2016年11月30日水曜日

Fキーのハーモニカのベンド

忘れそうなので記す程度のエントリーです。

基礎練習やら、割とポピュラーな曲ですとたいていはCのキーかAのキーのハーモニカをつい買いますが、だんだん歌など歌いだしたりしますとどうしても原曲通りにしたくなったり、逆に歌いづらいので、キーを変えて演奏する必要がでてきます。

最近、女性ボーカルのバックをやる機会がありまして彼女のキーに合わせている内に、やたらと本数が増えてきてしまいました。

さて、表題のFキーの話。

原曲のキーがCの時に、セカンドポジションの際使いますな。

なので追加購入キーとしては割と早いうちに手に入れるキーのハーモニカだと思います。

前置きはここまで。

Fキーで、(実はDキーでも)、2番穴や3番穴のベンドをやるとき、後頭部のあたりがキュ~~~ンと絞られるような変な感じしませんか?(笑)

CやAでは発生しません。

おそらく舌の形がのどの奥に影響する感覚だと思うのですが、ベンドの時に、クラっとくるような。

下手だからですかね?

10ホールズはじめて足掛け8年になりますが、なかなか上手くなりませんな。


2016年11月29日火曜日

データマイニングの果て

”果て”好きのネタです。

SNSの類は、アカウントだけは早々に立てるものの発信についてはとんとごぶさたしています。

Facebookも2008年にすぐ登録しましたが、これまでの発信数は100回もないと思います。
ですが、「いいね」も押すことなく受け身的に他の人たちが発信している情報は連日拝見しています。

そこであることに気がつきました。特定の人たちがシェアしている情報に限っては必ず詳細まで興味を持ってクリックして元情報まで見てしまうのです。

どんな頻度で発信をしていても金輪際興味を惹かれない相手もいます。
(スポーツネタや育児ネタ、グルメネタ、自転車、ボルダリングなどの流行りもの)

でもKさんがシェアした(ギーグ系の)ものは100%興味持つ。Tさんのは4割くらい。とか。

舞台をSNSからアマゾンや楽天に移してみますと、おそらくあたしと同じような趣味性の本や生活必需品ばかり買っている人が結構いるのでは?

FacebookとアマゾンとGoogleのChromeの検索履歴とNetflixの視聴履歴と・・・・そのあたりを全部ひっくるめてデータマイニングしてみると・・・・

この世界のどこかに「あたしと同じフレームで人格が構成されている人間」、つまり、もう一人のあたしがいるのではないか?と思ったのです。

あたしは相当な部分が上記のKさんと同じ”材料”でできているのではないか?と思いますし、みうらじゅんや筒井康隆でも身体の一部ができていると思います。

「同じフレーム」ですから日本人である必要はありませんし同性である必要もありません。

別に会いたいわけではありませんが、ウクライナのどこかに、あたしと同じような発想で暮らしている人がいるかもって想像してみるのも楽しいものです。

同じような不満もって暮らしてたりして。

2016年11月28日月曜日

力(10) 二人の戦士のお気に入り

四巻目『力の話』の最終回です。

カルロスとドン・ファンは、二日前に車を駐めたところへ戻りました。

これが、お前との最後の旅だ

ドン・ファンが以前カルロスが知っていた少年の話を始め、どれだけ時間が経っても、どれだけ離れていても、その少年に対するカルロスの感情は変わらないだろう、と言った。

もちろん、C.J.カスタネダのことですが、C.J.にまつわるエピソードで特にドン・ファンが気に入っている話をおさらいします。

あくまでもあたしの解釈ですが、この『力の話』の内容での「ドン・ファン」は、カスタネダのイマジネーション上のキャラクターですから、カスタネダ自身が忘れられない思い出ということです。

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その少年とロサンジェルスに近い山へ行ったとき、疲れたというので肩車をしてやった。すると、わたしたちは至福感の波に包まれ、少年が太陽と山々に大声でありがとうと言ったのだった。
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子供との体験では、どの大人もこれに類する思い出があるのではないでしょうか?子からの立場でも親との同様のエピソードを心の中に持っていると思います。

