2010年1月17日日曜日

コリン・ウィルソン

電車の中で、おっさん二人が「アバター」の話で盛り上がっていました。
なんだかんだ言ってたいしたもんです。

あたしの知人が、キャメロン監督の大ファンで、「タイタニック」のPRで監督が来日した時、自前のタイタニックの模型持参でプレス発表に出かけたそうです。
(ちなみに彼は、出版で食っていて関連本を発行しています)

んで、監督に出くわすとすかさず「ほれっ!」ってその模型を見せて監督のハートを射止め仲良くなっちゃった。
挙句の果て、主演男優を連れて某チェーン(「…瀧」)系居酒屋に繰り出したもんだから大騒ぎ。
男優さんも後で関係者から大目玉をくらったとか。
「ディ…」in「…瀧」ですよ。まるで「跳ねる子馬亭」に入り込んだフロド・バギンズではないですか。

ま、人の武勇伝自慢してもなんだってなところですが、ま、彼はあたしのSFの師匠ですし、許していただきましょう。

オマケに、監督からお墨つきもらって「テクノアール」って名前の飲み屋まで開いちゃった。
「テクノアール」ってのは、「ターミネーター1」でシュワちゃんが暴れまわるバーの名前。景気がいい頃、あたしも何回かお邪魔したことがあります。

ターミネーター1。

小説でもマンガでも映画でも建築でも、初期の頃の作品の方が予算から自身のネームバリューからなにからなにまで条件が悪いんだけど、条件が良くないほうが、モノとして良かったりするって傾向にあるのでは?なんて思ったりするわけです。

あたしがはじめて住宅をデザインしたのは、川崎の「山岳地帯」にあるもうどうしようもなく大変な土地。なんてたって地所の方が道より数メートル低いんだもの。
予算だってそりゃ若いご夫婦だから枠は決まっている。でも、状況が不利な分、土地が変な分、クリエイティブなココロは、燃えたりするんですよね。
若いってのもあるけど。それから、場数をふんで条件が良くなってくると、なんかココロに隙が出てくる。作品にもなんか締まりがない―――すべて自分の責任なんですがね。

ビジネスの分野でも「不況こそチャンスだ!」なんてよく云うけど、これは、負け惜しみなんかじゃなくて、もしかするとホントかもしれないなって思います。
条件が厳しい時の方が肝となる「何か」が生まれるっていうか。

さて。「アバター」のエンドロールを観てたら、ど頭にコリン・ウィルソンと来た。
あたしは、映画関係の人名に疎いので、え??これってあのコリン・ウィルソンかよ?「アウトサイダー」の?「オカルト」の?

そういえば、コリン・ウィルソン原作も「宇宙ヴァンパイア」って映画にもなっていたよなぁ。
と思い、後で調べたらほんとにあのコリン・ウィルソンだった―――いまも元気なんだ。
コリン。SF小説は下手だけど、あたしは「賢者の石 (創元推理文庫 641-1)」や「宇宙ヴァンパイアー」の方が好きです。

2010年1月15日金曜日

クイサッツ・ハデラッハ ~DUNE~

こうなったら、デューン( 砂の惑星)について書かねばなりますまい。

やはしポールは少年でなくちゃ
あたしも石森イラストの文庫本で原作に出会いました。
今もカビくさい文庫ですが大切に持っています。(追記:その後、「自炊」しました)

そして、映画版(リンチ版)の「砂の惑星」嫌いじゃないです。
メランジ(麻薬)によって変貌をとげた宙航士なんてイメージ通りだったし、スチームパンクの美術も美しかった。音楽もよかった。そっかぁ、確かにブライアン・イーノでしたね。
スティングもカッコよかった。

そんで、なにより、ジェシカ(主人公のポールの母親)が美しかった。フランチェスカ・アニスという女優さんで、劇場で見たとき、なんて美しいのだと思っていて、あらためてビデオ(TV放映用長尺版)で見たら、あれ?そうでもないなと思ったことがあります。
自分の中でイメージを思い切り増殖させていたのだと思う。恋なんてみんなそんなもんだからなぁ。

では、ナニがあたし的に問題か?と申しますと、これはポール・アトレイデ(昔の翻訳のままアトレイデスではなくてアトレイデってことで)。

 役者さんの、カイル・マクラクランには罪はないのですが、あたしの中でポールは「少年」――それも石森章太郎描くところの少年というイメージが固定されちゃってる。
だけど、映画のポールはオトナなんだもん。映画館で予告編を見た段階でがっかりしていました。
石森章太郎が描いていたジェシカも美しかったなぁ。そういえば。

