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2024年9月6日金曜日

お神輿の不思議

多くの人が、若い頃「こっくりさん」をやられたことがあると思います。
あたしは、学生時代にサークルの合宿で初めて体験しました。

手書きの文字盤の上に10円玉を置き、数人が人差し指をその上におきます。
呼び出し方が「得意」な先輩が何人かいてリーダーをやってくれました。
中でもある先輩が上手で、短時間に呼び出すことができました。

あたしが初体験で驚いたのは、10円玉の動き方です。
それまで本などで知っていただけなので、さささっと動くのかな?と想像していたのに実際は、ググっと猛烈に強い力で動きます。
あらがおうと思っていても4人の指は10円玉の上にちょこっと乗っているだけですから、あっという間にもっていかれます。

リーダーが意図的に動かそうとしていたとしても10円玉の表面積が狭く皆と同じような指の乗せ方しかできないので、あのように強い動きはコントロールできません。
ズルっ、ググっと直線的に迷いなく動きます。

そこで本題ですが、お神輿の動きが「こっくりさん」とそっくりだなと思っています。
大人数でかついでいるので個人の思惑では動かすことができず、宮入りだからといってまっすぐお宮に向かわずに、突然あらぬ方向にググっと動く力が働いて人々が引っ張られます。
周囲の見物客も注意していないと突然の流れに巻き込まれガードレールと神輿に身体を挟まれ骨折、救急車なんてこともあります。

あれはいったいどんな現象なのでしょうか?

余談ですが、前述の呼び出し上手の先輩というのは、多くの日本人がよくご存じの有名人です。彼が呼び出していたお相手というのは、彼の背後霊?守護神?のような存在だそうで名前もまるで日本の八百万の神々の一人のような名称でした。(メモしておけばよかった)
そして質問に対する回答が、ユーモアにあふれ、なんともほのぼのしたこっくりさんでした。
彼のその後の大成功には、この存在の加勢があったのかもしれません。

2024年5月15日水曜日

カルロス・カスタネダ関連の投稿

本ブログで大きな割合を占めていた「カルロス・カスタネダ」関係の記事を棚卸しをしまして別のコンテンツに引越しをしました。
タイトルは『gait of power』(「力の足どり」)としました。

今回は、知人のサーバーをお借りしてシステムをWordPressにしました。
ほぼ元の記事のままですが、誤植・リンク切れなど体裁を直してあります。
また、元原稿では揶揄した調子の文体が多すぎたなと思いましたので少しトーンを抑えて書き直しました。
元原稿にはまだまだ推敲や校正の足りない部分があるので新サイトにおいても少しずつ見直しを進めています。

国内では、2000年代に入ってから従来、ニューエイジ、精神世界などと呼ばれていたものが「スピリチュアル系」という呼び名が一般的になり動画コンテンツを中心に「スピ系」と呼ばれるなど、より多くの「一般の人々」に浸透しています。

そしてコロナ禍に入ると、「スピ系」コンテンツに傾倒していた人たちは、不安にかられて簡単な答えが得られる陰謀デマ系の世界に逃げこんでいきました。
あたしも、長年の親友がコロナ禍でネット情報漬けになり当時活発になったカルト系の政治活動に陥った結果、断腸の思いで交友を断つことにしました。

アップした多数のカスタネダ関係の記事の中でも、カスタネダを妄信して活動に加わり、カルトに救いと居場所を求めた人々の狂気・末路が紹介されているAmy Wallaceの『呪術師の弟子:カルロス・カスタネダとの人生』は、愛する人や自らがカルトに染まらないための予防に役立つと思います。
みなさんの参考になれば幸いです。

2018年6月29日金曜日

『一人旅の友は自由』~孤独な鳥の条件~(2/3)

以下、YouTubeに公開されている動画と、あたしの拙い翻訳です。



●ジュディ・ウッドルフ(PBSメインキャスター)

今、これをご覧になってる人の中には家族や友達と過ごす夏休みの計画を立ててる方々もいると思います。
でも、もうひとつのアイデア、もしかするともっといい休暇の過ごし方があるかもしれません。
一人旅の話です。

今夜は、ニューヨークタイムズの旅行記事担当、ステファニー・ローゼンブルームが目的地に着くことより大切なことについて「私の素朴な意見」を話します。

●ステファニー・ローゼンブルーム

私の仕事は旅行記者です。

私の職業を知ると誰もが、自分が旅したい場所について話を始めます。
「そうね、ポルトガルかローマに行きたいわ。でも一緒に行ってくれる人がいないの」

私のこたえ? 「だから? 一人で行けばいいじゃない」

昔、編集長が私を一人で一年間、パリの探訪に行けと命じたの。
たった一人。家から遠く離れて、とてもゆっくりできたわ。
同行者とおしゃべりする必要もないし、付き合う必要もない。だから一人でどっぷりと毎日素晴らしいことに気がつくことができた。ルクセンブルク・ガーデンの緑色の椅子に木漏れ日が差し込むところ、カフェの軒先の日よけに落ちる雨の音とか。