彼は、そうやってお前に別れを告げたんだ」ドン・ファンが言った。

別れを告げるやり方はたくさんある。たぶん、一番いいのは楽しい思い出を抱きつづけることだ。たとえば、お前が戦士のように生きていれば、少年を肩車したときに感じた暖かさは死ぬまで新鮮だし強烈なものだろう。それが、戦士の別れの告げ方というものなんだ」(力353)

ドン・ヘナロとパブリートとネストールの三人が目的地で先に待っていました。
ネストールは二人が自分たちだけで”ナワール”と”トナール”に入っていくのを見届ける証人なのだそうです。(力358)

カルロスとパブリートは、これまで世話になった人たちに感謝の言葉を発します。

彼らの師たちが別れの言葉を言います。

「おれたちは笑って楽しんできたぞ」
「だが、何事にも終わりってものがある。これが自然の定めってもんだ」
「(前略)おれたちにもそろそろ解散するときが来た」

ドン・ヘナロが二人へのはなむけとして「戦士のお気に入り」について教えてくれ(力367)、それを受けてドン・ファンがこの大地、世界に対する愛について語ります。

「夕暮れは二つの世界の裂け目だ」
「未知への扉なんだ」

ドン・ファンとドン・ヘナロが二人の耳にささやき、二人は深淵に飛び込みます。

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今回の再読で、二人の深淵へのジャンプについて認識をあらためました。
最後のジャンプの前に予行演習をしていたくだりは、まったく覚えていませんでした。

昨日の投稿にありますように「練習」の際に、ドン・ファンがカルロスは崖の上と谷底と同時に存在していたと話しています。
普通に谷底に身を投げたらもちろん命を落とすわけですが、非日常的感覚にいるので、ありていにいいますと幻覚状態にあるわけで、身を投げたような気がしている、と。

現にカスタネダは、こうして『力の話』の原稿を書いて出版しているわけですから、もちろんその後も生存をしています。

Amy Wallaceの体験を読むと、カルロスは、原因や必要ががまったくない状態にある状況(弟子の親子関係や、その関係者の経歴)に対して伝説を創るためにある時は対象者をその気にさせ、あるいは脅しに近い形で話を捏造しています。

あたしは、せめてこの身投げ体験がなにからなにまで作文なのではなくて、それに近い幻覚症状による体験に基づいて書かれたことを願っています。

2016年11月27日日曜日

力(9) 知覚の泡

カルロスは、ひとりでドン・ヘナロの家にいましたが、その後、帰ってきたドン・ファンに連れられて谷底を見下ろす絶壁にいきました。

途中までは、二人でしたが最後の道のりは一人でいけと言われ、崖では、パブリートがカルロス待っていると言われます。

崖で出会ったカルロスとパブリートの二人は、お互いの人影に怯えます。

やがてドン・ファンとドン・ヘナロが現れたましたが少し様子がおかしく、これから二人が彼らに盟友を見せると言います。

ドン・ヘナロが彼らのために結界を張ってくれます。(力333)

上記、要約のため「結界」という用語を用いましたが、日本語版にも原文にもこのような語彙はありません。

コヨーテや巨大なネコのような盟友の攻撃をうけ、二人が協力して防ぐと力がつきます。

ドン・ファンとドン・ヘナロが気絶した二人を起こしてくれました。
その後、(非日常的感覚に陥っている)パブリートとカルロスは二人に谷底に放り投げられます。

二人の意識が戻ると、彼らは未知の世界を見たのだといわれました。(力339)

カルロスにはドン・ファンがつきそってヘナロの家に帰ります。
カルロスは家のそばで土に埋まって一晩過ごします。

以前にも、カルロスは、盟友から受けたダメージや影響から回復するときにドン・ファンに水に浸けてもらったり、木の葉に埋もれたりと似たような養生を行ってもらいますよね。

砂風呂みたいな感じで身体にいいのでしょうか?

