見について後から付け加えたともとれます。

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わたしが正しい道にいるかと(メスカリトに)聞いたときわたしが言いたかったのは、自分が二つの世界の両方に片足を置いているのか?どちらの世界が正しいのか?生涯どういう道をたどればよいのか?であった。(1964年9月11日)

それに対してドン・ファンは、

お前は自分が二つの世界に生きているというむなしい考えを持っているが、それはお前だけのむなしさなんだ。わしらにはたったひとつの世界しかない。わしらは人間であり、人間の世界に満足して従わにゃいかんのだ。
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と即答します。ドン・ファンシリーズには、ドン・ファンやドン・ヘナロたちによるこのような名言や警句、金言が各所にありますが、『時の輪』などに詳しいので、このブログではあまり扱わないことにします。

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※ここでメモを残しておきます。P179では、メスカリトを「守護者」という呼び方をしていますが、続く巻では別の「精霊」を守護者と呼んでいます。ちょっと記憶があいまいなので、修正前提でいったんおいておかせてください。(pending)

2016年7月21日木曜日

メスカリト合宿 (教え 8 メスカリトの教え(1/2))

カルロスは、ドン・ファンに誘われてインディアンたちのメスカリト合宿、ミトテ(mitote)という行事に参加します。
四日間連続して行われた荒行付きの「自己啓発セミナー」です。

mitoteの意味を調べてみました。

mitote : secular dance of the Aztec and other tribes (Mexico)
       メキシコ、アズテックや他の部族の民族舞踊

カルロスが参加したのは、ドラッグパーティーですからダンスではないですが、みんなで歌を歌いまくりますので、まぁミトテなんでしょうね。

それ(ミトテ)は「ペヨーテロス(peyoteros)と弟子のための儀式」だったとありますが、ペヨーテロスってなんだ?

本文にも解説はありません。もしかするとスペイン語学習者なら当たり前の「接尾辞」なのかもしれません。いろいろネットで当たってみましたが確証を得られませんでした。

さて、いつものように人々を整理しておきます。

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・ドンファン
・ドンファンと同じくらいの年齢の老人二人、この老人の内、一人がドン・ロベルト(Don Roberto)というリーダー
・5人の若者(カルロスを含む)
・付き添いの女性たち
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場所は、チワワで行われたそうです。

セッションは1964年9月3日が初日で都合四日続きます。
東京オリンピックが終わって間もなくですね。

男たちがラリってるのをしり目に、世話焼きの女性たちが呑気におしゃべりしている日常性が面白いなと思います。
このテの情景描写って創作で作れるものでしょうか?
小説家だったら、もっと雰囲気をつくるため、つい演出を入れてしまうのではと思います。

前述のようにセッションでは参加者がみな自分のペヨーテの歌を唄います。
カルロスだけがペヨーテソングを持っていなかったので疎外感を味わいますが、メスカリトと再会し懇願して自分の歌を教えてもらい、おまけにメスカリトの名前も教えてもらいます。

さて日本語版の174ページに例のキノコ関係の誤訳(というより誤記に近い)があります。

-----引用----------
ロフォフォラ・ウィリアムシイ(Lophophora williamsii)のキノコに何が含まれていようと、それがひとつの実態として存在するためにはわたしとはまったく無関係であり、それはそれ自身そこに十分存在しているのだ。

(前略)whatever is contained in the cactus Lophophora williamsii had nothing to do
with me in order to exist as an entity; it existed by itself out there (後略)
--------------------

ご覧のように原文では、cactus(サボテン)となっています。
文章の趣旨とは無関係ではありますが、日本語版だけを読んでいるとこの部分で荒さがしをしちゃうかもしれませんので念のため。

メスカリト「何が欲しい?

カルロスは、自分の生活や行動の誤りを教えてほしいと言いました。
生マジメです。

2016年7月20日水曜日

きざみ初体験 (教え 7 からだが消える煙の体験)

いよいよ、お待ちかね(?)、カルロスは、ドン・ファン愛用の盟友「煙」を体験します。

この時点で、ドン・ファン自身は、もう煙を使う必要がないことを告げていますので文字通り愛用なのかどうだかいま一つわかりません。

この章でも材料集めの話がありますが、きざみに必要な「黄色い花」とかぼやかして花の種類は明かしていません。
(第二巻『分離したリアリティ』では、きざみの原料は5種類のキノコを混ぜ合わせるとあります。(分離 P15))

カスタネダが取得した学位について、こうした薬の材料の写真なり見本を示すべきだという話を読んだことがありますが、途中から学究を辞めて、自分が呪術師(の弟子)になっちゃってるので、こうなったら学位なんてどうでもよくて絶対に材料の秘密は明かしませんな。 

吉野家の牛丼の出汁もコカ・コーラの出汁も同様ですから、ましてや呪術師が教えたらいけません。

きざみの材料の収集は、一年周期で、その年に集めた材料は、その年の内に消費しないといけないのだそうです。(きざみは1年以内に使わないと効き目がなくなってしまう)
以前にも書いたとおり、開発で周囲の自然が無くなって材料が集められなくなったらそれで終いなのでしょうか?)

もし材料が余った場合は、特別な方法で処分するそうですが、やり方についてドン・ファンは教えてくれません。
シリーズ中でこれから(あたしの未読の部分で)明らかになるのでしょうか?

追記2017年4月7日)なりません。

カルロスは、1963年の大晦日にはじめて煙を吸います。

This is not a pipe
パイプの扱いについてはあいかわらず大仰ですが、ダツラの儀式に比べて、煙を吸っている光景の描写は、ぐっとお馴染みの”ポッド”っぽくて親しみを感じます。

自分の体が溶けるような恐怖の「幻覚」体験について、非常に細かく記述されています。
唇をぬぐったらベロっと肉が剥けるあたり、たしかに怖いです。

復調してからカルロスは、ドン・ファンとこの体験のおさらいをしますが、傍から見て自分の体がどのようになっていたのか知りたがります。

自分の状態を鏡で見たら、もしカメラで撮影していたら?――自分が溶けている様子を見られるのだろうか?
というわけです。

ドン・ファンも人が吸った状態をはじめて観た、悪いことは言わないから見ない方がいいぞてな感じで脅かします。

2016年7月19日火曜日

コクゾウ虫 (教え 6ダツラでの飛行)

続く、6章では、気の毒なトカゲではなくカルロス自身が「飛行」します。

「飛ぶ」時も「呪術の薬」は、トカゲの占いの時と同じダツラをつかったペースト(練り粉)をつかいます。占いの時と原材料は微妙に異なるようですが、どちらにも共通しているのは「コクゾウ虫」です。

このコクゾウ虫は、デビルズ・ウィードの種と種から取った生きているものを使うそうで山盛り使います。
これらを用いた謎のペースト作りの手順が非常に細かく書いてあります。

とはいうものの、後の章で展開される「きざみ」をあたしたちが作れないのと同じで、この本を読めば呪術師の薬を作ることができるかといいますと肝の情報は書かれていません。
材料についてはさくっと説明してあり、儀式的な手順について比較的細かく書いています。

当たり前ですよね。秘伝のタレをそうやすやすと教えられますか?
しかも素人が扱ったら毒なわけですし、試すにしても常に師匠立ち合いで服用なり塗り付けるわけですから。

例えばこのブログですが、あたしのプロファイルについてたまに触れていますが、微妙に事実関係や時間軸に関して虚構を混ぜてあります。

別にプロファイルを人に知られて困るような内容はひとつも書いていませんが、実際の案件に関わった方々にご迷惑がかかってもいけないし、ドン・ファンも履歴を消せと言ってますしね。

ということであたしがカルロスでも、様々なフェイクを各所に入れると思います。

固有名詞や時間、場所。そしてもちろん薬の材料や呪術の進め方。
だから、本当は、コクゾウ虫じゃなくてゴキブリかもしれませんよ。(山盛りは集められないか・・・)

ここでは一応コクゾウ虫を信じることにしますが、英語名がweevilというそうです。
むむ。名前にevilがついているのでシャレか?
それともevilだからついた名前か?