私はいろいろ素敵なものに集中できた。だって誰にも邪魔されないから。
誰も私を急かさないからバルザックの家の近くにあった静かな道でのんびりできた。

一人で出かけなさい。そうすればあなただけが興味を持っていることに接する自由があるんだから。自分のペースで自分のセンスを磨くことができる。好きな美術やデザインの店を探したり、見知らぬ場所を発見したり新しい趣味や冒険のヒントを見つけることができるかもしれないし。ひょっとしたら残りの人生の過ごし方が決まるかもしれない。

一人。これまでの殻から出られる。昔、東京の茶室でお茶を体験した日みたいに自分を見直せる。
秋の午後、フィレンツェの丘に登って生きてることを実感できる。
これからどう生きていくかを考えることができる。他の人が周りにいたらできない体験。

でも、あなたはこう思ってるかもしれない。
「そうね。いいかもしれない・・・でも寂しいでしょ?」
そう、私たちは寂しさからは逃れられない。いつだって寂しさは訪れてくる。
たとえ親しい人たちに囲まれたパーティーにいる時だって寂しくなることはあるから。

それに、もし人と会うのが好きなら、なおさら休暇は一人でとった方がいい。あなたが一人でいるときの方が、見知らぬ人々は話しかけやすいから。それに今は、現地の人たちや旅人たちと親しくなれるチャンスがたくさんある。
料理教室、見学ツアー、ウェブのサービス。

もうひとつ言いたいことがあるの。
もしあなたが女性だったら一人で旅ができるってことはすごいことだってこと。
私たちの先輩の女性たちが長い時間をかけて勝ち取った権利だから。
私の故郷、ニューヨークでは長年、女性には旅行もそうだし一人で散歩したり食事をする権利がなかったんだから。

私が一人で行動するとき、これまで数えきれないほどの女性たちが努力してくれたおかげでできるようになったんだって思う。
だから、誰か友達がアレンジしてくれたり予定を組んでくれるのを待つのではなく自分の人生を楽しんで。

いますぐ航空チケットを買って。ホテルを予約して。
一人で旅に出よう。

●ジュディー・ウッドラフ

ステファン・ローゼンブルーム、素敵なアドバイスありがとう。
家ですごく休暇でも同じことがいえるわね。

(続く)

2018年6月28日木曜日

『一人旅の友は自由』~孤独な鳥の条件~(1/3)

近年、自分の孤独性(solitude)について自覚することが多いです。
(『ひとりメシの話』)

現役時代には、それなりに会社や社会にしたがってほどほど過ごしてきましたが、まるで論語でいう70歳のように「心の欲するところに従って則を超えたい」なんて思い始めているなと。

いまだに同じ職場で働いている身ですが、現役時代では付き合いで顔を出していた社交関連や夜の誘いについてはいろいろ理由をつけてパスするようになってきました。
健康問題もあるし、お酒に時間使うくらいならハーモニカの練習の方が大切だしね。

また周囲も事あるごとにあたしが自分の孤独重視キャラクターを訴えてきたせいか彼らも尊重してくれているようでありがたいことです。

孤独性は自由で時間も好きなように使えるのでメリットはあるのですが、逆に自分がどこにも所属していないような感覚にもなります。

自分のベースが職場でもなければ家庭でもない。友人たちでもなければ趣味の集まりでもない。
寂しい( loneliness )というのとも違う、どちらかというとアイデンティティの問題のような感覚。
ごくごく平凡なあたしが感じている感覚だからたぶん全部の人間が持っている感覚なのかもしれません。

そもそも、どこかにどっぷりと所属したくないわけなのだから所属してなくて結構なことですが、人はどこかにコアとなるホームグラウンドが必要なのかなとも思う時があります。(それは過去の自分かもしれないし)
いずれにせよ、なんだかんだいって人は一人では生きられないわけですから。

とかつらつら考えていたらPBSニュースの連載企画で毎回ゲストが「My Humble Opinion(私の素朴な意見)」という短いスピーチをするコーナーでぴったりの話題がありましたのでご紹介したいと思います。

最初にMC(ジュディ)が紹介して、本人(ステファニー・ローゼンブルーム)、最後にジュディがまとめ、となってます。

素晴らしいトークだったので訳したんですが、あたしの素人訳になると全然雰囲気が伝わりませんがご容赦を。

(続く)

2016年9月24日土曜日

君の名は。※ ★★★★☆

『君の名は』は、ラジオドラマ化されたとき、オンエアの時間になると女風呂に客がいなくなるという伝説的すれちがい男女ドラマで「真知子巻き」というストールのファッションが大流行したという大ヒット作品ということだけくらいの知識でした。

『風立ちぬ』(堀辰雄)というタイトルでジブリのアニメが作られて。こんどは『君の名は』(菊田一夫)か~、というのもあり昭和の小説の名を借りた新作なんだろうなぁと流していました。