家に帰って来たカルロスは眠り込み昼過ぎに起きます。
ドン・ファンから「明日、おまえとパブリートは未知の世界に行くことになる」と告げられ、トナールとナワールに関する長い講義が行われます。(力344)

ドン・ファンは、カルロスが谷底に投げ込まれたとき、カルロスは崖の上と谷底に同時にいたといわれます。(力347)

ダブル(分身)が現れたのですね。

ドン・ファンから、カルロスがついに呪術の訓練の頂点に達したと伝えられます。(力346)

2016年11月26日土曜日

力(8) 呪術師の戦略

この章は、これまでの総括に近い内容になっています。

(三人でパブリートの家に逃げ帰った翌日の)昼ちかくにカルロスがドン・ヘナロの家にいくと、ドン・ファンが彼を待っていました。

ドン・ファンは、ヘナロは山を揺らしに出かけていると言い、ヘナロのお気に入りの場所に移動することになります。

ドン・ファンによると、これから最後の課題である呪術師の解釈に進むのだそうです。

わしらはとうとう呪術の最終段階にさしかかっとるんだ。これまでにお前に必要な指示はすべて伝えてあるが、とりあえずいったん立ち止まり、過去をふり返り(反復)、自分の歩みを見なおさねばならん。(中略)お前の力の場所で話した方がいいと思っていたんだが、おまえの恩師はヘナロだから、こういう話は彼の力の場所でしたほうがいいだろうと思ったんだ」(力293)

カルロスの”力の場所”があるのはメキシコ北部の砂漠地帯にある丘の上で、何年も前にドン・ファンが”授けて”くれた場所です。
ヘナロのお気に入りの場所は、ヘナロの家の西側にある大きな岩で、上から深い谷底が見下ろせました。

お前の”トナール”を受け持っとるのはわしで、”ナワール”を受け持っとるのだがヘナロだ」(中略)「わしがお前と一緒に、あるいはお前にしてきたことは、ただただお前の”トナール”の島の掃除をして秩序を取り戻すためだった。(中略)ヘナロの仕事は恩師として、お前に非の打ちどころのない”ナワール”のふるまいを見せてそこに到達する方法を示すことだ」(力294)

たいていここで、師は弟子に最後の十字路までやって来たことを伝えるものなんだが」(力295)
(中略)「わしの考えでは、最後の十字路、最後の段階なんてものは存在しない

てなことを最後の教えを5時間ぶっつづけで語った後、カルロスとの最初のバス停での出会いはドン・ファンが自分の”意志”でカルロスを捕まえたことを伝えます。(力298)

戦士は相手の右目をじっと見るんだ」彼は言った。「そうすると相手は内部の対話ができなくなる。すると”ナワール”が優勢になる。危険な術だ」(力299)(体術)
これを「戦士のまなざし」と呼ぶのだそうです。

世界をみる方法はひとつではないということを理解するための、生まれたときから持っている世界の見方を捨て去る修行のひとつに「正しい歩き方」があるのだとといいます。

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正しい歩き方は一種の目くらましだ、と彼は言った。戦士はまず両手の指を曲げ、腕に意識を集中する。それから、自分のつま先から始まって水平線で終わる弧の上にある一点を、目の焦点を合わせないで見る。すおすることで彼の”トナール”を文字どおり情報で満たしてしまうのだ。すると、世界を描写する構成要素と一対一の関係を持っていない”トナール”は、自分に対して直接語りかけることができずに黙り込んでしまうのだという。(力301)(体術)
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「正しい歩き方」に加えて、「ありのままに行動する」ということの重要性についてもドン・ファンは語ります。

履歴を消すこと、夢見ることに関する基礎修行の話が続きます。

ですが、カスタネダ本人もまるで言い訳のように書いていますが(力297)ドン・ファンの話っぷりが、学者すぎます。

例えば、こんなセリフ・・・
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だが、外見を変えるということは、以前は重要だった要素二義的な場所を割り当てたにすぎないんだ。(力308)
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履歴を消す助けになる技術は四つあるのだそうです。
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1)おとりの術(力305)(注意をそらす(ワナにかけ)こと)
2)自尊心をなくすこと
3)責任を負うこと
4)助言者として詩を利用すること。(力306)
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ドン・ファンは、当初、幻覚性植物を使ったのが方便にすぎなかったこともあらためて伝えます。(力309)

また、カタリーナとの関係についても、振り返ります。
修行をくじけそうになっていたカルロスに修行を続けさせるために好敵手を使うことで奮起させたのだと話します。(力313)

少し、意外なのは、カタリーナもカルロスもお互いに惹かれあったとあることです。
文中、二人が直接会話をする場面は一切ありません。一目ぼれなのでしょうか?