リンチ監督が実現するまで、何度か「SFマガジン」でデューン映画化の噂を目にしていて、すっかり忘れた頃映画化されたのでビックリしました。
あらためて世の中のブログを逍遥してみるとリメークの噂があるとかないとか。
(追記:その後、ヴィルヌーヴのDUNEも見ましたし、「ホドロフスキーのDUNE」も見ました)

原作が長編の作品を映画化するのってほんとにむずかしいのだろうなぁ―――なんて話を書いていると、ついつい「指輪物語」についても触れたくなっちゃうけど、これは場をあらためて。

ところで「少数民族」テーマだと「アニミズム(原始宗教)」ってのが重要な要素になっています。
「砂の惑星」では、砂虫に「乗る」というのがフレーメン(砂漠の民)の「イニシエーション(大人になるための儀式)」になっているし。

アバターでは、ドラゴンに「乗る」ってのがイニシエーションの儀式に位置づけられていたけど、このテのイベントってなぜか映像化されると醒めちゃうのは自分だけ?―――たぶん、彼らの宗教観、自然観にそこまで同化されないので、その部分で急に地に戻っちゃうのかも?

オームじゃない

2010年1月10日日曜日

アバター ~ポカホンタス~ ★★☆☆☆

ポカホンタス』。いや、ダンス・ウィズ・ウルブス』(Dances with Wolves)だった―――じゃなくって『アバター』(Avatar)観ました。

 『デューン」(Dune)』(あのアニメの元ネタですな)は、脇においておきまして、あたしが好きな少数民族系のSFは
、なんといってもC.J. チェリィの『色褪せた太陽』三部作です。

・ケスリス(1982年) Kesrithk (1978) 

・ションジル(1982年) Shon'jir (1978) 
・クタス(1982年) Kutath (1979) 

今はなかなか手に入れにくい本です。


実は、この三部作、読んだのはだいぶ遅くて、すでに早川さんでは絶版。なぜか『ケスリス』も『ションジル』も本屋さんで売っていて、どうしても三巻目の『クタス』だけが手に入らない。で、どうしたかというと、もうこれは本当に恥じも外聞もなく知り合いの伝てを頼んで某所からコネで手に入れていただいた物なので、この三冊はあたしの宝物です。

そうそう。同じくらい入手に苦労したのが、フレッド・セイバーヘーゲンの『東の帝国』三部作。これも、三冊のうちのどれかが手に入らなかっのを、本屋さんが探しに探してくれて手に入れることができました。

セイバーヘーゲンの『バーサーカー皆殺し軍団』は、マイベストSFなので、きっと『東の帝国』も面白いに違いない!と思って、意気込んで読んだら、これはあいにく駄作。
でもね。いいのセイバーヘーゲンだから。これも宝物。

・西の反逆者(The Broken Lands) 
・黒の山脈(The Black Mountains) 
・アードネーの世界(Changeling Earth) 

そうそう、C.J.チェリィというとヒューゴー賞の『ダウンビロウ・ステーション』が有名だけど、プロットに懲りすぎちゃって、くどくてくどくて読んでてぜんぜん楽しくなかった思い出あり。(友人のジュビロがだ~い好きなダン・シモンズよりゃマシか……)それに比べ、「色褪せた…」は、いいっすよ。やっぱり話くどいけど。

「色褪せた・・・」で先住民族が手なずけている獰猛な動物は、「ダス」という大型の狼みたいな生物。

このテのSFだと、このような現地生物と仲良くなるためには、それなりの凝った手順があって、それがイニシエーションの儀式だったりする。

映画「アバター」のように「竜」を飼いならす話といえば、(これまたDuneの砂虫はわきにおいておいて)やはりアン・マキャフリイ(Anne McCaffrey)『パーンの竜騎士』シリーズでしょうか。惑星パーンの不思議な自然と竜に似た生物が生息する必然性の描き方がうまい。

ま、すべてフィクションなんだから必然性もへちまもなくて、すべてストーリーなんて、ご都合主義でかまわないのだけど、読者・観客はワガママなものでお話の流れがなめらかでないと不機嫌になっちゃう。

「アバター」を見た人の多くが「ま。おはなしはともかく」と書いていますが、あたしはおはなし優先なのです。


2010年1月8日金曜日

アランの幸福論

無人島に持っていくなら絶対この本!なんていう人も多い、アランの「幸福論」。

なんかすっとぼけていて「あくび」についての項なんて思わず吹き出しちゃうくらいの脱力系哲学本。特に「(狭義の)うつ」傾向にある人は、ぜひとも読んでもらいたい。最近、書店で抜粋を解説した啓発本が出ていたけど、ここはオリジナルを読むべし。

