なにが「やればできる」のかと言いますと、「こつこつ地道な努力」ってやつです。
それまでの自分の人生を振り返りますと各種入学試験やら資格試験やら就職活動やらマンション購入から果ては(100円寿司をケチられるような(笑))結婚に至るまで節目のイベントは、おしなべて場当たり、運も含め本番一発勝負ですごしてきました。
こつこつ積み上げて何かを達成したなんて全然なし。唯一、バイクの限定解除くらいでしょうか努力を重ねたのは。
本番一発で済めばそれでいいじゃないのと思われるかもしれませんが真に身につくなにかってのはやはりコツコツに勝るものはありませんて。まさにウサギとカメだと思います。
太極拳のところで少しふれた「~ちゃん」なんて典型ですよ。たいしたものです。
そのことを幼児たちと一緒に大のオトナの目が学んだのですね。ほとんど手遅れですが。
当時の同級生の幼児たちはすっかり忘れていると思いますしハナからコツコツの大切さなんてわかっちゃいない。
なんてたって相手は幼児ですからね、ほえずらかくなよってなもんですわ。
2013年2月20日水曜日
2012年11月28日水曜日
俺も昔は乗っていたんだよの時代
オートバイ関係の記事を棚卸しました。安全運転テクニック関連の記事をとり下げ、思い出話系のみを残しました。(2024/05/17)
どちらでも良いのですが、今読み直すと昔のほうが全体的に文体が老けてますな。
確かに。実感として、「あの頃の僕より今の方がずっと若い」気がします。 もちろん精神的にですよ。
そんな中、オートバイについて、おじさんが「俺も昔は乗っていたんだよ」というのは潔くないということを書きました。若返った(笑)今でも考えは変わっていませんが、オートバイを降りたことだけは宣言しておこうと思います。
何年前か忘れましたが、たしか2007年くらいだと思います。
追記)2006年の3月でした。
若い頃やった中心性網膜炎の影響で右目の視野?が狭いような感覚に襲われるようになりまして。実際には検査してもそんなことは無いのですが、とにかく視野が良くない気がしはじめまして、オートバイの運転にもっとも重要と書いた「右側の安全確認」に自信がなくなったのです。
これはいつか事故ると思いまして、即刻降りる決断をしました。
25歳の時に、瞬決(な言葉あるか?(笑))して禁煙したのに似ています。
普段はとことん優柔不断なのに本気で決心すると早いですな。やればできるじゃないって感じです。
結果、晴れて自分が「オレも乗ってたんだよ」と言って哂われる資格を得たわけですが、幸か不幸か、そのフレーズを言うチャンスはまだ訪れていません。
2011年4月29日金曜日
グリース
あたしがバイクに乗っているというのを知った人間からこんなことを言われました。
「イメージのギャップが・・・・。インナーという感じが強いので(失礼)。まさか髪型やファッションまで以前は?」
上記からその知人が二輪未経験者だということが読み取れます。(コナンばりの推理)
まず、ファッションですがバイクに乗ってる連中がみんなグリース(※注)みたいな恰好してると思ってる(笑)
つぎにインナーな印象とのギャップですが、実はオートバイに乗ってる連中の多くはたいがいあらかたおおむね「インナー」であります。
内向的なんですな。孤独でね。本質的にはサラリーマン向きじゃない。
だから観察しますと太ってる連中がけっこう多い。普段はインナーなんでしょう。あたしみたいに。
で、おまけにブルースや落語を中途半端に好きだったりする。
なんといっても35年間乗ってましたからね。最近の連中は不格好なスクーターにしか乗りませんけど、やはし二輪はオートバイでしょ。タンクを股で挟まないと怖くて乗れません。
あたしのかかりつけのバイク屋さんは、神田神保町にありまして国内でも珍しいロシアのサイドカーオートバイ「ドニエプル」(中身はBMW)を売ってるお店でした。
一台仕込んでから納品するまですごく時間がかかるので完成までの工程を昼休みに見学するのが楽しみだった。
