2016年12月31日土曜日

Amy(13) 5 次の再会(2/2)

まったく大みそかにまったくふさわしくない記事です。

フロリンダの講演会がまたあった。大きな会場だった。

キャロルのほかに、ドロシー(Dorothy)とタリナ(Tarina)という二人の弟子がいた。(Amy54)

彼女たちに同行した友人を紹介したら「あんなのが友達なの?」と馬鹿にされた。

フロリンダは、こっそりDorothyを指さして「あいつは自分がカルロスのフィアンセのつもりなのよ。妄想にもほどがあるわ

Tarinaに話しかけようとしたら避けられた。

会場ではDorothyがカメラを持っている男性客にカメラを持ち込むな怒鳴っていた。男性は驚いて、普通に言えばいいのになぜそのように失礼な態度をとれるのかといった。
Dorothyは何も言わずに振り向いて歩み去った。

今回の講演ではフロリンダは、前回のドン・ファンに続き、カルロスもセックスをしているといった。

こちらは本当です(笑)

私はカルロスの著書では、ドン・ファンに禁欲するように言われていると書いてあるのにと思い困惑した。

なぜなら、前回の講演でフロリンダは「カルロスはセックスするのか」という質問に顔を赤らめ「そうでないことを信じます」と言っていたのに。

今回もキャロルを聴衆に女ナワールとして紹介した。彼女は体の中に「The Death Defier」(死への反逆者)という何千年物間呪術師の体の中に住んでいた生き物を住まわせていると言った。

フロリンダは、ドン・ファンは第二の注意力の中、無限に消えてしまった、と言ったので聴衆がざわめいた。

前回の講演会では生きていてセックスをしているといってました。もっとも、それも10年前という想定の話ですが、このあたり口から出まかせのようですから目くじらたてても仕方ないかもしれません。

彼女は、われわれはエネルギーを蓄え彼を自由にし、夢の中で彼を探すといった。聴衆の集合的な意志にも助けてもらいたい、と言った。

これは驚きのニュースだった。

カスタネダの愛読者たちは、ドン・ファンはすでに究極の自由を手に入れたと思っていたからだ。

2016年12月30日金曜日

Amy(12) 5 次の再会(1/2)

二週間ぐらいあとに、タイシャ・エイブラーに変名したアンナマリーがガイア書店で出版記念のプロモーションを行った。


『The Sorceres' Crossing』(『呪術師の飛翔』)


タイシャは、キャロル・ティッグスと一緒だった。

せまい店内は客であふれていた。
タイシャが話した。

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フロリンダ・ドナー、キャロル・ティッグスと自分はいずれもドン・ファンの弟子ですが、各々の特性によって魔女や呪術師の大集団により異なる教育を受けました。
もう私たちにはこの世界での時間が限られているので、これからは私たちが受けたようなやりかたでこれまでのように教えることはできません。

カルロスは、ドン・ファンの呪術師の系譜の最後の一人です。カルロスは一人の弟子もグループも持っていません。

自分たちを棚に上げています。(と下記、Amyも書いています)

みなさんご存知のように呪術師はボランティアも受け入れていません。予兆によると弟子の一人がナワールだというのでカルロスはその人物を罠にかけなければなりません。
(今、一人も弟子はいないと言ったばかりではないか?と思った)

この弟子の中にいるナワールとは、 Tony Lama、本名Marco Antonio Karamという人のことだということが後半わかります。
彼については、補足資料の中にも詳しい情報がありますので、しばらくお待ちください。

それから彼女は「忍びよる者」について話した。

わたしは忍び寄りの技術を使ってさまざまな人間に化けました。男になって仏教の僧侶、リッキーという名前のメキシコ在住の白人、口汚いコソドロ。一番最後の場合は、完全に男にみせるために偽のペニスをつけて女性を誘惑しました。

ローリングストーンズ
「スティッキーフィンガーズ」
誘惑してからディルドを使うのならわかりますが、別に女性はまっ先にペニスそのものに惹かれたりしないのではないでしょうか。

でもミックジャガーのジャケット写真の件もあるし・・・あながちそうでもないのかも。

わたしは、二年間、木の上の小屋で暮らして”サル人間”と呼ばれていました。また美しい女優になって詩人と恋におちたこともあります。(一部省略)

そして乞食のアルフォンシナに化けて、ついに彼女の弱点だった「自己憐憫」を克服することができました。

こうした変身の話が続きますが割愛します。

タイシャはカルロスに負けず劣らず話が上手だった。
彼女は、最後に、”The Selector”というカルロスが言うところの宇宙の秩序を作る力についての話をした。

講演会が終わってからキャロルとタイシャと食事をした。カルロスをナワールと呼んでいるのが気味が悪かった。二人はまるでローマ法王のことを話しているようだった。

罠にはまるような恐れをいだいたが、どこかでカルロスが守ってくれると思っていた。

占星術やエニアグラム、スフィ哲学やグルジェフの話題をした。カルロスは、グルジェフの系統の弟子のClaudio NaranjoとOscar Ichazaと知り合いだった。

セラピストのKathleen Speethは、彼女の著書「グルジェフワーク」の最初のページにカルロスの言葉を引用した。その話をしたらキャロルが「分類している!」と爆発した。

座が白けてしまった。

食事のあと、二人に実家に寄ってもらった。

有名人の写真やサインを飾ってある趣味の悪さをあげつらわれて不愉快になった。彼女たちにそれらを取り除くように言われた。私の臆病さがまさって、取りはずすことにした。

2016年12月29日木曜日

Amy(11) 4 コウモリ

当時、家にコウモリが巣くったので保健所に除去を頼んだことがある。

ちょうどフロリンダが電話をかけてきてカルロスと代わった。

カルロスが悔みを言った「アーヴィングが1年前に亡くなったと聞いて残念だ。そのころTimbuktu(西アフリカのマリ共和国)にいたんだ

Irving Wallace(1916年3月19日 - 1990年6月29日)の命日は先の通りです。その一年後の電話ですから1990年7月頃ということになります。

コウモリ除去をしているといったらカルロスは、重大な軍事機密を話すかのように「コウモリを外に出しなさい」と言った。

私は笑いながら「あなたはカルロス・カスタネダでしょ?あなたが外に出してよ」と言った。

カルロスは、エイミーにコンタクトしようと思っていた、と言った。
君はとても重要な役割を担っているんだ。ほかの連中はぜんぜんダメだ。無能なんだ。連中は、ぼくたちが”捕食者”に食べられていることがわからないんだ」(Amy47)

「捕食者」の概念は、カスタネダ末期に登場する発想です。

カルロスは、夢の中でアーヴィングに会った。娘がトラブルにあっているので助けてやってくれと言われた。またアーヴィングの霊がエイミーの母親が住んでいる家に祟っているといった。

怪しんだが、父のことだったので信じてしまった。
二週間後にロスに行くので家で会う約束をしてしまった。

2016年12月28日水曜日

Amy(10) 3 フロリンダとの再会(3/3)

ガイア書店で催されたフロリンダ・ドナーの講演会がはけました。

(ガイア書店の)外では、魔術的理由でサンフランシスコに今夜滞在するとよくないことが起こるというので空港へ向かうリムジンを待たせてあった。

フロリンダが分かれるときくれた連絡先は私書箱だった。
彼女が、この再会は大変重要だと思っていることがわかった。

父の死以降、ぽっかり穴があいたようになっていたので、最初の小説、”Desire”が成功をおさめていたにもかかわらず、フロリンダとの再会は刺激的だった。(Amy43)


フロリンダの新しい本をすぐに読んだ。
彼女のドン・ファンやカスタネダとのトレーニング、大フロリンダ(Big Florinda)に率いられた一団の女性呪術師たちなどについて書かれていた。
感想と一緒に自分のこの前の著書、”Prodigy”を送った。

さっそく彼女から電話がかかってきた。
次回は、ロスで会おうという話になった。


彼女が、サンフランシスコを発ったとき、宿泊したホテルに荷物を取りに寄ったらロビーにドン・ファンがいたが、挨拶をしなかった、という話をした。

これは幽霊?どういうこと?と尋ねたがはぐらかされてしまった。

ところでアンナマリーとはまだ会ってるの?そうならよろしく伝えて。
そうそう、ガイア書店で来月タイシャ・エイブラーという女性の本が出るって宣伝をみたけど・・。カルロスの序文があるでしょ?

と私が言うと、フロリンダは大笑いした。

アンナ・マリーがタイシャ・エイブラーよ

フロリンダが、キャロル・ティッグスについて話した。
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カルロス、タイシャとフロリンダは、キャロルが去ったときほとんど死にそうだったわ。彼女が消えていくので動揺していたの。キャロルは光るビーコンとして私たちを外の世界へ導くはずだった。彼女を見つけようとしたができなかったわ。夢の中でもできなかった。

悲惨だった。生き抜くために戦ったの。カルロスが最初、キャロルがジョギングをしているのを発見した。追いかけたが見失ってしまったわ。
そして数週間後。ポンっ!
サンタモニカのフェニックス書店で講演をしているとき聴衆の中にいるのを見つけたの。

彼女は完全に記憶がないの!10年間。消えていた。
キャロルが消えたのは1981年。
気づいたらアリゾナでさまよっていた。ビルの高さがやけに高いと感じたって、言っていたわ。

この1981年は、フロリンダがドン・ファンが90歳でセックスをしていたといっている年です。

キャロルはドン・ファンに頼まれた隠し財産を埋めてきたとか言ってたけど・・・でも、これは20年間ものあいだ世の中から隠れていた私たちが公に姿を現してもいいという予兆よ。

上記にさらに10年たしますと1971年から公に姿を現さないでいたことになります。
これでカスタネダは、私たち3人のことを書くことができるわ。
私たちはこの20年間の最大の秘密だったから。だから私もドン・ファンの教えについて書くことができたの。女の道は違うから。タイシャの訓練は私が受けたのとはまったく違うけど。

そしてあなたを見つけた!これも予兆よ。
あなたの小説を読んでわかった。あなたは私と同じ、夢見よ。(Amy44)
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Amyが夢見る人について尋ねると、フロリンダが答えた。
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呪術師には二種類ある。忍び寄るものと夢見るもの。私たち夢見は無のような世界に入っていくの。自我がなくなると流体的になってもはや夢見ているときも起きているときも同じことになるわ。(Amy45)

タイシャは忍びよる者。忍びよる者がエゴをなくすと別の人格になることができるわ。忍びよる者は、”the Theatre of the Real”に住んでいるといわれているの。
カルロスは「忍び寄りは自分をなくすことができる方法」だと言っているわ。
忍びよる者は、日常生活が戦闘場だ、エゴとの戦いはいつまでも終わらないからだ」と。

ドン・ファンがこういったわ
フロリンダ、お前のエゴを大きなけむくじゃらの怠け者の犬だと思え。そいつに裏のポーチに行って寝てろと言え。そいつの周りを歩き回れ。そいつを殺すことはできないからな。エゴは千もの頭を持つヒドラだ。ポーチにいる疲れた年老いた犬の周りを歩き回れ

2016年12月27日火曜日

Amy(9) 3 フロリンダとの再会(2/3)

フロリンダ・ドナーの講演会の続きです。

彼女の二冊目の著書『魔女の夢』はヴェネズエラの伝統的なcrandera(マヤ族から継承した治療技術を継承するメキシコ人女性)に弟子入りしたときの抒情的な逸話集だ。

彼女はドイツ移民の夫婦の間に生まれカラカス(ヴェネズエラの首都)で育った。

他の”魔女”同様、カスタネダと過ごしている間、自分がどこにいたとかはその通りでないことが多く、上記の体験のことも当時はまったく知らなかった。

彼女の話はとても魅力的だった。

この本(Being-In-Dreaming)の出版社Harper & Rowは、この本ではドン・ファンの本当の言葉を載せていない。といって二つの性の違いについての説明をした。(Amy40)

フロリンダもドン・ファンに幻覚性植物をやりたいと懇願したが断られたと言った。
女に力の植物はいらない。もう持っている
女性が子供を産むたびに、自分のエネルギー体に穴があいてしまい自由への道から遠ざかる。だから子供を産むことはおすすめできない、などと当時のフェミニズムに傾倒しているような雰囲気だった。

女性が夢見を行うのは生理の3日前がいい。女性は簡単に夢見で玉ねぎの皮をむくように違う世界に入ることができる。呪術には閉経を避けるテクニックがあるし、生理の周期を自分で調整もできる。
私たちの仲間の一人(後でアンナマリーとわかった)は生理が面倒なので止めてしまった。

客の一人がドン・ファンはセックスをしたのか?と質問した。
フロリンダは赤面し答えた。
事実です。しました。信じてください。彼は90歳だったのですよ」(Amy42)

ドンファンの誕生は、1891年です。90歳だとすると1981年です。フロリンダのこの講演会は、1991年ですから10年前の話をしていることになります。

ドン・ファンの没年は定説では1973年です。
参考までに、ドン・ファンが去ろうとしているとAmyの兄夫婦に語ったのが1976年。そしてカスタネダがAmyに「ラ・ゴルダが去ってしまった」と嘆いたのは1983年です。

フロリンダのドン・ファン性豪説は、どうみても整合性がありません。

フロリンダがキャロルを女ナワールだと紹介した。10年間-無限(Infinity)、または第二の注意力(Second Attention)に身体もなにもかも消えていた。キャロルは当時の時間間隔がまったくなく瞬間のように思っていると述べた。

スウェットスーツでジョギングする姿で奇跡的にまた現れたキャロルは、魔法の扉を開けて私の前に現れた。魔法の扉がキャロルが公に姿を現すことを許してくれた。

私の知り合い~カルロスの信奉者だった~がキャロルに10年の間他の世界で何をしていたのか?と質問した。その時のキャロルの反応はショッキングだった。

部屋の隅に下がって、どもりながら激しく汗をかいていた。人々が彼女を囲んだ。
あ・・・、あぁ。わ、わからないわ・・・わからない・・・

彼女は壁にぶつかるまで下がった。まるで罠にかかったロバのように頭を垂れた。それから人々をかきわけるとフロリンダの横までよろよろしてたどり着いた。

人々は怖くなってこのタイプの質問をさけた。

この本を最後まで読むとわかりますが、これが完全な演技だったことがわかります。

2016年12月26日月曜日

Amy(8) 3 フロリンダとの再会(1/3)

1991年のある晩、新聞を見たらフロリンダ・ドナーがGaia Booksで講演会をやるのを知った。

ガイア書店は、ニューエイジ、フェミニズム関係の書店で、バークリーの我が家から数ブロックのところにあった。

ガイア書店については、先にエントリーとして公開してありますので参照してください。
アメリカの書店には、こうした専門分野に特化した店がありまして、マニアにはたまりません。
あたしもSF専門店によくでいりしていました。

大好きなフロリンダだったのに、会わなくなってもう10年も経っていた。
頭痛がしてたがアスピリンを飲んでいくことにした。この行動がわたしの一生を変えた。

魔法はどこにでもある、だが普通の連中は未知のものをおそれてしまう」とカルロスはよく言っていた。
僕はいつでも列車の先頭に乗る。だから僕がみるものはすべて新しい。他の人々は車掌室に暮らしている

まだドアが開いていない準備中の会場につくとフロリンダを見つけた。小柄な輝くようなフロリンダ。隣に彼女より背の高い女性。曲線美、アーモンドのような眼、ゴマ塩頭。二人はニューエイジのおもちゃで遊び笑っていた。

勇気を出してフロリンダに声をかけた。
昔通りの超活動的だった。5フィート2インチ。100パウンド。
骨細で筋肉質、輝く青い目、1インチにとんがらせたブロンドヘアー。

再会を狂喜した。
なぜこんなに髪を短くしているのか尋ねた。

これは、カルロスの好みだということが後にわかります。

ちょうど、アマゾンのYanamomo族のところからかえってきたばかりなの。虱のため剃らなきゃならなくなったの。

フロリンダ・ドナーの紹介の項目にも登場するYanomamiのことだとおもいますが、Amyの本の表記はミススペリングだと思います。

子分(仲間)を紹介するわ。彼女は、女のナワールよ。(Amy39)

ナワールウーマンとは、女性でカルロスと同じ役割を担う。カルロスと双子の妹のようなもの。そして彼らのリーダーでもある。名前はCarol Tiggsだった。

キャロルは、いきなりでたらめなロック・ソングを歌いだした。「ナワ~~~ル・ウーマン~~~
これ以外は、キャロルは近寄りがたく謎めいていて濃い青い目に暗い影があった。
彼女はあまりしゃべらなかった。フロリンダとま逆。太陽と月。

あまり好きになれなかった。最初のふざけた歌があったにもかかわらず冷たくユーモアがなかった。フロリダやアンナ・マリー(Anny)とは違った。

あなたはアーヴィング・ウォレスのお嬢さん?聞いているわ

カスタネダの本編では、謎の存在だったキャロル・ティッグスが「実在」したことをあたしがわかった瞬間です。

講演中、キャロルの隣に座った。

フロリンダは、最新の著書Being-In-Dreamingの宣伝をおりまぜた。

彼女の最初の著書、Shabonoは、Yanamomoインディアン(スペルについては前述のとおり)との記録だったが、イタリア人著者の作品の盗作といわれて非難されていた。
彼女は、(カルロス同様)自分のフィールドノートを紛失したといっている。
その結果、UCLAの学位が認められることはなかった。