世界を知覚する新しい方法を学ぶ道は、三つあるのだそうです。
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1)日常性を壊すこと
2)力の足どり
3)しないこと
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(3)のしないことは、なかなかわかりずらい話ですよね。

ドン・ファンの話も終わり。
カルロスは、服をよごさないように裸になり峡谷を見下ろす岩のところへ行くとドン・ヘナロが待っていました。

またまた、二人がカルロスの両耳に同時に語り掛けると、カルロスは非日常的な感覚に入って行きドン・ヘナロと跳躍をし、日常に戻ったカルロスの汚れた身体をドン・ファンが洗ってくれます。

2016年11月25日金曜日

力(7)三人のナワールの目撃者(第三部 呪術師の解釈)

カルロスは、いったん帰宅してノートをまとめましたが、またドン・ファンに会いにいくことにしました。

中央メキシコの山間部の小さな町の市場にいるカルロスをドン・ファンが見つけ、パブリートとネストールが住んでいる町に立ち寄ることになります。

カルロスが「蛾の呼び声」を聞いていると、そこにドン・ヘナロが現れます。その代わりに、いつのまにかドン・ファンがいなくなっています。

車にドン・ヘナロを乗せてパブリートの家につきますが、ふと見ると乗っていた筈のドン・ヘナロもいなくなっています。

ネストールも乗せ、カルロスがヘナロに力の場所に行くように言われたというと、パブリートは、カルロスが迎えにきたときから車にはヘナロは乗っていなかったといいます。

三人は、山を登って巨大な崖の下にきて待つように言われていました。

ネストールは自尊心をなくす修行をしているので以前よりも若く見えるようになっていました。
ネストールは、現場で自分のスピリット・キャッチャーを見せてくれました。

ドン・ファンたちを待つ間、三人は雑談をし、パブリートの姉妹の話で盛り上がりました。ネストールは、一番上の姉貴は目つきだけでノミを殺せるくらい底意地が悪いといいます。
ナワールが姉の気性の荒さは認めていたが、”ナワール”が治してくれたおかげで元に戻れた、と打ち明けました。

この姉というのは、続巻の『力の第二の環』で登場するラ・ゴルダのことですね。

『力の第二の環』では、このパブリートの家族の話題から始まります。
あたしが『力の第二の環』を読んだのは、『力の話』をペーパーバックで読んでから実に、30年以上経っていましたから『力の話』の終盤のこのエピソードなど完全にスルーしていました。(自慢じゃないですが、『力の話』と『未知の次元』が違う本だと思い込んでいたくらいですから)

『力の第二の環』でパブリートの家族の話が当たり前のように始まったので、それまでのストーリーでパブリートの姉たちの話題が出てたのだろうか?と今回再読してみると、やはり、この箇所だけが最初でした。

カルロスは、パブリートもネストールもドン・ファンの名前を出さずに彼のことを”ナワール”と読んでいることに気がつきました。(力281)

周辺資料を平行して読んで来た、あたしの現時点での私見&推測ですが、この『力の話』は、大部分が創作だろうと思うに至りました。

次の『力の第二の環』からドン・ファンが本格的に”ナワール”化します。また、パブリートの家族のエピソードを”膨らませて”いきますので前段の『力の環』で伏線を張っておくことにしたのだと思います。

