おなじみコリン・ウィルソン そのものズバリのタイトルです |
ちなみに、あたしはキリスト者ではありません。
おまけにリチャード・ドーキンスの愛読者でもあります。(笑)
それはさておき、司祭が何事かを唱え、人々が聖歌を歌っているあいだ、あたしは、手持ち無沙汰げに手元を見つめていました。
(偏見かもしれませんが、「日本語」の聖歌は、タモリがミュージカルを嫌うのと同じような理由で、どうも性に合わないのです)
教会の椅子は、長いすで、目の前にはお祈りのときに手をおいたりするように奥行きの浅い机になっています。御堂横の上部窓から日の光が差し込み机を照らし出していました。
机上に誰のものかわからないが長めの髪の毛が一本。女性のものだと思います。
春風亭小朝師匠が、枕で「髪の毛というものは、頭についている間は、”素敵な髪・・”なんて愛でたりするのに、いったんとれた髪の毛が手にまとわりついたりすると、うへぇー。なんて気持ち悪がるものです」と言っていたのを思い出します。
しかし、このとき、あたしは嫌がるでもなく、その一本の髪の毛を軽くはらって机から落としました。髪の毛ははらはらと舞い御堂の床におちていきます。
窓からさしこむ陽の光が机の影をぬって斜めに照らす。髪の毛が光にきらきらする。
その瞬間、至高体験
これは、オルダス・ハックスレーの『知覚の扉 (平凡社ライブラリー)
オートバイに乗っていると時々訪れる体験ですが、ここのところご無沙汰だったので得した気分になりました。
(初出:2005年11月14日)
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