2016年12月25日日曜日

Amy(7) 2 しばらくして(3/3)

カルロスや彼の取り巻きたちとの関係が深まっていきます。

この事件(ラ・ゴルダ消失)のあと、カルロスがいなくなってしまうのではないかと思ったが杞憂だった。
その後もカルロスは両親のパーティに現れた。

その頃、初めてブラインド・デートをした。
彼はわたしがカルロスと知り合いだということを知っていた。彼はカスタネダのインチキを暴こうとわたしに言った。

ブラインド・デートというのは、誰が相手かわからないデートで、ある種の出会い系イベントです。

(その時の相手だった)Dennyは、カルロスがペルーに妊娠したまま残してきた母とその娘(Charo)と知り合いだったのだ。彼らはスイスに住んでいた。

そのことを知ったカルロスは、娘にアメリカでの教育の機会を申し出て、ラスベガスに娘を呼び寄せたが、なぜかすぐに送り返してしまった。(Amy35)

カルロスとの縁で最も重要なのは1980年。私が25歳の時だ。
私は当時、ジャズ・ミュージシャンと結婚していてバークリーに住んでいた。
『Book of Lists』という本を家族と共著で出版した頃だ。


カルロスとフロリンダに呼ばれてサンタモニカで食事した。
いつもどおりカルロスは「セックスレス」な雰囲気だった。

フロリンダは、色っぽいのに、Anny以上に彼と恋人という感じに見えなかった。
フロリンダとAnnyは正反対でフロリンダ活動的、アニーはおしとやかだった。

カルロスに言わせると二人は相補的でお互いが「小暴君」(petty tyrants)として存在しているそうで、二人はまったく気が合わず喧嘩ばかりしていた。(Amy35)

『Book of Lists』の話になった。その中に私が興味をもっていた「人間の自然発火現象(Who Have Spontaneously Combusted)」の項目があった。

カルロスが、「自然発火をどうしたら起こせるか知ってるかい?」と聞いた。
あたしがもちろん知るわけがない。

先週、ふろに浸かっていたら僕の左足が燃え始めたんだ

フロリンダがテーブルの下でカルロスの足を蹴ったのがわかった。

いきなりカルロスが話題を変え、フリオ・イグレシアスの家を訪れたときの下品な話をしだした。

このとき、あたしはカルロスのグループメンバーの面接試験に落第したことを悟った。

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15年後。カルロスの腕の中でこのときのことをたずねたら(私が落第したというのは)本当だった。(Amy40歳。カルロス69歳です!)

わたしが落ちた理由を尋ねた。
君はあの時、世の中に”税金”を払うのに忙しかったからさ

きみは結婚していたし、バークレーに邸宅を持っていたし、友達も多かった。それらを手放すことはできなかった。加えて、きみのお父さんがまだ存命だった。君にそれらを捨てさせることはできなかった。きみを自由に、鎖の環を切れなかった

1989年までに離婚が成立した。中国の瞑想と武術に夢中だった。
83歳の老師に気功(chi kung)をサンフランシスコで習っていた。
カルロスにぜひ老師に会うべきだと手紙を出した。この手紙で交際が深まった。

新たな人生のパートナーを探していた。
父はがんに侵されていたが医者にかかろうとしなかった。わたしもホルモンのバランスがくずれ薬を飲んでいた。

そんな中、父が亡くなる1年前、本当の魔術の冒険が始まろうとしていた。

2016年12月24日土曜日

Amy(6) 2 しばらくして(2/3)

カスタネダとの再会に至る話の続きです。

1976年、兄夫婦(David and Flora)はカルロスとロサンゼルス図書館の資金援助の会で遭遇した。カルロスはいきなりドン・ファンがこの世界から去るために燃える準備をしていると話しだした。

このエピソードについては、すでに各所で触れていますが、一般にドン・ファンが73年に去ったといわれている時期とかなりずれています。

カルロスは絶望的になっていて他の本物の先生を求めているがみんな偽物だと言っていた。(Amy30) 

このパートについては以前の投稿で言及しました。いろいろな例をあげて面白おかしく紹介しています。

ドン・ファンから免許皆伝をもらっているような人物が今更、先生を探すでしょうか?
Amyも同様のことを述べています。

カルロスは、エイミーの父が亡くなった後も、よく父の声音をまねて思い出を語った。

このエピソードからもカルロスとWallce一家とのつき合いの深さと長さがわかります。

強烈な思い出がある。1983年。実家にいたらカルロスから電話がかかってきた。
ラ・ゴルダが去ってしまった。彼女は魔女の中でもっとも強力なメンバーだったのに。彼女は去った。僕の目の前で消えてしまったんだ。彼女は自己中心的な性質が原因で死んだんだ。彼女は僕には、ナワールの資格がなくダメなので、彼女がナワールでリーダーだと決めたんだ。もう、僕はひとりぼっちだ。ドン・ファンに後を任されたのに約束を果たせない」(Amy33)

ラ・ゴルダがはじめて登場するのは、ご承知のように『力の第二の環』からです。
『力の第二の環』は、1977年の出版。この電話事件があった1983年は、1987年出版の『沈黙の力』よりも後の出来事なので整合性はとれています。

わたしは、そのころ、I Ching(易経), the Tao de Ching(老子道徳教), Zen(禅)、仏教の経典、スフィ哲学などの東洋哲学に惹かれていた。

あたしがアメリカで太極拳を習っていたことは以前、記しました。そのクラスでも休憩時間に老子の朗読をしていました。当時は、西洋人たちはこうした東洋哲学に夢中だったんですね。

あたしが米国をさるとき、仲良しだったT. S.は、C.G.ユングの序文がある英語版「易経」をプレゼントしてくれました。のちに、このテキストを利用して作った易占の(稚拙な)プログラム(今でいうアプリですな)がコンテストに入賞したことがあります。

私は、そのどの分野でも指導者たちはとりみだしたりしないことを知っていた。
また、カルロスの本でもドン・ファンが息子の死に際し、見ることにより悲劇を乗り越えたことを読んでいた。わたしはそのような能力にあこがれていた。(Amy33)

カルロスは、そんなドン・ファンの弟子の呪術師なのにとりみだしたりするのは変だと思ったが、カルロスが紹介した世界の方が仏教などの世界に比べてはるかにエキサイティングだった。(Amy34)

2016年12月23日金曜日

『ビギニング・ブルース・ハープ』(ドン・ベイカー著)

ちょっと投稿の順番が変わったので、(Amy Wallaceの連載の間に)一回ハーモニカの話題をはさみます。

『ビギニング・ブルース・ハープ(CD付)』というブルース・ハープの教則本の紹介です。
著者は、ドン ベイカー(Don Baker)というハープの名手です。

2012年5月28日に購入しまして、それからコツコツと進めて2013年5月に”一応”独習で終了しました。

ハープを始めたのは2009年ですから、3年近く経ってからの学習ということになります。(その間に先生にも習い始めています)

本のサイズも小さくて練習曲の分量もちょうどよくバランスがとれている、非常に優れた教本です。いや、最高の教本じゃあないかしら。

一曲毎に、最低20回。暗譜ができた段階で、先生が生徒(どちらも自分なので甘いですが)に○をつける形で一応全曲やってみました。

たとえば、『ブルース・フォー・ジョー』という卒業?楽曲がありますが、これはまぁ、それっぽくできることはできるのですが、今でも実はベイカーさんのようには到底できません。(今後もできないと思います)
とても難曲ですが、これが少しでもマシにできるようになったら本当に腕前(口前)が上がったと言えるのではないでしょうか?

書き込みやらでボロボロになりテープ補修してまで使い込みました。
とにかくベンドの習得に特化しているのでシンプルかつ段階的に学ぶことができます。

みんなの悩みの種の3番ベンド専用の曲なんてのもあって秀逸です。

あたしは下手なりにも一応ドローベンドができるようになってから「ベンド力定着&強化」のために購入したので本当の初心者よりはモチベーション維持が楽だったかもしれません。

難点でいいますと、記譜されている楽譜、特に穴番号には間違いが多いので参考にせず、自分の耳だけで探って直接耳コピーした方が良いと思います。

7番~10番ベンドが弱いのでそれらを訓練する同じような教本があるとよいなと思います。
(それとオーバーベンド系?・・・誰も買わないか(笑))

2016年12月22日木曜日

Amy(5) 2 しばらくして(1/3)

「概要」の話題を少し追記したくなりまして。間に一本記事を入れました。
投稿の順番を見やすくするために公開日時を移動しました。

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最初の頃のチャプターは、出だしで気合が入っていることや重要な情報が多かったので、割合”抄訳”っぽい感じの元原稿になっています。

もったいないので、それらは生起こしのまま掲載し、ここから後しばらくは、『ドン・カルロスの教え』同様、あたしの私見や推測・想像・注釈などを青で入れます。

みため安っぽい昔のホームページのようですが、いま揉めている、「まとめサイト」のように、こじゃれたなサイトよりもこんなヘタレなサイトの方が実は信用できるってんでしょうか。

また、登場人物の名前がアルファベットだったりカタカナだったりしますが、日本人の間でもうなじみになっている人々についてはカタカナにしている場合が多いです。(地名も多くはアルファベットにしてあります)

では、第二章始めます。

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(カスタネダに)はじめて会ってから再会まで19年たった。(1972年+19年=1991年。Amy、36歳。)

91年と93年の期間、Amy(とその家族)は、手紙などのやりとりで不定期に会っていた。
カルロスと連絡をとる方法は(住所も連絡先も秘密にしていたので)、Nedかカルロスの会計士、Jeryy Wardに手紙を預けることだった。連絡がつかないことも多かった。

カルロスが両親の家や兄のサンタモニカのDavidの家に立ち寄ることもあった。(Amy26)

わたしがカルロスに会うときはたいていAnny(Anna-Marie/Taisha Abelar Carter)を連れていた。また、例のフェデリコ・フェリーニの恋人の時もあった。彼女はもうジーナ(Gena)とは呼ばれていなかった。(Florinda Donnerになっていました)(Amy27)

数多くの有名人や文化人がファンだった中で、この一家にだけ特別な付き合いをしていたのはなぜなのでしょうか?

 Irving Wallaceが大統領に招かれるくらい著名な作家だったということもあるかもしれませんが、カルロスはもっともっと有名な連中との接点があったわけです。17歳のAmyにハナから狙いを定めていたのでしょうか?

でも、それならなぜ年の近いTaisha Abelarを伴って行ったのでしょうか?
カルロスの口説き術は謎めいています。やはり呪術師だからですね。

カルロスは、両親が主催した出版社のガラ・パーティにもフロリンダを伴って現れた。
父は、Annyもフロリンダもカルロスの恋人のように思えない・・でもそのようにも見えるしと言っていた。
カルロスはあまりセックスに興味がないようにも思えた。

芝居が上手です。

彼はよく女がこの世界を支配しているのだと言っていた。(Amy29)

2016年12月21日水曜日

Amy(4)1 世界で最もとらえどころのない男(2/2)

カスタネダのプロファイルの続きです。

1968年に『ドン・ファンの教え』がSimon and Schuster社から出版されたとき、UCLAの文化人類学部では、カルロスのフィールドノートを確かめずに学位を与えたということでスキャンダルになりました。
この件についてカルロスはノートを無くしたと主張しています。(Amy6)

また、呪術修行の様子を記した唯一の第二稿を映画館に忘れて無くしてしまったとも言っています。

本を読んだ世界中のファンがソノラ砂漠にカルロスやドン・ファンをはじめとするヤキ・インディアンを求めて訪れましたが誰ひとり成功しませんでした。

第二巻目の『分離したリアリティ』は1971年の出版。
カルロスのあまりの間抜けっぷりに、Adam Blockというジャーナリストは、ドン・ファンは俺を弟子に選んでくれればよかったのにと思ったそうです。(Amy7)

また呪術師のドン・ファン・マトゥス(Don Juan Matus)という名前は、おそらくカルロスが結婚したときに飲んでいたワイン(Mateus wine)から考えたのだろう、とMargaret Castanedaは言っています。(Amy6)

上記の内容から、Amyは、Margaretの本を参考にしていることがわかります。

その他にもジョン・レノンがオノ・ヨーコのことを私のドン・ファンと呼んだ(Amy8)というエピソードや各種メディアのインタビューに関する記載がありますが、割愛します。
前述のように、あたしたちのイメージとは裏腹に普通の(でも謎めいた)著名人としてカルロスはハリウッドの社交界にデビューしていました。

ショーン・コネリー、スティーブ・マックイーン、クリント・イーストウッドのようなエピキュリアン的生活を見て、あのような生活をしていたらガンになる。僕は絶対にガンなんかでは死なないよ!とAmyに言っていたそうです。

巨匠フェデリコ・フェリーニも彼に映画化を持ち掛けていました。フェリーニの恋人、Ginaの愛称で呼ばれていたRegine Thalにそのころ出会います。ドイツ系のベネズエラ人。後にカスタネダのコミュニティに仲間入りし、あのFlorinda Donnerになります。(Amy18)

さて、パーティーから帰って来たAmyの父親がこんなに興奮しているのはオーヴァルオフィスでケネディ大統領と会った時以来のことだったそうです。(Amy21)

両親はパーティで出会ったカルロスの連れ(恋人かどうかはさだかではなかった)のAnna-Marie Carterにも魅了されていました。

「何か不思議なことが起きているようだった」とIrvingが言っていました。
Anna-Marieは当時UCLAの大学院で文化人類学を学んでいた学生です。(Amy21)

このAnna-Marieが、後のTaisha Abelarです

妻(のMyra)はファンでしたが(エージェントだった)Ned Brownは、カルロスの本はナンセンスだと思っていたので読んだこともなかったそうです。

カルロスは、担当の編集者のMichael Kordaとの方が知的な交友関係があって、Kordaがいつも「本当は、でっちあげたんだろ?」と聞くので困っているとAmyにこぼしていたそうで、その質問は、いつも笑い飛ばしていたそうです。

父親の計らいでNedに頼んでカスタネダと家族で食事をする機会を設けてもらいます。
彼女は、こんなに緊張したことはないと書いています。

場所はNedの家。彼女の兄のDavidと妻のFloraも同行しました。彼の姿が普通のスーツとタイという姿で拍子抜けしたそうです。

もっと変な恰好(ターバン?羽飾り?)をしている人だと思い込んだいたとあります。
Anna-Marie(Taisha Abelar)もつれてきたそうで、興奮しすぎて、その夜の会話はまったく覚えていないそうです。(Amy22~23)
Anna-Marieはカルロスに負けないくらい魅力があったとあります。

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わかれぎわカルロスが手を握ってわたしの目を見ていった「われわれはまたお会いするでしょう」数日後、署名してある『分離したリアリティ』が届いた。
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本の中表紙に書かれた署名とメッセージの挿絵があります。(Amy24)

この文章(が下手なの)を見て、カルロスは違うと言い張っていますが、カルロスの本はプロのライターに手伝ってもらっているのではないかと思ったそうです。

数年後、出版社のSimon and Schusteにいた知り合いが確かにライターがいたと教えてくれた、とあります。

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一週間後にカルロスの夢をみた。カルロスの後ろには魔女のひとりがいた。
カルロスは、われわれは再会するだろうといった。
この夢を生涯忘れたことはない。(Amy25)
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2016年12月20日火曜日

Amy(3)1 世界で最もとらえどころのない男(1/2)

いよいよ始まりです。

この章は、カルロス・カスタネダの略歴とAmyとのなれそめなどが紹介されています。

Amyがはじめてカルロスに会ったのは17歳の時(1972年)です。

まず、彼女の父親のIrvingがハリウッドで催されたパーティでカスタネダに会い、そのことを家族に興奮して報告します。

ニューエイジオタクだったAmyの希望もあり、当時、カスタネダのエージェントだったNed and Myra Brownを通じて本人につなげてもらいます。(Amy3)

この章のカスタネダの紹介では、彼の名前を「Carlos Cesar Salvador Aranha Castaneda」としています(Amy3)。たしかに本人はAranhaを名乗っていたようですが、苗字は、Arana が正解です。(pending Margaret)

以下のAmyと出会うまでの履歴については、彼女自身ではなく、Margaret Castanedaの著書や他の文献を参照して書かれたものだと思います。(pending)

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彼は、1925年12月25日ペルーのカハマルカ(Peru,Cajamarca)の小さな町の中流の宝石商の家に生まれた。
履歴を消すため、ブラジル生まれとかアルゼンチンとかメキシコ生まれと偽った。
25歳のとき母が亡くなり三日間部屋から出てこなかった、そして二度と家に戻ってこなかった。
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ドン・カルロス”では24歳となっていて、他の文書からも、おそらく24歳が正解のようです。

次に、ペルーには妊娠中の婚約者がいたが現地に置き去りにした(Amy3)という一文があります。この女性が生んだ子供は女の子で、その子供について『力の第二の環』でラ・ゴルダから指摘されます。(って自分でラ・ゴルダのセリフを書いているだけだけど)

ペルーで学んだ後、1951年9月23日にサンフランシスコに船で渡米しますが、母が子供の時(6歳 Amy13)に死んだとか祖父母のキャラクター含め偽の家族の履歴を作ります。

