2007年10月31日水曜日

トトロのうた ~着メロ非情~

数年前のこと。

隣の席の同僚がおきっぱなしにしていた携帯から軽やかな着メロが流れ出しました。
”おじさん”にしては似つかわしくない音楽なので、「Hさん。やけにかわいい曲ですねぇ。」
と話しかけると、うれしそうににっこり。

「”となりのトトロ”の歌なんですよ。いやぁ。うちの子供が大好きでね。」

あたしだって、”となりのトトロ”がアニメであるかぐらいは知っていましたが映像は見たことがありませんでした。
だからもちろんテーマソングも知りません。
だってトトロ(だと思えるパッケージについている)のキャラクターが可愛くないんだもの。特に目が(笑)

ある日、家族が会社の近所に来たのでしょう、職場に彼のせがれが登場しました。
たぶん、3,4才。まさにトトロに夢中になる世代。

さて。
実は、彼はちょっとばかり経費を使うので名をはせていました。悪評ですな。
いかにも高そうな寿司屋やレストランから支払い催促の電話が来ることも多く、不在がちな本人のかわりに同僚たちがフォローしていました。

そんな職場で大評判の人物でも子供がくれば、そこは子供であり、父親です。
子供は何も知りません。
そしてそんな人ほど、平日、職場に子供つれてきたりするんだな、これが。

ある日、用事があってあたしは家族と代官山にでかけました。
ジャンクフードの昼飯を済ませてから豪華そうなペットショップの前を通りかかりました。

するとガラス越しにイヌのシャンプー待ちをしている男性と目があったのです。
それが彼でしたた。ガラス越しだったので会話はしませんでしたが、家に帰って名簿を見てみると確かに彼の自宅は代官山でした。

日を追うごとに高級料理店からの催促電話が増えてきました。

そして、ついにその日がきたのです。彼がお縄を頂戴したのです。
詳細は伏せますが半端な事件ではありませんでした。

そして時は経ち、あたしも年貢の納め時、ついにトトロのアニメを見るはめになりました。
そしてテーマを聞く度に、「金と暴力」のイメージが想起されてしまうのです。プア、トトロ。

(初出:2005年11月03日)

2007年10月28日日曜日

豊島園の駄ラーメン屋

目白の駅前に、行列のできるラーメン屋があります。

子供の時分、よく行ったものです。その店で、おやつにラーメンを食べながら友達が言い出しました。

「豊島園」にもっと旨いラーメンの店があるんだ。行かないか?

小学生が二人でラーメン屋にいるのも、可笑しいですが、こいつらがグルメ会話をしているのも莫迦でしょ?

彼に連れられていきましたよ、はるばる。
倉庫を改造したような作りの店で、カウンターだけ。しかも、客は、子供ばかり。

カウンター越しに、オヤジがいて、背には、下駄箱のような棚があります。
(浅草ペリカンのパン棚を思い出してください。といってわかる筈もなし)

ようするに白木っぽい棚にギッシリとギッシリと袋から取り出した、「明星ラーメン」がつまっております。
店でインスタントラーメンを「料理」して出してるだけなんですよ。

でも、忘れられないんだなぁ、これが。

なんて噺をタクシーの中でしていたら、運転手さんが、その店、「えびや」ってんでしょ?私も行ったことありますよ。

と、きました。
運転手さんも聞いていて我慢できなくなったのでしょう。
あたしとしても別に彼に聞かせようとして話していたわけでもないけど。
これも縁だと思って記しておきます。

2007年10月27日土曜日

お祈りの謎

前回のエントリーがお経だったので、忘れないうちに「お祈り」についても書いておくことにします。

以下は、あくまでも半可通の、調査もしていない私見なので、専門の方々が読まれたとしても、くれぐれもめくじら立てないよう、あらかじめお断りしておきます。

「お経」は外国の言葉(サンスクリットだと子供のころから聞いていた。)を漢字にしたものらしいから、それ自体が何か日本人の自分に意味をなすかというと・・・チンプンカンプンです。

しかし、「般若心経」を眺めてみると、全部が全部、外国の言葉の「音」を漢字にあてはめた『THE 虎舞竜(ザ・トラブリュー)』風、愚連隊(死語)好みの当て漢字かというと、必ずしもそうではなさそうです。

たとえば有名な、

『色即是空 空即是色』

というのは、『虎舞竜』とは異なり、なんとなくだが意味が通じます。
「形のあるものはないようであるようで」みたいなことを言っているような・・・といったイメージです。

このように一部、ニュアンスが伝わる言葉が含まれていても、やはり”概ね”チンプンカンプンです。
チンプンカンプンなことを一生懸命繰り返し(それも前回書いたように高速で)唱えていると何がおきるのでしょうか?
逆にチンプンカンプンだからこそ、脳みそがリラックスするのでしょうか?

