なんだかんだ言ってたいしたもんです。
あたしの知人が、キャメロン監督の大ファンで、「タイタニック 」のPRで監督が来日した時、自前のタイタニックの模型持参でプレス発表に出かけたそうです。
(ちなみに彼は、出版で食っていて関連本を発行しています)
んで、監督に出くわすとすかさず「ほれっ!」ってその模型を見せて監督のハートを射止め仲良くなっちゃった。
挙句の果て、主演男優を連れて某チェーン(「…瀧」)系居酒屋に繰り出したもんだから大騒ぎ。
男優さんも後で関係者から大目玉をくらったとか。
「ディ…」in「…瀧」ですよ。まるで「跳ねる子馬亭」に入り込んだフロド・バギンズではないですか。
ま、人の武勇伝自慢してもなんだってなところですが、ま、彼はあたしのSFの師匠ですし、許していただきましょう。
オマケに、監督からお墨つきもらって「テクノアール」って名前の飲み屋まで開いちゃった。
「テクノアール」ってのは、「ターミネーター1」でシュワちゃんが暴れまわるバーの名前。景気がいい頃、あたしも何回かお邪魔したことがあります。
ターミネーター1。
小説でもマンガでも映画でも建築でも、初期の頃の作品の方が予算から自身のネームバリューからなにからなにまで条件が悪いんだけど、条件が良くないほうが、モノとして良かったりするって傾向にあるのでは?なんて思ったりするわけです。
あたしがはじめて住宅をデザインしたのは、川崎の「山岳地帯」にあるもうどうしようもなく大変な土地。なんてたって地所の方が道より数メートル低いんだもの。
予算だってそりゃ若いご夫婦だから枠は決まっている。でも、状況が不利な分、土地が変な分、クリエイティブなココロは、燃えたりするんですよね。
若いってのもあるけど。それから、場数をふんで条件が良くなってくると、なんかココロに隙が出てくる。作品にもなんか締まりがない―――すべて自分の責任なんですがね。
ビジネスの分野でも「不況こそチャンスだ!」なんてよく云うけど、これは、負け惜しみなんかじゃなくて、もしかするとホントかもしれないなって思います。
条件が厳しい時の方が肝となる「何か」が生まれるっていうか。
さて。「アバター」のエンドロールを観てたら、ど頭にコリン・ウィルソンと来た。
あたしは、映画関係の人名に疎いので、え??これってあのコリン・ウィルソンかよ?「アウトサイダー」の?「オカルト
と思い、後で調べたらほんとにあのコリン・ウィルソンだった―――いまも元気なんだ。
コリン。SF小説は下手だけど、おいらは「賢者の石 (創元推理文庫 641-1)
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