1955年ロサンゼルスのコミュニティカレッジに入り(Amy4)、ここで妻となるMargaret Runyonと出会い、1960年に結婚します。



カルロスは「精管結紮手術(せいかんけっさつしゅじゅつ)」(vasectomy)、つまりパイプカットをしていたので友人にマーガレットとの子供を作ることを頼みました。そして誕生したのがC.J.カスタネダです。(Amy4)

パイプカットの件は、ここがいまのところ一次情報です(pending)。

1959年、文化人類学者になる夢をかなえるためUCLAに入学。メキシコのシャーマンに会いに行くようになります。これがドン・ファンですな。

2016年12月19日月曜日

Amy(2) 『呪術師の弟子:カルロス・カスタネダとの人生』 (概要 2/2)

「概要」の話題を少し追記したくなりまして。
投稿の順番を見やすくするために公開日時を移動しました。

この本には、性的な描写や話題、そして用語が非常に多いです。
個別の投稿の頭に記すようにしますが、中にはかなり露骨な表現もあるのでご留意ください。

また日本語化にあたっては性行為(f-word)や女性生殖器(c-word)(英語とスペイン語)を表す言葉の選択に迷いましたが、あたしの翻訳では、あっさりと済ませてあります。

あちらでは日常的にでてくる罵り用語だったりするので、無理に該当する日本語にするよりもニュアンスとしては自然になっているハズです。

医療・生物用語的な男女生殖器の名称については、原文でそのように書いてあればペニス、ヴァジャイナにしてあります。後者は日本語ではヴァギナと称するのが一般的ですが、ここでは英語発音をカタカナにしました。

例のBBCの番組のインタビューでもAmy Wallaceが、カルロスとのエピソードの中で、そのような単語を口にしています。

本編では、カスタネダの会話の中に多用されるスペイン語の単語帳がついていまして「性関連用語」、「侮蔑・罵り用語」というジャンルが紹介されていることでもいかに多様しているかがわかります。

余談ですが、映画『ビッグ・リボウスキ』では、本編に登場した「f-word」のシーンだけをつまんだ動画がYoutubeにアップされています。このf-wordを仮に日本語にしたとすると会話としては非常に不自然なものになってしまいます。それほど英語の性関連罵倒用語と日本語の用法が異なるということですね。末尾に、埋め込んでおきます。

この本は、カスタネダのハーレムに属する女性の生活が中心となっている内容なのでアメリカの女性たちの性にたいする(当時の?)意識がよくわかります。
また、あたしのような凡庸な男からみると、ここにいる女性たちがみなかなり好色のように思えます。

彼女たちが別に好色なのではなくて、実は女性一般の考え方ならば、そうならそうと早く言ってくれればいいのにとゲスなことを考えてしまいました。

著者のAmyも後半、「わたしの書いたハーレムの性生活の様子は、いろんな受け取り方をされると思う。中にはうらやむ人もいるのではないだろうか」と書いています。

2016年12月18日日曜日

Amy(1) 『呪術師の弟子:カルロス・カスタネダとの人生』 (概要 1/2)

ついに、あたしの「カスタネダの旅」の真打?といってもいい文献『呪術師の弟子:カルロス・カスタネダとの人生』 (Sorcerer's Apprentice: My Life with Carlos Castaneda)をご紹介する時がきました。

本編のおさらいが全部済んでからの方がいいかとも思ったのですが、後期作品群が、ご案内のように結構かったるいので、ここでキリっとAmyの方がいいかなという流れです。

さて、著者のAmy Wallace(1955年7月3日~2013年8月10日)は、米国の著名なベストセラー作家、Irving Wallaceの娘です。

ウィキペディア(米語版)によると、

Irving Wallace (1916年3月19日~1990年6月29日)は、アメリカのベストセラー作家・脚本家である。Wallaceは、緻密な調査に基づいた作風、特にセックスをテーマにした作品で知られている。
ある評論家[誰?]は、彼のことを”あらゆる三文小説の書き手の中で最も成功した人物である。というのも彼がそのジャンルを卑下することなく真剣に提唱したからである”と述べている。Wallaceは、ブルーカラーのための作品を書いたブルーカラー作家である。評論家の多くは彼の起伏のない文章と個性のない登場人物たちについて批判的である」(訳:あたし)

と、皮肉っぽい書きっぷりが気の毒ですが、とにかくベストセラー作家ですので当時のアメリカでは、誰もが知っている著名人だったようです。

Amy Wallaceは兄と妹の二人兄妹で、本人も作家として、そこそこ成功した作家でした。
「そこそこ」なのは、彼女に関するエントリーが日本語版ウィキにはないことでも知れます。

近年(2002年)にカスタネダと恋人であったことを公表し、2003年に出版された本が、この『Sorcerer's Apprentice: My Life with Carlos Castaneda』です。

カスタネダの「恋人」と書きましたが、正確にいうと「恋人集団の中のちょっとだけ特別な一人」、カスタネダの死期が迫ったころには「愛人集団の中のちょっとだけ特別な一人」となります。

今回、あたしが購入したのは、改訂版の2007年のものです。再版されてますので、あちらでは商業的には成功したと言えるのではないでしょうか?

日本では、カスタネダ自身の知名度が低いので、米国と同時に出版されていたとしても売れなかったと思います。

彼女は、2013年、心臓病で58歳の若さで亡くなられています。
本文を読むとわかりますが、若い自分にけっこう身体を酷使して薬漬けになってますしストレスも相当だったのではないかと思います。
ありし頃の姿は、例のBBCの番組映像でご覧ください。

この本は、ニューエイジのグル、カルロス・カスタネダの正体を暴いた本でもありますが、カルト宗教の体験記としても貴重なものです。

あたしたちが本当に知りたいのは「ドン・ファン」の姿や真の教えなのですが、残念ながら、それらの情報はありません。
作家として成功した後の、カスタネダと弟子たちの悲惨な物語です。

この本は、全部で47章の本文とエピローグ、そして「2007年度版に寄せて」と「付録」という構成になっています。

「2007年度版に寄せて」は重要な情報なので全訳を紹介します。
また、付録は、以下のものがあっていずれも貴重な内容なので、付録AとBも全訳を紹介する予定です。

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◎付録A 主要な登場人物紹介
(A Guide to the Cast of Major Characters)
◎付録B 彼らはいまどこに?
(Where Are They Now?)
◎付録C カルロス・カスタネダの遺言と死亡証明書
(Carlos Castaneda's Will and Death Certificate)
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2016年12月17日土曜日

スナフキンのハーモニカ

先日、ムーミンのお店で(っていっても人間がやってる店です)ムーミンのスマホカバーを買ったところ銀座松屋でやっているムーミンの展覧会「ムーミン絵本の世界展」の招待券をくれました。

(実は、ムーミンのスマホカバー、これで三つ持っています)

展覧会はさておき、必ずグッズショップがあるだろうとふんだあたしは、満を持して出向きましたが、そのかいがありました。

なんと、スナフキンのハーモニカを売っていたのです。(写真)

しかも。製造元を見たら、鈴木楽器ですよ。
こりゃおもちゃじゃないぞと即購入しました・・・二個。
一個は吹くため。もう一個は保存用。

配列は、10ホールズと同じ、6番穴の吸いがラで7番穴の吸いがシになってます。
おあつらえ向きじゃあないですか。

サイズ比較ができる写真を撮ればよかったのですが、ハーモニカの長さは、4センチ5ミリ。小さいです。(穴の数は4つ。ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド)

Hohner Little Lady
ホーナーのリトル・レディ(長さ3.5センチ)よりは少し大きい感じです。リトル・レディも音数は、スナフキンと同じです。

小型のハーモニカでは、他にザイデル社の6つ穴のBig 6がありまして、こちらは普通の10ホールズを短くした感じです。すんずまりになった10ホールズ。

キーホルダーだから小さいのかもしれませんが、はじめスズキのハープマスターをベースに普通の大きさのものを作ってくれればよかったのにと思いました。

でもね。よくよく調べてみると、ムーミンの登場人物たちというか生き物たちの身長は非常に小さくて30センチくらいなのだそうです。(原典での裏取りはしていません。あしからず)

すると、通常の10ホールズは長さが10センチ。展覧会で売られているスナフキンのハーモニカは、その2分の1弱ですから。
おー!!これは本物のスナフキンのハーモニカじゃあないですか。
スズキやるなぁ。

ちなみに、今日、演奏してみましたが、右端の4穴の吹き吸い(ド・シ)が少し固めでした。
試し吹きをした曲は、アニー・ローリー、アメージンググレース、キス・ザ・ブラーニー・ストーンです。

キス・ザ・ブラーニー・ストーンは、10ホールズ独特のラ・シ・ドのあたりで吹き吸いが入れ替わる配列に慣れるのに最適な曲でして、チャーリー・マッコイの教本にも出ている軽快なアイリッシュです。
谷の仲間とのパーティでは、受けるかもです。

2016年12月16日金曜日

冷え防止と片足立ちとダイエット(3/3)

さて、次はダイエットです。

昨年(2015年)の3月に鼠径部ヘルニアの手術をしました。ヘルニアが発症した原因は、あたしの推測ですが、その前年の8月から進めていたダイエットというかシェイプアップにあると思っています。
Highclere Castle.jpg
ダイエットに関してはあたしは妙な自信を持ってまして、痩せようと思うときっちりある程度目標までもっていけていました。今回も、職場の異動の関係で食生活が変化したためかなり太ってしまい、一念発起したのです。

新しい職場は、まるでダウントンアビー(笑)のような食べ道楽だったら大喜びの職場だったのです。あいにくあたしは食については執着があまりないので、ブランソンのような孤立感を感じていました。

その際のダイエットの方法については詳細を割愛しますが、炭水化物を半減する。間食を一切しない。腹筋をする。
この三つです。

そして、この腹筋がヘルニアの原因だと思っているのです。

さて、手術をした後、体力が十分に戻る前に酒席に出た挙句、大風邪をひき、生まれてはじめて風邪で会社を一週間休んでしまったのです。
この寝込みのせいで、ダイエットで減っていた体重がさらに減り、ズボンのベルトがゆるゆるになってしまいました。

そこでベルトの穴二つ分。約5センチくらいを切って縮めました。

ま、そんな経過の反省で、ダイエットも考え物だなと思い。「白米」も普通に食べ、おやつも量は減ったものの勧められれば食べ、むしろ少し体重を増やそうと思いました。

そんなこんなで一年経ち、2016年の秋くらいに穴二つ分縮めたベルトが、少しきつくなって戻って穴一つ分くらいになってきました。あえて太ろうと思っていたのでよかったわけです。

そんな体重・体形状態の中、前述の片足立ち体操をやりつづけていた日常。

ふと気づいたら、またベルトが穴二つ分くらいに痩せていることに気が付いたのです。

む?まてよ、と思ってGoogleで、「片足立ち ダイエット」と引いてみたところ、なんと「片足立ちダイエット」という用語があるではないですか。

あたしは、冷え対策のつもりでやっていたのが、知らない間にダイエットも一緒にやっていたということを知ったのです。

非常に得した気分です。

そうそう、肝心の冷えですが、まだ冷えますが、確かに少し改善しましたので、片足立ちはこのまま継続していこうと思います。

2016年12月15日木曜日

冷え防止と片足立ちとダイエット(2/3)

片足でしばらく立っていると、どのような状態のときに「ふらつくのか」、どうすれば、ふらつかずに立っていられるかというのがわかりました。

ふらつくのとそうならないのは、当たり前ですが表裏です。
今朝、テレビで医者が「腸を健康に保つには、腸を元気にすることです」と言っていました。

意識を覚醒させて、一点をきちんと見つめるとふらつかない。あたしの場合は、歯磨き中ですから、例えば立ててある歯磨き粉のチューブの先端とか蛇口の先端などをじっと見つめます。

追記)それと、きちんとした呼吸を意識するといいようです。

逆に、そうした意識の集中がとぎれてふっと考え事をしたり、もっとわるいのは完全にぼうっとしているといきなりグラっときます。

あたしは、前述のカドペーサーの時に、歯磨きの方向を変えるのですが、その際、意識と動作に変化がおきるのでグラっとなりやすいです。

あたしのように、ついでにやるのでない場合や電動歯ブラシを持ってない方は、タイマーアプリを活用するといいと思います。

iOSですと「IntervalTimer」という素晴らしいアプリがあります。(有料ですが価値があると思います)普通の歯ブラシを使っている方もこのアプリを使うと歯磨きが上達するはずです。
コマーシャルの15秒であれだけ表現できるのを見ても二分間という時間がいかに長いか実感できます。

記載のように、あたしは通常の電動歯ブラシに加えて、プリニア(ドルツ(パナソニック)のOEM)にタフトブラシをつけてさらに二分間磨いています。

そこで最近は、片足立ちを二分間に延長。都合、四分間するようにしています。

2016年12月14日水曜日

冷え防止と片足立ちとダイエット(1/3)

閑話休題。

辛気臭い話ですが、非常に役に立ちそうな話をひとつ。

数年前に、リヨン(仏)に仕事で行ったとき、いきなり冷え性になりました。特に足首の表側ってんですか。足の甲側の足首です。

会議室がめちゃくちゃ寒くて。
ウェブ関連の会議ですからおおむね全員、ノートパソコンを持って会議室にいますが、あたしは自前のThinkPad(レノボじゃないやつ)を暖房代わりに足首の上に乗せてました。

リヨンってのは学術都市だそうで、世界遺産のある街並みの他にちょっとだけ郊外に出ますと筑波学園都市にそっくりな味気ない寒々とした風景がありまして、だから寒かったのか?

発症した冷え性はその後、進行しまして、昨今はふくらはぎのあたりもジンジン冷えてきてます。いろいろ寒さ対策のスパッツやらレッグウォーマーやらを買っているのを見た家人が、それは筋肉が落ちているからだと指摘。

ついては試しに、片足立ちをやってみろと言われました。
ちょうどテレビでそんな健康番組を見たところだったようです。

片足づつ一分間です。そうすると足首やらふくらはぎに筋肉がついて冷えが少し解消するらしいと。

ま、簡単なので励行するようにしました。

いつやるかといいますと、前にも書いていますが、日常に習慣をつけるのは意外と大変でたとえ1分(両足で2分)でもなかなか身につかないものです。
そのことを実感しているあたしは、一計を案じました。

歯磨きを片足でやるのです。

電気歯ブラシは、クアドペイサーという機能がありまして、30秒ごとにピっと鳴って利用者が上下や左右など方向を変える目安にして満遍なく磨く習慣がつくようになっています。

余談ですが、クアドペイサー(日本語ではカドペーサー)は、ソニッケアの造語だと思われます。スペルは、quadpacer。quadで4分の1。pacerは、ペースを配分する、ってことです。
この機能は、最近ではソニッケア以外の電動歯ブラシにも搭載されています。

歯ブラシは、一回2分ですから、ちょうど片足づつ1分。歯磨きは必ずやる習慣ですので新たに「片足立ちやらなくちゃ!」と勇まなくていいというメリットがあります。

さっそく家人に言われた日のその晩から始めました。
外でお酒を飲んだ日は、ふらつきますので軽い飲み以外の時は、無駄なのでやりません。
てなことで本稿執筆時で1カ月くらい経ちました。

この片足立ちですが、「運動」といわれるくらいなので意外と一筋縄ではいかないことがわかりました。ふらつくんですね。ま、もしかするとふらつくのをこらえるのが運動なのかもしれませんが。

(つづく)

2016年12月13日火曜日

環(13) 6 第二の注意力

『力の第二の環』の最終回です。

カルロスがみんなに加わり出発しなくてはならないとラ・ゴルダが言いました。(だからどこへ(笑))
これから自分たちが持っているものを壊すのだといい、「第二の注意力」についてラ・ゴルダとの長いディスカッションがあります。

カルロスは、ドン・ファンと歩いているとき、落ちてくる岩で死ぬかもしれなかったエピソードを想起します。また、カルロスがメキシコシティの航空会社のロビーで時空を超えたのは10時でしたが、それが彼の新しい時間なのだそうです。(環320)

このあたり、あたしには、意味深な印象のエピソードを並べているだけのように思えました。

それからナワールがしてくれたテーブルと包みを利用したトナールとナワールの講義があります。

この内容について本書のあとがきで訳者による図解がありますので詳しくはそちらを参照してください。実はあたしは軽く読み流しているだけです。(環326)

ラ・ゴルダとの見つめることの修行についての長いディスカッションが続きます。(環323~336)

ここで、第二の注意力を集めるための体術の紹介があります。(環337)
でも「第二の注意力」は、異次元のことなのか、はたまた「集めるような」文字通り「力」なのか判然としません。

カルロスは、姉妹たちと一緒に家の表に出て動作を行います。
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まぶたを半分閉じ、ふたつの大きな丸い丘が重なっているところを見つめるようにと、彼女が言った。(中略)見つめることには四つの別々な動作がふくまれている。最初は、帽子のふちで余分な陽の光を遮り、必要最少の光だけを目に入れる。次にまぶたを半分閉じる。三つめは、目に入る光を一定に保つためにまぶたのあけぐあいをうまく保つ。そして最後に、まつ毛を通る光線の網目を通して、その谷を背景のなかで分離する。
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このあと、おなじみの立体視の目の使い方をして景色をみます。
ずっと座ってると第二の注意力が集まるのだそうです。