「瞑想」の際に唱える「真言(マントラ)」は「意味不明」の方がよいという話も読んだことがあります。


これに対して、あたしたちもよく知っているキリスト教の「主の祈り」は全然違います。

「私たちの日ごとの糧をおあたえください」とか「私たちも人を許します」

だもの。非常によくわかるし意味もばっちりです。

具体的な内容をはっきりとお祈りするのは、「イメトレ」(なんと下世話なのだろう。)という意味でとてもよいのではないでしょうか?
(神道の神主が唱えているお祈りも具体的ですよね。どこそこのなにがしの商売繁盛~~とか言ってるもの)

それともお経は「お祈り」ではないのでしょうか?
逆に、キリスト教では、意味不明なことを高速で唱えるお経のような「方法」は用いないのでしょうか?

どちらも「数珠」は使うけど。

あたしがキリスト教の教会に出向くことがあることは、前にも書きました。
と、同時に商売人でもないくせに「穴八幡」のお札も買うし、ドーキンスの愛読者でもあるバチ当たりの繰言とお許しください。

(初出:2007年01月10日)

2007年10月26日金曜日

行深般若波羅蜜多心経の怪

小学生の時に、般若心経を暗記したことがあります。

特に理由はありませんが、「暗唱」の課題として適しているように思ったからで、書店で適当な新書の入門書を買ってきて、記憶しました。

お経の読み方を知っているわけでもないので、ただひたすら、本に書いてある文言(についているフリガナ)を覚えたものです。

文字数もそれほどでもないので、たちまち暗記はできたのですが、日常、自分がそれを唱える場面もありません。
一旦覚えたら、それで満足してしまったのか、いつのまにか暗唱のおさらいもしなくなりました。

ある日、「レインボーマン」というヒーローもの連続テレビ番組がはじまりました。
主人公は、レインボーマンに変身するとき般若心経の一節にある「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」と唱えるのです。渋すぎる。

「へんしん」と唱える仮面ライダーとは大違いで、その番組を見ていた子供たちは、いったいなんのことかと思っていたのでしょうが、馴染のあるフレーズだけに、なんと、ばかみたいな(ほめ言葉です)番組を作るのだろうと感心しました。
(ちなみに、レインボーマンの師匠はダイバダッタといって仏陀の弟子の一人(だったかな)の名前にちなんでいます)

「レインボーマン」の登場もむなしく、あたしの記憶の中の般若心経は実地で役にたつこともなく脳みその中で次第に薄れていき、最近では冒頭の数行以降については断片的にしかつながらなくなっていました。

せっかく覚えたのに、もったいないと思い出した今日この頃、以前は挑戦しなかった坊さんが本格的に読経する調子でそらんじてみようと一念発起、お経のCDを買いました。

般若心経・続経教則~誰でも般若心経が唱えられる 」 (池口恵觀)

シングルCDの中に、全部で6つの曲(トラック)が収録されています。

1.池口師(この師でよいのだろうか?)の能書き
2.初心者向きゆっくりと二回繰り返し
3.能書き、その2
4.やや、速く二回繰り返し
5.能書き、その3
6.すごく速く7回繰り返し

CDと一緒に唱えてみると、さすがに、子供のころに覚えただけに、あっという間に記憶がよみがえり、4のやや速いトラックでも容易についていけて6番の超高速でも問題なく唱えることができるようになりました。

ちなみに「どこで唱えるか?」というと自宅では家人にいぶかしがられるので自家用車の中で運転しながら唱えます。不気味でしょ。

ときおり、このまま事故でも起こしたらそのまま成仏かなどと縁起でもない思いが脳裏をかすめますが、ま、おかまいなしに超高速のお経を唱えてみます。

この6番の超高速。とにかく早口。
これを聞いて思い出したことがあります。
七田式という暗唱を軸に能力開発をする「自己啓発?」法がありますが、これも、あらゆることを「超高速」で繰り返し暗唱するというテクニックを用いるのです。
うーむ。お経も「超高速」で読んで「悟り」にいたるのか。