あのあたりも再開発で見る影もなくなっちまいましたなぁ。
※アメリカのコメディの主人公。いつでもリーゼントに革ジャン。波乗りしてるときも革ジャン着てる。(トラボルタの映画とは違います)
2010年11月26日金曜日
口伝の力
いやぁ、ギター復活してから1年くらいたつけど、まったく上達しないなぁ。
ま、半年くらいは練習方法模索でうろうろしてたから、まだ6ヶ月くらいだと思えば、こんなもしれませんね。
今の練習方法で方向性は、間違ってないと思うけど、所詮、独学は独学だし。
楽器の先輩に聞くと、楽器はやはし先生につかないとダメよってなアドバイスを受けます。
YouTubeとかもありますが、やはりフェイストゥーフェイスのほんのちょっとしたアドバイスでいきなり上達するってのがありますな。確かに。
昔、オートバイの限定解除(※注)を受けてました。
ま、半年くらいは練習方法模索でうろうろしてたから、まだ6ヶ月くらいだと思えば、こんなもしれませんね。
今の練習方法で方向性は、間違ってないと思うけど、所詮、独学は独学だし。
楽器の先輩に聞くと、楽器はやはし先生につかないとダメよってなアドバイスを受けます。
YouTubeとかもありますが、やはりフェイストゥーフェイスのほんのちょっとしたアドバイスでいきなり上達するってのがありますな。確かに。
昔、オートバイの限定解除(※注)を受けてました。
以下、過去の投稿と被ってますがご容赦を。
合格をめざす連中は、中型でも比較的車体のでかく重量のある400CCを買って練習します。
もちろん、公道ではできないので、自動車教習場が主催する「練習コース」を借りて訓練をします。
あたしのホームグラウンドは、埼玉のレインボーモータースクールという学校で、プロの先生たちの指導をみっちり受けて試験に臨みました。
大型試験は月に一度しか受けられません。一回がとても貴重なのです。
なかなか受かりませんが、そこはそれ、日々たゆまぬ練習で、運動オンチのあたしでも上達してくるのです。
しかし、もう一歩!もう一歩!ってなとこでスランプに陥りました。どうしても「短制動」でうまくいかないのです。
ついこの間までは、むしろ得意な科目だったのに……。
短制動とは、急ブレーキのことです。ある一定スピードまで上げ、短距離でとまる。「急制動」は、イリーガルな用語なので公用語は「短制動」。
教習場に通い詰めていると同じ志の連中と親しくなるので自然と情報交換がはじまります。
練馬にも大型を訓練してくれる学校がある。特訓してくれるらしい。
そこは、「都民自動車教習所」というところで、でかけてみると教官たちがアウトローっぽい(笑)っていうか練習場も「馬場」のような感じの場所。
女性教官をはじめとして、なんだか、悪っぽくてかっこよいのです。
先生に、「短制動」でうまくいかないので特訓をお願いします。と頭を下げました。
バイクを動かす前。いきなり、先生が、あたしに短制動の仕組みを説明しました。言葉でです。
何キロのスピードで、この力を入れるとこのように減速する。みたいな。これが頭にスっと入ったとたん。自分の中ですべてが氷解しました。
身体の練習ではなくて、言葉で。不思議ですよね。これぞ口伝の力。
そして、翌月の試験で見事、合格。
夢のようでした。
※注:限定解除とは? 昔、結構長い期間、オートバイの大型免許(451CC以上)を教習所で取らせてもらえない時代がありました。
警察の試験場に行って直接試験を受けますが、「落とすため」のような試験で非常に難易度が高い。
関東では、神奈川の二俣川が特にむずかしいと評判でした。
東京は、府中と鮫洲の二箇所。コースに特徴があるので、どちらか一方に的をしぼって練習をします。
近年は、教習所で大型が取れるようになったので楽になりましたが、残念なことに、後ろからみると、みな足が開いてしまってます。
限定解除では受かりません。
合格をめざす連中は、中型でも比較的車体のでかく重量のある400CCを買って練習します。
もちろん、公道ではできないので、自動車教習場が主催する「練習コース」を借りて訓練をします。