その後、戦士の力の起立を見せてもらいますが詳細は割愛します。(環349)

暗い部屋の中に入り、四人で抱き合っているうちに彼らは非日常的感覚に入っていく。
気が付くと、パブリト、ネストール、ベニーニョの三人がいて水をかけて庭に倒れている彼らを目覚めさせてくれました。
いつの間にか自分たちが庭に移動していたことに気がつきます。

ラ・ゴルダはでかけるでかけるといいます。

またでかけるそうですが、この本では結局、その後のアクションも事件も起きません。
多くの読者が言っているように、この『力の第二の環』以降の著書は、最後の『無限の本質』まで、わりと退屈な内容が続きます。



2016年12月12日月曜日

環(12) 5 夢見の技術

ラ・ゴルダがカルロスに「忍び寄りの術」について説明をしてくれます。(環254)

ラ・ゴルダは、夢見の人。カルロスの分身(二倍の分身)は夢見なのだそうです。
ドニャ・ソルダードと死んだ娘の関係、ホセフィーナと彼女の母親の関係を例にとり力の話をします。(環273)

続いて、注意力についての説明。(環279)そして、その男女の違いについて、ラ・ゴルダの解説が続きます。

そこに、三人の妹たちが加わり、カルロスに盟友を呼ぶようにラ・ゴルダがいい(環292)、口笛で盟友を帰らせます。

妹たちが部屋の中で、壁に垂直になった状態で滑ったり気味の悪い芸当を見せてくれます。そしてカルロスは、いつのまにか、家の中にいると思っていたのに丘の上にいたことに気づきます。

ラ・ゴルダは、わたしたちが盟友に投げとばされたのだと言います。(環304)

そこで、カルロスは妹たちの芸当を実際に「見ていた」ことを思い出しました。(環306)

これらの体験からカルロスが理解した内容を引用します。
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ドン・ファンは、わたしたちの存在の核となっているのは知覚の技術であり、わたしたちの存在の魔力は認識の技術だ、と言っていた。知覚と認識はひとつの、機能的な、分離しえない単位、ふたつの領域をもったひとつの単位になっていたのだ。第一の領域は「トナールの注意力」だ。言い換えると、日々の生活を送る日常的な世界で知覚し、認識するふつうの人々の能力だ。ドン・ファンは、この注意力の形式を「力の第一の環」と呼んでいた。そしてそれを、日常的な世界での近くに秩序を与える畏るべき、しかしあたりまえの能力だ、と言っていた。
第二の領域は「ナワールの注意力」だ。それは非日常的な世界で認識する呪術の能力を言う。彼は注意力のこの領域を「力の第二の環」と呼んだ。あるいは、非日常的な世界に秩序を与える驚くべき能力、とも言った。その能力は、わたしたちだれもが備えているのだが、呪術師しか使わないのだ。(環309)
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なんだかんだといちゃもんをつけていますが、ドン・ファンの知覚に関する知見は、ドン・ファンオリジナルのものなので上記の認識は非常に重要です。

夢見をするためにはエネルギーが必要なのだそうです。(環310)

エネルギーを得る最良の方法は、目に、とくに左目に陽の光を入れることだ、とドン・ファンが言っていました。
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半分閉じた左目に陽の光を入れて、ゆっくりと頭を左右に動かすのだ。使えるのは太陽だけでなく輝く光ならどんなものでもいいということだった。(体術)(環310)
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ラ・ゴルダが出発するころだと言いました。

場面転換がないためでしょうか、どこにいても、いつでも、ずっと出発すると言い続けているような気がします。

2016年12月11日日曜日

環(11)4 ヘナロの弟子たち(2)

カルロスは、パブリトにあの日、ネストールも底なしの深見へジャンプしたのだと言われ驚きます。
ネストールは、(みんなを目撃したので)それでウィットネス(目撃者)と呼ばれるようになったのだそうです。

カルロスがネストールにジャンプのことを尋ねます。

ネストールは、カルロス、パブリトの二人のあと、しばらくしてからジャンプしました。(環234)
彼は、二人のジャンプを「ウィットネス」として見届けたのです。

ふたり(カルロスとパブリト)は抱き合って、あの端へ走って行くのが見えた。それから、ふたりとも凧みたいに空へ舞ったんだ。パブリトはまっすぐ飛んで行って、落っこちた。きみは少し上へあがって、あの端から少し離れてから落っこちたよ

カルロスはそれは幻覚ではなかったかと尋ねますが逆にあきれられてしまいます。
それから三人でのジャンプ議論が続きます。

二人のジャンプの後、ネストールは神経がずたずたになって気を失ってしまいます。(環239)
意識がもどってドン・ファンとドン・ヘナロを捜しましたが二人は、行ってしまったあとでした。(どこに?)

ドン・ファンとドン・ヘナロは、二人がジャンプをしたあと手をふってネストールにも別れをつげていたのです。

悲しくなったネストールは、コヨーテになってジャンプしたのだそうです。

生き返って気がつくと、マザテックの老呪術師、ポルフィリオ(Porfirio)の小屋で座っていました。それからポルフィリオの元で修行をします。

マザテックは、ドン・ヘナロと同じ部族です。このポルフィリオという人は長いドン・ファンのシリーズでもここにしか登場しませんが、ヤキ・インディアンが幻覚性植物を使わないというのが正しいとすると、ドン・ファン=実は、マザテック説というのもあり得るかもしれません。(もちろん、ホイチョル族説も有力です)

一方、エリヒオはベニニョと一緒にジャンプしたそうです。(環242)

カルロスがジャンプのあと(生き返ってから)見た生々しい夢や幻影、中でも不思議なチャコールグレーのドームについて話すと、そのドームに、ナワールとヘナロがいるのだと告げられます。(環246)

ラ・ゴルダがいきなりやってきたので男たちは、そそくさといとまを告げました。

なんだか、登場人物が、脈絡なく行ったり来たり、出はいりしているだけのように思えます。

2016年12月10日土曜日

環(10) 4 ヘナロの弟子たち(1)

家に戻ると、妹たちはソルダードの回復を手伝って不在でした。
その家に、ヘナロの弟子たちがこれからくるそうです。

これまでパブリートが家のリーダ格でしたが、とにかく人望がありません。
ラ・ゴルダは、彼女を迎えに来た(?)リディアと一緒に出て行いきましたが、昼過ぎにもどってきました。

それにしても、右往左往しているだけで、何も事態が進まないのがこの本です。

さて、そこへパブリートが来て、いきなりカルロスをマエストロと呼びます。

彼は、ラ・ゴルダと険悪な関係だとカルロスにうったえます。

カルロスが知りたかったあの深淵に飛び込んだときのことを聞きますが判然としません。
パブリトは、目が覚めたら昔のヘナロの家にいたそうです。(環204)

そして、女たちに家を追い出されて、三人(ネストールとベニニョ)で一緒にヘナロの家で暮らしているのだそうです。
これからヘナロの家に行こうと誘われますが、ラ・ゴルダにとめられます。(環208~9)

ナワールは彼らのことをトルテックと呼んでいたそうです。
トルテックとは、謎を受け取る者という意味だそうです。ドン・ファンが、彼らを呪術師とか魔女というかわりにトルテックと呼んでいたことは、カルロスは知りませんでした。

パブリトはラ・ゴルダたちを本当は嫌いなんかじゃないともいいます。
パブリートの母は、かつては美しくマヌエリータと呼ばれていたそうですが、ドン・ヘナロとナワールに出会って、マヌエリータは「殺され」、魔女ソルダードになったのだといいます。

パブリトは、自身のヘナロ、ナワールたちとの出会いについての話します。

彼の親方が病気になってかわりに町へ行って恋人ができ、店で彼女とセックスができるように細工をしたところ店が揺れているのをヘナロたちに見つかってしまったというような話をします。(環217)

そこからじわじわと二人のワナにはまって呪術師の世界に陥っていく過程ですが、恋人との普通はあり得ない状況でのセックスが呪術への入り口というシナリオは、タイシャ・エイブラーのエピソードと非常に似通っています。

パブリトは、屋台の下に隠れてのセックス。タイシャもお店の厨房でのセックス。
いずれもカスタネダの好きな性的嗜好または幻想なのだと思います。

そこに到着したネストールとベニニョが話に加わります。
ネストールは、以前と比べ精悍になっています。
ベニニョはなにやら様子が変です。
そしてラ・ゴルダまでもがカルロスを「ナワール」だと言い出しました。

男性陣は、四人の女姉妹たちの悪口をいい募ります。

2016年12月9日金曜日

環(9) 3 ラ・ゴルダ(2)

ラ・ゴルダは、以前の夫との荒れた結婚生活からパブリトに出会い、そしてナワールに出会うまでの半生をカルロスに語ります。

子供を産んだことにより失われた自分の完全さをとりもどすために、二人の子どもとの愛を断ち切った話をします。

これはカスタネダの「教義」というかカルトの基本となる親類・友人・縁者と縁を切らせる考え方ですが、ドン・ファンが当初言っていた「履歴を消す」という考え方とかなり異なっている気がするのです。カルロスが出会った当初、ドン・ファンはお嫁さんや息子と普通に日常生活を営んでいましたからね。

すると、ラ・ゴルダがとつぜん「(完全さをとりもどしたので)子どもなんかもったことないのよ」といいスカートをまくりあげて自分の性器をカルロスに見せました。(環155)

ドニャ・ソルダードの誘惑の仕方などとよく似た、露骨な動作です。
これは、タイシャ・エイブラーの『呪術師の飛翔』にも表れる表現で、いずれもカルロスの著作に共通の表現というか趣味?かと思われます。

ここで、ラ・ゴルダより、ナワール(ドン・ファン)には、息子が三人と娘がひとりいたと語られます。(環158)

これが部分的に真実としますと、かつて事故で亡くなったドン・ファンの息子は三人の内の一人ということになります。

ラ・ゴルダが自分のかすかな光をみせるといってスカートの手の中にいれてスパークを飛ばしますが、これは後に述べられる内容で小便だということがわかります。(環161)

ラ・ゴルダは、これでナワールとヘナロが持っていた四つの盟友に会う準備ができたといいます。
リストアップしますと、

1)ドン・ファンの直方体(モノリス系)
2)ヘナロの巨大な目をした真っ赤な男

この二つにはカルロスよく出会ったと言いますが、以下の二つには一度しか会ってないそうです。

3)黒いジャガー
4)大きなコヨーテ

盟友の登場に怯えたゴルダが「両手におしっこ(piss)をかけて」といわれ戸惑うカルロス。(環165)
おしっこのスパークが近づいてくるものを追い払うのだといいます。

でも、自分で呼んでおいてどうしてそのように慌てるのでしょう?支離滅裂です。

二人は、逃げ惑いドン・ヘナロに家にいくことにします。

ドン・ファンもドン・ヘナロも自分の親指大のくびれのあるひょうたん(gourd)に盟友をしまってあったのだといいます。

盟友は、ポケモンや陰陽師のお話に登場する式神でしょうか。
ひょうたんは、初期の作品にもしばしば旅の道具として登場しますが、初期のドン・ファンは、ひょうたんに盟友が入っていることはまったく触れていません。

そこで、カルロスにはジャガーに見えていた盟友が、ラ・ゴルダには別の形態に見えていたことがわかり盟友の見え方は様々で実態がないものだということがわかります。

次に、ラ・ゴルダは、カルロスに人間の鋳型(human mold)の説明をします。

それにしても、修行期間が短いラ・ゴルダがまるで師匠のようになんでも知っているのでしょうか?
著者のカスタネダとしては、師匠なき今、作品の中で教師役を作り上げるしかなかったのかもしれません。

細々とした呪術の奥義をラ・ゴルダと話し合ったあと、二人は盟友を呼び出す実験をしてみました。
突然巻き起こった風にラ・ゴルダは空に吹き上げられてしまい落下してふわりと着地し、二人は、妹たちの家に逃げ帰ります。

2016年12月8日木曜日

環(8) 3 ラ・ゴルダ(1)

ラ・ゴルダとの話を聞いているうちに、この家で受けた数々の仕打ちに腹がたって来て家を出ると彼女が車に乗りこみついてきました。

そのとき、ラ・ゴルダが家と丘に対する別れの挨拶をします。(環133)
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両手の指を組んでへその下に当てた。そして向きを変え、谷に向かって同じ手の動作をくりかえした。(体術)
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これは子宮がある女のしぐさで、男は手を胸のところにあてるのだそうです。

ラ・ゴルダは、ドン・ファンとドン・ヘナロがどこにいったか知っていて、そこへカルロスを連れていくように言われていると告げます。(環135)

ですがカルロスは今は不完全なので、その場所を今教えるわけにはいかないと言われます。

カルロスは、はじめはメキシコシティに行くつもりでしたが、ラ・ゴルダにナワールと行っていた山に行ってほしいと言われそこに向かいます。

到着したのは以前、ドン・ファンとすごしたことのある峡谷にある洞穴でした。(環137)

「力の戦い」で過ごした洞穴でしょうか?

ラ・ゴルダによると子どもをもったことのある人間は不完全な人間で、お腹に穴があいているそうです。(環138)

お腹の左側に穴がある場合は、その穴を作った子どもは自分と同性、右側にあれば異性。左側の穴は黒で、右側の穴はこげ茶色だと言います。

「あなたの右脇にはこげ茶の穴があるわ」
「ということは、あなたをからっぽにしたのは女ね。あなたには女の子がいるでしょ。」(環139)

この「女の子」は、カスタネダのペルー時代の婚約者が生んだ子供です。(こちらのエントリーもどうぞ

ラ・ゴルダには、もともと二つの穴がありましたが、ひとつはナワールが手伝って塞いだそうです。

「ナワールが、あなたにはあなたも会ったことのない娘がいる、と言っていたわ。それであの男の子を愛しているんだって」(環141)

その婚約者の子供とカスタネダはその後、会っています。

カルロスは、男の子のことをはなしはじめます。
もちろんC.J.カスタネダのことです。

カルロスがほら穴を去ろうとすると、ラ・ゴルダは彼がここで力と会う約束があるから去れないとつげられます。
カルロスは、またまたトリックにしかけられているのかと思います。(環145)

カルロスやドン・ファンがトリックという場合、訳語が「罠」となっていることも多いようです。
ここでいうトリックは、単にだますというよりは、なんらかの呪術的な試練としての仕組まれた苦難のような意味合いで使っているようです。

2016年12月7日水曜日

環(7) 2 妹たち

ブログ記事の元原稿をあらためて見ますと、できごとが散発的で脈絡がないことがよくわかります。
彼らが何を目指しているのかよくわかりません。

たとえば、会話をする居場所を移動する理由や目的など、対話にメリハリをつけるために入れただけのようにも思えます。

言い訳になってしまいますが、以降の要約や抜粋が箇条書きのような雰囲気になってしまうこともあると思いますがご容赦ください。

ローザとリディアはほっそりとして可愛いく、残りの二人はよく知らないが、エレーナは巨大だった。(だからGordaというあだ名になったのですね)

リディアは、カルロスが先の戦いでドニャ・ソルダードの魂を取ってしまったのだと言います。(環86)

二人の妹たちは、カルロスにばれないように足の動きを通して行う暗号のような沈黙のコミュニケーション・システムを使っていることに気がつきます。(環87)カルロスがわからないと思っているようですが、どうやらリディアが指示する立場のようです。

ドン・ファンは、リディアが才能があると言っていたそうです。
ローザは騒々しくて親しみやすいキャラクターです。(環88)

カルロスは、なんだかんだいわれてまた家の中に閉じ込められてしまいます。

家の外に盟友がうろついていると言われ、それを教えられるのはラ・ゴルダだとローザが言います。

妹たちは、この家には住んでなく何年も前に同じ地区の自分たちの家に引っ越しました。
パブリトもその時引っ越してネストールとベニニョと暮らしています。

男と女と別れたのですね。カスタネダのパンドラ邸と同じです。
逆にパンドラ邸の暮らしかたの方を物語に合わせたのかもしれません。

カルロスにやっつけられたドニャ・ソルダードは、ゴルダがどこかの治療師のところに連れて行ったようです。

ホセフィーナは、ウィットネスを呼びに行ったそうです。聞かないあだ名に戸惑うカルロスに、ネストールのことだと教えます。(refer to 570@pdf of Tales of Power)(環97)

会話の成り行きで、カルロスが感情を爆発させたのをきっかけにローザが呪術で武器のようになった左手で攻撃をしかけてきました。

脈絡がない展開ですが、実際のカスタネダもかなり激昂するタイプなのでありえない話ではないです。

ふたたび首の後ろがポキっとなってローザが持っていた棒(手が持っているように見えた)をつかんで砕きました。

首のつけ根で聞こえる奇妙な音は、人がスピードを変える瞬間に出る音だとドン・ファンが言っていたそうです。

(古いネタですが)加速装置ですか?