しかし、このCDの「超高速お経」。
なんと、7回めの繰り返しのときに、池口師が「読み間違え」をします。

お経の冒頭、正しくは、

----------7回目
摩訶般若波羅蜜多心経
まかはんにゃはらみたしんぎょう
観自在菩薩
かんじざいぼさつ
行深般若波羅蜜多時
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
照見五蘊皆空
しょうけんごうんかいくう
度一切苦厄
どいっさいくやく
(以下、続く)
----------

なのですが、
----------7回目
摩訶般若波羅蜜多心経
まかはんにゃはらみたしんぎょう
観自在菩薩
かんじざいぼさつ
行深般若波羅蜜多心経
★あわてて息継ぎでごまかし、以下から入りなおして何食わぬ顔(CDだから想像)で続ける★
色不異空 空不異色
しきふいくう くうふういしき
----------

上記の「何食わぬ顔して続ける」くだりでは、耳を澄ますと池口師の口調は、少し照れ笑いしているようにも聞こえます。

どうしたことでしょうか。
CD収録であがってしまったのか?
CDの製作者たちは、どうしてリテークしなかったのだろう?いくらなんでも不真面目すぎないか?
愉快なCDです。

(初出:2007年01月06日)

2007年10月25日木曜日

至高体験

今週はじめの日曜。教会にある用事ででかけました。
おなじみコリン・ウィルソン
そのものズバリのタイトルです

ちなみに、あたしはキリスト者ではありません。
おまけにリチャード・ドーキンスの愛読者でもあります。(笑)

それはさておき、司祭が何事かを唱え、人々が聖歌を歌っているあいだ、あたしは、手持ち無沙汰げに手元を見つめていました。
(偏見かもしれませんが、「日本語」の聖歌は、タモリがミュージカルを嫌うのと同じような理由で、どうも性に合わないのです)

教会の椅子は、長いすで、目の前にはお祈りのときに手をおいたりするように奥行きの浅い机になっています。御堂横の上部窓から日の光が差し込み机を照らし出していました。
机上に誰のものかわからないが長めの髪の毛が一本。女性のものだと思います。

春風亭小朝師匠が、枕で「髪の毛というものは、頭についている間は、”素敵な髪・・”なんて愛でたりするのに、いったんとれた髪の毛が手にまとわりついたりすると、うへぇー。なんて気持ち悪がるものです」と言っていたのを思い出します。

しかし、このとき、あたしは嫌がるでもなく、その一本の髪の毛を軽くはらって机から落としました。髪の毛ははらはらと舞い御堂の床におちていきます。
窓からさしこむ陽の光が机の影をぬって斜めに照らす。髪の毛が光にきらきらする。

その瞬間、至高体験 が訪れました。

もちろん、あたしは凡人であるが故、この至高体験は瞬間のことです。場所が教会で、日本語ではありますが一応神々しい聖歌が流れ、太陽の光が差し込み、という好条件だったのもあるでしょう。一瞬。髪の毛に全ての「真理」が見えたのです。

これは、オルダス・ハックスレーの『知覚の扉 (平凡社ライブラリー) 』にも詳しく記されています。
報告されている実験では被験者が医師の立会いのもと、メスカリンを服用。次第にラリっていくのですが、テーブルクロスのしわ一本、一本に宇宙の真実が見えたのだそうです。

オートバイに乗っていると時々訪れる体験ですが、ここのところご無沙汰だったので得した気分になりました。
(初出:2005年11月14日)

2007年10月24日水曜日

続・ヴェポラブ←マイコプラズマ

あいかわらず、咳っぽくて夜な夜なVicks Vaporubの世話になっております。

先に、「マイコプラズマ」の項でも記したように、ヴェポラブには二通りの使い方があります。
ひとつは、おなじみの「塗る」方法。もうひとつは、「吸う」方法です。

ところが、最近買ったヴェポラブの説明書きを見て、?と気がつきました。
後者の「吸う」使い方について一切の記述がなくなっているのです。

前買った箱にはきっちり使い方が書いてあったし、子供が湯気を吸っている絵までついていたのに。


箱に記してある効能書きまで変わっています。

実は、この製品、以前はマックスファクターが扱っていました。今は、大正製薬が売っています。
同社のホームページにも吸引法については一切触れられていません。

気になって仕方がないので大正製薬に電話をしてみて事実判明。

ヴェポラッブ。以前は「医薬品」扱いだったが、今は「医薬部外品」となったそうで、そうなるとコンビニで売ってもよくなったかわりに、吸入のような使い方や効能書きも「風邪の諸症状の”緩和”に」といった具合に弱気な表現になるらしいのです。