ということで呪術一般でコクゾウムシを使うことがあるのか、いろいろ検索してみたのですが『ドン・ファンの教え』以外にかかってきませんでした。
オリジナルですな。

コクゾウムシのエキスがたっぷり入ったペーストを体中に塗ったカルロスは、バネ人間のような感じになって空へ舞い上がります。(教え151P)

自分が飛んだときどう見えたか、ドン・ファンにしつこく尋ねますがとりあってくれません。
本当のところどんな感じに見えるのでしょう?
後に出てくる「煙」の体験の時には、傍から見た場合についてちょっとだけ伺い知ることができます。

このペーストは強力な薬ですが、主役はあくまでもデビルス・ウィード。
コクゾウムシは「つなぎ」みたいなものでしょう。

ところで、ダツラを採るときのリチュアル(儀式)の一環で、カルロスはそのまわりで踊らなければなりません。
雑草の周りで踊ってるところを人に見られたくなかったので暗くなるまで待ったとあります。

これに似た情景描写で、近所の人間がカルロスたちを不審に思い見に来たのかも、といった記述がたまに登場します。

要するにカルロスたちは「里(さと)」で活動してるんですよね。意外と。
身体を洗ったりする灌漑用水路も登場することがあるので、ドンファンたちの家は農村にあるのでしょう。

このあたりの日常と非日常の関係がとても本当っぽさを感じさせるんですよね。
あぁ、このままだまされたい。

2016年7月18日月曜日

空飛ぶイグアナ (教え 5 トカゲの呪術(3/3))

直前のエントリーでトカゲの種類まで気にしてる酔狂な連中はいないだろう?と書きましたが、念には念をいれということで以下のワードであらためて検索してみました。

○sew up mouth of lizard (トカゲの口 縫う)
○Have anybody sewed eyelids of lizard (誰かトカゲの瞼縫ったことある?)

するといましたよ。議論している連中が(笑)

Sustained Reactionというサイトです。カスタネダの研究サイトだそうで日本語化されているコンテンツもあったので世界中で熱心に研究している人たちがいるのでしょう。

今は、各団体の性質を突っ込んで調べる時間もないのでとりあえず今回は書いておきます。カスタネダのファンの間では常識な団体なのかもしれません。

追記2017/4/7)このサイトは、Amy Wallaceの著書で、カスタネダのカルト集団に所属していたDavid Lawtonという人が立てたサイトだということがわかりました。

追記の追記2017/4/24)一方、Amyの親友のRichard Jenningsのサイトだという情報もあって少し混乱しています。

ま、とにかくそのサイトの派生ドメインにディスカッションコーナーがありまして。その中に、トカゲについて議論しているスレッドがありました。

何度も出ている話題のようですが、Lizards Eyelids and Cactus Needlesというトピックで今年の4月にスレッドを立てて5月まで続いています。

トカゲの目なんて縫えるわけないじゃんという人々や、いやいやDessert Iguana(サバクイグアナ)の瞼は硬くてまるでヤギ(goat)の皮のように分厚いぞ。

イグアナじゃね~よ。トカゲだよ!みたいな議論をしています。
小馬鹿にしたやりとりもたくさん載ってますので「ファン(信者)」のみのサイトではないようです。

掲示板の趣旨説明にも、ここで披露する意見はあくまでもディスカッションと楽しむためのものです、と書いてありますので、どちらさまもムキにならないように。


デザート・イグアナ。でかいです
尻尾も入れて61センチだって

ちなみに、「イグアナじゃね~よ」に対する解釈としては、あくまでもウィキ調べですが、下記のように書かれています。
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The desert iguana (Dipsosaurus dorsalis) is one of the most common lizards of the Sonoran and Mojave deserts of the southwestern United States and northwestern Mexico.

サバクイグアナ(和名)は、合衆国南西部と北西部メキシコにあるソノラ砂漠、モハベ砂漠でもっとも一般的なトカゲである
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掲示板のやりとりを読み進めていくと現地の連中なので非常に愉快です。下記の英語の抄訳です。サボテンの棘とインディアンが針として使っていたエピソードも書いています。
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「俺、(子供のころ砂漠で暮らしてたよ)イグアナは捕まえやすくていつも遊んでた。今考えるとひどいけど、弟とラジコン飛行機に乗せたりして遊んでたよ」
「俺も。俺なんて凧に乗せた」(これは別の人です)

We used to catch these guys all the time. They were our favorites to play with. My brother and I would spend hours building elaborate sandcastles for them and little burrows they could go into. We also put them in remote-controlled jeeps and airplanes. In hindsight, they probably weren't thrilled about it but what stories they'd have to tell their buddies that night. The debunkers in their dens would never believe them though... :lol

Also we caught chuckawallas and horny toads, sidewinders, diamondback and even lured the kangaroo rats out with cheetos and sunflower seeds at night.

Here's a barrel cactus closeup. Note the spines just like needles. The ones the indians used as such.
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2016年7月17日日曜日

ソノラのトカゲ (教え 5 トカゲの呪術(2/3))

Psilocybe mexicana(シロシビンキノコ)は、ソノラ砂漠には生えていないし、乾燥しても粉にならないからインチキだという話に加えてトカゲの目や口は縫えんだろう。というのがドン・ファン創作説の根拠として目にしたことがあります。

こうした批判は、個人ブログでもよく見かけるエピソードですが、あたしもたしか『呪術師カスタネダ』(『虚実』)という本で読んだことがあるような気がします。(昔よんだので記憶があいまいです。この本についてはあらためて記したいと思っています)

さて、キノコやサボテンについてくどくど書いてますからトカゲについても少し書いておきます。

あたしもね。
1978年、初めて『ドン・ファンの教え』読んだときに、これはさすがに無理だろ。と思いました。
トカゲですよ。ヤモリやカナヘビみたいなやつらでしょ?結構敏捷じゃないですか。

捕まえることもやっとだし、握ったとしても嫌がって暴れるでしょ。痛いだろうし。
瞼(まぶた)だけなんて縫えないですよ、たぶん。目玉に刺さっちゃう。

最初はドン・ファンが「手術後」のトカゲを用意してくれていますが、次は習ったばかりのカルロスですよ。

あたしは「本当の話だったらいいのになぁ」と言っているのに、何をしたいのでしょう?

でも、もし本当なら可哀想な目にあったのは、いったいどんなトカゲなんでしょう?
くまなく調べたわけじゃないですが、トカゲの種類について言及している暇人はいなそうです。
(追記:いました(笑)。次のエントリーで書きます

興が乗ってきたのでトカゲについてちょっと調べてみました。

見つけたのはアリゾナの国立公園「Sagurao」の紹介ページです。
アリゾナですが、記述のようにソノラとアリゾナは近いのでまぁご容赦ください。

このページには数多くのトカゲが掲載されていてすべてサイズも載っています。


例えば、

Canyon Spotted Whiptail
(Aspidoscelis burti)
Body length: 3½ - 5½ in (9 - 14 cm)

どうでしょ?説明には「大きいトカゲ」とあります。手術はやりやすいかもしれませんが、その分暴れる力も大きいと思います。

人の手に乗っている写真もたくさんあるところを見ると案外、おとなしい連中なのかもしれませんが。

Side-blotched Lizard (Uta stansburiana)
Body Length: ½ -2½ in (3.8 - 6.3 cm)

こんな小さな子の口や目を縫ったりできないと思います。


様々な種類のトカゲが生息しているようですが、この種類だけは占いには使えないだろうというのがツノトカゲの類だと思いました。
このトカゲは、捕食者に襲われると目の端から血を吹き出すそうです。
もしこのトカゲ相手ですと手術どころじゃないですし、カルロスだったらノートに記録をとるはずです。

Regal Horned Lizard (Phrynosoma solare)
Body length: 3 - 4.6 in (7.6 - 11.7 cm)

(さらに続けます)

2016年7月16日土曜日

トカゲの姉妹 (教え 5 トカゲの呪術(1/3))

いよいよカルロスのダツラを使った学習と体験が深まりますが、この章は、カルロスの著作が創作ではないか?と言われる重要な部分です。

まず、ダツラの「練り粉」を作る加工処理というか儀式めいた手順が細々と書かれています。
このペーストになったダツラの力を借りてある種の占いができるそうです。

この占いの作業で重要な役割を担うのが二匹のトカゲです。

トカゲに(個人的ではないテーマで)知りたいことを尋ねると教えてくれるというのですが、驚いたことに一匹は口が縫われていて、もう一匹は目が縫われていたのです。

片方が妹だそうです。本稿のタイトルに「姉妹」としたのはそんな理由からです。
口を縫われているのが妹。目を縫われているのが姉のようです。(教え P139)

さすがに、そう都合よく姉妹のトカゲが見つかるかよ、なんて野暮なこたぁいいませんよ、あたしは。

まず、占いを成功させるにはトカゲと仲良くなるんだって言われるのですが、口とか目を縫ってるのに・・・。
きっと怒ってるよ。
(「教え135」では、トカゲにごめんねしてますが)

トカゲの口と目を縫うには、金属の針と糸を使うのではなく、糸は、りゅうぜつらんの繊維。
針は、チョヤ(choya)のとげ使う、とあります。

Opuntia fulgida 1 - Desert Botanical Garden.jpg
cholla 確かに針になりそう
原文に上記のようにchoyaとありましたが、chollaが正解のようです。発音が同じなのでchoyaと書いてもいいんでしょうね。