あたしのホームグラウンドは、埼玉のレインボーモータースクールという学校で、プロの先生たちの指導をみっちり受けて試験に臨みました。
大型試験は月に一度しか受けられません。一回がとても貴重なのです。
なかなか受かりませんが、そこはそれ、日々たゆまぬ練習で、運動オンチのあたしでも上達してくるのです。
しかし、もう一歩!もう一歩!ってなとこでスランプに陥りました。どうしても「短制動」でうまくいかないのです。
ついこの間までは、むしろ得意な科目だったのに……。
短制動とは、急ブレーキのことです。ある一定スピードまで上げ、短距離でとまる。「急制動」は、イリーガルな用語なので公用語は「短制動」。
教習場に通い詰めていると同じ志の連中と親しくなるので自然と情報交換がはじまります。
練馬にも大型を訓練してくれる学校がある。特訓してくれるらしい。
そこは、「都民自動車教習所」というところで、でかけてみると教官たちがアウトローっぽい(笑)っていうか練習場も「馬場」のような感じの場所。
女性教官をはじめとして、なんだか、悪っぽくてかっこよいのです。
先生に、「短制動」でうまくいかないので特訓をお願いします。と頭を下げました。
バイクを動かす前。いきなり、先生が、あたしに短制動の仕組みを説明しました。言葉でです。
何キロのスピードで、この力を入れるとこのように減速する。みたいな。これが頭にスっと入ったとたん。自分の中ですべてが氷解しました。
身体の練習ではなくて、言葉で。不思議ですよね。これぞ口伝の力。
そして、翌月の試験で見事、合格。
夢のようでした。
※注:限定解除とは? 昔、結構長い期間、オートバイの大型免許(451CC以上)を教習所で取らせてもらえない時代がありました。
警察の試験場に行って直接試験を受けますが、「落とすため」のような試験で非常に難易度が高い。
関東では、神奈川の二俣川が特にむずかしいと評判でした。
東京は、府中と鮫洲の二箇所。コースに特徴があるので、どちらか一方に的をしぼって練習をします。
近年は、教習所で大型が取れるようになったので楽になりましたが、残念なことに、後ろからみると、みな足が開いてしまってます。
限定解除では受かりません。
2006年6月7日水曜日
オートバイごよみ
前項で、オートバイ履歴について少し触れたので、この際、続きを記しておくことにします。
オートバイマニアではありませんが、オートバイに乗らなかったらどんな人生だったろう。
多分、この車が最後で、さぁ後はいつオートバイを降りるか、という決断だけになってきました。
原付、DAX HONDAに数年。それから2年ほどブランクがあって。
先に書いた(追記:バイクを降りましたので触れている記事は取り下げました)右直事故を起こした友人に誘われて中型自動二輪の免許を和光のレインボウモータースクールで取得しました。
その時、練馬のバイク店で購入したのがスズキの250。
この車には謎の電気系統の故障で悩まされました。それ以降スズキの印象が悪く、以降またがっていません。
この頃、芸能人、文化人を中心に一大オートバイブームが起きました。
あたしの友人達もほぼ全員乗っていたので柄にもなくツーリングなどにでかけていました。
そして無性に大型自動二輪に乗りたくなり、限定解除しました。
限定解除の練習は、先のレインボウモータースクールが大型の講習というのを実施していました。朝、まだ暗いうちに和光に出向き人のいない受付にヘルメットをおいて順番待ちををします。
後にも先にもあんなに夢中になって打ち込んだものはないかもしれません。
同教習所では先に車の免許(ともちろん中型二輪免許)も取得していたので、自分にとっては母校といっていいくらい愛着があります。教員の技術も並はずれていました。
レインボウと平行して同じく練馬にあった都民教習所の大型教習にも通いました。レインボウがエリートとするとこちらはアウトローという感じでいなせな先生が多かったのが思い出です。