製品は同じものなので、メーカーがうたうことができないのであれば、こうして口コミで、あの効き目の素晴らしい吸引法をあらためて喧伝しておこうと思います。

(初出:2006年01月24日)

2007年10月23日火曜日

マイコプラズマ

※下記に記した「お湯に溶かす」手法については追記の記事があります。


数年前、マイコプラズマに罹りました。

初冬、11月頃から、喉の痛みを皮切りに、風邪の気味が続くわ続くわ。とにかく咳がなおらない。夜、寝ると咳が出る。それも淡のからまない空咳で喉の痛みというよりは気管支、胸のあたりがむずがゆくなって咳き込む。
そして眠りが浅くなる―――の連続です。

医者にかかると風邪薬を出してくれます。ムコダインとか。でも、まったく治らない。
唯一の対症療法は、ヴェポラブでした。

優しそうなお母さんが、咳き込む子供の胸になすりこむCMでおなじみのあれです。
コマーシャルのナレーションのせいか、発音を「ヴェポラップ」と覚えていました。

似たような症状に悩んでいる友人の薦めではじめて購入したところ、名前の覚え違いだということが判明。ヴェポラブでした。

コマーシャルで「塗る」薬とばっかり思いこんでいましたが、もうひとつの処方が実に良いのです。(「効く」というのとはちょっと違う。「良い」のです)

スプーンに少しすくって、熱湯に溶かす。そこでわきあがる湯気を吸い込む。いわば吸飲ですな。
症状でつらいのは、喉ではなくて気管支だから、この咳には、のど飴はまったく効きません。そんなとき、ヴェボラブの吸飲は救いの神です。

つらいのでなるべく長く湯気を吸っていたい。
また、ヴェボラブはねっとりとしているので食用のカップなどで処方するとカップに強力な臭いが残ってしまいます。(すくうスプーンも)
そして、冷めた後の液体を無造作に流すと洗面台もべとべとになっちゃう。

以上をふまえたあたしの処置方法を披露します。

・ビンからすくうスプーンは、コンビニケーキなどのおまけについているプラスチックのスプーンを使う。
・コップは、100円ショップなどで売っているバカ安の紙コップを使う。
・お湯は、ガス台で沸騰した状態のままカップに注ぎ込む。
・湯気パワーがおちたらスプーンをティッシュできれいにぬぐって後日用に保管。
・さめた液体は、翌朝までおいておく。おいておくと表面にヴェポラブ部分が皮膜になって固まるので皮膜の割れ目から液体をそっと排水溝に直接注いで捨てる。紙コップも廃棄。

この薬。Vaporub。Vapor(湯気)とRub(塗る)だったのね。とナットク。

とはいえ、市販薬が活躍するのはそこ(症状の緩和)までのところで、根本的には治りません。
治らないまま年が明け、なんと二月頃まで症状が続き、さすがにこれはやばいと思って別の医者に行ってみました。

何ヶ月も咳がとまらない風邪と伝えたところ、先生は、ニヤっと笑うといいました。
「それは、風邪じゃなくてマイコプラズマ肺炎ですよ。」

どんな病気かは、検索で調べてもらうとして風邪に似ているしつこい病気で子供が多くかかるものだということ。(四年ごとに流行るので五輪病と呼ばれているそうです)

先生は、さっそく特効薬のジスロマック(いかにもすごそうなパッケージ)他を処方してくれて問題の症状は見事退治できました。

しかし、このマイコプラズマという病気、かなりしつこいやつらしく一回退治したと思っても様子を変えて再発することがあるらしく、その翌年も同様の症状が出ました。
ひょっとしてマイコプラズマではないのでは?と思いアレルギーの検査もしてみたが全部シロ。
そして、今年もまた再発。
くやしいですが、再びヴェポラブとジスロマックの世話になり乗り切ることになりました。

(2005年12月01日初出)

