あたしの母親は、大正生まれですので、もろに戦争に遭遇しているわけですが、終戦後、闇物資の卸しを手がけていたことがあるそうです。
タバコやらマッチやら、生活用品が中心のものだったそうで、麻布の四ノ橋にあった自宅を倉庫にして行商のおばさんたちに売りさばいてもらっていたと。
あたしの年代ですと『闇』というのは、小説で読む程度で、実際にどのような仕組みの商売だったのかわかりませんが、きっと商品によっても異なっていたのかと思います。
ただ、だれもが活用していたサービスとはいえ、公式には非合法だったわけで、商品の仕入れやらなにやら裏街道っぽい感じがします。
母は行商のおばさんたちともうまくやっていたようで、独身女性の商いにしては、かなりな線になっていたそうです。
なにしろ親戚の人間がとある事件を起こしまして鉄道会社に多額の賠償金を支払うハメになったとき全額肩代わりしたってんですから、結構儲けてたのでしょう。
それで失った財産を一気に取り戻そうってんでポーカーにまで手を出したそうで、やるものですなぁ。ただ、そのため、一層、すっからかんになったので足を洗うことにしたそうです。
その後、時間の経過とともに母は、堅気の父と出会うわけですな。
さて、そして生まれたあたしを連れて池袋の「丸物デパート」(今のパルコの建物)を歩いてきたとき、当時の行商のおばさんとバッタリ出くわしたそうで。
おばさん、懐かしいやら嬉しいやらで母に大きな声で「姐(ねえ)さん!お久しぶりです!」
「あの時は、きまり悪かったわ」と母は申しておりましたが、そんな商才のあった人間も家庭に収まり長年経つと役所の手続きですら苦手になっちゃうわけですから年月と環境ってのは実におそろしい。
追記2017年5月25日)この母も今年亡くなりました。
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