後半、短制動で悩んだとき、都民の先生のアドバイスで突破でき、それが最終的な合格につながりました。(口頭のアドバイスが運動のテストに効くのですからイメージトレーニングというのは実際にありなのですね)
その頃は大型に一番近いタイプのGP400というカワサキに乗っていました。エンジン音や鉄のブレーキディスクなどとても気に入っていたので大型をとったらカワサキの650に乗ろうと思っていました。ところが半年後に試験に合格したときには生産中止。
次点のマシンということでレインボウの教習車でもあったホンダの750Fを購入して何年も乗りました。
カワサキの400もFも、縁あってお世話になることになった神保町「花村モータース」で購入しました。
しばらく後、セカンドマシンでホンダの250を購入。
これは先のスズキのマシンを買った練馬の大型店で購入、その後、神保町でアップハンドル(なんで?)に改造してもらいました。
Fにのって長年。仕事の関係であまり乗ることができなくなった時期があります。
親戚がメンテをしたいということで2台とも田舎に世話になることになりました。
そして1年後、Fはその親戚に贈呈。ホンダの250だけ出戻ってきました。経済事情もあり細々と250にのる自分。これが何年も続いたが、どうにも納得がいきません。水冷というのも気に食わない。うつうつとした日々が続き幾星霜。
ある日、車を運転していると様子のいいカワサキが目に飛び込んできました。カワサキに乗りたい、そう思ったら我慢ができなくなりました。
花村モータースに相談にいったり家人を説得したりで今のゼファーを手に入れました。
この年月。自分はネイキッド。普通のオートバイ以外乗ったことがありません。(漫画のストップにいちゃんのイメージに惹かれているのです)
実家を出た後、両親が近所の人に息子(あたし)の話をすると「あぁ。あのオートバイが好きだった息子さんね」と言われたそうです。
先に書いた(追記:バイクを降りましたので触れている記事は取り下げました)右直事故を起こした友人に誘われて中型自動二輪の免許を和光のレインボウモータースクールで取得しました。
その時、練馬のバイク店で購入したのがスズキの250。
この車には謎の電気系統の故障で悩まされました。それ以降スズキの印象が悪く、以降またがっていません。
この頃、芸能人、文化人を中心に一大オートバイブームが起きました。
あたしの友人達もほぼ全員乗っていたので柄にもなくツーリングなどにでかけていました。
そして無性に大型自動二輪に乗りたくなり、限定解除しました。
限定解除の練習は、先のレインボウモータースクールが大型の講習というのを実施していました。朝、まだ暗いうちに和光に出向き人のいない受付にヘルメットをおいて順番待ちををします。
後にも先にもあんなに夢中になって打ち込んだものはないかもしれません。
同教習所では先に車の免許(ともちろん中型二輪免許)も取得していたので、自分にとっては母校といっていいくらい愛着があります。教員の技術も並はずれていました。
レインボウと平行して同じく練馬にあった都民教習所の大型教習にも通いました。レインボウがエリートとするとこちらはアウトローという感じでいなせな先生が多かったのが思い出です。
後半、短制動で悩んだとき、都民の先生のアドバイスで突破でき、それが最終的な合格につながりました。(口頭のアドバイスが運動のテストに効くのですからイメージトレーニングというのは実際にありなのですね)
その頃は大型に一番近いタイプのGP400というカワサキに乗っていました。エンジン音や鉄のブレーキディスクなどとても気に入っていたので大型をとったらカワサキの650に乗ろうと思っていました。ところが半年後に試験に合格したときには生産中止。
次点のマシンということでレインボウの教習車でもあったホンダの750Fを購入して何年も乗りました。
カワサキの400もFも、縁あってお世話になることになった神保町「花村モータース」で購入しました。
しばらく後、セカンドマシンでホンダの250を購入。
これは先のスズキのマシンを買った練馬の大型店で購入、その後、神保町でアップハンドル(なんで?)に改造してもらいました。