※追記:2013年9月、その後不思議にも2012年秋からは症状が出なくなりました。原因は不明です。

2007年10月22日月曜日

歳月は人を待たず

父親が亡くなってから、長年一人暮らしを続けてきた母がついに、老人ホームに入ることになりました。

生まれてはじめて女性物の下着を大量に買ったり、数少ない、ご近所へや主治医への挨拶周りやら、戸締りやらで、自分の引越しとは別の意味で神経がかなり参りました。

主治医は、あたしの家が実家のある町に越してきたときに開業した医者で、本人も80歳を越えています。
今回の引越しは、彼のひと押しの一言(「もう、無理だよ。つかさん。」)で敷居をまたぎました。

迎えにきたホームのバンに乗り込んだ母を見送ってから、実家の戸締りをしました。
最後の洗い物と簡単な拭き掃除をして鍵を閉めて。

おそらく母にその時がきたら、もう自分も実家の町には戻らないのだろうと思うと感慨も一入。

柱の傷は一昨年のとか、歳月は人を待たずとか、光陰矢のごとしとか、学なりがたしとか、時間(=死)というものは、実に公正なものです。

あたしが、自分の「死」というものを明確に実感したのは40歳になったときです。
おそらく、今30代の人たちも同じだと思いますが、39歳までは、まったく意識しませんでした。
まったく。

要するに、40は、完全に折り返してしまった。ということなのでしょう。
つまり、身もふたもないですが完全に「おわった」という感じです。

追記2017年5月25日)フェデリコ・フェリーニによると、「さぁ、これからだ」だそうです。

だからといって不貞腐れるでもなし、漫然と生活を続けるのが凡人のよいところで、凡人には、凡人なりに、日常生活を重ねるうちに、少しずつ自分というものを整理していかなければというところです。

まだ早すぎる感がありますが、本当に歳月は人をまってくれないのです。

未だ覚めず 池旬池塘の夢
階前の梧葉 已に秋聲

追記2017年5月25日この母も今年(←)亡くなりました

2007年10月21日日曜日

あらぶる女たち

もともと、女たちは「荒ぶる」ものたち(笑)なので、何をいまさらといわれそうですが、ここ二晩出席した酒席での女たちのふるまいが、余りにも激しい酔い方だったので、あらためて実感したのであります。

叫ぶは、喚くは、吐くは、寝るは、居合わせた男達の興ざめした顔が印象的でした。

昔なら、酔いに乗じて邪な振る舞いも妄想するところでしょうが、さすがにこちらも百戦練磨の「猛者」達ばかりだったので「静かな」対応に終始しました。つまり、そのテは食わないのと呆れたのと(笑)。

女が協調性に優れ、男よりも調和のとれた交際ができる、というのは伝説だと思います。

女とは、支配と所有
男とは、自由と博愛。

が、両方の性の行動原則です。

若い男子のみんな(特に、中高生)、目先の色欲に負けて騙されちゃだめだぞ。

2007年10月18日木曜日

二木診療所

王診療所つながり、ということで。
かの、石井ふく子氏も贔屓にしていた、「二木診療所」については、昔ウェブ日記(ブログではありません)で触れたことがあります。以下、抜粋を再掲します。

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……あたしの周囲に土木・建築関係者が多いことが知れると思う。彼らは、一様に腰を痛めているので、各々かかりつけの医者や民間療法師をよすがに生きている。

そうした友人達の間で「伝説」に近い存在が神田室町の「王(ワン)診療所」だ。
ぎっくりで同僚にかつがれて来た人間が治療後歩いて帰る。
しかも、効き目に尾ひれがつきがちな民間療法ではなくストレートな医院である。
もちろん保険も利用できる。

若い自分、職場で突然ぎっくり腰(ギックリは、いつも突然だが)になったとき建築設計関係の友達が教えてくれてあたしも何度かお世話になったことがあった。
それから何年もの間、ぎっくりに襲われることもなく、自然と王(ワン)先生ともすっかり縁がなくなってしまったので、再び強度のギックリに祟られたとき咄嗟に王診療所を思いつかなかった。

翌週に福岡への出張が決まっていて飛行機に乗らなくてはならなかったあたしには、どうしても即効で効く治療が必要だった。
その時、当時仕事でつきあいがあった先輩が、ある医者を教えてくれた。

「二木(ふたき)診療所」

新宿歌舞伎町の怪しげなテナントビルの上にあった。当時、院長の二木先生は、すでに相当の高齢で、実際の治療の段になるとこわもての看護婦二人が先生を抱えるように患者を寝かせたベッドの横まで「運んで」くる。