Amy Wallaceの本を読み進めているとカルロスのイカれ具合が本当に激しいので当の本人も途中から物語とドキュメントの区別もつかなくなってしまったのかもしれません。
『無限の本質』の中に、弟子入りして日が浅いころ「大量の幻覚性植物」を投与されて自分がおかしくなるのではと不安だったという記述があります。(pending)

元々頭が良かったことに加えてクスリの影響で脳ミソが本格的におかしくなっちゃたのでしょう。それが老化にともないはげしく進行したと。

三人がおしゃべりをしていると、ふたたび「蛾の呼び声」が聞こえました。
彼らが怯えていると目の前にドン・ファンとドン・ヘナロが立っていました。

ドン・ヘナロとドン・ファンは、崖から飛び降りたり曲芸めいた技を彼らに見せますが、ひとしきり経つと、一連の不思議な現象が終わったとわかります。

怯えきった三人は、パブリートの家に逃げ帰ります。
家では、母親と姉たちが夕食の準備をして世話をしてくれます。
パブリートは年上のネストールが若返ってしまったので、まるで弟のような扱いで世話をしています。

2016年11月24日木曜日

力(6) ナワールの時に~ナワールの囁き~知覚の翼

今回も三章進みます。

■ナワールの時に

ドン・ファンの指示通りにドン・ヘナロの家を訪問すると二人が待っていました。

その翌日、ドン・ヘナロが二キロ離れたユーカリの木のある林まで行こうといいます。
ドン・ヘナロがいきなり叫び声を発したかと思うと、15メートルほど離れたユーカリの木の三十メートルほどの幹に地面と平行して立っていました。

パニックに陥ったカルロスに対し、ドン・ファンが、大きな危険やストレスに直面したときに使うテクニックを教えます。(力216)

腹をへこませろ。へこますんだ
横隔膜を下げて喘ぐように四回呼吸し、それから鼻で四回呼吸する。最初の四回の呼吸はからだの中央が揺さぶられる感じがしなくてはならず、しっかり拳を握ってヘソの上に置くとからだの中央に力が入って短い呼吸と深い呼吸がコントロールしやすくなる。そして横隔膜を下げているあいだに八つ数えるまでこれを保持しなければならない。息を吐くときは二回を鼻から、二回を口からで、そのスピードは個人の好みでいい。(体術)

また、「ヘナロを見つめるんじゃない」、「まばたきをしろ、まばたきだ」と言われます。

こうした「じっと見るな」という指示ですが、非日常的な現象に「耽溺」すると頭が変になってしまうからなのかもしれません。

次々と木を使った芸当を見させられるカルロスは、水につかってようやく我を取り戻します。

この章で、ドン・ヘナロがカルロスの恩師(benefactor)でドン・ファンはカルロスのトナールを扱う役目だったとはじめて打ち明けられます。
逆にパブリートとネストール、ヘナロの二人の弟子の恩師は、ドン・ファンだそうです。
ドン・ファンにも同じように師と恩師がいたといいます。(力229)

ドン・ファンは、これまでも自分の恩師については折に触れ話していましたが、担当の異なる二名の先生がいたというのは初耳です。


■ナワールの囁き

カルロスは、ふたたびユーカリの木の下でドン・ヘナロと向き合います。

ドン・ヘナロの曲芸を見ているとドン・ヘナロが糸のようなものに引っ張られ滑空しているのが見えました。

カルロスの左右の耳にドン・ヘナロとドン・ファンが別々の言葉をささやき一緒に飛ばないかと誘われます。(力239)
二人が耳元で囁くことは恩師と師が行う最後の仕上げなのだそうです。(力249)

呪術師にとって恩師をもつのはとてもむずかしく、弟子のエリヒオはずっと恩師を見つけられずにいると教えられます。

何年か前に、メキシコ北部の砂漠で放浪する若いインディオたちも恩師がいなかったそうです。(力244)