トカゲはおしゃべり好きなので他のところに行ってしゃべらないように口を縫い合わせるのだとか。

口を縫われたトカゲが見てきて、目くら(原文のママ)のトカゲが答えを聞かせてくれるそうです。

まぁ、トカゲを使いに出すまでの作法の細かいこと。
とてもじゃないですが、覚えられないです。

自分がサポートする段階が終わるとドン・ファンはカルロスを残して帰ってしまいます。
もう夕暮れ時で、カルロスはドン・ファンに教わったばかりの「逢魔が時」を思い出します。

夕ぐれ――そこには二つの世界の間の裂け目がある!」(教え136)

(稿を分けます)

2016年7月15日金曜日

ペヨーテ摘み (教え 4.メスカリトとの再会(4/4))

キノコ狩りに来たことをすっかり忘れてペヨーテ摘みにいそしむ二人。

メスカリトを指さしてはダメだとか、メスカリトがわしらを見つけるのだとか。
ドン・ファンはここでも摘み取る手順に対して非常に厳しい儀式めいた命令をします。

もともとピクニックは一泊二日の予定だったようで夕方になるとドン・ファンがぽつりとつぶやきます。

たそがれっていうのは二つの世界の裂け目なんだ
( The twilight is the crack between the worlds)

このフレーズは、後にも登場します。


SekienOmagatoki.jpgこれって日本語の「逢魔が時(おうまがとき)」と同じ意味ですよね。

夕暮れ時は化け物など怪しいものに出会いそうな時間帯だってことで、ドン・ファンの教えと重ねると世界の裂け目から怪しい連中が出てくる時間なのかもしれません。

さて、ドン・ファンはキノコ狩り、じゃなくてペヨーテ摘みに来たわけですが、自前の乾燥ペヨーテを持ってきてまして夜中に突然セッションがはじまります。

アイー!とか叫んでね。

ドン・ファンはメスカリトのことを「アブートル(?)」だとか「アヌークタル」と呼びますがカルロスもラリってるのではっきりとはわかりません。
夜中で真っ暗なのに物がはっきり見えているのに驚きます。

そしてメスカリトに再開します。

目は水。頭はイチゴのようにとがり、肌は緑色で無数のイボがあって、頭がとがっていることを覗けば彼の頭はペヨーテの外観にまったくそっくりであった、といいます。
こおろぎのように50メートルほど飛んだとあるので仮面ライダーみたいなイメージでしょうか。

ビジュアル的には、スターウォーズの一作目に登場するGreedoという宇宙人(名前は今知りました)を思い浮かべました。



メスカリトが人を受け入れたら、そいつの前に人か光として現れるそうです。

メスカリトが問います。「何が望みだ?

カルロスは、ここで罪(sin)を告解しますが、読者のあたしたちには明かしてくれません。
メスカリトのアドバイス?も不明です。
ここが知りたいのに。

翌日、彼らはペヨーテを摘みながら帰ります。
二つの袋に110個のペヨーテの芽をつんだそうで、袋に入れたメスカリトは自分の領域を離れたがらず袋がずっしりと重くなるそうで、メスカリトの土地を離れたらいきなり軽くなった、と書いてあります。

アニミズム心が満載です。

「そこ(メスカリトに完全に受け入れられたら)までいったらぼくは何をしたらいいんだい、ドン・ファン」
「強い人間になっていなければならんし、生活も誠実でなけりゃいかん」
「誠実な生活ってなんだい?」
「慎重で正しい強い生活さ」(教え124)

確かに、慎重なことは大切ですなぁ。

追記2017/4/22)カスタネダは、ドン・ファンの教えを守りませんでしたね。

2016年7月14日木曜日

キノコ論争 (教え 4.メスカリトとの再会(3/4))

さて、チワワに幻覚性のキノコが生えているか調べている過程で、偶然、こんなページを見つけました。あいにくスペイン語なので翻訳機能を使いました。

2006年の調査報告です。

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Nuevos registros de Agaricales de Sonora, México
(New records of Agaricales from Sonora, Mexico)
ソノラ州、メキシコからハラタケ目の新記録

そこにResultados y discusión(結果と考察)という項目があり七番目のパラグラフに幻覚性のあるキノコについての記載があります。Google翻訳のままを載せておきます。

Con base en Kirk et al. (2001), se determinaron tres especies de Bolbitiaceae: Bolbitius vitellinus, Hebeloma edurum y Panaeolus antillarum, esta última con distribución amplia en México (Guzmán y Pérez–Patraca, 1972). De Strophariaceae se encontraron varios taxones fimícolas y tóxicos, comúnmente observados en diversas partes del país: Psilocybe caerulescens, P. coprophila y P. cubensis (Guzmán, 1983; Acosta y Guzmán, 1984; Pérez–Silva y Aguirre, 1986). De igual forma, las especies determinadas de Cortinariaceae se han citado frecuentemente en México (Pérez–Silva, 1967; Welden y Guzmán, 1978; Castillo et al., 1979; Pérez–Silva y Aguirre, 1986; Sánchez–Macías et al., 1987).

Psilocybe.caerulescens.Jalisco-2.jpg
Psilocybe caerulescens
カークらに基づきます。(2001年)、3種はオキナタケ科決定したBolbitius vitellinus、HebelomaのedurumとPanaeolusのantillarum、メキシコで広く分布(グスマンとペレス・Patraca、1972)で、後者。:モエギタケ科、いくつかのfimícolasと、一般的に、国のさまざまな部分で観察毒性の分類群から発見された、幻覚誘発菌caerulescensをP.とP. cubensis coprophila(;アコスタとグスマン、1984;・ペレス・シルバとアギーレ、1986グスマン、1983)。Weldenとグスマン、1978;同様に、フウセンタケ科の特定の種は、しばしばメキシコ(ペレス・シルバ、1967年に引用されてきたカスティーヨら、1979ペレス・シルバとアギーレ、1986;サンチェス・マシアスら。 1987)。
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Psilocybe.mexicana.Xico.JPG
Psilocybe mexicana
いったいあたしは何をしたいのでしょう?(笑)

カルロスが、Psilocybe mexicanaかも?と書いたPsilocybe mexicanaは、ソノラでは見つかってないかもしれませんが、おなじ成分を持つPsilocybe caerulescensは生えていたわけです。

写真をみると両者の姿は素人目にも異なりますから、幻覚性植物を研究していたカルロスなら見分けがつくはずでは?とも思います。

ま、それはそれとしまして、この下りですが、日本語版108ページの会話からいきなり路線が変わります。あたしのツッコミに色をつけておきます。

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メスカリトはどこ?」
※あれ?キノコ探しにきたんじゃないの?メスカリトはサボテンの精だぞ。

「わしらのまわり全部だ」
たくさんのキノコがその付近一帯にたくさん生えていたが、わたしにはペヨーテを区別できなかった。
※おいおい。ペヨーテはサボテンだろ?キノコがその付近一帯にたくさん生えていたってどういうこと?
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念のために英語版を見ました。
あたしの翻訳をつけます。

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"Where is Mescalito"
"All aound us."
Cacti of many species were growing in profusion all throught the area, but I could not distinguish peyote amaong them.
「メスカリトはどこ?」
「わしらのまわり全部だ」
様々な種類のサボテンがあたり一帯にたくさん生えていたが、どれがペヨーテかわからなかった。
----------
Mescalito


原典はサボテンです。

これは明らかに翻訳ミスですな。というより、この章の最初にキノコ狩りに行くっていってんだから訳者もそう思いますよね。

この章、この後、肝心のキノコ狩りについてはまったく触れずにメスカリトとの再会に突入します。
そもそも章のタイトルが「メスカリトとの再会」だし・・・・。

※タイトルにこのように副題がついているのは日本語版で、英語版にはありません。

それにしても、キノコの立場ないじゃん。

トライブ(部族)論争 (教え 4.メスカリトとの再会(2/4))

1962年7月6日の日記は、重箱の隅をつつくためにとても重要な部分です。

ここで書かれているのは少し前の6月23日のできごとで、その日の午後おそくに「チワワ(州)へキノコを探しに行く」旅に出た、とあります。

英語版の原本を確認すると、確かに「キノコ(honguitos/mushrooms)を探しにいく」と書いてあります。キノコですよ


チワワ州は、ドン・ファンたちの本拠地、ソノラの隣の県ですな。

世に出回っているカスタネダ批判のひとつに、キノコの産地の話がありまして。

カスタネダが「教えの序文」で、たぶん、「シロシベ・メキシカーナ」だろうと書いてあるキノコが、ソノラ砂漠には生えていないのだそうです。

でもね。ここでは二人は、チワワに採取に出かけているんですよ。

どうなんでしょ?チワワには生えているのでしょうか?
調べてみたんですがわかりません。

27日の午前10時に、チワワ北部の小さな炭坑町について彼の友人のタラウマラ(Tarahumara)・インディアンの夫婦に世話になったそうです。
この夫婦も呪術師仲間なのかなぁとあたしは思っています。
追記)タラウマラ族は、ペヨーテを扱うそうです(虚実p182)