先生の頭は禿げ上がっていてあごひげは長く、年の割には大柄だった。白衣を着た姿は医者というより「仙人」のようだった。
凄みのある看護婦たちは患者に「はい。横になってズボン下ろして。はい。先生お願いします。」
というと患者が動けないように両脇から力いっぱい押さえつける。

なぜなら───。
なぜなら、二木先生がこれから打つ注射が猛烈に!猛烈に痛くて患者が跳ねて動くからだ。

看護婦達の腕っ節は強く、患者はうめくだけだ。終わると、ぞんざいな手つきで注射跡を消毒し追い払われる。

注射は一度の治療で数回から10回ほど、短い間隔であちこちにうつ。

ブス。ブス。ブスブスブス。ブス。ブス。ブス。

といったリズムで、ある時は深く、あるときは浅くすばやく。
「注射」というよりは、「鍼(はり)」治療の(呼び名はなんというのだろう)「置き鍼」ではなく手早く打ちまくる鍼テクニックに近い。
実際に針を打っている箇所も鍼のツボの場所のような気がする。

ただ、鍼と違うのは、鍼が気持ちいいのに、こちらは猛烈に痛いということだ。

あたしは、打たれ、のたうちながら思い出しました。

「これは! 神田の王診療所」と同じ治療だ!」

そして治療後、痛みはウソのように薄らぎ、あたしは無事出張業務を終えることができた。
その後のぎっくりでも治療が痛いので、二木診療室には、本当に切羽詰らないとでかけなかった。
そして、しばらく通わないでいると靖国通りから「二木診療所」の看板が消えた。
おそらく先生が高齢のため廃業したのだろう。

となるとあたしの知る限り、あの「技」を持っているのは神田の王先生しかいないではないか。

王先生は、名前からもわかるように日本人ではない。(もはや国籍は日本かも?)

絶妙の中国訛り(ひょっとして演出か)が、余計に効きそうな雰囲気をかもし出している。幸い王先生には後継者の先生たちがいるので、先生の技をマスターして後世に伝えていってもらいたい。

そうそう、看護婦たちの威勢がいいことも二木先生と似ていると思った。両先生たちには、きっとつながりがあるに違いない。
ちなみに、脱税でつかまったTBSの元P、石井ふく子氏は、二木診療所の常連だったそうだ。

そしてあたしは上記の二医院しか知らないが、おそらく全国に似た治療をしている医師が意外といるのでは?と推測している。

※以上、「看護師」とは書いていない。自分達でも患者に接するときには「婦」と言ってくれているし。素晴らしい職業に敬意を表する。

(初出:2006年01月06日)

2007年10月17日水曜日

王診療所

ぎっくり腰も、あたしくらいのベテランになると、医者にかかるべきかどうか検討がつくようになります。

今回は、ちょっとした箱をかかえた時、軽く背中の部分がギクっとなったので、これならなんとかなるとはじめはふみました。

この程度なら、「バラコンバンド」(ゴムバンド)※で十分だ。痛いには痛いが、我慢しいしい動ける。
一晩寝たらだいぶ良くなったし。」なんてね。

朝起きてバンドを巻いて洗顔、歯磨き。台所にたって。と・・・その瞬間、くしゃみが!!!

ギク!

へたり込み、まったく動けなくなりました。瞬間、悟ります。

王診療所に行かねば!


※類似品は数多あれどやはりオリジナル?のバラコンバンドが一番使いやすいし効果もあると思います。通販でも手に入るようですがあたしはお茶の水の「健康プラザパル」で数年毎に購入しています。
※追記:2016年6月
健康プラザパルは、その後、移転しまして中央区新川になりました。電話をしてとりおきをしてもらったりしています。

2007年10月16日火曜日

ぎっくり腰の季節

少し前、9月17日に、ぎっくり腰になりました。
長年の持病ですが。

軽い筋トレを続けていて過信していたのか、ことの他重く、不注意な自分を呪いましたが、こればかりは予防がむずかしいのです。
ひょいっとした動きでなりますからね。

ふと思いついて昨年の日記(というかメモ)を繰ってみると、なんと!昨年も9月17日に起きているではないですか!

面妖なことがあるものです。
いずれも、町内の祭りに当たっているが、神輿はかつがないので、関係ありません。老人の日なので、親不孝の印か?

更に、過去を調べると、いつも暑い盛りになっていました。
そして、今日、約一月になりますが、まだひきずっております。

※追記:2013年9月14日にまたなりました。実に当日はお祭りの日でどんぴしゃでした。