■知覚の翼

カルロスは、ドン・ファンと山の上で一日過ごしたあと、ヘナロの家に戻りました。パブリート(本名パブロ)がこれから来るのだそうです。

パブリートは陽気できさくな性格でネストールは逆に陰気で内向的でした。

カルロスが、訪れてきたパブリートにネストールの近況をきくと別人のようになっているといっただけで話題を避けられてしまいます。

カルロスがドン・ヘナロを恐れるのと逆にパブリートは、ドン・ファンを恐れています。これからドン・ファンが来るのを知ったパブリートはとんで逃げて行きます。

ふたたびカルロスの両方の耳にドン・ファンとドン・ヘナロの二人が別々に囁きます。(力260)

たちまち不思議な感覚におちいり、幼児としての知覚体験がカルロスに訪れます。

2016年11月23日水曜日

力(5) トナールの島~トナールの日~トナールを縮める

今回は、肝心のトナール、ナワール談義の詳細は、このブログの興味からはずれているので省略して三章、まとめておさらいします。

■トナールの島

二人は、翌日も同じアラメダ公園で会ってレストランに入って自分の全体性について話します。
普通、自分の全体性は話しませんな。

前に入ったアリゾナのレストランのようにウェイトレスの対応が悪いですが、ドン・ファンにかえって誰にも邪魔されずに話せるじゃないかと諭されます。大人ですね。

ここでドン・ファンは、はじめてトナールとナワールという言葉を口にします。

この二つは、カルロスも含め、多くの人たちが一度は、耳にしたことがある言葉ですが、ドン・ファンの話す内容はまったく違う内容でした。

トナールは、あたしたちが知っているものすべてなのだそうです。

■トナールの日

二人はレストランを出て、道行く老婦人や貧しそうな若者など通行人をみて世界の成り立ちについて会話を続けます。

ドン・ファンが言います。
実在性を明らかにするのがトナールで、それに効果を及ぼすのがナワールだ」(力183~184)

ドン・ファンは、ナワールは、創造性の元だといって手のひらの上に、日本人そっくりのメガネをかけたリスを出してみせます。(力185)

ドン・ファンは通りかかった若い女性を「正当なトナール」だとカルロスに教えます。(力188)

■トナールを縮める

この章のエピソードは、『力の話』のハイライトの一つです。

カルロスは、水曜日の朝(何年何月何日の?)、9時45分を過ぎた頃にホテルを出でドン・ファンと約束した場所へ向かいます。

カルロスと朝食を一緒にとった友人がこっそりカルロスの後をつけてきているのに気がつきました。

待っていたドン・ファンがカルロスの窮地に気がつくとレフォルマ通りと斜めに交わる通りを指さしましたた。

航空会社のオフィスがあるビルの入口でドン・ファンに急に背中をおされ航空会社のオフィスの中をよろめきながらつっきってレフォルマ通りに出るドアまで進んで表にでてしまいます。

カルロスが目を開くと、1マイル半も離れたラグーニャ市場(Mercado Lagunilla)にいたことに気がつき愕然とします。
市場では、コインと古本の店があることに気がつきます。

ドン・ファンが頭を軽くたたいて「カルロス、正気をなくすんじゃないぞ」と言います。
カルロスは、想像を絶するような不安を感じ涙が頬をつたいます。

ラグーニャ市場を出てアラメダ公園へ行くと午前10時20分でした。
ドン・ファンに会ったのは10時過ぎのことでした。

地図をご覧ください。ラグニーニヤ市場からアラメダ公園までは、約1.56キロ。丁度1マイル(1.6キロ)くらいです。



大人が歩く速度を時速4.5キロとすると、1時間で4.5キロ。1.5キロなら丁度、20分
上記でカルロスが歩いて公園までたどり着くのに要した時間とピッタリです。

ドン・ファンに突き飛ばされてからラグニーニヤ市場に瞬間移動したことになります。

カルロスがよろめいて入った航空会社は、ラグーニャ広場から「1マイル半」離れているとあるので、カスタネダが書いた内容が厳密だと仮定すると、この「航空会社」のオフィスはラグーニャ広場から「半マイル(800メートル)」離れていることになります。

航空会社~ラグーニャ広場=1.5マイル -(ア)
ラグーニャ広場~アラメダ公園=1.0マイル -(イ)
航空会社~アラメダ公園=(ア)-(イ)=0.5マイル≒800メートル

このあたりの航空会社のチケットオフィスを捜せばいいのですが、なにしろ当時から長い年月が経っています。

レフォルマ通りと斜めになっている裏通りの両方に接している土地にある航空会社・・・なのでしょうが、現在は該当するオフィスはないようです。
ただ、上記の記述から、アラメダ公園から約800メートルくらいのところの三角状の土地、図に示したあたりが怪しいのでは?


