2006年6月7日水曜日

オートバイごよみ ※

前項で、オートバイ履歴について少し触れたので、この際、続きを記しておくことにします。

原付、DAX HONDAに数年。それから2年ほどブランクがあって。
先に書いた右直事故を起こした友人に誘われて中型自動二輪の免許を和光のレインボウモータースクールで取得しました。

その時、練馬のバイク店で購入したのがスズキの250。
この車には謎の電気系統の故障で悩まされました。それ以降スズキの印象が悪く、以降またがっていません。

この頃、芸能人、文化人を中心に一大オートバイブームが起きました。
あたしの友人達もほぼ全員乗っていたので柄にもなくツーリングなどにでかけていました。
そして無性に大型自動二輪に乗りたくなり、限定解除しました。

限定解除の練習は、先のレインボウモータースクールが大型の講習というのを実施していました。朝、まだ暗いうちに和光に出向き人のいない受付にヘルメットをおいて順番待ちををします。
後にも先にもあんなに夢中になって打ち込んだものはないかもしれません。

同教習所では先に車の免許(ともちろん中型二輪免許)も取得していたので、自分にとっては母校といっていいくらい愛着があります。教員の技術も並はずれていました。

レインボウと平行して同じく練馬にあった都民教習所の大型教習にも通いました。レインボウがエリートとするとこちらはアウトローという感じでいなせな先生が多かったのが思い出です。
後半、短制動で悩んだとき、都民の先生のアドバイスで突破でき、それが最終的な合格につながりました。(口頭のアドバイスが運動のテストに効くのですからイメージトレーニングというのは実際にありなのですね)

その頃は大型に一番近いタイプのGP400というカワサキに乗っていました。エンジン音や鉄のブレーキディスクなどとても気に入っていたので大型をとったらカワサキの650に乗ろうと思っていました。ところが半年後に試験に合格したときには生産中止。

次点のマシンということでレインボウの教習車でもあったホンダの750Fを購入して何年も乗りました。
カワサキの400もFも、縁あってお世話になることになった神保町「花村モータース」で購入しました。

しばらく後、セカンドマシンでホンダの250を購入。
これは先のスズキのマシンを買った練馬の大型店で購入、その後、神保町でアップハンドル(なんで?)に改造してもらいました。

Fにのって長年。仕事の関係であまり乗ることができなくなった時期があります。
親戚がメンテをしたいということで2台とも田舎に世話になることになりました。
そして1年後、Fはその親戚に贈呈。ホンダの250だけ出戻ってきました。経済事情もあり細々と250にのる自分。これが何年も続いたが、どうにも納得がいきません。水冷というのも気に食わない。うつうつとした日々が続き幾星霜。

ある日、車を運転していると様子のいいカワサキが目に飛び込んできました。カワサキに乗りたい、そう思ったら我慢ができなくなりました。
花村モータースに相談にいったり家人を説得したりで今のゼファーを手に入れました。
この年月。自分はネイキッド。普通のオートバイ以外乗ったことがありません。(漫画のストップにいちゃんのイメージに惹かれているのです)

実家を出た後、両親が近所の人に息子(あたし)の話をすると「あぁ。あのオートバイが好きだった息子さんね」と言われたそうです。

オートバイマニアではありませんが、オートバイに乗らなかったらどんな人生だったろう。
多分、この車が最後で、さぁ後はいつオートバイを降りるか、という決断だけになってきました。

2006年6月6日火曜日

怒っている風 ※

長年単車に乗っていると頻繁に乗っている時期、淡々と乗っている時期、間引いて乗っている時期と様々です。

今のカワサキに乗る前は経済的な事情もあって大分前に購入していたホンダの250を使っていましたが、あまり熱心な乗り手ではありませんでした。

なので、家人を説得して再び(*1)カワサキにこぎつけた時、「久しぶり」に乗った気分がしました。
そして、それなりに熱心に乗ってみると何かが違う。何か世界が違っているのです。

その一。
昔と今と風が異なっている。風が荒々しいのです。
宗教やら哲学めいて申しわけないですが、かつてはオートバイに乗って風にあたると実存感や、コリン・ウィルソン言うところの至高体験(*2)を味わえたのですが、さっぱりなのです。

あたしは勝手に人間がもたらした環境の激変に風が怒っていると思っているのですが、単に自分が老化して感性が鈍っているだけかもしれません。

次に、異なっているなと思ったことは自動車の運転手たちの行動です。
これも荒々しく苛苛しているような気がします。以前(たとえば20年前)であれば自動車の運転手はよくもわるくもオートバイについてはあまり意識していませんでした。異なるモードの乗り物と捉えていたのか、あたしたちをわずらわしいとは感じていないよ うでした。

ところが現在は、自動車の分際でやけにオートバイを目の敵にして追い越そうとしたりする運転手が多いように思えます。
時には本気でぶつけるのではないか?と思うこ ともあります。これもまた自分の運転が老化でとろくなっているだけかもしれませんが、他のオートバイとの走行関係を見る限りでは自分の運転手法はさほど変化はして いないようなのです。

だから、先頭を走っていて赤信号になっり停止する際、車線の中央でとまらないようにすることにしました。気が変になっている運転手にわざと追突されないためです。
車線中央を走っていても停止にいたる過程で車と車の間、車線の上にとまるようにしています。

*1)後述
*2)「至高体験」。ひとことでいうと、「お!いま悟ってる。」といった感覚。誰しも経験があるハズ。

2006年6月5日月曜日

フルフェイスとSummer Days ※

オートバイに乗るようになったのは荒井由実の「生まれた街で」を聞いたのがきっかけです。

詞の中の”小さなバイクに乗り風をみおくったとき季節が~”というフレーズを聞くに、それは気分がいいに違いないと思って原付を買ったのがそもそもの始まりです。
あの頃の荒井由実は輝いていましたね。

上石神井にあったホンダのショールームに出向いてDAX HONDAを取り寄せてもらいました。(原付時代も”またが”って乗るオートバイだったのです)

このDAXにはずいぶん世話になりました。
ツーリングこそしませんでしたが(ツーリングというものを知らなかった)関東近辺をうろうろうろうろしていました。もちろん荒井由実ですから横浜くらいまでは出向きました。

そして。確かに、確実に季節がわかる乗り物だということを知りました。

荒井由実は実際に自分でもバイクに乗っていたのでしょうか?
小さなバイクに乗り、甲州街道、西八王子近辺の銀杏並木をみて、自分の住んでるところもまんざらじゃないなと思ったのだと思います。

それにしてもオートバイを謳った曲というのは少ないような気がします。
「生まれた街で」以外では森川美穂の「フルフェイスとSummer Days」を知っています。
オートバイの二人乗りは好きではありませんが、この歌を聴くたびに静岡路のタンデムライドがよみがえります。

「雨上がりのハイウェイ・・」のくだりでは、なぜか商売が上り調子だった頃のヤオハンを思い出すし、「缶コーヒーのロングシュート」の部分では真鶴道路が蘇ります。

サビの部分の後ろで流れるストリングが本当にオートバイに乗っているような気分にさせる名曲です。

東京にもどり、タンデムライダーを無事家に送りつけると二人乗りの世界が終わります。
その時はいつも、あぁ一人になれた。自由だ(笑)ってなもので。

やっぱりオートバイは一人が最高だ!とちょっと後ろめたい喜びを味わうのでした。