Fにのって長年。仕事の関係であまり乗ることができなくなった時期があります。
親戚がメンテをしたいということで2台とも田舎に世話になることになりました。
そして1年後、Fはその親戚に贈呈。ホンダの250だけ出戻ってきました。経済事情もあり細々と250にのる自分。これが何年も続いたが、どうにも納得がいきません。水冷というのも気に食わない。うつうつとした日々が続き幾星霜。
ある日、車を運転していると様子のいいカワサキが目に飛び込んできました。カワサキに乗りたい、そう思ったら我慢ができなくなりました。
花村モータースに相談にいったり家人を説得したりで今のゼファーを手に入れました。
この年月。自分はネイキッド。普通のオートバイ以外乗ったことがありません。(漫画のストップにいちゃんのイメージに惹かれているのです)
実家を出た後、両親が近所の人に息子(あたし)の話をすると「あぁ。あのオートバイが好きだった息子さんね」と言われたそうです。
オートバイマニアではありませんが、オートバイに乗らなかったらどんな人生だったろう。
多分、この車が最後で、さぁ後はいつオートバイを降りるか、という決断だけになってきました。
2006年6月6日火曜日
怒っている風
長年単車に乗っていると頻繁に乗っている時期、淡々と乗っている時期、間引いて乗っている時期と様々です。
今のカワサキに乗る前は経済的な事情もあって大分前に購入していたホンダの250を使っていましたが、あまり熱心な乗り手ではありませんでした。
なので、家人を説得して再び(*1)カワサキにこぎつけた時、「久しぶり」に乗った気分がしました。
そして、それなりに熱心に乗ってみると何かが違う。何か世界が違っているのです。
その一。
昔と今と風が異なっている。風が荒々しいのです。
宗教やら哲学めいて申しわけないですが、かつてはオートバイに乗って風にあたると実存感や、コリン・ウィルソン言うところの至高体験(*2)を味わえたのですが、さっぱりなのです。
あたしは勝手に人間がもたらした環境の激変に風が怒っていると思っているのですが、単に自分が老化して感性が鈍っているだけかもしれません。
次に、異なっているなと思ったことは自動車の運転手たちの行動です。
これも荒々しく苛苛しているような気がします。以前(たとえば20年前)であれば自動車の運転手はよくもわるくもオートバイについてはあまり意識していませんでした。異なるモードの乗り物と捉えていたのか、あたしたちをわずらわしいとは感じていないよ うでした。
ところが現在は、自動車の分際でやけにオートバイを目の敵にして追い越そうとしたりする運転手が多いように思えます。
時には本気でぶつけるのではないか?と思うこ ともあります。これもまた自分の運転が老化でとろくなっているだけかもしれませんが、他のオートバイとの走行関係を見る限りでは自分の運転手法はさほど変化はして いないようなのです。
だから、先頭を走っていて赤信号になっり停止する際、車線の中央でとまらないようにすることにしました。気が変になっている運転手にわざと追突されないためです。
車線中央を走っていても停止にいたる過程で車と車の間、車線の上にとまるようにしています。
*1)後述。
*2)「至高体験」。ひとことでいうと、「お!いま悟ってる。」といった感覚。誰しも経験があるハズ。
今のカワサキに乗る前は経済的な事情もあって大分前に購入していたホンダの250を使っていましたが、あまり熱心な乗り手ではありませんでした。
なので、家人を説得して再び(*1)カワサキにこぎつけた時、「久しぶり」に乗った気分がしました。
そして、それなりに熱心に乗ってみると何かが違う。何か世界が違っているのです。
その一。
昔と今と風が異なっている。風が荒々しいのです。
宗教やら哲学めいて申しわけないですが、かつてはオートバイに乗って風にあたると実存感や、コリン・ウィルソン言うところの至高体験(*2)を味わえたのですが、さっぱりなのです。