「幸福論」では「身体を動かす」――本文では「体操」という言い方をしています――こととココロの問題について多く触れています。
ま、よーするに身体を動かすとスッキリするってことなのですが、身体の方を愉快にさせることでココロも愉快にさせるといった、バイオフィードバック的な発想にもとづいた見解が随所に見られます。

あたしの住まいの方では、ラジオ体操がこの上なく盛んです。年中無休で、あたしの町内の体操会は50年以上の歴史があると会の人がいっていました。ラジオ体操をやらないと肩身が狭いので自然とみんなやるようになっております―――それでアランの云っていることが正しいということを身をもって体験しています。

ラジオ体操には、第一と第二があって、さらにいま流行らそうとしている「みんなの体操」というのがあります。
順に”きつく”なっていくので、第一を通さずにいきなり第二なんてやろうものなら背スジを痛めることがあります。「みんなの…」なんて苦行に近いものがあります。

オープニングは、「ラジオ体操の歌」に合わせて、みんなでその場足踏みをします。あれはなんなんだろう?

ラジオでも「唄いながら足踏み!」なんて号令はかからない。ひょっとして騙されているのでは?と思い、たまに催される「かんぽ生命」主催の地方大会に参加したことがあります。
すると、やはり足踏み!――「その場行進」を。知らないとキミ悪いです。

で、これに慣れてきますと、行進も準備体操のひとつのような気がしてきて、足踏み行進を抜かすと気持ち悪い。そんで、さらに慣れてくると今度は歌も唄っちゃうんだ。これが。

行進がすむと、第一。で、第二に行く前にインターミッションとして必ず「首の運動」があります。
これには、二つバージョンがあって夏休み版とそれ以外版。夏休み版は、それ以外版にくらべて一個運動が少ない。そのワケは、夏休み版は、聴取者参加番組なので時間押しを気にして運動を短めに設定しているためです。(最近は区別がなくなりました。予算削減でしょうか? 追記:2026/1/6)

首の運動の時に流れる「曲」(日替わり&季節感)を事前に推測する訓練を行うとESP能力も強化できるので一石二鳥。

あたしは第二が好きです。

特にのっけの「ジャンプ(全身をゆする)」から四番目の「胸をそらす」までの一連の動作が大好きだ。一般(ってだれだ?~特に女)の人にきくとみな第二は好きじゃないという。
なぜなら、図の動作で「足をがばって開く」のが「恥ずかしくて」イヤ。だそうです。

なんでだろう?
なんで恥ずかしく感じるのだろう?
どうしてだ?
みれば、体操会に参加している女性たちもみな、足を開く動作では膝を軽く屈伸させる動作に変えています。

話をアランに戻します。

ラジオ体操第二で、オープニングからの流れで四番目の動作。腕を空に向かって広げ「胸をそらす」動作。これを実行するととにかく気分が一新する。ラジオ体操の歌にある「喜びに胸を開け 大空あおげ」のフレーズそのものです。

ここは、動作が、「気分」を創り出す。まさにアランが指摘する、犬のあくびそのものだと思います。
ま、くよくよしても仕方ないよね、って感じになります。

2009年12月29日火曜日

In Her Shoes

前回、「トランスベスタイト」(transvestite)という言葉をはじめて学んだということを書きましたけど、「学びて時に之を習う」ってことで映画や本で、われわれは日々、いろいろなことを学べますな。

イン・ハー・シューズ(In Her Shoes)」(2005年公開)では、ディスレクシア(Dyslexia)という単語を知りました。

「インハー…」は、見ている人も多いでしょうから簡単に書きますと、ディスレクシアとは「識字障害」のことだそうで、そのディスレクシア(が、原因というわけではないが)で、だらだらとした破滅型の生活をしていた主人公(キャメロン・ディアス)が、疎遠になっていた祖母(シャーリー・マクレーン)の元を訪れて自己実現をする。
といった内容で、祖母が働いている施設にいる元大学の先生が、自分は目が悪いので「詩」を代わりに読んでくれとディアスに頼むんですな―――そこから、道が開ける。