ドン・ファン、創作説でひきあいに出されるのが、ヤキ・インディアンはドン・ファンが行う呪術やドラッグを使わないという話があります。

たしかにドン・ファンはヤキ部族出身なのかもしれませんが、ここでは別の部族であるタラウマラ部族との交流が描かれています。

またシリーズを読み進めると、ドン・ファンの教えがまったく「部族」と関係がないということがわかってきます。
彼が実践しているのは、中央メキシコに太古(トルテック)から伝わる知識やノウハウということで、ドン・ファンの先生や、そのまた先生も出自や人種はまったく不明ですし、ドン・ファンと彼の師匠との出会いもまったくの偶然です。(通りすがりだし)

なのでドン・ファンはヤキ族の先輩から部族の伝統としてこれらを教わったわけではないことがわかります。

また大師匠たち先達の弟子、孫弟子たちも様々な人種のようです。
もしかして、部族ネタをつっこまれて後半の展開を執筆したのかも?と疑ってみるのもまたをかし。

(稿を一旦分けます)

2016年7月12日火曜日

メスカリト問答 (教え 4.メスカリトとの再会(1/4))

61年の暮れから翌年の正月にかけて、カルロスはメスカリトについてドンファンを質問攻めにします。

「盟友」が力を与えてくれるのに対してメスカリトは、やさしくて保護者や教師のようなものだとドン・ファンはいいます。
じゃ、教師なら何を教えてくれるのか?と尋ねると、

正しい生き方を教えてくれる」と言います。

ですが、本の中ではその正しい生き方が何なのかということは、その後もあたしら凡人にはちんぷんかんぷんです。

この下りのあと、彼はメスカリトと再会(を服用する)します。
その場面でカルロスとメスカリトの間で「対話」が行われますが、カルロスが伝えた対話の中身については書いてありません。

要するに、カルロスは日常生活の中でさまざまな悩みを抱えているらしいのですが、その悩みについては恥ずかしいのか具体的に読者に知らせてくれません。
あたしが現時点で未読の『無限の本質』では、その当時の人間関係などの状況を吐露しているようなので楽しみです。

要するにメスカリトってカウンセラー?

ところで1962年1月30日の記録に次のような会話があります。

メスカリトがあんたを連れて行ってくれるとき何が見える?ドン・ファン
そういうことは普通の会話の時は言えんな」(教え104)

これをはじめて読んだ時にはサラっと流してしまいますが、その後、ドン・ファンの教育には「普通の(状態)の会話の時」(通常の意識状態)と「普通じゃない意識の時の会話」(高められた意識状態)の二種類があることがわかります。

第1巻から第4巻までは、カルロスが「普通の時」の状態の記録になっていて、実はその期間に体験していた「普通じゃない状態」についてはまったくカルロスの記憶の奥底に封印されていたということが後でわかります。

第5巻、第6巻の二冊では、記憶から抜け落ちていたそれらの記憶を同期の呪術師たちの力を借りて呼び起こします。

追記2017/4/22)あたしが出した結論は、第1巻目~第4巻目は、元ネタ(ドン・ファン相当のインディアンとのフィールドワーク)をもとにした話。後半は、フィクションですから上記のあたしの理解は間違っていたと思います。

さて、1巻目の上記の会話を「通常でない意識状態」の存在が事実であって、その時点ではカルロスはそのことを知らずに記録しただけという実話に基づく伏線ととるか?

それとも、呪術師の一団と共に「高められた意識状態」続巻を出版するための営業的に作り出したネタとみるか?(ドラゴンボールとかでも次々と強いキャラを登場させますな)

あたしのスタンスを書いておきますと、本当の話だったらいいのにな~。です。
ネッシーがいたらエキサイティングだな~。
UFO(ユーエフオー)がいたらいいな~。
です。

現在も本気でカルロスの教えを修行している人たちがいるらしいので不真面目だと思われてしまうかもしれませんがご容赦ください。


さて、メスカリトが人を連れて行ってくれるような別の世界があるそうで、そこには空を通って行くのだとか。

カルロスが「え?そこは神のいる天国かい?」と尋ねるとドンファンは、
お前頭おかしいんじゃないか?わしは神のいる所なぞ知らんぞ」と馬鹿にされます。

痛快。ここだけはリチャード・ドーキンスとドン・ファンは気が合いそうです。

2016年7月11日月曜日

四つの敵 (教え 3 ダツラの体験と煙の準備(5/5))

Grand kiva at Aztek.JPG
Kivaは建造物だったんですな
1962年4月8日の「日記」、ここで初めて有名な『知者(man of knowledge)』という言葉が登場します。

知者になるには、四つの自然の敵に挑んで打ち負かさねばならない、そうです。

敵というか試練が四つ、というエピソードは、『太陽へとぶ矢』という絵本を思い起こします。

(プエブロ)インディアンの子が、いじめにあいまして、こん畜生というので自分の父親を探す旅にでかけます。

実はこの子供は太陽の子供でして。
それに気が付いた村の年寄りが、その子を矢にかえて太陽に向けて射ます。

太陽は四つの試練をのりこえたら自分の子供と認めようといいます。

Teepees outside cody museum.jpg
これだと思い込んでいた「ティピ」
試練はそれぞれキバ(プエブロのキバ)の中に潜んでいて

ライオン、へび、ハチ、稲妻と戦います。

今回、このエントリーを書くにあたって、「キバ」ってなんだか知らなかったけどなんだろう?とあらためて調べてみました。

実は、インディアンなのでテントのことだろうなんて勝手に思ってました。
考えてみればそちらはティピーでしたよね。

たしかにテントの中に稲妻じゃ燃えちゃうなぁ。


さて、ドン・ファンのいう知者への道を妨げる四つの敵です。

第一の敵:恐怖(fear)
第二の敵:明晰さ(clarity) (恐怖を克服すると得られるが、それが仇となり盲目的にさせる)
第三の敵:力(power) すべての敵のうちでも一番強い。無視することで負かす
最期の敵:老年(old age) もっとも残酷な敵だ。完全に打ち勝つこともできずただ戦うのみだ。

そのもっとも残酷な敵に毎日向き合っているあたしですので、少し引用してみます。

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(老年に向き合ったとき)この時こそ一切の恐怖も心のせっかちな明晰さもなくなる時なんだ━あらゆる自分の力はチェックされ、同時に休息への望みを強くもつ時でもある。(中略)引退したいという望みは明晰さ、力、知をすべて無効にしちまうんだ。
だが、その疲労を脱ぎ去ってずっと自分の運命を生き抜けば、仮に最後の無敵の敵に打ち勝ったほんの少しの間だけにせよ、その時知者と呼ばれるんだ。明晰さ、力、知のその瞬間で十分なんだ
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この四つの敵というのは非常に教訓めいたトピックですが、なぜかこの後、(二巻目以降、あたしが読み進んでいるところまで)二度と登場しません。


ま、身も蓋もありませんが、よくよく考えてみると割と常識的なアドバイスかなぁという気もします。

2016年7月10日日曜日

超絶 儀式大会 (教え 3 ダツラの体験と煙の準備(4/5))

この第一巻目(『教え』)に著しい特徴だと思いますが、ドラッグの元となる原材料(サボテンだったり野草だったり)の採取、製造の儀式めいた手順が非常に細かく書いてあります。

たとえばダツラの根や茎を使った薬を作る過程について美に微に入り細に入り記録しています。
カルロスの血まで混ぜて作るその薬はまるで映画に出てくる西洋の魔女がるつぼで作る毒薬のようです。

盟友「煙」の材料のきざみ(smoke mixture)の用意の仕方も同様で、ダツラに比べると「煩くない」とはいうもののやたらと複雑そうです。(きざみの主たる材料は、例のキノコですが、他にも植物の葉だとかいろいろなものを混ぜるようです。

翌年、また薬に使えるように若枝を植える場所での作法はまるでお茶のお点前のようで様式美さえ感じさせます。

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(前略)それからにかわを埋めた所に立って、とがった針で若枝にちょっと触る。それから若枝のまわりを四回まわる。それも一回ごとに同じ所で止まってそれに触れるんだ。(後略)
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てな具合です。こんなの覚えられるでしょうか?
お坊さんのお経の手順やお茶のお点前みたいに年がら年中やるものならいざしらず、年に一度とかで・・・・。

それともドン・ファンは、いずれ使わなくなるものなので神秘的にみせればいいくらいの感じでテキトーな手順を教えたのでしょうか?

ところで、「また翌年使う」といっても、その間に、もし土地が開発されてしまい建物でも立ってしまったらどうなるのでしょうか?

それともメキシコの砂漠はずっとそのまま手つかずで保護されるのでしょうか?