ローザの攻撃は「夢の手」というもので、痛んだ彼女の手は、攻撃したカルロスしか治せないそうです。

ドニャ・ソルダード(の幻影)の額とローザの手からカルロスの目には見える黄色いネバネバを取って治療?しました。

その後、リディアとローザを車に乗せて出発しますが、行く当てがありません。
カルロスは、いつの間にか(新ナワールとして)リーダー扱いされています。

カルロスは、彼女たちのところに来てから、頭のてっぺんのむずがゆい感じがして「世界を止める」ことをようやく実感します。(環106)

カルロスの能力は覚醒し、ラ・ゴルダとドニャ・ソルダードの居場所がわかったり、ローザとリディアの家の場所がわかります。二人の家まで行きましたが中には入りませんでした。

カルロスは、リディアにあなたはからっぽ(empty)だと言われます。(環111)
右のわき腹に穴が開いているからだそうです。

子どもを産んだゴルダとドニャ・ソルダードにも穴が開いているそうです。

また、意味がよくわかりませんが、ネストールもドン・ヘナロそのものになってみんなに嫌われていると教えられます。(環113)

そこにホセフィーナが戻って来ました。
ホセフィーナには子供がいて、その子供の父親はナワールだそうです。(環117)

老人やおし(原文ママ)のフリをしたホセフィーナと他の三人の姉妹にからかわれて怒りにかられたカルロスは、また分身を創り出し彼女らと対峙しますが、ちょうどそこにラ・ゴルダが帰宅します。

それにしても脈絡がなく啓発されるエピソードのない展開です。

2016年12月6日火曜日

環(6)1 ドニャ・ソルダートの変身(5)

前項までドン・ファンとドン・ヘナロの師弟(妹)関係の整理のような内容をドニャ・ソルダードがカルロスに教えてきたという流れですが、油断したカルロスにドニャ・ソルダードが不意打ちで襲いかかります。

カルロスは首をヘアバンドで締められますが、苦しくなってきたら首のちょうど気管のうしろあたりでぽきっという音がしました。

この「ポキっ」が、カルロスのダブル(分身)を生み出すスイッチみたいな感じでして、この後、カルロスは、自分が天井の上から見下ろしていることに気がつきます。

幽体離脱ですね。(環71)

カルロスは、怒りにまかせ、自分の幻影のような姿のこぶしでドニャ・ソルダード額を殴ってしまいます。

カルロスの恐ろしい攻撃におびえたドニャ・ソルダードは、戦意喪失してまた語り始めます。

パブリトとエンストールとベニニョはカルロスと目の方角が同じだそうです。

今日、カルロスを攻撃したのは、ナワールに誘惑しろと言われていたからだと告白します。
ナワールがおまえさんは女が好きだから」って教わった。(環76)
The Nagual told me that you like women.)

Amy Wallaceの本を読んだあとでは、まったくその通りだと言わざるをえません。
というか、よく自分で自分のことをぬけぬけと書けますよね(笑)。
B.B.Kingの自伝で彼が友人からセックス中毒じゃないかと言われたって下りがありますが、カスタネダも負けてないと思います。
なってたってセックスするのに飽きちゃうくらいですから

さて、ここで登場したカルロスの分身ですが、翻訳版の本文では、「二倍の分身」となっています。
呪術師の分身については、これまでの巻で、ドン・ヘナロの「ダブル」または「分身」という表現が使われてきていますので、今回、「二倍の」とつけたからにはそりゃ「でかい」か「強い」か「凄い」のだろう。

特に、この本では分身の力によってカルロスが魔女たちを退治するだけに。普通の(って言い方もへんだけど)分身より強力な分身Zみたいなものなのかと思いますよね。

でも一応、原文をチェックしたんですよ。すると「double」だったんです。これまでも分身はずっとdoubleだったので、今回のダブルは特別なものではなく翻訳するなら「ダブル」または「分身」という表現にすべきだったのだと思います。

ダブルには、二倍のという意味もありますが、それ単体で「分身」という意味ですので「二倍の分身」ですとダブル・ダブルです。

ドニャ・ソルダードは、この戦いに勝ったらカルロスは(新しい)ナワールになる、と言います。(環80)

そうこうするうちに、妹たちが帰ってきました。

2016年12月5日月曜日

環(5)1 ドニャ・ソルダートの変身(4)

さて、続いてドン・ファン組の弟子たちについてです。(環63)

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(1)カルロス
(2)エリヒオ
 彼は、完成されたのでナワールとヘナロのところへいってしまったそうです。
 それって死んだってこと?
(3)~(6)ラ・ゴルダと妹三人
(7)ドニャ・ソルダード
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と、今回はここまでですが、その後、(8)フロリンダ・ドナーと(9)タイシャ・エイブラー、それと自称弟子だったという(10)Merilyn Tunneshende
がいますが、この三人は(おそらく、十中八九)ウソです。

つづいて、ラ・ゴルダと三人の妹の詳細に移ります。

◎リディア(Lidia)
ドン・ファンの最初の弟子(環59)。リディアの面倒をみるためにドニャ・ソルダートが雇われたそうです。リディアの少し後に、カルロスをドン・ファンが見つけました。
三年の間、この二人だけが弟子でしでした。(61年~63年)

◎ホセフィーナ(Josefina)
リディア、カルロスに次ぐ弟子。気がおかしくなっていた時、呪医ヴィセンテ(Vicente)に診てもらっているところでドン・ファンに出会ったそうです。弟子になってからドン・ファンをめぐってリディアと争いました。

ヴィセンテは、以前は、ヴィサンテと翻訳されていましたが、以前登場した呪術師との関連性が書かれていて興味をひかれます。カルロスに草を贈った呪師ですね。

女性同士を嫉妬で競わせるのはカスタネダのやり口です。

リディアとひよこの話、ホセフィーナの編み物と木の葉の怪我の話などの逸話が披露されています。

◎エレーナElena(ラ・ゴルダla Gordaのこと)ホセフィーナの入門から一年後に弟子入り。とても太っていました。はじめはパブリトが自分の店で使っていました。最悪の状態(って?)でしたがナワールがひょうたんから盟友を出して救ったそうです。
「最悪」の詳細は書かれていませんが、ラ・ゴルダはからっぽ(empty)だったそうです。

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それから何年かしてエリヒオを見つけた、とあります。
エリヒオ(エリジオ)の入門は、1968年9月14日です。(分離99)



◎ローザ
エリヒオを見つけてひと月したらローザ(Rosa)を見つけました。ドン・ファンは、これで最後だとわかったそうです。

エリヒオの入門時期がはっきりしているので、ローザとの出会いは、1968年10月中旬だということがわかります。
これは同年10月17日に、カルロスがパブリト、ネストールと一緒にドン・ヘナロの滝渡りを見た頃です。

ここでは、ローザが豚をおいかけていたエピソードが紹介されています。

◎ドニャ・ソルダード

ドン・ファンの弟子になって七年間と言っています。
カルロスは、ドニャ・ソルダードこの日まで5年間会ってなかったそうです。(環68)

(現在~カルロスとドニャ・ソルダードの対話~が)73年から76年の出来事とすると、ドニャ・ソルダードがドン・ファンに入門したのは、66年から69年の間のどこかということになります。

長くなってしまいました。また稿を分けます。

2016年12月4日日曜日

環(4)1 ドニャ・ソルダートの変身(3)

次のエントリーの「ドニャ・ソルダートの変身(4)」との関係で本稿は少し短めです。

ドニャ・ソルダードによると、ラ・ゴルダはカルロスがよりも後からドン・ファンの弟子になったそうで、ここから他の弟子たちについての説明が始まります。

まず、カルロスが実際に弟子入りの儀式に立ち会ったエリヒオの話が出ます。(環53)
彼女によると、エリヒオはもうこの世界にはいないそうです。エリヒオはずばぬけて優秀だったから崖から飛び降りる必要がなかったのだと言います。

カルロスが崖から飛び降りた時、実は、彼も含め四人がジャンプしたと言われます。
(『力の話』では、たしかにパブリトとカルロスの二人だけだったように描かれています)

カルロスは、だとするとドン・ファン、ドン・ヘナロ、パブリト、カルロスの四人がジャンプしたのかと尋ねると、カルロスとヘナロの三人の弟子のことだと言われます。

カルロスは、パブリト(Pablito)とネストール(Nestor)は知っているが弟子がもう一人いたのは知りませんでしたが、ドニャ・ソルダードが、それはベニーニョ(Benigno)だと教えてくれます。

ベニーニョは、メキシコ南部出身で、ヘナロの一番古い弟子だそうで昔砂漠で出会った5人の若いインディアンの一人だそうです。(一応、リンクを張ってみましたが、リンク先の記事の若者たちは四人なんですよね。違う連中なのかもしれませんね)

ベニーニョは、先生(ドン・ヘナロ)と師(ドン・ファン)の両方をみつけたられたから幸運なのだそうです。

さらに、これまでパブリトの姉妹だと思っていた四人の女性は、みなナワール(ドン・ファン)の弟子だったのだそうです。(環55)

ドニャ・ソルダードは、弟子たちはみなナワールの子供なのだといいます。
ドン・ファンは、女が四人と男が二人、都合、六人の子どもを作り、ヘナロは男を三人。弟子の総数は二人の師匠で全部で九人だそうです。(環57)

■ヘナロ組の弟子

◎ベニーニョ
◎パブリト
◎ネストール

男性は、名前だけであっさりですが、次回は、ドン・ファンの弟子たちを少し詳しくリスト・アップします。

2016年12月3日土曜日

環(3)1 ドニャ・ソルダートの変身(2)

(ご注意)ちょっとだけ性描写あります。

カルロスは、なかば強引に部屋につれこまれてしまいます。

ドニャ・ソルダードがナワールに習って作った粘土板の床は、呪術の力がそなわっていて、カルロスは、ドン・ファンがドニャ・ソルダートを弟子にしていたのだと思い至ります。

リアリティの高く感じられる呪術ですよね。うまい!

ドニャ・ソルダードが、いきなりスカートをぬいで股のあいだをなでつけながら「二人はひとつになるんだ」と叫んで迫られます。(環23)
戸惑う、カルロスに、彼女はドン・ファンにカルロスを誘惑するようにいわれたといいます。

ムードが高まっているならいざしらず、このような露骨な態度で誘惑できると思う表現が理解を超えます。これに類する表現が他でも散見されているし、Amy Wallaceの著書にも実際にそんな場面があります。西洋人文化とわれわれの違いでしょうか?

その後、車に逃げ込み脱出しようとするカルロスを巡って表にいた犬も交えた三つ巴の争いが繰り広げられます。
強力な呪術で脱出がかなわないと見たカルロスは再び家に逃げ込みます。

その後、カルロスとドニャ・ソルダードの対話が続きます。
彼は、パブリトもネストールも自分も、もう何年もドン・ファンやヘナロの弟子として修行しているのに、いっぱしの呪術師になれていない。
なのに、ドニャ・ソルダートがこんな短期間でなれるのだろうか?という疑問を持ちます。(環30)

あたしも不思議です。この後に登場する四姉妹、特にラ・ゴルダの熟練度が不思議です。
ちなみに、ラ・ゴルダ(la Gorda)のgordaは太った女性というスペイン語だそうです。

二人は、自分たちと風向きについて話します。
ドニャ・ソルダートは北風なのだそうです。(環40)

この巻以降、フィクションであることがわかっているのに、こうした意味深なメッセージやシンボルについて記す必要があるかどうか迷うところですが、一応ということで。

ドン・ファンがラ・ゴルダ(la Gorda)に関わっていた(要するに男女の間柄だった)とドニャ・ソルダートがいいました。
カルロスは、ドン・ファンと女のかかわりをこれまで聞いたことがありませんでした。(環43)

あたしたちもです。だって実在(従来?)のドン・ファンは、普通の家庭人だったからですよね。

ドニャ・ソルダートは、ドン・ファンに自分の「方角」を変えられたことをカルロスに告げます。カルロスも実は、同じことをされたといいます。

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わたしはそのことについて人と話したことが一度もなかった。
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この展開は、”テンセグリティ”と同じ流れです。

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(ドン・ファンが)20フィートくらい離れたところに小さな火を二つおこした。
首を左にねじって肩を動かさずに目をもう一方の方に向けさせた。
新しい方角は南東だった。(体術)(環45)
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ドン・ファンのガヘ(ひょうたん:gourd)と盟友やメスカリトとの関係についての説明がされた後、風と女の関係について述べられています。(環51)
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そよ風は東。陽気で、口が上手で、あてにならない。
冷たい風は西。機嫌が悪くて、ゆううつで、いつももお思いにふけっている。
暑い風は幸せで、放埓で元気いっぱい。南風。
強い風は北。精力的で、人のものを取りたがって短気。
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血液型占いのようなイメージですね。

2016年12月2日金曜日

環(2) まえがき~ 1 ドニャ・ソルダートの変身(1)

■まえがき

前期作品群のクライマックス『力の話』の最後で、シエラ=マドレ山脈の西斜面にある平らで荒れた山頂から深淵に飛び込んだあと、こうして続編を書いているカルロス・カスタネダは、自分に一体何が起きたのか? その不思議にとらわれています。
幻覚のように思えたのに、確かに谷底へ飛び込んだような気がしています。

そして、ドン・ファンとドン・ヘナロという二人の師匠が「もはや手のとどかないところにいる」という寂寥感。(環9)

その秘密を探るためにカルロスは、再び、ドン・ヘナロの弟子たちに会いにメキシコに向かいました。

■1 ドニャ・ソルダート(Dona Soledad)の変身

カルロスは、自分が本当に崖から飛び降りたのか確認するために、パブリトとネストールに会いに行くことにしました。

時期については記していませんが、(パブリトたちが実在の人物だったとすると)この本は77年出版ですから執筆が半年前として73年から76年という感じでしょうか。
ドン・ファンが亡くなった(あるいは会わなくなった)のが上記の時期ですので辻褄はあっています。

彼らは家にいないような気がしたので町に行くことにします。
ドン・ファンに会えるかもしれないと思いながら市場などをぶらぶらしています。
いまだに、ドン・ファンが生きているあるいは会ってくれると思っているわけです。

でも、これまではこんな場合にひょこっと現れるドン・ファンに会えません。
そして「彼は行ってしまったのだ」と嘆きます。(環11)

再会をついに諦めて、またパブリートの家に行くことにします。
彼が以前会っていた時、ネストールは一人暮らしをしていました。
パブリトは母親と四人の姉妹と暮らしていたので人気の多いパブリトの家を選んだわけです。

しかし、迎えに出た彼らの母親のドニャ・ソルダートの様子が何かおかしいのに気づきます。
50代後半以上だったはずなのに、二十歳も若く見える上、カルロスを誘惑しています。

二人の会話です。
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「ヘナロはもう帰ってこないよ」
「それじゃ、ドン・ファンは?」
「ナワールも行ってしまった」
「どこへ?」
「知らないのかい?」

わたしは、二年前にふたりともわたしに別れを言ったことを、わたしの知っていることといえばそのときに彼らがどこかへ出発したことだけだと言った。

「もう戻ってこないだろうってこともたしかさ」
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いつまで経ってもカルロスだけが状況を知らないようです。

2016年12月1日木曜日

呪術の彼方へ ~力の第二の環~(1) 概要

初期の四巻までのおさらいが一通り済みました。

これ以降は、ドン・ファン(が誰であれ)との対話という元ネタがなくなりカスタネダ独自の世界が登場人物たちの口を借りて語られていきます。

内容は以降、虚構だけになっていくので、おさらい作業はやらなくてもいいのではないかと思いますが、見落としている手がかりのようなものがあるかもしれないのでサラっと進めていければと考えています。

英文の上、量が多かったAmy Wallaceの『Sorcerer's Apprentice』もようやく読了しましたので、そちらのお披露目の準備も並行して進めて行こうと考えています。

この「第二の環」から、従来のシリーズには登場しなかった「女性」という要素が加わり妖しげな雰囲気になっていきます。そして事態がやけにややこしいことになっていきます。

男子校の間は平和だったのに、共学になって事が面倒になってきたような感じです。

もちろん以前もラ・カタリーナがいましたがあくまでも”点景”としての存在で、直接舞台に登場して言葉を交わしたりしたことはありませんでした。

ネタばれになってしまいますが、以降の巻で謎の存在の一人、”女ナワール”という呪術師に関する言及が増えていき、終盤になって彼女の名前が”キャロル・ティッグス”だということが判明します。

キャロル・ティッグスは、実在の人物で、カスタネダのサークルでは”Muni Alexander”という呪術名をもらいます。キャロル・ティッグスは、10年間、”第二の注意力”と呼ばれる”あの世”から生還した謎の存在というふれこみですが、実は呪術師でもない普通の人間だということが判明しています。

一方、この『第二の環』で活躍するラ・ゴルダをはじめとするパブリトの妹たちは、実在が怪しいと思われます。かろうじてラ・ゴルダだけが、もしかすると相当する女性がいたのでは?という下りがAmy Wallaceの著書に書かれていますがいずれもカスタネダが彼女に語った話なので信用できないかもしれません。

女性陣が活躍しだす、こうした後期シリーズは、実在のキャロル・ティッグスやフロリンダ・ドナーなどカスタネダのハーレムを”伝説”にし正当化するための下準備のために書かれたものかもしません。ひねくれすぎでしょうか。

2016年11月30日水曜日

Fキーのハーモニカのベンド

忘れそうなので記す程度のエントリーです。

基礎練習やら、割とポピュラーな曲ですとたいていはCのキーかAのキーのハーモニカをつい買いますが、だんだん歌など歌いだしたりしますとどうしても原曲通りにしたくなったり、逆に歌いづらいので、キーを変えて演奏する必要がでてきます。

最近、女性ボーカルのバックをやる機会がありまして彼女のキーに合わせている内に、やたらと本数が増えてきてしまいました。

さて、表題のFキーの話。

原曲のキーがCの時に、セカンドポジションの際使いますな。

なので追加購入キーとしては割と早いうちに手に入れるキーのハーモニカだと思います。

前置きはここまで。

Fキーで、(実はDキーでも)、2番穴や3番穴のベンドをやるとき、後頭部のあたりがキュ~~~ンと絞られるような変な感じしませんか?(笑)

CやAでは発生しません。

おそらく舌の形がのどの奥に影響する感覚だと思うのですが、ベンドの時に、クラっとくるような。

下手だからですかね?