あたしは勝手に人間がもたらした環境の激変に風が怒っていると思っているのですが、単に自分が老化して感性が鈍っているだけかもしれません。
次に、異なっているなと思ったことは自動車の運転手たちの行動です。
これも荒々しく苛苛しているような気がします。以前(たとえば20年前)であれば自動車の運転手はよくもわるくもオートバイについてはあまり意識していませんでした。異なるモードの乗り物と捉えていたのか、あたしたちをわずらわしいとは感じていないよ うでした。
ところが現在は、自動車の分際でやけにオートバイを目の敵にして追い越そうとしたりする運転手が多いように思えます。
時には本気でぶつけるのではないか?と思うこ ともあります。これもまた自分の運転が老化でとろくなっているだけかもしれませんが、他のオートバイとの走行関係を見る限りでは自分の運転手法はさほど変化はして いないようなのです。
だから、先頭を走っていて赤信号になっり停止する際、車線の中央でとまらないようにすることにしました。気が変になっている運転手にわざと追突されないためです。
車線中央を走っていても停止にいたる過程で車と車の間、車線の上にとまるようにしています。
*1)後述。
*2)「至高体験」。ひとことでいうと、「お!いま悟ってる。」といった感覚。誰しも経験があるハズ。
2006年6月5日月曜日
フルフェイスとSummer Days
オートバイに乗るようになったのは荒井由実の「生まれた街で」を聞いたのがきっかけです。
詞の中の”小さなバイクに乗り風をみおくったとき季節が~”というフレーズを聞くに、それは気分がいいに違いないと思って原付を買ったのがそもそもの始まりです。
あの頃の荒井由実は輝いていましたね。
上石神井にあったホンダのショールームに出向いてDAX HONDAを取り寄せてもらいました。(原付時代も”またが”って乗るオートバイだったのです)
詞の中の”小さなバイクに乗り風をみおくったとき季節が~”というフレーズを聞くに、それは気分がいいに違いないと思って原付を買ったのがそもそもの始まりです。
あの頃の荒井由実は輝いていましたね。
上石神井にあったホンダのショールームに出向いてDAX HONDAを取り寄せてもらいました。(原付時代も”またが”って乗るオートバイだったのです)
このDAXにはずいぶん世話になりました。
ツーリングこそしませんでしたが(ツーリングというものを知らなかった)関東近辺をうろうろうろうろしていました。もちろん荒井由実ですから横浜くらいまでは出向きました。
そして。確かに、確実に季節がわかる乗り物だということを知りました。
荒井由実は実際に自分でもバイクに乗っていたのでしょうか?
小さなバイクに乗り、甲州街道、西八王子近辺の銀杏並木をみて、自分の住んでるところもまんざらじゃないなと思ったのだと思います。
それにしてもオートバイを謳った曲というのは少ないような気がします。
「生まれた街で」以外では森川美穂の「フルフェイスとSummer Days」を知っています。
オートバイの二人乗りは好きではありませんが、この歌を聴くたびに静岡路のタンデムライドがよみがえります。
「雨上がりのハイウェイ・・」のくだりでは、なぜか商売が上り調子だった頃のヤオハンを思い出すし、「缶コーヒーのロングシュート」の部分では真鶴道路が蘇ります。
サビの部分の後ろで流れるストリングが本当にオートバイに乗っているような気分にさせる名曲です。
東京にもどり、タンデムライダーを無事家に送りつけると二人乗りの世界が終わります。
その時はいつも、あぁ一人になれた。自由だ(笑)ってなもので。
やっぱりオートバイは一人が最高だ!とちょっと後ろめたい喜びを味わうのでした。
ツーリングこそしませんでしたが(ツーリングというものを知らなかった)関東近辺をうろうろうろうろしていました。もちろん荒井由実ですから横浜くらいまでは出向きました。
そして。確かに、確実に季節がわかる乗り物だということを知りました。
荒井由実は実際に自分でもバイクに乗っていたのでしょうか?