あたしのこの疑問はこのシリーズ全体に及びます。
呪術師たちが「自分たちの場所」として使う「岩」や丘。体を清める川や灌漑用水路。
ヘナロが軽業をみせる「滝」。カルロスが決死の覚悟で飛び込む「深淵」など。

呪術師たちが見せてくれる仕業や神秘は豊かな当初、自然あってのもののように思えます。
後の巻になると頻繁に町中でも超常現象を起こすので大自然がマストではないようにも思えますが・・・

追記2017年4月21日)後の巻は、あたしの最終的な解釈では完全なフィクションなので上記のコメントは意味がありません。

プロトコロルまたはリチュアル(儀式)の細かさは、材料の扱いにとどまらず、「きざみ(煙」を吸うためのパイプの取り扱いもまるでパイプが感情を持っているかのような仰々しさです。

ドン・ファンは、このパイプをいずれカルロスに譲るといいますが、その後、彼はもらえたのでしょうか?

追記2017年4月7日)もらっていませんでした・・・。

実は、今このエントリーを打っている時点で、あたしは買い溜めてあった全巻をまだ読み終わっていません。

特に最後の『無限の本質』ではそれまで明らかにされていなかったことがが書いてあると聞いていますので非常に楽しみです。

たとえば、二人が最初に出会った町の名前(ノガレス)やドン・ファンを紹介してくれた友達の名前(ビル)なども明らかになります。

パイプの扱いをしくじったのでドン・ファンが怒ったのではと思って心配しているカルロスにドン・ファンが言います。

わしは誰に対しても怒りはせん!怒るほど本当に重要なことなど、誰にもできはせんのだ。人は他人の行ないが重要なもののときに腹を立てるのさ。わしはもう決してそんな風には感じはせんのだ

怒りはせん!・・・って怒ってるじゃないですか。
いらついたり舌打ちしたりするし。
・・・でも、そこがいいんじゃない?

2016年7月9日土曜日

クロウタドリの正体 (教え 3 ダツラの体験と煙の準備(3/5))

Kos Turdus merulaRB.jpg
日本語訳ではクロウタドリ

前日のエントリーの中でラ・カタリーナが化けた鳥ということで「クロウタドリ」をご紹介しましたが、写真は、例のごとくウィキペディアから引用させていただきました。(クロウタドリ

深く考えもせず写真を載せたのですが、ふと説明書きをみてあれ?と思いました。

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ヨーロッパ全土、アフリカの地中海沿岸から中近東、インド、中央アジア南部、中国東南部、オーストラリア東南部、ニュージーランドに生息する。ヨーロッパ西部では留鳥として通年見られるがロシアや中国では夏鳥である。オーストラリア、ニュージーランドの個体は人為的に持ち込まれたものが増えたと思われる。
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あれ?アメリカ大陸にいないじゃん?
と。これはまたドン・ファン、インチキ説例証のひとつかな?と思いましたが、念のため再度英語版を見てみました。

下記がその下りです。

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“Accident,my eye! I have an enemy nearby.A woman.'La Catalina!' She pushed me during a moment of weakness and I fell"
「事故だって?ふざけるな。敵が近くにきたんだ。ラ・カタリーナだ!やつはわしが弱ってる時をねらって押したんだ。それで倒れた」

“Why did she do that?"
“She wanted to kill me,that's why."
“Was she here with you?"
“Yes!"

「なんでそんなこと?」
「やつはわしを殺したいんだ。決まってるだろ」
「一緒にいたのかい?」
「そうだ」

“Why did you let her in?"
“I didn't. She flew in."
“I beg your pardon!"

「なんで彼女を家にいれたりしたの?」
「入れたりしてない。飛んできたんだ」
「は?!なんすか?それ」

“She is a blackbird [chanate]. And so effective at
that. I was caught by surprise. She has been trying to
finish me off for a long time. This time she got real
close."

「あの女は、黒鳥(チャナーテ)だ。とても巧みだったのでふいをつかれてしまった。やつはもう長いことわしを狙っている。今回は本当に危ないところだったわい」
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ふーむ。blackbird、chanate なのか?ということで再度英語版のウィキで引いてみました。
すると、出てきたのは、Great-tailed grackle、和名がオナガムクドリモドキというそうです。

和名がわかったのであらためて日本語ウィキにアクセスしました。オナガムクドリモドキのエントリーは、あることはありますが情報はほとんどありませんでした。
そこで英語版より、

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The great-tailed grackle or Mexican grackle (Quiscalus mexicanus) is a medium-sized, gregarious passerine bird native to North and South America.

オナガムクドリモドキまたはメキシコムクドリモドキは、中ぐらいのサイズで群れで暮らすスズメ目の鳥で南北アメリカ大陸が原産である。
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Great-tailed Grackle - female.jpg
チャナーテのメス
カタリーナは女ですから
こちらに化けた?
Great-tailed Grackle 2.jpg
こちらは求愛行動中の
オスだそうです。

ほらきた!(って威張るな(笑))
やはり翻訳の勘違いだったのです。(注記参照)
写真を見るとクロウタドリより、もっと禍々しい感じの様子の鳥でしょ?

魔女が化けるのにぴったりじゃないですか。

この鳥には、メキシコでは面白い伝説があるそうなのでせっかくだから、こちらもご紹介しておきます。

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In Mexico, where it is known as the chanate or zanate, there is a legend that it has seven songs. "In the creation, the Zanate having no voice, stole its seven distinct songs from the wise and knowing sea turtle. You can now hear the Zanate's vocals as the Seven Passions (Love, Hate, Fear, Courage, Joy, Sadness, and Anger) of life."

メキシコでは、チャナーテまたはザナーテとして知られる。伝説によるとザナーテは、(神によって)創られた時には「声」を持っていなかった。そこで海にいた賢い亀から7つの歌を盗み取った。
ザナーテの7つの声は、人生の7つの感情を表している。
愛、憎しみ、恐れ、勇気、喜び、悲しみ、そして怒りである。
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注記)この部分の翻訳の間違いについて翻訳者の弁護をしておきます

この本が出版された当時は、インターネットはARPAのもので一般の人間は知りませんでしたし、World Wide Webというサービスも発明されていませんでした。
当然、WikiのようなツールもないのでWikipediaもありません。
あたしのような素人がこのような事実を検証ごっこをできるなんて夢のような時代です。

ラ・カタリーナ登場 (教え 3 ダツラの体験と煙の準備(2/5))

カルロスは、やはり盟友のポケモンのような力に期待してのことでしょうか?
ドン・ファンに盟友が私たちに何をしてくれるのか?と頻繁に尋ねます。
当然ですよね。知りたいんだから。

ドンファンは、盟友から得た力を使ったときの自分の経験を語ります。

「一度ものすごく高く飛び上がって一番高い木のてっぺんの枝をたたき切ったことがあった。だがそれはただそれだけのことにすぎなかった」
「何のために使う? インディアンを驚かすためにか?」

そんな力は虚しいだろう?ということでしょうか。

1961年11月23日の記録では、ドン・ファンの義理の娘が登場します。

このあたりの平凡な日常との接点が絶妙ですな。ドン・ファンは、仙人ではないわけです。

あらわれたドンファンは何週間か前に足首を脱臼したそうでギブスをしています。(教え78)
Kos Turdus merulaRB.jpg
ラ・カタリーナが化けたという
クロウタドリ
※次のエントリーで追記します
ケガをした義理の父親の世話を嫁がやってると。
呪術師のカジュアルな姿がステキです。

強力な魔術師がこれまた月並みなケガをしているのを不審に思ったカルロスにドン・ファンが告げます。

原因は、ドン・ファンに敵対?する魔女ラ・カタリーナの仕業だ、と。

カタリーナは、クロウタドリに化けて飛んできてふいをつき転ばされたのだそうです。

「カタリーナ」は、この後もたびたび登場するレギュラーキャラクターです。
ドン・ファン一派とは、少し遠い親戚のような付き合いです。
ですが、あたしが読み進んでいるところまででは登場はしても一度も話をする場面がなくとことん謎めいた存在です。

追記2017/4/21)最期まで会話はありません。

あくまでも実話であったらいいなという想定の話ですが、ドン・ファンのこのケガは、あたしの理解では本当はただの不注意によるもので、この機会を利用し教育の一環?としてカルロスにカタリーナに対する不気味な印象を植え付けるつもりでウソをついたのだと思います。
追記)この脱臼も芝居だったのでしょう。その後、たったの10日で完治しているというのにカルロスが驚いています。

ドン・ファンは後に、カタリーナに一芝居うってもらいカルロスにある種の恐ろしい「中間試験」を受けさせます。

追記)カタリーナに「一芝居」うってもらったというのはあたしの邪推です。『分離したリアリティ』では、カタリーナ自身は知らないしドン・ファンがもともと狙われていたのも本当だとドン・ファンが念をおしています。