あたしは既報の通りカラオケのDAMチャンネルのヘビー視聴者ですからDAMチャンネルで繰り返し流れる『君の名は。』のプロモーションビデオを繰り返し見てます。
おそらく日本人でもっともこの映画のPVを見ている人間の一人かと思います。

ヘビー視聴者と言いましたが、ボリュームを消してハーモニカの練習をしているので見てはいますが音はめったに聞いていません。なのでヘビー視者が正確かも。

音のない映像で主役は現代の高校生みたいだから、やはりお話は「真知子巻き」ではなくて今の「すれちがい系」の純愛物語なのかなぁとぼーっと見ていました。

映画の音楽を担当しているRADWIMPSというグループのPVも同じくDAMチャンネルで繰り返し流れています。

Feedly(RSSニュースリーダー)に登録している「TAP the POP」という音楽評論サイトの9月2日の記事で「時を超えて、時を駆け上がって、希望を伝えてくれる『君の名は。』」という紹介がされまして。音楽の使い方についてとても好意的な記事が書かれてまして初めて興味を持ちました。(このサイト、いい記事が多いんですよ)

そしたらこんどは『シンゴジラ』と競合して大ヒットになっているアニメ映画だっていうじゃないですか。これは観ておくかなと遂に思いました。

ちなみに監督の新海誠という方の『言の葉の庭』という短編を見てたのですが今回の『君の名は。』の製作者だとは直前まで知りませんでした。
『言の葉の庭』は知人から映像がすごく美しいという話を聞きまして見たところ、CGの美しすぎる部分とキャラクターの差異がちょっと気になるかなという印象を受けました。

今回は、その差異が目だたずに、両者が自然に溶け合っているなと感じました。
風景描写、水の描写などはこの監督のこだわりなのだなと思います。よかったです。
それと『言の葉の庭』でも感じたことで、ローアングルのショットが非常に多いです。
場面転換でも繰り返し使います。

PVの映像用に本編からピックアップされているものは「見どころ」に決まっているわけですが、「本編で教室で自分の悪口を言われているのを聞いた主役の女子高校生が腹を立てて机をけとばすシーン」、「同じ女子高校生がバスケでゴールをした後の正面のシーン」この二つが好きではありませんでした。
前者は、蹴った足元からミニスカートの太ももの付け根が映像で強調されています。後者はジャンプしたあとの正面からのショットで高校生の胸が揺れる映像です。

商業的には必要なのかもしれませんが、男性アニメファンに媚びるようなショットはどうにも好きになれません。(個人的な好みですのでお許しください)

幸いにもこのアニメではありませんが、主役の女子が猛烈に可愛いのに、男勝りの性格でおてんば、でもストーリー進行にしたがって実はとても(男の理想とするような)乙女ごころを持っているという性格付けも類型的で受けつけがたいです。(いわゆるツンデレ)

このタイプのキャラがはしゃいで好物(お菓子とか)をほおばって「きゃはは」っと甘ったれた声をだす場面も気持ち悪いです。(だから『あの花』10分しか耐えられなかったんだけど)

ま、これから女子と付き合いたい男性にとっての女性の理想像?なのかもですが女性像の掘り下げ方が浅すぎるように思えてしまうのです。
あたしはフェミニストではありませんが、でもついついそう感じちゃうんです。

というわけで映画見ると決めてから直前にはじめて音つきでPVを見たら、なんと!男女が入れ替わるっていうじゃないですか。上記のあたしが嫌いなサービスショットも男が中に入っているときのものだったのです。

映画鑑賞の結果は、ストーリーがあたしの趣味性にぴったりあっているのでとても気に入りました。
だって『リプレイ』⇒『君がいた未来のために』の系譜の話だからです。
好きなんですよ。そうそう、『僕だけがいない街』もそうでしたし、さらに古いところではロバート・ハインラインの『夏への扉』(山下達郎が歌にしたやつ)ですな。

ちなみに『君がいた未来のために』の主人公(堂本剛)が人生を繰り返すタイミングも『彗星群』の飛来でした。

女子高校生の一家は、夢見の技術に長けている呪術師の一族ですな。巫女(シャーマン)だし。そうした整合性は見事です。神社の本殿はもっと近くてよかったんじゃないかな。
監督は総武線沿線好きなんですね。

あたしの趣味にはぴったりで文句ないのですが、でも、なぜこの映画が格別に大ヒットするのか今もわかりません。
公開してだいぶたっているのに、シアターは結構カップルで賑わっていました。いつもはいついってもどの映画でも平日はガラガラなのに。(スターウォーズ、シンゴジラ比べ)

2016年8月26日金曜日

閑話休題 『利己的な遺伝子』からの引用

少し前の投稿、「メスカリト問答 (教え 4.メスカリトとの再会(1))」でカルロスが神のいる天国について話すとドン・ファンに「お前頭おかしいんじゃないか?わしは神のいる所なぞ知らんぞ」と馬鹿にされた話がありました。

ドーキンスとドン・ファンは気が合いそうだと書きましたが、具体例をお示ししようと思い書棚から『利己的な遺伝子』を引っ張り出してきて、あたしが特に気に入っていた部分を引用してみました。
(数少ない「自炊」しなかった一冊です)