幻の世界にすっかり魅せられて(?)しまったカルロスは、奇妙な男のイメージや空飛ぶライオンを夢想します。

ドン・ファンによるとトナールを縮めてナワールが優勢になった結果、今朝のようなことが起きたのだといいます。

耽溺するカルロスを水の入ったバケツで覚醒させたドン・ファンは、今日は夕暮れまでこのベンチに座っていて三日のうちにヘナロの家までこいといわれます。

去り際のドン・ファンにスーツのことをあらためて聞くと「わしは株主(stokholder)なんだよ」と答えます。

後期の作品では、ドン・ファンが本当に「仕事」をしていたという記述があるので実は裕福な投資家だったなんて想像も楽しいものです。

さて、翌日、木曜日の朝、件の友人に前日カルロスにまかれた場所まで歩いてくれと頼まれます。
航空会社のドアからラグーニャ広場まで35分かかりました。

市場で昨日見かけたコインと古本を売っているスタンドをたずねると日曜しか出ていないといわれ茫然とするカルロスでした。

2016年11月22日火曜日

力(4)第二部トナールとナワール 「信じなければならない、ということ。」

(日付は不明で、前回、ドン・ヘナロたちに翻弄された事件から数か月後となっています(力136))カルロスはメキシコシティにいました。

彼は、ダウンタウンへ向かってレフォルマ(Paseo de la Reforma)通りを歩いていました。(力134)
ゾカロ(Zocalo)広場を経由してラグーニャ広場(Lagunilla market)へ向かうと驚いたことにドン・ファンにばったり出会います。

さらにおかしなことにドン・ファンが三つ揃いのスーツを着ていました。
はじめに見た時はたしか、普段着(カーキ色のパンツにシャツ、サンダルに麦わら帽子)だったのに。しかもヘアスタイルは、短い白髪を右側で分けていました。

二人は、公園を求めて、プラザ・ガリバルディ(the Plaza Garibaldi)に行きますが、更に静かな場所を求めてアラメダ公園(La Alameda)に行ってベンチに座りました。

 

やはり地名が示してあると盛り上がりますね。(あたしだけですか?)

ドン・ファンは、イギリス製の厚手のフランネルスーツを着た祖父くらい見栄えがよかった、とあります。(力139)

マーガレット・カスタネダの本によるとカスタネダは、市井の発明家だった祖父が大好きで尊敬していたとあります。
ドン・ファン創作説に立つと、ドン・ファンはこの祖父のイメージで作られたのではないかという連想ですね。(pending) だから祖父くらい見栄えがいいのは当然ですよね。

ドン・ファンは、二人がここで出会ったのだから後は予兆を待つだけだといいます。(力138)

彼らが坐っているベンチから直線で二十メートルくらい離れた公園の端に人だかりがあって、彼らは草の上でじっと横になっている男を囲んでいました。(力141)

ドン・ファンが、カルロスの友達と飼いネコのエピソードを話してくれるようにいいます。

その話とは、自分の飼い猫を飼い続けることができなくなった友人が二匹を安楽死をさせるために病院へ連れて行ったが、二匹の内、マックスが逃げ出した、カルロスがその姿に「ネコの魂」を見た。といった話です。