10ホールズはじめて足掛け8年になりますが、なかなか上手くなりませんな。


2016年11月29日火曜日

データマイニングの果て

”果て”好きのネタです。

SNSの類は、アカウントだけは早々に立てるものの発信についてはとんとごぶさたしています。

Facebookも2008年にすぐ登録しましたが、これまでの発信数は100回もないと思います。
ですが、「いいね」も押すことなく受け身的に他の人たちが発信している情報は連日拝見しています。

そこであることに気がつきました。特定の人たちがシェアしている情報に限っては必ず詳細まで興味を持ってクリックして元情報まで見てしまうのです。

どんな頻度で発信をしていても金輪際興味を惹かれない相手もいます。
(スポーツネタや育児ネタ、グルメネタ、自転車、ボルダリングなどの流行りもの)

でもKさんがシェアした(ギーグ系の)ものは100%興味持つ。Tさんのは4割くらい。とか。

舞台をSNSからアマゾンや楽天に移してみますと、おそらくあたしと同じような趣味性の本や生活必需品ばかり買っている人が結構いるのでは?

FacebookとアマゾンとGoogleのChromeの検索履歴とNetflixの視聴履歴と・・・・そのあたりを全部ひっくるめてデータマイニングしてみると・・・・

この世界のどこかに「あたしと同じフレームで人格が構成されている人間」、つまり、もう一人のあたしがいるのではないか?と思ったのです。

あたしは相当な部分が上記のKさんと同じ”材料”でできているのではないか?と思いますし、みうらじゅんや筒井康隆でも身体の一部ができていると思います。

「同じフレーム」ですから日本人である必要はありませんし同性である必要もありません。

別に会いたいわけではありませんが、ウクライナのどこかに、あたしと同じような発想で暮らしている人がいるかもって想像してみるのも楽しいものです。

同じような不満もって暮らしてたりして。

2016年11月28日月曜日

力(10) 二人の戦士のお気に入り

四巻目『力の話』の最終回です。

カルロスとドン・ファンは、二日前に車を駐めたところへ戻りました。

これが、お前との最後の旅だ

ドン・ファンが以前カルロスが知っていた少年の話を始め、どれだけ時間が経っても、どれだけ離れていても、その少年に対するカルロスの感情は変わらないだろう、と言った。

もちろん、C.J.カスタネダのことですが、C.J.にまつわるエピソードで特にドン・ファンが気に入っている話をおさらいします。

あくまでもあたしの解釈ですが、この『力の話』の内容での「ドン・ファン」は、カスタネダのイマジネーション上のキャラクターですから、カスタネダ自身が忘れられない思い出ということです。

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その少年とロサンジェルスに近い山へ行ったとき、疲れたというので肩車をしてやった。すると、わたしたちは至福感の波に包まれ、少年が太陽と山々に大声でありがとうと言ったのだった。
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子供との体験では、どの大人もこれに類する思い出があるのではないでしょうか?子からの立場でも親との同様のエピソードを心の中に持っていると思います。

彼は、そうやってお前に別れを告げたんだ」ドン・ファンが言った。

別れを告げるやり方はたくさんある。たぶん、一番いいのは楽しい思い出を抱きつづけることだ。たとえば、お前が戦士のように生きていれば、少年を肩車したときに感じた暖かさは死ぬまで新鮮だし強烈なものだろう。それが、戦士の別れの告げ方というものなんだ」(力353)

ドン・ヘナロとパブリートとネストールの三人が目的地で先に待っていました。
ネストールは二人が自分たちだけで”ナワール”と”トナール”に入っていくのを見届ける証人なのだそうです。(力358)

カルロスとパブリートは、これまで世話になった人たちに感謝の言葉を発します。

彼らの師たちが別れの言葉を言います。

「おれたちは笑って楽しんできたぞ」
「だが、何事にも終わりってものがある。これが自然の定めってもんだ」
「(前略)おれたちにもそろそろ解散するときが来た」

ドン・ヘナロが二人へのはなむけとして「戦士のお気に入り」について教えてくれ(力367)、それを受けてドン・ファンがこの大地、世界に対する愛について語ります。

「夕暮れは二つの世界の裂け目だ」
「未知への扉なんだ」

ドン・ファンとドン・ヘナロが二人の耳にささやき、二人は深淵に飛び込みます。

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今回の再読で、二人の深淵へのジャンプについて認識をあらためました。
最後のジャンプの前に予行演習をしていたくだりは、まったく覚えていませんでした。

昨日の投稿にありますように「練習」の際に、ドン・ファンがカルロスは崖の上と谷底と同時に存在していたと話しています。
普通に谷底に身を投げたらもちろん命を落とすわけですが、非日常的感覚にいるので、ありていにいいますと幻覚状態にあるわけで、身を投げたような気がしている、と。

現にカスタネダは、こうして『力の話』の原稿を書いて出版しているわけですから、もちろんその後も生存をしています。

Amy Wallaceの体験を読むと、カルロスは、原因や必要ががまったくない状態にある状況(弟子の親子関係や、その関係者の経歴)に対して伝説を創るためにある時は対象者をその気にさせ、あるいは脅しに近い形で話を捏造しています。

あたしは、せめてこの身投げ体験がなにからなにまで作文なのではなくて、それに近い幻覚症状による体験に基づいて書かれたことを願っています。

2016年11月27日日曜日

力(9) 知覚の泡

カルロスは、ひとりでドン・ヘナロの家にいましたが、その後、帰ってきたドン・ファンに連れられて谷底を見下ろす絶壁にいきました。

途中までは、二人でしたが最後の道のりは一人でいけと言われ、崖では、パブリートがカルロス待っていると言われます。

崖で出会ったカルロスとパブリートの二人は、お互いの人影に怯えます。

やがてドン・ファンとドン・ヘナロが現れたましたが少し様子がおかしく、これから二人が彼らに盟友を見せると言います。

ドン・ヘナロが彼らのために結界を張ってくれます。(力333)

上記、要約のため「結界」という用語を用いましたが、日本語版にも原文にもこのような語彙はありません。

コヨーテや巨大なネコのような盟友の攻撃をうけ、二人が協力して防ぐと力がつきます。

ドン・ファンとドン・ヘナロが気絶した二人を起こしてくれました。
その後、(非日常的感覚に陥っている)パブリートとカルロスは二人に谷底に放り投げられます。

二人の意識が戻ると、彼らは未知の世界を見たのだといわれました。(力339)

カルロスにはドン・ファンがつきそってヘナロの家に帰ります。
カルロスは家のそばで土に埋まって一晩過ごします。

以前にも、カルロスは、盟友から受けたダメージや影響から回復するときにドン・ファンに水に浸けてもらったり、木の葉に埋もれたりと似たような養生を行ってもらいますよね。

砂風呂みたいな感じで身体にいいのでしょうか?

家に帰って来たカルロスは眠り込み昼過ぎに起きます。
ドン・ファンから「明日、おまえとパブリートは未知の世界に行くことになる」と告げられ、トナールとナワールに関する長い講義が行われます。(力344)

ドン・ファンは、カルロスが谷底に投げ込まれたとき、カルロスは崖の上と谷底に同時にいたといわれます。(力347)

ダブル(分身)が現れたのですね。

ドン・ファンから、カルロスがついに呪術の訓練の頂点に達したと伝えられます。(力346)

2016年11月26日土曜日

力(8) 呪術師の戦略

この章は、これまでの総括に近い内容になっています。

(三人でパブリートの家に逃げ帰った翌日の)昼ちかくにカルロスがドン・ヘナロの家にいくと、ドン・ファンが彼を待っていました。

ドン・ファンは、ヘナロは山を揺らしに出かけていると言い、ヘナロのお気に入りの場所に移動することになります。

ドン・ファンによると、これから最後の課題である呪術師の解釈に進むのだそうです。

わしらはとうとう呪術の最終段階にさしかかっとるんだ。これまでにお前に必要な指示はすべて伝えてあるが、とりあえずいったん立ち止まり、過去をふり返り(反復)、自分の歩みを見なおさねばならん。(中略)お前の力の場所で話した方がいいと思っていたんだが、おまえの恩師はヘナロだから、こういう話は彼の力の場所でしたほうがいいだろうと思ったんだ」(力293)

カルロスの”力の場所”があるのはメキシコ北部の砂漠地帯にある丘の上で、何年も前にドン・ファンが”授けて”くれた場所です。
ヘナロのお気に入りの場所は、ヘナロの家の西側にある大きな岩で、上から深い谷底が見下ろせました。

お前の”トナール”を受け持っとるのはわしで、”ナワール”を受け持っとるのだがヘナロだ」(中略)「わしがお前と一緒に、あるいはお前にしてきたことは、ただただお前の”トナール”の島の掃除をして秩序を取り戻すためだった。(中略)ヘナロの仕事は恩師として、お前に非の打ちどころのない”ナワール”のふるまいを見せてそこに到達する方法を示すことだ」(力294)

たいていここで、師は弟子に最後の十字路までやって来たことを伝えるものなんだが」(力295)
(中略)「わしの考えでは、最後の十字路、最後の段階なんてものは存在しない

てなことを最後の教えを5時間ぶっつづけで語った後、カルロスとの最初のバス停での出会いはドン・ファンが自分の”意志”でカルロスを捕まえたことを伝えます。(力298)

戦士は相手の右目をじっと見るんだ」彼は言った。「そうすると相手は内部の対話ができなくなる。すると”ナワール”が優勢になる。危険な術だ」(力299)(体術)
これを「戦士のまなざし」と呼ぶのだそうです。

世界をみる方法はひとつではないということを理解するための、生まれたときから持っている世界の見方を捨て去る修行のひとつに「正しい歩き方」があるのだとといいます。

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正しい歩き方は一種の目くらましだ、と彼は言った。戦士はまず両手の指を曲げ、腕に意識を集中する。それから、自分のつま先から始まって水平線で終わる弧の上にある一点を、目の焦点を合わせないで見る。すおすることで彼の”トナール”を文字どおり情報で満たしてしまうのだ。すると、世界を描写する構成要素と一対一の関係を持っていない”トナール”は、自分に対して直接語りかけることができずに黙り込んでしまうのだという。(力301)(体術)
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「正しい歩き方」に加えて、「ありのままに行動する」ということの重要性についてもドン・ファンは語ります。

履歴を消すこと、夢見ることに関する基礎修行の話が続きます。

ですが、カスタネダ本人もまるで言い訳のように書いていますが(力297)ドン・ファンの話っぷりが、学者すぎます。

例えば、こんなセリフ・・・
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だが、外見を変えるということは、以前は重要だった要素二義的な場所を割り当てたにすぎないんだ。(力308)
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履歴を消す助けになる技術は四つあるのだそうです。
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1)おとりの術(力305)(注意をそらす(ワナにかけ)こと)
2)自尊心をなくすこと
3)責任を負うこと
4)助言者として詩を利用すること。(力306)
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ドン・ファンは、当初、幻覚性植物を使ったのが方便にすぎなかったこともあらためて伝えます。(力309)

また、カタリーナとの関係についても、振り返ります。
修行をくじけそうになっていたカルロスに修行を続けさせるために好敵手を使うことで奮起させたのだと話します。(力313)

少し、意外なのは、カタリーナもカルロスもお互いに惹かれあったとあることです。
文中、二人が直接会話をする場面は一切ありません。一目ぼれなのでしょうか?

世界を知覚する新しい方法を学ぶ道は、三つあるのだそうです。
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1)日常性を壊すこと
2)力の足どり
3)しないこと
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(3)のしないことは、なかなかわかりずらい話ですよね。

ドン・ファンの話も終わり。
カルロスは、服をよごさないように裸になり峡谷を見下ろす岩のところへ行くとドン・ヘナロが待っていました。

またまた、二人がカルロスの両耳に同時に語り掛けると、カルロスは非日常的な感覚に入って行きドン・ヘナロと跳躍をし、日常に戻ったカルロスの汚れた身体をドン・ファンが洗ってくれます。

2016年11月25日金曜日

力(7)三人のナワールの目撃者(第三部 呪術師の解釈)

カルロスは、いったん帰宅してノートをまとめましたが、またドン・ファンに会いにいくことにしました。

中央メキシコの山間部の小さな町の市場にいるカルロスをドン・ファンが見つけ、パブリートとネストールが住んでいる町に立ち寄ることになります。

カルロスが「蛾の呼び声」を聞いていると、そこにドン・ヘナロが現れます。その代わりに、いつのまにかドン・ファンがいなくなっています。

車にドン・ヘナロを乗せてパブリートの家につきますが、ふと見ると乗っていた筈のドン・ヘナロもいなくなっています。

ネストールも乗せ、カルロスがヘナロに力の場所に行くように言われたというと、パブリートは、カルロスが迎えにきたときから車にはヘナロは乗っていなかったといいます。

三人は、山を登って巨大な崖の下にきて待つように言われていました。

ネストールは自尊心をなくす修行をしているので以前よりも若く見えるようになっていました。
ネストールは、現場で自分のスピリット・キャッチャーを見せてくれました。

ドン・ファンたちを待つ間、三人は雑談をし、パブリートの姉妹の話で盛り上がりました。ネストールは、一番上の姉貴は目つきだけでノミを殺せるくらい底意地が悪いといいます。
ナワールが姉の気性の荒さは認めていたが、”ナワール”が治してくれたおかげで元に戻れた、と打ち明けました。

この姉というのは、続巻の『力の第二の環』で登場するラ・ゴルダのことですね。

『力の第二の環』では、このパブリートの家族の話題から始まります。
あたしが『力の第二の環』を読んだのは、『力の話』をペーパーバックで読んでから実に、30年以上経っていましたから『力の話』の終盤のこのエピソードなど完全にスルーしていました。(自慢じゃないですが、『力の話』と『未知の次元』が違う本だと思い込んでいたくらいですから)

『力の第二の環』でパブリートの家族の話が当たり前のように始まったので、それまでのストーリーでパブリートの姉たちの話題が出てたのだろうか?と今回再読してみると、やはり、この箇所だけが最初でした。

カルロスは、パブリートもネストールもドン・ファンの名前を出さずに彼のことを”ナワール”と読んでいることに気がつきました。(力281)

周辺資料を平行して読んで来た、あたしの現時点での私見&推測ですが、この『力の話』は、大部分が創作だろうと思うに至りました。

次の『力の第二の環』からドン・ファンが本格的に”ナワール”化します。また、パブリートの家族のエピソードを”膨らませて”いきますので前段の『力の環』で伏線を張っておくことにしたのだと思います。

Amy Wallaceの本を読み進めているとカルロスのイカれ具合が本当に激しいので当の本人も途中から物語とドキュメントの区別もつかなくなってしまったのかもしれません。
『無限の本質』の中に、弟子入りして日が浅いころ「大量の幻覚性植物」を投与されて自分がおかしくなるのではと不安だったという記述があります。(pending)

元々頭が良かったことに加えてクスリの影響で脳ミソが本格的におかしくなっちゃたのでしょう。それが老化にともないはげしく進行したと。

三人がおしゃべりをしていると、ふたたび「蛾の呼び声」が聞こえました。
彼らが怯えていると目の前にドン・ファンとドン・ヘナロが立っていました。

ドン・ヘナロとドン・ファンは、崖から飛び降りたり曲芸めいた技を彼らに見せますが、ひとしきり経つと、一連の不思議な現象が終わったとわかります。

怯えきった三人は、パブリートの家に逃げ帰ります。
家では、母親と姉たちが夕食の準備をして世話をしてくれます。
パブリートは年上のネストールが若返ってしまったので、まるで弟のような扱いで世話をしています。

2016年11月24日木曜日

力(6) ナワールの時に~ナワールの囁き~知覚の翼

今回も三章進みます。

■ナワールの時に

ドン・ファンの指示通りにドン・ヘナロの家を訪問すると二人が待っていました。

その翌日、ドン・ヘナロが二キロ離れたユーカリの木のある林まで行こうといいます。
ドン・ヘナロがいきなり叫び声を発したかと思うと、15メートルほど離れたユーカリの木の三十メートルほどの幹に地面と平行して立っていました。

パニックに陥ったカルロスに対し、ドン・ファンが、大きな危険やストレスに直面したときに使うテクニックを教えます。(力216)