ドーキンスは、この著書に限らずどこもかしこもこんな調子の皮肉攻撃なんですが、下記は特に笑えるのでぜひお楽しみください。

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DNAは、ヌクレオチドのA、T、C、Gというアルファベットで書かれた、体のつくりかたに関する一種の指令だと考えてよい。それはまるで、巨大なビルの全室に、そのビル全体の設計図をおさめた「書棚」があるかのようである。細胞内のこの「書棚」は核とよばれる。設計図は人間では四六巻にのぼる――この数は種によって異なる。各「巻」は染色体と呼ばれる。(中略)

以降、実物を示す用語と比喩とを適当にまぜながら、建築家の設計のたとえを用いて述べていくことにしよう。「巻」と染色体ということばは、同じものを指すと考えてほしい。また遺伝子間の境界は本のページの境界ほどはっきりしないが、かりに「ページ」は遺伝子と同じ意味に使うことにする。この比喩はかなり先まで使えるであろう。これがついに破綻をきたしたら、また別の比喩を用いることにする。ついでながら、もちろん「建築家」は存在しない。DNAの指令は自然淘汰によって組立てられてきたのである。

(『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンス著、訳:日高 敏隆、岸 由二、羽田 節子、垂水 雄二(紀伊国屋書店1998年5月27日17版)P45より)
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プリーチャー
最近、ビッグ・リボウスキ同好会(在りません)の知人から見ろと言われてどっぷりハマった「プリーチャー」(アマゾンプライムで配信中)も併せてごらんいただくとさらに味わい深いと思います。

建築家はいったいどこにいるのでしょう?


2016年7月30日土曜日

閑話休題 日本とメキシコ

ここのところエントリーの文章がやたらと長くて、くどいのであっさりと。

オアハカ(たぶん)にて(1)』で日本とメキシコの大きさを比較した図を入れましたが、実際の大きさを比較するサイト「The True Size of ...」というサイトで正確に比較できるというので図に起こしました。

緯度が割あいと近いせいか、普通の地図上の比較とさほど変わりがないようです。
左が前に作った図。右が”The True Size of ...”というサイトで作ったものです。


2016年6月21日火曜日

立体視(ステレオグラム)と呼吸の関係

ステレオグラム(立体視)画像ってよくありますね。

目がよくなるとか言われていますが、本当のところはどうなのでしょうか?
あたしは、以前、「七田式」の時代に嗜むようになってたま~に楽しんでいました。

ところが、最近、ふと思い出してやってみたところ目の疲れが画期的に改善したのでびっくりしてしまいました。

この立体画像、何年か前、読売新聞の日曜版で毎週企画されていました。(今は購読していないのでわかりません)
この画像にはどうも難易度があるようで、読売新聞の絵は割とやりやすかったように記憶しています。

ある日、その画像が見えなくなったのです。
というより、例えば猫が見えるハズだとすると、確かに猫の形はしてるのに猫の形の「穴」が開いているように浮き上がってくる。

自分の目がどうにかしちゃったのだろうか?
と思って初めて、「立体視」の専門誌、「マジカル・アイ」という本を購入しました。

それによると画像の作り方によって見るテクニックが二種類あるそうで、どうやら画像の作者が方式を変えたようなのです。

それまでやっていたのが「交錯法(クロス法)」。
そして逆に見えてしまったのが「平行法(パラレル法)」だそうです。(慣れてるのが逆だと凹んでみるのがクロス法になりますな)

そんなわけで今でもあたしはパラレル法の方が苦手で見えるまで少し時間がかかります。

家人は、マジカルアイがすぐに見える質(たち)らしくどんな画像も瞬時に見えるそうです。
もしかするとすごく近眼だからかもと言っています。

あたしは、得意なクロス法でもそれなりに時間が必要です。

そして、今でもとてもとても不思議なのが絵が浮き上がって見えるようにするに、もっとも重要なのが「呼吸」だということです。

特に「吐く息」。す~~~~と心を落ち着けて体の緊張をゆるめて絵をみていると、いきなりボワっと浮き上がってきます。

この呼吸の状態は、「瞑想」の呼吸にとても良く似ています。

2016年6月1日水曜日

第三次カスタネダブーム

自分の「終活」もたけなわ?な中、にわかに第三次カスタネダ(マイ)ブームにわいています。
そりゃ「終活」ですから、「死」についてとことん語られてるカスタネダでしょ?