映画のクライマックスは、ディアスが姉の結婚式で、詩を朗読をするところ。

詩の作者は、e.e.cummings。詩のタイトルは、”i carry your heart with me”。
この人の詩は、改行やインデントの切れ目が独特で、実に読みにくい―――詩集を見るとレイアウトが非常にグラフィカル。
その読みにくい詩を、読むのが苦手という設定のディアスに読ませるというところが味噌。そこが女優。うまいんだ、これが、実に。

で、このシーンをちょっと見たくなって検索すると、あるわあるわ―――そりゃね、これらはみんな”いけない”動画くんたちですが、あそこってどんなだったっけ?とか、あの詩って誰の?とか、朗読の仕方は?なんてときには、実にネットはありがたい。

このシーンをよく見ると、彼女が朗読している向こう側にゆるいフォーカスで彼女の父親が写っている。朗読をはじめたときの彼の驚きの表情がまた良い―――なんて書くとまたみんな動画サイトを利用しちゃうんですよね。

cummingsは、1962年没。+50年してみると、彼の詩は、まだパブリック・ドメインにはなっておらず、このブログに引用するわけにはいかない―――なんて書くと、またまたみんな検索で利用しちゃうんですよね。

2009年12月27日日曜日

エド・ウッド行(ぎょう)~グレンとグレンダ~

”くだらね~”というのは関根勤の最大の褒め言葉だそうです。

くだらないといえば、 「死霊の盆踊り」。これに勝るものは存在しませんな。(ただし「(邦画)デビルマン」をのぞく)

エド・ウッドの映画は、「鑑賞」というよりは、「苦行」、「修練」に近いですな。全作品を見続けることで、悟りがえられるといったような。
ま、白状しますと、「…盆踊り」は、「各踊り」の度に、早送りするというマニアから言わせると邪道に陥ってしまいましたが。

ジョニー・デップ主演の「エド・ウッド」をあらかじめ見ておくとシーン毎に楽しめ(?)ますが、あたしは、「グレンとグレンダ」でいろいろ勉強させていただきました。

トランスベスタイト(transvestite)という単語もはじめて知ったし、途中で挿入される意味不明(深)なSM風のシーンとBGMとして流れる、マザーグースの歌「Puppy Dog Tail」の引用に、それはそれは感銘を受けました。
なぜ女装をするのか?少しわかったような気がしました。

以下、ご存知ない方々に、「Puppy Dog Tails」を引用しておきます。「グレンとグレンダ」と合わせて生命の不思議を味わってください―――エドに言わせると、なにが、シュガー&スパイスだってところでしょう。

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Puppy Dog Tails

What are little boys made of?
"Snips and snails, and puppy dog tails
That's what little boys are made of!

What are little girls made of?
"Sugar and spice and all things nice
That's what little girls are made of!"
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2008年12月25日木曜日

シュレッド・ネック

ある日。いつでもどこでもギターが弾けないだろうか?と思いまして。(ちなみに、あたしは弾けません)
うーん。でも、リコーダー(縦笛)と違って、ギターはでかいよなぁ。(リコーダーも吹けない(笑))

で、知人たちに聞いてみたところ、そりゃお前「ぞーさんだよぞーさん。小さいぞ」なんて薦められるのですが、エレキギターは一度も触ったことがないし。
(オートバイに30年乗っていたけど、一度もオフロードを操縦したことがないので、似た性向か?)

もっと小さいのはないのか?と検索してみると、あるわあるわ。

マーチンが変な格好のアコースティックギター「バックパッカー」を出しているし、ネックだけでできている製品「ミニスター」もあるし。
うーん。ネックだけのは凄いデザインだな。まるでナナフシ(虫)じゃないか。
でも、長いよな。だってネックだもん。

じゃぁ、今度はこれで調べたらどうだ?ってんで

[検索]「ギター ネックだけ」

とやったら、あった!
「ギターのネックを”ちょん切った”」製品。

―――人が想像するものは、必ず実現される。と孔子が云っていますが(ウソ)、たまげた。

この製品、「シュレッド・ネック(Shred Neck)」は、こんな形になっています。(下図)


説明を見ると、音は出なくて、要するに運指(でいいのかな?)や、つまびき運動の練習用に開発されたものだそうです。

インターネットが無かったら、こんな馬鹿げた商品を生涯知ることなかったなぁと、いまさらながら感謝。

えぇ、もちろん買いましたとも。

(疑問)”シュレッド”って単語ですが、あたしは、「徹夜」をするっていう意味だと思っていました。(ただしスペルは不明)
スケートボードなんかで使ってますね。「すべり屋」みたいな意味で。こちらの業界(ギター)でのシュレッドってなんなんだろう?