腹をへこませろ。へこますんだ
横隔膜を下げて喘ぐように四回呼吸し、それから鼻で四回呼吸する。最初の四回の呼吸はからだの中央が揺さぶられる感じがしなくてはならず、しっかり拳を握ってヘソの上に置くとからだの中央に力が入って短い呼吸と深い呼吸がコントロールしやすくなる。そして横隔膜を下げているあいだに八つ数えるまでこれを保持しなければならない。息を吐くときは二回を鼻から、二回を口からで、そのスピードは個人の好みでいい。(体術)

また、「ヘナロを見つめるんじゃない」、「まばたきをしろ、まばたきだ」と言われます。

こうした「じっと見るな」という指示ですが、非日常的な現象に「耽溺」すると頭が変になってしまうからなのかもしれません。

次々と木を使った芸当を見させられるカルロスは、水につかってようやく我を取り戻します。

この章で、ドン・ヘナロがカルロスの恩師(benefactor)でドン・ファンはカルロスのトナールを扱う役目だったとはじめて打ち明けられます。
逆にパブリートとネストール、ヘナロの二人の弟子の恩師は、ドン・ファンだそうです。
ドン・ファンにも同じように師と恩師がいたといいます。(力229)

ドン・ファンは、これまでも自分の恩師については折に触れ話していましたが、担当の異なる二名の先生がいたというのは初耳です。


■ナワールの囁き

カルロスは、ふたたびユーカリの木の下でドン・ヘナロと向き合います。

ドン・ヘナロの曲芸を見ているとドン・ヘナロが糸のようなものに引っ張られ滑空しているのが見えました。

カルロスの左右の耳にドン・ヘナロとドン・ファンが別々の言葉をささやき一緒に飛ばないかと誘われます。(力239)
二人が耳元で囁くことは恩師と師が行う最後の仕上げなのだそうです。(力249)

呪術師にとって恩師をもつのはとてもむずかしく、弟子のエリヒオはずっと恩師を見つけられずにいると教えられます。

何年か前に、メキシコ北部の砂漠で放浪する若いインディオたちも恩師がいなかったそうです。(力244)

■知覚の翼

カルロスは、ドン・ファンと山の上で一日過ごしたあと、ヘナロの家に戻りました。パブリート(本名パブロ)がこれから来るのだそうです。

パブリートは陽気できさくな性格でネストールは逆に陰気で内向的でした。

カルロスが、訪れてきたパブリートにネストールの近況をきくと別人のようになっているといっただけで話題を避けられてしまいます。

カルロスがドン・ヘナロを恐れるのと逆にパブリートは、ドン・ファンを恐れています。これからドン・ファンが来るのを知ったパブリートはとんで逃げて行きます。

ふたたびカルロスの両方の耳にドン・ファンとドン・ヘナロの二人が別々に囁きます。(力260)

たちまち不思議な感覚におちいり、幼児としての知覚体験がカルロスに訪れます。

2016年11月23日水曜日

力(5) トナールの島~トナールの日~トナールを縮める

今回は、肝心のトナール、ナワール談義の詳細は、このブログの興味からはずれているので省略して三章、まとめておさらいします。

■トナールの島

二人は、翌日も同じアラメダ公園で会ってレストランに入って自分の全体性について話します。
普通、自分の全体性は話しませんな。

前に入ったアリゾナのレストランのようにウェイトレスの対応が悪いですが、ドン・ファンにかえって誰にも邪魔されずに話せるじゃないかと諭されます。大人ですね。

ここでドン・ファンは、はじめてトナールとナワールという言葉を口にします。

この二つは、カルロスも含め、多くの人たちが一度は、耳にしたことがある言葉ですが、ドン・ファンの話す内容はまったく違う内容でした。

トナールは、あたしたちが知っているものすべてなのだそうです。

■トナールの日

二人はレストランを出て、道行く老婦人や貧しそうな若者など通行人をみて世界の成り立ちについて会話を続けます。

ドン・ファンが言います。
実在性を明らかにするのがトナールで、それに効果を及ぼすのがナワールだ」(力183~184)

ドン・ファンは、ナワールは、創造性の元だといって手のひらの上に、日本人そっくりのメガネをかけたリスを出してみせます。(力185)

ドン・ファンは通りかかった若い女性を「正当なトナール」だとカルロスに教えます。(力188)

■トナールを縮める

この章のエピソードは、『力の話』のハイライトの一つです。

カルロスは、水曜日の朝(何年何月何日の?)、9時45分を過ぎた頃にホテルを出でドン・ファンと約束した場所へ向かいます。

カルロスと朝食を一緒にとった友人がこっそりカルロスの後をつけてきているのに気がつきました。

待っていたドン・ファンがカルロスの窮地に気がつくとレフォルマ通りと斜めに交わる通りを指さしましたた。

航空会社のオフィスがあるビルの入口でドン・ファンに急に背中をおされ航空会社のオフィスの中をよろめきながらつっきってレフォルマ通りに出るドアまで進んで表にでてしまいます。

カルロスが目を開くと、1マイル半も離れたラグーニャ市場(Mercado Lagunilla)にいたことに気がつき愕然とします。
市場では、コインと古本の店があることに気がつきます。

ドン・ファンが頭を軽くたたいて「カルロス、正気をなくすんじゃないぞ」と言います。
カルロスは、想像を絶するような不安を感じ涙が頬をつたいます。

ラグーニャ市場を出てアラメダ公園へ行くと午前10時20分でした。
ドン・ファンに会ったのは10時過ぎのことでした。

地図をご覧ください。ラグニーニヤ市場からアラメダ公園までは、約1.56キロ。丁度1マイル(1.6キロ)くらいです。



大人が歩く速度を時速4.5キロとすると、1時間で4.5キロ。1.5キロなら丁度、20分
上記でカルロスが歩いて公園までたどり着くのに要した時間とピッタリです。

ドン・ファンに突き飛ばされてからラグニーニヤ市場に瞬間移動したことになります。

カルロスがよろめいて入った航空会社は、ラグーニャ広場から「1マイル半」離れているとあるので、カスタネダが書いた内容が厳密だと仮定すると、この「航空会社」のオフィスはラグーニャ広場から「半マイル(800メートル)」離れていることになります。

航空会社~ラグーニャ広場=1.5マイル -(ア)
ラグーニャ広場~アラメダ公園=1.0マイル -(イ)
航空会社~アラメダ公園=(ア)-(イ)=0.5マイル≒800メートル

このあたりの航空会社のチケットオフィスを捜せばいいのですが、なにしろ当時から長い年月が経っています。

レフォルマ通りと斜めになっている裏通りの両方に接している土地にある航空会社・・・なのでしょうが、現在は該当するオフィスはないようです。
ただ、上記の記述から、アラメダ公園から約800メートルくらいのところの三角状の土地、図に示したあたりが怪しいのでは?


幻の世界にすっかり魅せられて(?)しまったカルロスは、奇妙な男のイメージや空飛ぶライオンを夢想します。

ドン・ファンによるとトナールを縮めてナワールが優勢になった結果、今朝のようなことが起きたのだといいます。

耽溺するカルロスを水の入ったバケツで覚醒させたドン・ファンは、今日は夕暮れまでこのベンチに座っていて三日のうちにヘナロの家までこいといわれます。

去り際のドン・ファンにスーツのことをあらためて聞くと「わしは株主(stokholder)なんだよ」と答えます。

後期の作品では、ドン・ファンが本当に「仕事」をしていたという記述があるので実は裕福な投資家だったなんて想像も楽しいものです。

さて、翌日、木曜日の朝、件の友人に前日カルロスにまかれた場所まで歩いてくれと頼まれます。
航空会社のドアからラグーニャ広場まで35分かかりました。

市場で昨日見かけたコインと古本を売っているスタンドをたずねると日曜しか出ていないといわれ茫然とするカルロスでした。

2016年11月22日火曜日

力(4)第二部トナールとナワール 「信じなければならない、ということ。」

(日付は不明で、前回、ドン・ヘナロたちに翻弄された事件から数か月後となっています(力136))カルロスはメキシコシティにいました。

彼は、ダウンタウンへ向かってレフォルマ(Paseo de la Reforma)通りを歩いていました。(力134)
ゾカロ(Zocalo)広場を経由してラグーニャ広場(Lagunilla market)へ向かうと驚いたことにドン・ファンにばったり出会います。

さらにおかしなことにドン・ファンが三つ揃いのスーツを着ていました。
はじめに見た時はたしか、普段着(カーキ色のパンツにシャツ、サンダルに麦わら帽子)だったのに。しかもヘアスタイルは、短い白髪を右側で分けていました。

二人は、公園を求めて、プラザ・ガリバルディ(the Plaza Garibaldi)に行きますが、更に静かな場所を求めてアラメダ公園(La Alameda)に行ってベンチに座りました。

 

やはり地名が示してあると盛り上がりますね。(あたしだけですか?)

ドン・ファンは、イギリス製の厚手のフランネルスーツを着た祖父くらい見栄えがよかった、とあります。(力139)

マーガレット・カスタネダの本によるとカスタネダは、市井の発明家だった祖父が大好きで尊敬していたとあります。
ドン・ファン創作説に立つと、ドン・ファンはこの祖父のイメージで作られたのではないかという連想ですね。(pending) だから祖父くらい見栄えがいいのは当然ですよね。

ドン・ファンは、二人がここで出会ったのだから後は予兆を待つだけだといいます。(力138)

彼らが坐っているベンチから直線で二十メートルくらい離れた公園の端に人だかりがあって、彼らは草の上でじっと横になっている男を囲んでいました。(力141)

ドン・ファンが、カルロスの友達と飼いネコのエピソードを話してくれるようにいいます。

その話とは、自分の飼い猫を飼い続けることができなくなった友人が二匹を安楽死をさせるために病院へ連れて行ったが、二匹の内、マックスが逃げ出した、カルロスがその姿に「ネコの魂」を見た。といった話です。

要約だけでは伝わりませんが、生き物の生と死について考えさせられる印象深い話です。特に、エピソードに対するドン・ファンの「解説」が秀逸です。

カスタネダは、こうした単発で意味深なエピソードや寓話を作るのが巧みで、他人から聞いた小ネタを膨らませてとんでもない話に改造したりします。

ドン・ファンは、この話を引き合いにして戦士の「信じる」態度についてカルロスに説いて聞かせます。

このような語り口は『無限の本質』やフロリンダ・ドナーの『魔女の夢』に似ています。

ドン・ファンが公園で遠くに横たわっている男は死にかかっている、といいます。(力147)
男のまわりを死がぐるぐる回っているのが見えるそうです。

ドン・ファンが、カルロスが覚えているセサル・バレホの『白い石の上の黒い石』を朗誦してくれといいます。

怪しいなぁ。ドン・ファン、どんどんインテリになってますよね。
下の写真の公園ですよ。死がぐるぐる回っていたのは。

アラメダ公園

2016年11月21日月曜日

力(3) 夢見る者と夢見られる者

話は、その後の訪問になりますが、時期は不明です。(力69)

ドン・ファンは、カルロスが深刻にものごとを考えすぎだといい、戦士の心得をつたえます。

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いつもとちがう状況に直面したときに、わしらが何度も繰り返す悪しき習慣が三つある。第一は、起きていることや起きたことを、まるで何事もなかったかのように無視することだ。それは偏屈な奴のやることだ。二番目は、すべてを額面どおりに受け入れて、何が起きているかはわかっている、と思い込むことだ。三番目は、出来事を無視することも受け入れることもできないせいで、それに取り憑かれてしまうことだ。それは愚か者のやることだ。お前はどうかって?四番目があってな。それは正しいやり方、戦士のやり方だ。戦士は何事もなかったかのようにふるまうんだよ。なぜなら、戦士はすべての存在を信じていないからだ。と同時に額面どおりに受け入れもする。受け入れることなく受け入れ、無視することなく無視するんだ。戦士は知ったかぶりなどしないし、何事もなかったなどとも思わない。がたがた震えるほど恐れていても、冷静にふるまう。そういうふるまいをすることで、取り憑かれたものを追い払うんだ」(力71)
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カスタネダの創作かもしれませんが、それにしてもいいこと言いますよね。

ドン・ヘナロは、自分の分身を使って何百マイルも離れたところで人を殺すことができるのかい?

お前の話は暴力のことばかりだな。
ヘナロには誰も殺せないさ。なんせ、他人にはこれっぽちも興味がないんだからな。”見ること”と”夢見”ができるようになって自分の輝きを意識するようになった戦士は、そういうことに興味がなくなるんだ」(力77)

分身にそんなに興味があるのなら、またヘナロを呼んだらどうだ?といわれてカルロスは飛び上がるほどビビります。カルロスは、これまでの体験でヘナロというだけで恐れるようになっています。

恐怖に駆られてカルロスは、「西を向き、その場で足踏み」をします。(体術)(力80)

その足踏み動作の目的は、日没直前の夕陽から”力”を引き出すことにあるそうですが、カルロスは、恐怖で感覚がマヒしてしまいます。

ドン・ファンによると「分身」は”夢見”から始めるそうです。(力83)
ドン・ファンのリクエストにしたがいヘナロは、カルロスに自分の分身の体験談を語ります。86ページあたりからかなりの量になりますが、このブログでは割愛します。

分身に関する講義につづいてカルロスは、いきなりドン・ファンとヘナロに「バラバラ」にされます。(力92)最後に、ヘナロがカルロスの首を叩くと気を失ってしまいます。(力102)

なかなか、いい話が多いこの『力の話』ですが、本ブログ的には内容を流す感じになってしまうのが少し残念です。

2016年11月20日日曜日

力(2) 第一部 力のふるまいの目撃者 知との約束  

1971年の秋。カルロスが久しぶりにドン・ファンを訪問します。

この本で具体的な時期について書いているのは、ここだけです。

二人で、これまでのおさらいをしていると、幻覚性植物は実は「方便」として使っていただけで呪術の修行に必須のものではなかったと明かされます。

実際にドン・ファンのもう一人の弟子、エリヒオは植物を一度しか使わなかった、と言われ驚きます。(力10)

この本で久々に、あのエリヒオの話題が出ました。(以前は、”エリジオ”となっています)

呪術師の修行内容についてカルロスが出版することについて、そのような奥義を明かすのはよくないことではないかという指摘を受けた話をします。

カスタネダは、ここで仏教の密教との対比をするので、カスタネダが東洋哲学を研究していたことがうかがえる一節になっています。

カルロスはドン・ファンに夢見の進み具合について聞かれ、カルロスが自在に内部の対話をとめられるようになったようだといわれ「内部の対話」を止める訓練に効く練習方法を教わります。
。(力21)

それは、どこにも目の焦点を合わせずに長い距離を歩くことで、わずかに寄り目にして視野に入ってくるすべてのものをその周辺部で捉えるのだそうです。(力21)(体術)

立体視の目の使い方ですので、あたしも、これを実際にやってみましたが、結構目がクラクラしますのであまりマネしない方がいいと思います。空間の奥行きが不思議な感覚になりますが、盟友は見えません。

瞑想の基本と同じといったら身もふたもないですが、呪術師の世界への道は、戦士が内部の対話を止めることを学んで初めて開けるのだそうです。(力22)

そんな「瞑想」をしていると、かん木の中に人間のシルエットを見た気がし、それから巨大な黒い鳥のような空を飛ぶ生き物がかん木の中からカルロスに飛びかかってきます。(力25)

これは、のちにカスタネダがflyerと呼ぶものだと思います。

恐怖にかられたカルロスは、気持ちが鎮まるまでその場で足踏みをしてから座り込みます。(力26)(体術)
ドン・ファンは、彼に強い口調で何事もなかったかのようにふるまえと言います。(体術)

これまで、あまりピックアップしていませんが、この「何事もなかったかのようにふるまえ」という指示がシリーズではよく登場します。

ドン・ファンがカルロスがみたものは「蛾」だったといいます。(力26)
今夜のカルロスには蛾との約束があって「知というのは蛾なんだ」といいます。

不安なカルロスを落ち着かせるためにドン・ファンが頭をゆらして目を使います。(力27)
お前もやってみろ」といわれますが、上手にできないでいると「胃の下あたりから目に伝わる感覚が頭をふらせるのだ」といわれます。(体術)(力27)

シカやコヨーテと話した経験について話したあと、ドン・ファンがふたたび蛾を呼び出します。
奇妙な音を立てる蛾の羽には黒っぽい金粉がついていて、それは、知識の粉なんだと言います。(力40)

奇妙な感覚にとらわれたままカルロスはキノコのような姿に見えた知人の幻影をみます。カルロスは、ドン・ファンの指示のまま次々と人(の幻影)を呼びだします。
その中には、弟子のエリヒオやパブリートがいました。(力49)

47人を呼び出したところで、ドン・ファンが全部で48人必要だといいます。
カルロスは、そういえば呪術師が持っているトウモロコシの実は48粒だと昔いっていたことを思い出します。(力50)

その48人目というのは、ヘナロだと言われてて「呼び出してみる」と目の前にいきなりヘナロが現れます。驚き慄くカルロスですが、これはすべて仕組まれたいたずらだとドン・ファンたちを疑います。

これまでいくども突然、登場するドン・ヘナロの遍在性に驚愕しているカルロスにドン・ファンがヘナロは自分の分身になれる、と告げます。(力57)