死はお前の左側にいる

ですからね~。

全部で12巻も(しかない?)あるカスタネダの著作ですが、これから読まれる人に勧めるなら初期三部作の二巻目『呪術の体験 - 分離したリアリティ』という話からがよいなという結論に達しました。

1.『呪術師と私 - ドン・ファンの教え』
2.『呪術の体験 - 分離したリアリティ』
3.『呪師に成る - イクストランへの旅』

というのが本来の順番ですが、再読してあらためて思ったのは、

2.『分離したリアリティ』
1.『ドン・ファンの教え』
3.『イクストランへの旅』

の順が良いと思いました。

また、1.の『ドン・ファンの教え』をもし読む場合は、後半の「フィールドノート」は研究論文の付録みたいなもので堅苦しいだけですから読まなくても構わないと思います。(コストパフォーマンス悪いですな)

※太田出版の新装版はこざっぱりしてますが、あたしは二見書房版の装丁がオリジナル本と同じなので好きです。

12冊の著作の内、あたしが1979年頃に原著で読んだのはペーパーバックで販売されていた第4巻『力の話』までです。

5の『力の第二の環』は、滞米中にハードカバーで発売(1977年)されていたので買ってあったものの結局、読まずじまいで昨年「自炊」してしまいました。

アマゾンの購入履歴によると『沈黙の力』と『無限の本質』を除く日本語版をまとめ買いしたのが2000年。
家人が入院中で一人暮らしなのをいいことに思い切り趣味(これが趣味か?)に入っておりました。

4巻目以外はすべて「二見書房」という精神世界系の本が得意な出版社から出ていました。
(8番目の『沈黙の力』は、単に買いそこねていたのを気づかずに過ごしていただけ?)

一方、理由はわかりませんが、4番の日本語版『力の話』だけは当時、講談社学術文庫から別の翻訳者で出ていてタイトルもまったく異なる『未知の次元』という名前でした。
『未知の次元』は、この「まとめ買い」の時に一緒に買いました…が…、なんと買ってからすでに持っていることに気づき(笑)
しばらく『未知の次元』を二冊本棚に並べていました。

そして『未知の次元』は、その後、開きもせず・・・そしてこれがまさか自分がすでに原著では読んだ『力の話』だとはまったく気づかず(開いてもいないわけだし・・・)つい最近まで至るという体たらく。

あらためてカスタネダの本を検索すると『力の話』というタイトルで2014年にあらためて前述の太田出版から二見書房版の翻訳者で出版されていたことを知り再度買いました。
要するにこの3巻目は英語版も入れると四冊(内三冊は自炊しちゃったけど)持っていることになりますな。

たしか、カスタネダが高いところから飛び降りる話を読んだのに、そのエピソードがないなぁなんて思っていたのは翻訳版の『未知の次元』を読んでいなかったからなんですな。


1.『呪術師と私 - ドン・ファンの教え』(1974年)
2.『呪術の体験 - 分離したリアリティ』(1974年)
3.『呪師に成る - イクストランへの旅』(1974年)
4.『力の話』(2014年)
  ※『未知の次元』ハードカバー(講談社)は1979年発行。文庫版(講談社学術文庫)は、1993年発行。
5.『呪術の彼方へ - 力の第二の環』(1978年)
6.『呪術と夢見 - イーグルの贈り物』(1982年)
7.『意識への回帰 - 内からの炎』(1985年)
8.『沈黙の力 - 意識の処女地』(1990年)
9.『夢見の技法 - 超意識への飛翔』(1994年)
10.『呪術の実践 - 古代メキシコ・シャーマンの知恵』(1998年)
11.『時の輪 - 古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索』(2002年)
12.『無限の本質 - 呪術師との訣別』(2002年)

著者のカスタネダについてあまり本気で調べたことがないのでウィキペディアを読んでみました。

日本語版と英語版ウィキペディアでは情報量が圧倒的に違っていて、英語版では、その後のカスタネダの怪しげな千石イエス風の生活や他の学者たちの評価や議論などたくさん記されていて参考になります。(なんの?(笑))

※カスタネダ関係の投稿に関しては、こちらを参照してください。(2024/05/15)





2013年2月24日日曜日

七田式(8)

直前のポストで、楽器の学習にもいい効果があったようだと書きました。

関連性の証明はできません。
ただ、読譜であるとか音をさぐりながら曲を仕上げていく様子をみていますと、コツコツと進める習慣がついていたのでは?と思います。

脳みその基本機能を拡張する各種訓練ですが、当時の七田は全人教育といいますか受験に効くとか俗な感じがなくてとてもよかったと思います。

ところが七田眞氏が亡くなる前後くらいからか他の幼児教育なり児童教育が次々と俗な方向で商いが伸びているせいか親からの要望があったためなのか、なんとなく受験対策っぽい内容にシフトしてきましてポリシーにブレが生じてきました。教材もあっちいったりこっちいったり。

大好きな勉強には即効性のない立体視、速読、速聴、暗唱などが減ってきたのでガッカリして退会してしまいました。

たとえばシルエットだけで県名を当てるゲームなんて大好きで、訓練を受けていない普通のオトナでテストして隠れた天才(高機能サヴァン風)を発見したこともあります。でも受験には直接役立たないですからね。

そこがよかったのにね。

(いったんこのテーマ完)

2013年2月21日木曜日

七田式(6)