2016年7月8日金曜日

教え 絶滅危惧職業

ちょっと脱線。

前回のポストで後のディスカッションに登場する呪術師たちの「世代間ギャップ」の伏線?が仕込まれていると書きました。

ええっと、そうですね~仮に「名作」と言われている第一巻から第四巻までは「前期作品」としましょう。

前期作品では、カルロス含め弟子っぽい連中は少し登場しますが、呪術師は、ドン・ファンとドン・ヘナロ(初期はジェナロ)、そして敵役の女呪術師のラ・カタリーナの三人しか登場しません。

ゴジラとモスラとキングコングだけです。

ちょっと少ないな。と思っていたんですよ。

ゴジラやネッシーの話題の時に、群れがいないとそんなに長い間、種が生き延びないだろうみたいなメタ(疑似)科学的与太話しますよね。

タイトルだけゴジラな
気の毒な映画
実際に、与太話の延長上なのかハリウッドの初代駄作『ゴジラ』ではエンディングでうじゃうじゃとゴジラ(トカゲ)が生まれます。

その伝で人間というか職業(この場合は「呪術師」)でも数人じゃすぐに滅亡しちゃうのではないかなと思っていました。

これを思ってか?はたまた真実だからかカルロスの後記作品に入ると、まるで待っていたかのように男女の呪術師の一団がごちゃごちゃっと現れますし、一方の先輩の呪術師たちも必死になって後継者をリクルートしていたということがわかります。

カルロスは、飛んで火にいる夏の虫だったわけでやんすね。

追記2017/4/20)この解釈は今は違うと思っています。後期作品は斬回のポストにも書きましたように創作と判断しています。カスタネダが意識してか無意識か自分のカルト集団を構成するために団体的な存在を書いたのだと思っています。

教え3 ダツラの体験と煙の準備(1/5)

ダツラ(ジムソン・ウィード)は、ドン・ファンの恩師(benefactor)の盟友で、ドン・ファンは「彼女」と言う呼び方をします。

メスカリトにしろ煙にしろ、何かと擬人化して「精霊」っぽい扱いをするあたりは、後年明らかになるようにドン・ファンがカルロスの「希望に沿うように」、わざわざ白人が憧れるアニミズムを信仰する「呪術師」らしい振る舞いをしていたたともとれますし、ドン・ファンの師匠に習った通りの昔の風習を教えていたとも考えられます。

フィクション説的にいいますと、スタート時点ではアニミズム傾向で書いていたが、だんだん面倒になってよりニュー・エイジ的内容になっていったとも解釈できます。(あたしと同じような印象をもったカスタネダ研究者がいます。これについてはいずれ改めて)

追記2017/4/20)前半にはきちんと元ネタとなるフィールドワーク(ドン・ファンに相当する情報提供者)があって、後半はカスタネダが自分で考えて創作で書いたと今は解釈しています。

たしかにドン・ファンの発言は後になればなるほど「近代的」になっていきカタカナ用語やインテリ風の言い回しが増えてきます。

おまえにとって抽象とは、直観の状態を表すことばなのだろう。そのいい例が”精霊”ということばだ。これは理性や実用的な経験を表すものではない」(沈黙p62)

とか憧れのネイティブの長老系呪術師が普通いうか?(笑)

後に、ドン・ファンがパリっとして三つ揃えのスーツでカルロスの前に姿を現したとき「わしは株主なんだ」と言いますが、これはひょっとすると本当のことで本職は個人投資家なのかもしれません(笑)

これまたカルロスがさらに後に、ドン・ファンが仕事ではずすと言うときは、言葉の綾で「仕事」といってるのだろうと思っていたが本当に仕事をしていて驚いたと書いているので、まじでどこかの企業の役員でもやってたのかもしれません。

だってドン・ファンの小屋だって実は演出だったってカルロスに告ってるんですから。
(それすらも後から辻褄合わせてるだけかもです)

さて、人格化された呪いのわら人形みたいな様子に仕立てるデビルズ・ウィードには四つの頭があって、種はその内の『穏健な頭』なのだそうです。
しかし、この穏健な頭の秘密に達するものは少なかくドン・ファンの恩師も達しなかった、といいます。

この説明で重要に思えたのは、「(恩師も含め)彼らはその(頭の)知識が大事な時代に生きていたんだ

という部分です。

これは後に、呪術師には「世代」があって古い時代の連中とドン・ファンのような「近世」に育った連中の二つに分かれ考え方や知識の取り扱いにギャップがあるという説明がされます。

「・・・大事な時代に生きていた」というのは古い世代を示唆していると考えられます。

ドン・ファンは、新しい時代の呪術師なのでインテリ呪師なのだ、としておきましょう。

2016年7月6日水曜日

教え2 メスカリトとの出会い

カルロスがドン・ファンの家に行くと5人のインディアンがいました。
彼らと一緒に、車で別の家にいきます。
あやしげな秘密の薬パーティーですな。

小さな家だそうです。
若い女と犬もいます。

なぜ、あたしは、ことこまかに人やら犬を書くのか?
これらの人々がもしかするとみんな呪師の身内であってカルロスだけが何も知らずに彼らの世界に招き入れられているのだろうか?という疑い(笑)からです。意味ないけど。

「その家の主」というのがいまして、この主が上記の5人の内一人なのか別の人物なのか文中からは不明です。ペヨーテをカルロスに手渡した男はジョンという名前ですが、ジョン=主人かどうかもはっきりとはわかりません。

ただ、後日、その家を再訪した際、待っていたのがジョンと二人の若者だったので、たぶんジョンが主人なのでしょう。これもこだわるポイントではないですが、そこがあたしらしさってことで。

「パーティ」では、カルロスは7個のメスカリトを噛みます。ポットに入れた粒を回して噛むので、いわゆる一般的なポッドパーティーとまったく同じですな。

メスカリトを噛んだカルロスは通常の感覚を超えた状態(平たくいいますとラリってる)になっていてメスカリトと交流を持つことができます。メスカリトはメスカリトで犬に憑依します。

 ※メスカリトが幻覚ではなくて実在しているというところがミソですね。

後日、この体験のおさらいをしてドン・ファンはカルロスを弟子にして彼が師匠から教わった秘密を伝える宣言をします。(「教え」P56)

ドン・ファンは、メスカリトの他に呪術師に力を与えてくれる存在「盟友(ally)」についても話します。
このallyというのは戦争で「同盟国」を指すときによく聞きますね。

「盟友は、人がだれも啓発できないものをお前に見せ、理解させてくれるだろう。
「盟友は、保護者でも霊でもない。補助だ。
「(だが、)メスカリトは(補助ではなく)保護者であり師だ。
「彼は盟友のように従わせたり使ったりはできんのだ。
「メスカリトは教えるためにお前自身の外へ連れていく
「盟友は力を与えてくれる」

言葉の意味合いや、上記の説明から「盟友」というのは、ポケモンの味方のモンスターみたいなものかなと後の冒険みたいな展開を期待させるのですが、後々まで怪しいだけで何の役にたつ連中なのかまったくわかりません(笑)

盟友は世界中にたくさんある(ママ)のですが、ドン・ファンは師匠に教わった二つに親しんでいるだけだといいます。
カルロスはその内のひとつだけを選ばねばならないと言われます。
それらは、

・デビルズ・ウィード(la yerba del diablo)
・ユミト(小さい煙)(humitoは、小さいhumo)

の二つで前者が記述の「ダツラ」で後者が「キノコ」系ですな。

そしてドンファンは「ダツラ」が性悪なのであまり好きではなく「煙」の方はあまり磨きをかけなかったといいます。

2016年7月5日火曜日

教え1 私の最良の場所

この章は、カルロス・カスタネダがドン・ファンに「入門」するための最初の試練です。

人には誰にも自分に「良い」場所がある。それを自分の力で見つけろ、というのが課題ですが、「良い」場所があるのなら「悪い」場所もあって、うっかりそこで休むと具合が悪くなってしまいます。

文中、翻訳の”場所”は、スペイン語で”Sitio”と書かれています。(後に補足あり)
英語の”Site”ですな。 ウェブサイトのサイト。

そんなことってあるのでしょうか?
でも確かに、妙にくつろいで疲れがとれる場所ってあるような気もしますな。

カルロスは、そこら一帯、めったやたらと探せと言われたわけではなくて、ドン・ファンの家のベランダの中で探すように指示されます。
文中、ベランダの大きさは、3.6m×2.4mと書いてあります。

これは2.6坪。畳、5.2畳分の空間です。

ここを彼ははいずりまわって自分の場所を探しまくり、6時間以上も探していたと書いてありますが、それでも見つけられない。
ドン・ファンに途中「目を使え。人は目で感じることができる」とアドバイスをもらいます。

この「目の使い方」についてはこの後も繰り返し登場します。
特に「焦点」を合わせずに見る技術、視野の周辺に注意を払う方法が頻繁に使われます。

これは、あの「立体視」の目の使い方と同じです。私たちの世界に同時に存在している不思議な世界をみる方法があの目の使い方と関係があるのでしょうか?(体術)

いよいよ試練の後半。カルロスはこのように記述しています。

----------
視野の周辺部全体が均質の黄緑色に染まってきた。紫色(敵)の場所にいたら具合が悪くなった。右側の一点であざやかな緑青色に変化した。紫の場所から南東の方向へ14~5センチ離れたところだった。つかれて眠くなった。
(中略)
わたしは思わず後ずさりし、(何か所かそれらしい場所として目印にしてあった)くつの横の岩にこしかけた。
----------

そして眠り込んでしまいますが、そここそがホっとして安心するカルロスの場所だったというオチですが・・・・・

あたしの疑問は、核心の部分ではなくて「ベランダ」って「岩」があるんだろうか?
ここは「庭」じゃないのだろうか?