これは、今後のカスタネダの活動で重要な要素となる「ダブル」のことだなと思い、あらためて原典にあたってみますと、なんのことはない、この『力の話』でも”double”でした。
和訳の作法の違いに長い間すっかりだまされていました。

ドン・ファンがいいます。
何年か前にお前がヘナロと知り合ってからいままで、お前が本物のヘナロと顔を合わせたのはたったの二回なんだぞ。それ以外は、お前と一緒にいたのは彼の分身なんだ」(力61)

自分の分身が他の場所にいることについて「現実的な」疑問を呈するカルロスにドン・ファンは、呪術師は自分が同時に二カ所にいるなんてことは考えないのだといいます。

確かに、呪術師は自分が同時に二カ所にいたことにあとになって気づくかもしれん。だが、それは単なる記録で、呪術師が行動しているときに自分の二重性など意識していないという事実とは関係のないことなんだ」(力64)

このドン・ファンの言い回し。どう思います?
初期のドン・ファンとだいぶ違いますよね。超インテリ?
「寅さん」シリーズで初期の荒っぽい寅さんと後期の作品の優しげなキャラが全然違っているみたいな感じです。

分身のことを突き詰めるとカルロスは気が変になりそうになってしまいます。

2016年11月19日土曜日

力の話(1) 概要

ひさびさに、カスタネダの自著についておさらいを進めていきます。

シリーズ四巻目。『力の話』です。
今回は、太田出版から出ている新訳の本で、2014年4月8日第1版第1刷発行を使っています。

前に、この四巻目だけが、なぜ『未知の次元』というタイトルで「講談社学術文庫」に収録されただろう?と書きましたが理由がわかりました。

同じ太田出版から出ている『時の輪』(北山耕平訳)の訳者によるあとがきで事情がわかりました。

以下、引用します。
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1975年までに日本では三冊のカスタネダの本が二見書房という欧米の翻訳娯楽小説を扱う出版社から出版されていた。前述の『ドン・ファンの教え』、二冊目の『分離したリアリティ』、三冊目の『イクストランへの旅』の三冊だ。時期的には、ほんとうはもう一冊1974年にアメリカで出版された『力の話』が日本語訳されて出版されていてもおかしくなかったのだが、この本の翻訳権がアメリカのベストセラーの噂を聞きつけた大手出版社によって横取りされてしまい、同書は1979年になるまで日本語訳が出版されることはなかったのである。それどころか1978年には五冊目の『力の第二の輪(ママ)』の方が日本では先行して発売されるという異常な状況だった。(時の輪278)
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なるほどね~。横取りですか。

『時の輪』は、あまり具がなくて読むところが少ないコレクター・アイテムですが、買っておいてよかった~。

あたしは、前にも書きましたが、なぜか『未知の次元』を間違えて二冊買ってしまいまして
いつの間にか一冊どこかへ行き、先の「自炊作業」で残りの一冊もPDFと化してしまいました。

なんだか寂しいなと思っていたら、なんと!この一連の「カスタネダの旅」を進め始めてから職場のデスクの引き出しの中から『論語』と一緒にひょっこり出てきました。予兆ですな。

この『力の話』では、最後にカスタネダとパブリートが谷底に跳躍して終わります。
その後、どうなったかについては最後の著書『無限の本質』が1999年に出るまでは謎のままです。

1974年に『力の話』が出て、続巻の『力の第二の環』が出たのは1977年。『力の第二の環』では、谷底への身投げの後の話はまったくなく、普通にカルロスが生活を続けています。
(もっとも『力の話』の原稿を書いて出版しているのだから生還しているにきまってますね)

さて、この『力の話』から、いきなりドン・ファンのインテリ度がアップしてフィクション度もアップします。扉には、サン・ファン・デ・ラ・クルス(San Juan de la Cruz)という詩人の「孤独な鳥」という作品が引用されています。

この詩では、第三の規則に「孤高の鳥は、つるまない」(あたしの意訳です)というのがありまして、ピア・プレッシャー&ヒラメ王国の日本で昼飯も一人で食べられない男たちにかみしめてもらいたい一節です。

追記2018年6月14日)日本語による解説のあるブログにリンクを張らせていただきます

マーガレット・カスタネダの本とWikipediaの英語版では『力の話』は、カルロスの71年~72年の体験を書いているとあります。(Maya 2章)

『力の話』は、これまでの日誌形式の書き方ではなく、冒頭に1971年の秋とだけあり、その後日付については一切触れていません。

中で述べられている時系列がとりあえず前後せず順番に次の出来事に進んでいるということだけはわかりますので、一応、カルロスがドン・ファンとドン・ヘナロに免許皆伝をもらうということで修行の区切り、そして師匠たちとの別れが示唆されているので1971年~72年ということが想定できるという感じです。

2016年11月18日金曜日

外来語の適応について

最近、同僚と”ネーミング”について会話をしていました。

「ドラクエ」でも「ゆるキャラ」でもいいんですが、省略したり、いい易かったりしますな。

そんなネーミングというか言葉のカテゴリーの一つに外来語が日本語化したものってあるじゃないですか。

「外来」とはいいますが、広く「外」ではなくて実は「米語」が一般的ですよね。

おおもとの言葉が結構、発音しにくい用語だったのがいつのまに、街の高校生とかが日本語にして使っています。

セレブ・・・・・・・。

元の英単語は結構発音しにくいですよね。流行ったから略されるケースもあるかと思いますが、ネーミングの戦略で仕向けてるような気もします。

あたしの推論は、まず日本人には馴染みはないが、ネイティブは、普段使っている用語を持ってくる。
それを聞いた、洋ものの流行りに弱い先端のつもりの日本のとある層が、まだみんなが知らない”クール”な言葉だと思って少しずつ使い始める。って展開では?

古いところでは、

エステ。

これってthがあるので結構発音難しくありませんか?
「麻酔」にスペルが似てます。
でも「アネステ」はない。流行る必要ないし。

エスニック。
これもthがある。

じゃ、thのあるところで、新しく、
ダスベ(どの場面で使うのか?)
thのあるところで、もう一つ、
アンスラ!(炭疽菌)ってのは?

コラボ。
アプリ。

最近、気に入ってるのが若い女子が使う「アプデ」。
アプデ・・・・か・・・。

コーデ・・・も、なんか・・・。 アプデ、コーデ。

デトックスってのもなんかすごいです。

じゃ、次は、まだ広まってない。

ハイジーン。

なんてどうですか?

2016年11月17日木曜日

ガイア・ブックストア

ドン・カルロスの教え』やAmy Wallaceの著書『Sorcerer's Apprentice』には、カスタネダが設立した団体「クリアグリーン」が主催する講演会やセミナー、ワークショップが登場します。

「第二の注意力(あの世)」に10年間消えていたキャロル・ティッグスが、突然、講演会にあらわれたり、Amy Wallaceがフロリンダ・ドナーと再会してカルト集団の一員への第一歩を踏み出したり、C.J.カスタネダ(カスタネダの養子)が父親との再会をしたくて訪ねて、Chacmoolに引き離されたり。

カスタネダをめぐる人々の悲喜こもごもがここで起きていたのです。

文献の中で書店名がはっきりしているのは、Phoenix BookstoreとGaia Bookstoreの二軒です。
いずれもサンタモニカ近辺ですが、前者については、情報がなく、後者のガイア・ブックストアについて調べたところ、下記の記事を見つけました。

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Gaia Store Abandons Bookselling / Owners close after 13 years in Berkeley
Rona Marech, Chronicle Staff Writer Published 4:00 am, Friday, March 10, 2000
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ガイア書店、廃業へ/バークレーで13年間の歴史に幕
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2000年3月の記事です。

13年間営業をしてきた、ニューエイジ、精神世界系の老舗書店もインターネットの波に飲み込まれついに閉店することになったという記事です。

新たにウェブサイトを開いて、そちらで営業を継続すると書いてありますが、どこにも購入ができるリンクがありません。

また、この記事によるといったん、近所に移動してしばらく営業を続けるようなことも書いてありますが、現在は、『Berkeley Apartments - Gaia』というポストモダン風のマンションになっています。

Berkeley Apartments - Gaia


以下の記事に、不動産をめぐる法的な措置などが記してありますが、なんだか難しいので読み込んでいません。オーナーが資金繰りで苦しかったということだけはわかります。

●GAIAビルディングをめぐる経緯

https://www.cityofberkeley.info/uploadedFiles/Planning_and_Development/Level_3_-_ZAB/ZAB_04-09-09_2120%20Allston_ATT%201%20Staff%20Report%2008-14-08.pdf

2116 Allston Way Berkeley CA 94704

●建物の改修工事の遅れについて

http://www.berkeleydailyplanet.com/issue/2002-08-07/article/13970?headline=Developer-working-to-replace-Gaia-bookstore--Patrick-Kennedy-Panoramic-Interests-Berkeley


夢の跡


2016年11月16日水曜日

Jay Fikesとネイティブの各部族について

ドン・カルロスの教え』が長編でしたので、少し口直しで休憩をとりたいと思います。
といっても本稿では、ちょこっとだけ結論めいたことも触れておきます。

BBCのドキュメンタリーの中に、Jay Fikesという文化人類学者が登場します。

Dr.Fikesは、あたしのこの一連の「Googleの中のカスタネダの旅」で、ひと様のサイトで度々見かけた名前ですが、時間の関係でサラっと流していた人物です。

番組で出ているスーパーによると
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Dr. Jay Courtney Fikes Yeditep University, Istambul
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トルコのイスタンブールにある・・・なんて読むのかイェディテップ大学ですか?
~の研究者の方です。

今回、番組では大変重要な役割を果たしていましたので、あらためて検索したところご自身で立てられているサイトがありましたのでご紹介まで。

JayFikes.com
http://www.jayfikes.com/home.htmlhttp://www.jayfikes.com/home.html

そこに「カスタネダ外伝(Castaneda Sequel)」というコーナーがあります。
http://www.jayfikes.com/castaneda-sequel.html

番組の中で、Dr.Fikesは、ドン・ファンはヤキ・インディアンではなくウイチョル・インディアン(Huichol Indians)だったと断言しています。

実際に、彼がドン・ファンの原型となった人物だろうと結論付けたシャーマン Ramon Medina Silva(故人)にたどり着き、未亡人のインタビューに成功します。彼が収録した録音テープで彼女は確かにカスティネーダに会ったと証言しています。

デミルは、ヤキ・インディアンがペヨーテを使う習慣がないことからドン・ファンの実在を疑っています。

一方、元妻のマーガレット・カスタネダとカスタネダの養子、C.J.カスタネダは、カスタネダがフィールドワーク先から寄越したハガキを出して証拠だと言っています。

C.J.にいたっては、カスタネダが保管している山のようなフィールドノートを実際に見たと証言しています。

Amy Wallaceの本で、ドン・ファンが去った(亡くなった)後、カルロスが新たな師を求めてうろたえている様子が描かれています。

1976年、エイミーの兄夫婦(David and Flora)はカルロスとロサンゼルス図書館の資金援助の会でたまたま遭遇しました。
カルロスはいきなりドン・ファンがこの世界から去るために燃える準備をしているととりみだしています。

この年は、一般にドン・ファンが1973年に去ったといわれている時期とかなりずれています。(Amy30)

カルロスは絶望的になっていて他の本物の先生を求めていたが、どいつもこいつも偽物ばかりだと失望していた」(Amy31)とあり、ティモシー・リアリーのパートナーやら太極拳の教師やらヒンズー教のグルの聖水(実は尿)の話などが面白おかしく紹介されています。

1960年に出会ってから16年、呪術の修行につとめドン・ファンから免許皆伝をもらっているような人物が今さら「本物の」先生を探すでしょうか?
(エイミーもそう思ったのでわざわざ書いたのです)

あたしは、カルロスが新たな先生を捜しているこのエピソードから逆にドン・ファンに相当する師匠(たち?)は実在していたのだと考えています。

そして、うろたえているくらいなので、呪術も極めていないし、最後まで戦士にもなれず真実も「見る」ことができなかったのです。

「分野」を問わず先生を求めている節操のなさからドン・ファンの原型となった師匠は複数いるという印象を深めました。(もちろん「師匠」に相当する文献もたくさんあったことは想像にかたくありません)

シリーズ後半でドン・ファンがいろいろな場所に家を持っていたという説明があります。それは”ドン・ファン”が何人もいたからなのではないでしょうか?

Dr.Fikesは、彼が専門とするウイチョル・インディアン(Huichol Indians)のシャーマンと限定していますが、カルロスの本にこれまで登場してきたインディアンの部族の中には他にもペヨーテを使う部族があります。

ドン・ファンのルーム・メイトだったドン・ヘナロが属するマザテック・インディアンもその一つです。

だからマザテックインディアンの中にも、ドン・ファンやヘナロのモデルがいたのだと思います。
ひょっとするとドン・ファン自身もマザテック・インディアンだったかもしれません。

番組の中でDr.Fikesは、ドン・ファンが一般的な呪術師が行う祈祷や治療を行わない変わった呪術師だという話をしますが、カスタネダの作品中で、ドン・ファンは昔はやっていたが自分はもう呪術師ではないと言っていますし、若いインディアンたちも、ドン・ファンは昔はすごい呪術師だったらしいけど、すっかりヤキが回っていると言っています

参考までに、ドン・ファン・シリーズに名称だけでも登場している部族を羅列しておきます。

■ドン・ファン・シリーズに登場するネイティブ・アメリカンの部族

1)タラウマラ(Tarahumara)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/07/blog-post_14.html


2)ヤキ(Yaqui)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/07/blog-post_14.html


3)ヤヒ(Yahi)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/07/blog-post_23.html


4)マザテック(Mazatec )
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/07/blog-post_29.html


5)ウイチョル(Huichol)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html


6)ヤノマミ(Yanomami)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/08/blog-post_17.html

※この南米の部族だけはフロリンダ・ドナーが扱っています。

7)ピマ・インディアン(Pima)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/09/blog-post_11.html

2016年11月15日火曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(後篇)(3)『ドン・カルロスの教え』(32)

「ぼくは本当のことを知りたくてここに来ました」

グレッグは年取った紳士に少し皮肉っぽい感じで話しをした。
「ぼくが知りたいのは、彼が自分で燃えたのか?それともあなた方が彼を焼いたのか?です」

男性はどうするか決めかねてグレッグをしばらく見つめていた。グレッグは悪人には見えなかった。彼は礼儀正しく、そして正気に思えた。

彼は明らかに深く悩んでいるようだった。しかし、グレッグが言っていることは長年葬儀場で働いていろいろなことを経験してきているが、こんなばかばかしい話を聞くのははじめてだった。

「まぁ、おかけなさい」ようやく言葉が出た。

10分ほど待たされて、身なりの良い高齢の女性が応対を代わりグレッグは同じ説明をした。彼女は真摯な表情で話に耳を傾けた。
しかし、グレッグが「内なる炎」の部分にさしかかると頭を揺らして大声で笑いだした。

グレッグは女性を見つめほほえんだ。手のひらを上にむけ手をあげ、肩をすくめた。彼女は背の高い、堂々とした女家長のモデルになれそうな人物だった。

彼女はグレッグによりかかり彼女の腕をまわし母親のように抱きしめた。

「彼はもっといい場所にいきましたよ」とグレッグの背中をさすった。

グレッグは抱擁をといていぶかしげな顔をした。
「それはわかるんです」

「でも、ぼくが知りたいのは・・どこのいいところかってことなんです。確かに火葬されたのですか?」

「私がこの目でみましたよ」彼女がきっぱりと言った。
「ぜったいに?」
「彼の魂は去りました」

グレッグは女性にお礼をのべ車に戻った。

車のドアを開けて乗り込もうと思ったが立ち止まった。からだがマヒしたような気がした。
がっかりしたようなホっとしたような感じだった。
この6年間で100万に1回ぐらいのことだったがRichard DeMilleのことばが頭のよぎった。

「カスタネダは、ただの詐欺師ではない。彼のウソは私たちを真実に導いてくれる。彼の話は本当の話ではないのに真実で一杯だ。これは呪術師の贈り物だ、まったく正反対のもの―知恵と欺瞞を同時に扱う曖昧模糊とした魔法の書である」

グレッグはかつてカルロスのものだったお気に入りのスエードの肘当てがついているコーデュロイのスポーツ・ジャケットを脱いで、車の後部座席に投げ入れた。

さぁ、次に行くときがきた。

(”フォロワーズ(The Followers)”の話(後篇) ~完~)
(『ドン・カルロスの教え』~完~)

いかがでしたか?

あたしも各種作品をランダムに読み進めているので、次から次へと発見が続き楽しんでいます。
特に、Google Map を使ったヴァーチャルな旅が、こんなにワクワクするものとは思ってもみませんでした。感動の連続です。

内容についても、たとえばカスタネダの苗字のAranaですが、Amy WallaceがAranhaと書いていてあれ?と思ったのですが、この錯綜についてはMargaret Castanedaが詳しく書いていることを最近知りました。
間違っていたことなどは随時、後追いでも訂正していきたいと思います。

デミル(Richard DeMille)も改訂版を出しているそうです、そちらも買ってみる必要があるかもしれません。