こつこつやれば円周率みたいなものをこの歳でも覚えられるんだってのが、コツコツに対する信頼というか自信といいますかが生じてきました。

とにかく長く時間をかけな いと習得できないようなものは、今という時間をスタートにすれば意外と年季を積むことができて年季をつめばそれなりの成果が達成できるということを実感し たわけです。(追記:のちに「今でしょ?」というフレーズが流行りましたが、激しく同意します)

「ハーモニカのベンド習得に、3年かかりました」みたいな発言を最初に聞きますと「え~~~それは大変だ。時間かかるんだなぁ。無理かも」と思っちゃいますが、こつこつを今スタートしますと意外とアっという間に3年経ってるんですよね。・・・まだ本当の意味での習得できてませんが(笑)

こつこつ系は、一日の中でちょっとした断片的な時間を使うので同僚とだらだら職場の愚痴いいながら昼飯食べてるヒマはないですよね。
(先日、久しぶりに一人で昼飯食えない59歳の男に会ったら開口一番「お昼行きましょうよ」ときました。最近、近くの席になった男もしょっちゅう昼飯の約束電話をしてます。)

中でも酒席は無駄なものが多いので必要最小限にしないとですね、「酒席の技をこつこつ磨く」目的以外はね。

もちろん時間には限りがありますし自己啓発ネタには相性もあるかもしれません。ボイトレは続いていますが、いいと分かっているのに瞑想はたったの15分が作れずに挫折しました。速読も新刊が出れば手に取りますが今のところ何も始まりません。

でも本当にその気になればスタートできるはずです。

(つづく)

2013年2月20日水曜日

七田式(5)

なにが「やればできる」のかと言いますと、「こつこつ地道な努力」ってやつです。

それまでの自分の人生を振り返りますと各種入学試験やら資格試験やら就職活動やらマンション購入から果ては(100円寿司をケチられるような(笑))結婚に至るまで節目のイベントは、おしなべて場当たり、運も含め本番一発勝負ですごしてきました。

こつこつ積み上げて何かを達成したなんて全然なし。唯一、バイクの限定解除くらいでしょうか努力を重ねたのは。

本番一発で済めばそれでいいじゃないのと思われるかもしれませんが真に身につくなにかってのはやはりコツコツに勝るものはありませんて。まさにウサギとカメだと思います。
太極拳のところで少しふれた「~ちゃん」なんて典型ですよ。たいしたものです。

そのことを幼児たちと一緒に大のオトナの目が学んだのですね。ほとんど手遅れですが。
当時の同級生の幼児たちはすっかり忘れていると思いますしハナからコツコツの大切さなんてわかっちゃいない。

なんてたって相手は幼児ですからね、ほえずらかくなよってなもんですわ。

2013年2月18日月曜日

七田式(4)

家人に断られたあたしは一計を案じました。

速読というよりは、七田さんは幼児教育でブランドになっていたのです。
あたしには100円の回転寿司もけちる人間ですが、子供には大盤振る舞いしますからね。

ネットで近所の教室(七田チャイルドアカデミー)を探して体験させたところ案の定即申し込み。
しめしめ、子供にかこつけていつかは速読ならえるぞ。と。

結論から言いますと教室によっては速読教育を沢山やるところもあるのですが、あたしたちが通ったところはさほどではなくて過去記事にある暗唱やペグ記憶法などをメインとした内容だったのであたしの目論見ははずれました。

その代わり、(子供のついでに)円周率や1000ペグを覚えたわけです。百人一首をはじめ暗唱も山ほどしました。
そしてそれが自分自身の認識に変化をもたらしたんですね。

やればできるじゃないの!・・・とね。

(つづく)

七田式(3)

当時、七田式ではなく他のいくつかの速読講座のパンフを手に入れたあたしは勇気を出して家人に習いたいと申請したのですが、にべもなく却下されました。

当時40代初めの頃ですが、もうあんたには将来がないのだから自己啓発に投資する必要ないというミもフタも無い意見です。

そうなんですよね。速読講座は、自己啓発セミナーと同格のオカルト系擬似宗教の香りがする分野なので費用がかなり高いんです。

昔、 米国滞在時にルームメートが失恋の痛手を癒すためにちょ~妖しいESTという自己啓発団体にハマったことがありまして、その話を毎晩聞かされるのに辟易したことがあります。

なにしろセミナー受講のためわざわざ何度もロスだかシスコだかにでかけていきましたから。
余談ですが、失恋であんなに苦しんだ男を見るのは後にも先にも初めてでした。 その後は、失恋旅行で近いとはいえ、またまたカリフォルニア一周につき合わされましたからね(笑)お人よしですわ。

彼によるとこのテの授業料が高いのは「当人の本気度を試すためなんだ」といってましたが、あたしは信じませんでした。
高額にして利益率上げて単に荒稼ぎができるからだと思います。

でも習ってみたいんですよね。わかっちゃいるけど。速読なら自己啓発セミナーと違ってブレインウォッシュされる心配なさそうだし。

(つづく)

2013年2月17日日曜日

七田式(2)

このブログの古いネタをさらいますと、太極拳だの、瞑想だの「ニューエイジ」(死語)系の話題が豊富でして筆者(あたし)が嫌いじゃないということが知れます。

ええ、好きなんですよ。なんてたってSFが大好きですから。つまり不思議なもの(”隠されたもの”=オカルト)が好きなんです。いいじゃないですか。

年配の人ならご存知かと思いますが「大陸書房」の本の大ファンだったんですよ。

今でも持ってますよハードカバーの『地球空洞説』(追記:のちに自炊しました)うらやましいでしょ?他にも箱入りの「アトランティス大陸」だって持ってるんだから。←小学生か?