もしかすると日本語のベランダという言葉とスペイン語では意味が違うのでは?
と調べてみましたがやはり屋根のある縁側みたいなものだそうです。
じゃ、ドン・ファンは縁側の上に岩を置いてあったのか?

いったん、英語版に立ち返ってこの部分を読み返してみましたが、いつ「場所」の探索範囲がベランダから庭に広がったのか定かではありませんでした。
ちなみに英語版では、ベランダはポーチ。場所は、サイトではなく、スポットとなっていました。



2016年7月4日月曜日

教え~序文(2/2)~

後に、「創作」であると言われる要因のひとつに日付の矛盾があるといわれています。

それを見越してか、この序文では、対話と体験の記述で日付が食い違っていることがある、と書いてあります。

例えば、のっけから、初めペヨーテを体験した日の話は8月7日の項目なのに、ドン・ファンとカルロスによる事後のおさらいは8月5日になっています。要するに、日記を書いている時は、それ以前のできごとを書いているからですね。

もっと「致命的」な日時の齟齬もあるのかもしれませんが、あたしたち読者は、フィクション前提で読まれる方含め、だいたいこの頃ってな感じでよいのかもしれません。

追記2017/4/1)カルロスの妻(法律的に最初の妻)、マーガレット・カスタネダも自著で、カルロスの日付って意味があるのだろうか?と書いています。

彼が体験した幻覚性植物について一覧しましょう。

○三種類の幻覚性植物

ペヨーテ1)ペヨーテ(Lophohpora williamsii)=メスカリト(Mescalito)

このサボテンについては以前のエントリーで書いたことがありますが、日本でも普通に販売されていて栽培することができます。ただし、日本の土壌では”メスカリト”とは出会えないそうですのであしからず。

ドン・ファンはメスカリトを人格的に扱います。発音が、非常に似ているので調べたところやはりメスカリンという薬と同じ成分を含んでいるそうです。国内では、宗教団体が地下鉄サリン事件を起こした時にニュースで化学的に製造していたと聞いて、なるほど(いろんな意味で)と思ったものです。

なお、『知覚の扉』(オルダス・ハックスレー著)という本では、著者でもあるハックスレーが合法的に医学実証実験に参加した際の記録を読むことができます。

追記2017/4/1)カルロス・カスタネダは、この著者の大ファンだったそうです。前述のマーガレットもカルロスがドン・ファン熱に浮かされる前から彼がこのテの話題に精通していたことを述べており、ひょっとしたらすべてが創作だったかも・・・。でも確かにインディアンに会っていたし・・・と判断を避けています。


2)ジムソンウィード(Datura inoxia;D.meteloides)

日本語サイトには情報が少ないので英語版ウィキから引きました。
ドン・ファンは、ジムソン・ウィードを「彼女」と呼んでいて、あまり気に入ってなかったようです。

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Datura stramonium, known by the common names Jimson weed or Devil's snare, is a plant in the nightshade family. It is believed to have originated in Mexico,(後略)

Datura stramonium 2 (2005 07 07).jpgダチュラ・ストラモイウムは、ホウズキの仲間で一般的に、ジムソン・ウィードまたはデヴィルズ・スネア(悪魔の罠)として知られ、メキシコがその発祥の地とされている。

 Datura has been used in traditional medicine to relieve asthma symptoms and as an analgesic during surgery or bonesetting. It is also a powerful hallucinogen and deliriant, which is used spiritually for the intense visions it produces. However, the tropane alkaloids responsible for both the medicinal and hallucinogenic properties are fatally toxic in only slightly higher amounts than the medicinal dosage, and careless use often results in hospitalizations and deaths.

ダチュラは、伝統的な医薬で、喘息の症状緩和、手術や骨折治療の際の鎮痛剤として使われる。また幻覚や妄想を引き起こすため精神的に強力なビジョンを得るために使われることもある。 しかし、医療と幻覚にまつわるトロパンアルカロイドは致命的な毒性があり処方を間違えると死に至ることもあるので注意が必要である。

追記2017/4/1)ダツラ(ダチュラ)についてもマーガレットが興味深い意見を述べています。いずれ(pending)

3)きのこ(おそらくPsilocybe mexicana)

Psilocybe.mexicana.Xico.JPGカルロス当人も「おそらく」と書いてある通り、現場対応だったので学名などは不明なのでしょう。
仮に、「Psilocybe mexicana」とすると日本では「マジック・マッシュルーム」、「シロシビン」という名称のキノコのようです。

Psilocybe mexicana is a psychedelic mushroom. Its first known usage was by the natives of Central America and North America over 2,000 years ago. Known to the Aztecs as teonanácatl from Nahuatl: teotl "god" + nanácatl "mushroom."

シロサイブ・メキシカーナは、幻覚性のキノコである。2000年前から中央・北アメリカの原住民の間で用いられている。
アズテカ民族の間では、「神のキノコ」と呼ばれていた。


(2)のダチュラと(3)のキノコ(実際は、キノコを含めた様々な材料を混ぜて作られた薬)を使って力の獲得を手助けしてくれる盟友(ally)との出会いを行います。

○力の道具

ドン・ファンは「盟友」とは異なる「力の道具」についても触れています。
この道具については、1巻目の序文にだけ登場しますが以降は触れられていません。
彼が若いころ持っていた力の道具は、

・マイズ・ピント(Maiz-pinto)と水晶と羽

だそうです。

これも引いてみました。
ピント豆とは、「うずら豆」のことだそうですが、Maiz-pintoというとトウモロコシなんですな。
そういえばPINTOという車もあったなぁ。安い車の代名詞みたいだった。

マイズ・ピントとは、まんなかに赤い線のはいったとうもろこしの小さなつぶで全部で48個持っていたそうで、人を呪い殺す道具だそうです。
身体の中に入り込むそうで、恐ろしい代物です。

しかしドン・ファンは、これは道具は盟友とは異なり、大したものではないといった言い様です。

参照用の符丁@カスタネダの旅

「カスタネダの旅」と称して、少しずつ精神的な終活を進めようというこいとでカルロスの著書を少しずつ再読&未読のものを併読で進行、ノート風に書き綴っていく考えですが、時に「参照」部分を明示する方がなにかと便利かなと思いました。

しかし、その度に長ったらしいタイトルを打つのも大変なので日本語化されている12冊の著書に符丁をつけることにしました。

追記)その他の文献への参照・引用もあると思うので加えていきます。
    また、時間ができましたら発行年月日も書き加えたいと思います。

4巻目と12巻目だけは太田出版です。

うまくいかないようならまた見直すとして、この符丁をブログのエントリーのタイトルでも使ってみることにします。

この法則に沿って昨日のエントリーのタイトルも変更しました。

以下、リストを随時更新します。

■カルロス・カスタネダの著作

1. ドン・ファンの教え ⇒ 教え
2. 分離したリアリティ ⇒ 分離
3. イクストランへの旅 ⇒ 
4. 力の話(太田出版) ⇒ 
5. 力の第二の環 ⇒ 第二、環
6. イーグルの贈り物 ⇒ 贈り物
7. 内からの炎 ⇒ 
8. 沈黙の力 ⇒ 沈黙
9. 夢見の技法 ⇒ 技法
10.呪術の実践 ⇒ 実践
11.時の輪(太田出版) ⇒ 
12.無限の本質 ⇒ 無限

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■評論、他の著作、ウェブサイト

・呪術師カスタネダ ~世界を止めた人類学者の虚実~ ⇒ 虚実
・Sorcerer's Apprentice: My Life with Carlos Castaneda ⇒ Amy
・A Magical Journey With Carlos Castaneda ⇒ Maya
・魔女の夢―運命を超えて生きる力 ⇒ ドナー
・呪術師の飛翔―未知への旅立ち ⇒ 飛翔
・気流の鳴る音―交響するコミューン ⇒ 気流
・Teaching of Don Carlos ⇒ TDC