小さなバイクに乗り、甲州街道、西八王子近辺の銀杏並木をみて、自分の住んでるところもまんざらじゃないなと思ったのだと思います。
それにしてもオートバイを謳った曲というのは少ないような気がします。
「生まれた街で」以外では森川美穂の「フルフェイスとSummer Days」を知っています。
オートバイの二人乗りは好きではありませんが、この歌を聴くたびに静岡路のタンデムライドがよみがえります。
「雨上がりのハイウェイ・・」のくだりでは、なぜか商売が上り調子だった頃のヤオハンを思い出すし、「缶コーヒーのロングシュート」の部分では真鶴道路が蘇ります。
サビの部分の後ろで流れるストリングが本当にオートバイに乗っているような気分にさせる名曲です。
東京にもどり、タンデムライダーを無事家に送りつけると二人乗りの世界が終わります。
その時はいつも、あぁ一人になれた。自由だ(笑)ってなもので。
やっぱりオートバイは一人が最高だ!とちょっと後ろめたい喜びを味わうのでした。
2006年5月30日火曜日
昔は俺も乗っていたんだよ…
※最下部に追記しました(2013年6月1日)
職場などであたしがオートバイに乗っている話が出ると、必ず中年男性が、「俺も昔は乗ってたよ。」という話をはじめます。
職場などであたしがオートバイに乗っている話が出ると、必ず中年男性が、「俺も昔は乗ってたよ。」という話をはじめます。
こちらの歳には関係なく、オートバイに乗っていたよという相手は、もう乗っていないので常に中年以上です。
このパタンに出会うと、いつも若い頃の喧嘩の自慢をする上司に似ているなぁと思います。
これが、「俺も一度は乗ってみたかったんだよ」だと違いますな。余裕がある。
単車を降りたらオートバイの話はきっぱりやめたいものです。
さて、防衛運転に適した単車の排気量ですが、できれば最低400CCはほしいところ。
751CC以上は、とりまわしが俊敏に行えないのでせいぜい750CC。おまけに750を超えると、新米かもしれないと痛くも無い腹をさぐられるし。
(誰も探らないって(笑))
車検費用という欠点はありますが力のある400や600というのが一番なのかもしれません。低速時の安定性も250以下では心もとありません。
たとえば隣接車線にいる自家用車が不注意で急に車線変更した場合など短制動は危険です。そんな時、一気呵成に加速して瞬時に前に出て危険を回避するの がベストですが、原付き自転車や250程度では巻き込まれてしまいます。たとえ短制動をすることになったとしても大型のブレーキ力は頼りになります。
250クラス程度の場合、強風で一(ひと)車線くらい横に吹き飛ばされることがあります。
あたしは目で前を走っている250CCがひと吹きで対向車線に横滑りさせられたのを目撃したことがあります。
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この元記事は2006年ですが、その後本当にバイクを降りましたので、その後話をアップしてあります。
このパタンに出会うと、いつも若い頃の喧嘩の自慢をする上司に似ているなぁと思います。
これが、「俺も一度は乗ってみたかったんだよ」だと違いますな。余裕がある。
単車を降りたらオートバイの話はきっぱりやめたいものです。
さて、防衛運転に適した単車の排気量ですが、できれば最低400CCはほしいところ。
751CC以上は、とりまわしが俊敏に行えないのでせいぜい750CC。おまけに750を超えると、新米かもしれないと痛くも無い腹をさぐられるし。
(誰も探らないって(笑))
車検費用という欠点はありますが力のある400や600というのが一番なのかもしれません。低速時の安定性も250以下では心もとありません。
たとえば隣接車線にいる自家用車が不注意で急に車線変更した場合など短制動は危険です。そんな時、一気呵成に加速して瞬時に前に出て危険を回避するの がベストですが、原付き自転車や250程度では巻き込まれてしまいます。たとえ短制動をすることになったとしても大型のブレーキ力は頼りになります。
250クラス程度の場合、強風で一(ひと)車線くらい横に吹き飛ばされることがあります。
あたしは目で前を走っている250CCがひと吹きで対向車線に横滑りさせられたのを目撃したことがあります。
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この元記事は2006年ですが、その後本当にバイクを降りましたので、その後話をアップしてあります。
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