なのでオルダスハックスレーの『知覚の扉』で扱われている化学薬品にも興味がありますしサボテンにも興味があります。
しかしわざわざ外国にでかけていって試す度胸はなく、へなちょこです。

そんな面白そうなオカルト・ネタに「速読」ってのがあります。これは、法律には触れませんし度胸関係なくやれそうです。

速読はそれはそれは多くの本が出てまして夢見たいなことが書いてあります。それでなくても本好きのあたしは山ほど本を読めるようになれるのでは?と興味津々。

その中に、七田眞氏が著した速読の本がありました。「右脳」だとか「左脳」だとかオカルト好きにはたまらない擬似科学めいた話題が満載で妖しい。

(つづく)

追記2026/1/17)その後、この手のネタに耐性のない連中がマジになってしまい、コロナ過で陰謀論に走りろくでもない政党に騙され票を入れるようになってしまいました。恐ろしいことです。

2013年2月16日土曜日

七田式

あらゆる意味で修行の身ですがハーモニカを始めて丸3年が経過しました。

そして楽器上達の根本原理としてあらゆる書物で言われている「毎日楽器に触れること」という原則を守り続けています。

そして、まさかこの歳になってヘタなくせにライブハウスなどという未体験ゾーンで見ず知らずの人の前で歌や演奏をするなどという神をも恐れない所業を行うようになるとは夢にも思いませんでした。

これは匿名ブログだからこそ恥を捨てて書けることですが、自己啓発本などにあるような、まさに自分が大きく変わったということかと思います。

「変われた」と書かないのは、特に「変わりたい」という意識はなく変化したからですが楽器を演じたいという望みを実現するには変わらなければ始まりませんのでぐだぐだこだわらないことにします。

この変化をもたらした最大の功労者は、タイトルに記した「七田式」だとここに宣言します。

胡散臭そうだろうが、他の能力開発の寄せ集めといわれようが、ことあたしに関しては、ここがターニングポイントでして、2013年もたけなわ(笑)な今、この七田をめぐるネタをおさらいしておこうと思い立ちました。

(つづく)

2012年11月26日月曜日

料理瞑想

ギターの練習は、たいてい仕事から帰った夜に行います。

ただし、お酒を飲んだ日はあきらめます。どうせ雑になるし。眠くなるし。
少し前に書きましたが、そんなわけで楽器を始めてから酒席は極力避けるようになりました。

眠くなるといえば、週末の練習ですが、家事、中でも夕食を担当した夜は必ず眠くなります。
男の料理といってもあたしの料理は本当の家の食事ですので、シンプルにご飯と味噌汁、メインのおかずともう1~2のオマケ惣菜ってくらいです。

でも、米の仕込みから食器洗いまでトータルでこなしますと食事中を除くと立ちっぱなしですのでかなり疲れます。台所の高さも関係しますが、腰にも来ますし、野菜の下ごしらえなどで量を刻みますと首も疲れます。そして風呂に入れば一巻の終わり(笑)です。

料理は、この活動事態がせちがらくて俗っぽさの塊の会社生活と比べますと完全なる調和がとれた世界なのでまぁ嫌いではないです。

カタルシスというか、ある種の瞑想効果があると思っています。
キャベツの千切りなどまな板の音で(多分)アルファ波が出ていて切りすぎたりしちゃう。

しかし、眠くなってギター練習と背反するのは困り者です。

2012年7月6日金曜日

山んばと空とぶ白い馬

この記事は、カルロス・カスタネダ関連サイトに掲載しているものですが、一般的な内容でもあるのでこちらのサイトにも掲載することにしました。

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一時期、埼玉に暮らしていたことがあります。

図書館が充実していたこともあってとにかく定期的にでかけては、子供向け図書のコーナーにある本を片端から借りていました。

トムは真夜中の庭で』をはじめとするピアスの作品、有名どころではサトクリフの歴史物などは代表的なものです。
今の場所に越してきてからも冊数は減ってはいるものの習慣は続いてます。
適当に目についたものを借りるので古かったり新刊だったり。駄作だったり思わぬ佳作だったり。

表題の『山んばと空とぶ白い馬』(いぬいとみこ著)は、76年の発行ですから古いといえば古いですな。今では書けないような身体的特徴をあらわす言葉も頻繁に登場します。

山に別荘を建てた新人作家の生活を描いたファンタジー作品です。
雑誌に連載していた作品だそうで、連載物にありがちなだらだら感がありますが、あたし的には非常に興味深く読んだので記しておきます。