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■自分への業務連絡メモなど

(体術) ⇒ ドン・ファンの体術まとめページ作業用
(pending) ⇒ 後の作業での参照用

2016年7月3日日曜日

教え~序文(1/2)~

Salem GL depot1965.jpg

○1960年、カルロスがUCLAの学生だった時、アリゾナのとある町の長距離バス(グレイハウンド)の停留所で知り合いが教えてくれたおかげでドン・ファンにはじめて出会います。

右の写真は、Wikipediaの引用です。1965年秋頃のオレゴン州セイラムのターミナル。
まさに彼らが出会った当時の風景ですね。


山んばと空とぶ白い馬」のトピックでも触れましたが、その魔力?を恐れられる「呪術師(ディアブレロ)」が普通にバス停で一般人と混じって待っている状況が面白く、妙なリアリティが感じられます。

シリーズ各所で描かれているカルロスが車に乗せてドン・ファンといろいろ移動するシーンも機械文明と古代の呪術のアンバランス感が奇妙です。

はるか10年もの後に明らかになりますが、この出会いの瞬間からカルロスは蜘蛛にからめとられた餌食のように呪師の世界の罠にはめられてしまいます。
好奇心ってコワイ。
追記:シリーズ後半は(私見ですが)創作ですので、ドン・ファンが始めから狙っていたというのは作り話です。

○カルロスは、インディアンが儀式に使用する幻覚性植物について知りたくて彼のもとに通い詰めましたが、カルロスが信用されるまで1年かかりました。
(すなわち1961年6月)

実は、ハナからはめられていたわけですので1年間、焦らされたともいえましょう。
追記:同上

6月23日が最初のセッションだそうで。
”セッション”という言い方はいかにもアメリカ人が「レッスン」や「カウンセリング」のことをいいそうな感じでこれまた西洋文化と土着の文化のチグハグ感がいい味出してます。

○ドン・ファンは、1891年、メキシコ南西部生まれ。
1900年にメキシコ政府により中央メキシコに移住、1940年まで暮らします。

ドン・ファンの両親の話や、スペイン人の侵略との関係も後に少しずつあきらかになっていきます。

○カルロスは、1965年9月、もう続けられないと判断し弟子をやめることにしました。

この一巻目『ドン・ファンの教え』の段階では辞めたと思っていたわけです。
結果としては、カルロスは死ぬまでドン・ファンの弟子であり続けることになります。

途中、女呪術師たちに殺されそうになったり、人前で大便漏らしたりの数えきれないほどの間尺に合わないひどい目にあわされますが、カルロスは偉いです。

たぶん相撲修行にも耐えられるでしょう。

2016年7月2日土曜日

カスタネダシリーズのタイトルについて

ところで、日本語訳のタイトルとサブタイトルの関係について記しておきます。
英語版と併記しましたので見比べてみてください。
(どちらもウィキペディアの孫引きです)

まず、二見書房版日本語版のタイトルは、すべて日本語版オリジナルです。
洋画のタイトルのつけ方と同じような企画方向ですね。

たしかに原著のままのタイトルだと商業的にいかにも厳しそうです。
やはりここはオカルティックに”呪術師”とこなくちゃ。

ところで、最初にこの本を教えてくれたアメリカの友人は、カスタネダの本は当初、書店では文化人類学コーナーにおいてあったが、SFコーナーにおいてあるところもあるんだ、と笑っていました。


1.『呪術師と私 - ドン・ファンの教え』1974年)
The Teachings of Don Juan: A Yaqui Way of Knowledge , 1968. ISBN 0-520-21757-8. (Summer 1960 to October 1965.)

1974年10月22日 初版
1999年12月25日第27版

原著のサブタイトルが本来のタイトルで、さらに原著のサブタイトルは、いかにも米国英語風のネーミングになっています。

ヤキ流の知恵

でしょうか。英語のリズム感を日本語化できません。
ついでに次の英語ならいかがでしょう?

He is a man of knowledge.

これだと彼は知恵のある人だ、ですな。でも、Man of Knowledge と Wise man では音感がまったく違います。前述の友人は、よくふざけて賢い犬ををみると ドン・ファンにちなんでDog of Knowledgeとか言ってました。


2.『呪術の体験 - 分離したリアリティ』 (1974年)
A Separate Reality: Further Conversations with Don Juan , 1971. ISBN 0-671-73249-8. (April 1968 to October 1970.)

3.『呪師に成る - イクストランへの旅』 (1974年)
Journey to Ixtlan: The Lessons of Don Juan , 1972. ISBN 0-671-73246-3. (Summer 1960 to May 1971.)

この二つの巻は、原著のタイトルが日本語版のサブタイトルになっています。日本語版のタイトルは、それっぽく考えたのでしょう。いずれにせよ、商業的には「呪術」とつけた方が引きが強いですよね。
特に、原著のタイトルである『イクストランへの旅』というのはこの本のクライマックスともいえる感動的な逸話になってましてイーグルスの「Hotel California」の詩を想起させます。

4.『力の話』 (2014年)(太田出版)
  ※『未知の次元』 ハードカバー(講談社)は1979年発行。文庫版(講談社学術文庫)は、1993年発行。
Tales of Power , 1974. ISBN 0-671-73252-8. (Autumn 1971 to the 'Final Meeting' with don Juan Matus in 1973.)

前にも書きましたが、この一冊だけ版権が異なっていました。どのような経緯だったのでしょう。(pending)
したがって日本語版特有の「呪術」や「呪師」という惹句がありません。

あたしは、『未知の次元』を間違えて二冊購入してしまいました。一冊目は、タイトルから勝手に「新しい本」だと思って購入、そのまま未読のまま放置。二冊目は、前に勝ったのをすっかり失念。アマゾン・ジャパンが立ち上がったとき、日本語訳版をまとめ買いしたときに一緒に購入しました。
一冊目は、あたしの「自炊生活」でPDFになってしまいました。
二冊目は、長らく行方不明になっていたのですが、つい最近、職場のデスクの引き出しからひょっこり出てきました。(2016年10月)

未知の次元(一冊目):1993年6月10日第1刷
未知の次元(一冊目):2000年8月21日第7刷


5.『呪術の彼方へ - 力の第二の環』 (1978年)
The Second Ring of Power , 1977. ISBN 0-671-73247-1. (Meeting his fellow apprentices after the 'Final Meeting'.)

6.『呪術と夢見 - イーグルの贈り物』 (1982年)
The Eagle's Gift , 1981. ISBN 0-671-73251-X. (Continuing with his fellow apprentices; and then alone with La Gorda.)

7.『意識への回帰 - 内からの炎』 (1985年)
The Fire From Within , 1984. ISBN 0-671-73250-1. (Don Juan's 'Second Attention' teachings through to the 'Final Meeting' in 1973.)

8.『沈黙の力 - 意識の処女地』 (1990年)
The Power of Silence : Further Lessons of Don Juan, 1987. ISBN 0-671-73248-X. (The 'Abstract Cores' of don Juan's lessons.)

9.『夢見の技法 - 超意識への飛翔』 (1994年)
The Art of Dreaming , 1993. ISBN 0-06-092554-X. (Review of don Juan's lessons in dreaming.)

5巻目から7巻目までは、サブタイが原著タイトルで日本語タイトルはオリジナル。
8巻と9巻は、原著のタイトルをそのまま日本語タイトルにしていますが、サブタイトルがオリジナルです。

10.『呪術の実践 - 古代メキシコ・シャーマンの知恵』 (1998年)
Magical Passes : The Practical Wisdom of the Shamans of Ancient Mexico, 1998. ISBN 0-06-017584-2. (Body movements for breaking the barriers of normal perception.)

11.『時の輪 - 古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索』 (2002年)
The Wheel of Time : Shamans of Ancient Mexico, Their Thoughts About Life, Death and the Universe, 1998. ISBN 0-9664116-0-9. (Selected quotations from the first eight books.)


10巻目、11巻目は、タイトル、サブタイとも原著の通りになっています。
すでにカスタネダシリーズも有名になっているので無理なタイトルを考えずとも売れるだろうと考えられたのでしょうか。
また、『時の輪』だけは翻訳者が異なっています。
本の内容も、「語録集」のような体裁になっていて、「聖書」や「論語」のような編纂物のようです。

12.『無限の本質 - 呪術師との訣別』 (2002年)
The Active Side of Infinity , 1999. ISBN 0-06-019220-8. (Memorable events of his life.)

最終巻のタイトルはサブタイも含め日本語版オリジナルです。
原著は、

無限の活動的な面(笑)。 サブタイトルは『インターネットはからっぽの洞窟』(クリフォード・ストール著)なみの訣別感満載です。このリスト作成時は未読なので読後感含め後ほど。

追記)読了後の追記です。まったく「訣別」じゃありませんでした。でも、後期の中ではいい本だと思います。