タイトルに登場する白い馬が自然の「象徴的」存在であるのに対し、山んばは、非常に現実的な存在として描かれています。
超常的能力を持ちながらきわめて日常的な存在でもあり、山村の人々と適宜交流を持ったりしています。

読み進めるうちに、山んばがうーむ、誰かに似ている。山の生活初心者の作家も誰かに似ている!
そして、はた!!と思い至りました。
カルロス・カスタネダです。もちろん、作家がカスタネダ。山んばは、ドン・フアンです。
作家は、山の生き物の導きで「キノコ」を食べて空を飛びます。
ドン・フアンのシリーズでも「抽象的」に空を飛ぶ状況が描かれています。もちろん、キノコやサボテンの力を借りています。

小説のなかほどの山の風景の描写に「ホビットのすみかのような」という記述があります。
ホ ビットは、ドワーフやトロルと異なり、トールキンの創作したメタ人類です。「山んば・・」の著者は、誰もがしってる「小人」のつもりでホビットを引用して いますが、トールキンの著作を気に入っていたのでしょう。ホビットもカスタネダの作品にも共通している世界観はアニミズムです。下世話な言い方ではエコ? ニューエイジ?

「山んば・・・」も人間対自然という大テーマについて主人公が真正面から向き合います。
The Hobbitは、1937年の発刊ですが、カスタネダの「ドン・フアンの教え」が出たのは1968年。
Wikipediaで調べたところ著者のいぬいとみこさんは残念ながら故人です。お話を伺ってみたかったなぁ。

2012年3月30日金曜日

瞑想について

ハーモニカの練習中の瞑想状態についてちょっと書きました。

ギズモードの記事(「瞑想すると脳の働きがよくなるという科学的見解がでた」)でもちょうど話題に出たので記しておきます。
またまた呆れられますが、本当の瞑想を励行していたことがあります。しかも、先生に習いました。

具体的なことを書くと差し障りがありますのでぼやかしますが、ちょっと宗教っぽい感じがするので腰が引け気味だったことも白状しておきましょう。結論的にいいますとその心配は杞憂だったのですが、瞑想の訓練そのものはかなり宗教じみたものだったことも確かです。

瞑想についてはいろいろなやり方が本に出ていますので詳しくは書籍参照ですが、あたしのやり方はオーソドックスな「真言(マントラ)」を(無言で)唱える方法です。
毎日、1回15分間行います。

先生に最初に言われたことは。15分というのは大した時間ではありませんが、生活の中で毎日きちんと15分作るというのはものすごく大変なことなんですよ。ということでした。
そしてそれはまさに真実でして、結果、瞑想の習慣を身に着けることができませんでした。

おそらく独身だったら実現できたでしょう。一人になって誰にもじゃまされないリラックスできる時間を日中作るというのは本当に大変なことです。(就寝前だと寝入ってしまうからNGなのです)

トイレのブースの中で行うことも考えましたが、人の出入りが多く集中には向きませんでした。

先生の教室ですと、そこにいる人は瞑想を習いに来ている人ですから大腕を振るって(笑)瞑想ができます。
そして、これは実に不思議なことですが、数人のグループで一緒に瞑想を実行しますとものすごく「効果」を感じます。(太極拳でも同様の体験をします)

「効果」ってなんだよ?(笑)ってとこですが、ミモフタもない言い方ですとリフレッシュってんですか、でも、そんじょそこらのリフレッシュとは格が違います。本当にスッキリします。
たとえていうなら、サウナに入ってビール飲んでグッスリ昼寝した感じ(笑)に近いです。

「マントラ」を念じながら雑念を払うのはでもなかなか難しいですよ。

2011年10月9日日曜日

世界は言葉でできている

世界は言葉でできている』という深夜番組が始まるという話を聴きまして。

その通りなんだよ、わかってるじゃないか、と一人で答えました。

あたしたちの世界は言葉によって認識されてまして、言葉によるイメージで作られています。
このテーマは哲学の分野の扱いでしたが「GIZMODE」に掲載された2010年の「言葉が違えば住んでる世界も違う」という記事で科学者が真剣に研究していることを知りました。

簡単な例では、ドイツ語やフランス語にある名詞の「性」の影響が述べられているのですが、興味深いのは空間認識の違い。

アボリジニの集団の中に、相対位置に関する用語を持たないグループがいて彼らの会話ではすべてに東西南北という方位をあらわして空間認識を行うのだそうです。この言語の場合、広い場所では違和感がないのですが、家の中でトイレを教える場合など非常に煩雑になります。研究者の実験では、円形の平面のホテルに配置された同じ平面の部屋がある場合。英語や日本語では、どの部屋も「同じ」という認識ですが、このグループの言語では厳密に異なる部屋としてとらえられるのだそうです。

「論語」では、最終章である尭曰二十(ぎょうえつにじゅう)の最後、オーラスですな。
ここで、「言葉を知らざるものは人を知らず」として締めくくっています。孔子も世界認識における言葉の最重要性に気がついていたのでしょうね。