要約だけでは伝わりませんが、生き物の生と死について考えさせられる印象深い話です。特に、エピソードに対するドン・ファンの「解説」が秀逸です。

カスタネダは、こうした単発で意味深なエピソードや寓話を作るのが巧みで、他人から聞いた小ネタを膨らませてとんでもない話に改造したりします。

ドン・ファンは、この話を引き合いにして戦士の「信じる」態度についてカルロスに説いて聞かせます。

このような語り口は『無限の本質』やフロリンダ・ドナーの『魔女の夢』に似ています。

ドン・ファンが公園で遠くに横たわっている男は死にかかっている、といいます。(力147)
男のまわりを死がぐるぐる回っているのが見えるそうです。

ドン・ファンが、カルロスが覚えているセサル・バレホの『白い石の上の黒い石』を朗誦してくれといいます。

怪しいなぁ。ドン・ファン、どんどんインテリになってますよね。
下の写真の公園ですよ。死がぐるぐる回っていたのは。

アラメダ公園

2016年11月21日月曜日

力(3) 夢見る者と夢見られる者

話は、その後の訪問になりますが、時期は不明です。(力69)

ドン・ファンは、カルロスが深刻にものごとを考えすぎだといい、戦士の心得をつたえます。

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いつもとちがう状況に直面したときに、わしらが何度も繰り返す悪しき習慣が三つある。第一は、起きていることや起きたことを、まるで何事もなかったかのように無視することだ。それは偏屈な奴のやることだ。二番目は、すべてを額面どおりに受け入れて、何が起きているかはわかっている、と思い込むことだ。三番目は、出来事を無視することも受け入れることもできないせいで、それに取り憑かれてしまうことだ。それは愚か者のやることだ。お前はどうかって?四番目があってな。それは正しいやり方、戦士のやり方だ。戦士は何事もなかったかのようにふるまうんだよ。なぜなら、戦士はすべての存在を信じていないからだ。と同時に額面どおりに受け入れもする。受け入れることなく受け入れ、無視することなく無視するんだ。戦士は知ったかぶりなどしないし、何事もなかったなどとも思わない。がたがた震えるほど恐れていても、冷静にふるまう。そういうふるまいをすることで、取り憑かれたものを追い払うんだ」(力71)
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カスタネダの創作かもしれませんが、それにしてもいいこと言いますよね。

ドン・ヘナロは、自分の分身を使って何百マイルも離れたところで人を殺すことができるのかい?

お前の話は暴力のことばかりだな。
ヘナロには誰も殺せないさ。なんせ、他人にはこれっぽちも興味がないんだからな。”見ること”と”夢見”ができるようになって自分の輝きを意識するようになった戦士は、そういうことに興味がなくなるんだ」(力77)

分身にそんなに興味があるのなら、またヘナロを呼んだらどうだ?といわれてカルロスは飛び上がるほどビビります。カルロスは、これまでの体験でヘナロというだけで恐れるようになっています。

恐怖に駆られてカルロスは、「西を向き、その場で足踏み」をします。(体術)(力80)

その足踏み動作の目的は、日没直前の夕陽から”力”を引き出すことにあるそうですが、カルロスは、恐怖で感覚がマヒしてしまいます。

ドン・ファンによると「分身」は”夢見”から始めるそうです。(力83)
ドン・ファンのリクエストにしたがいヘナロは、カルロスに自分の分身の体験談を語ります。86ページあたりからかなりの量になりますが、このブログでは割愛します。

分身に関する講義につづいてカルロスは、いきなりドン・ファンとヘナロに「バラバラ」にされます。(力92)最後に、ヘナロがカルロスの首を叩くと気を失ってしまいます。(力102)

なかなか、いい話が多いこの『力の話』ですが、本ブログ的には内容を流す感じになってしまうのが少し残念です。

2016年11月20日日曜日

力(2) 第一部 力のふるまいの目撃者 知との約束  

1971年の秋。カルロスが久しぶりにドン・ファンを訪問します。

この本で具体的な時期について書いているのは、ここだけです。

二人で、これまでのおさらいをしていると、幻覚性植物は実は「方便」として使っていただけで呪術の修行に必須のものではなかったと明かされます。

実際にドン・ファンのもう一人の弟子、エリヒオは植物を一度しか使わなかった、と言われ驚きます。(力10)

この本で久々に、あのエリヒオの話題が出ました。(以前は、”エリジオ”となっています)

呪術師の修行内容についてカルロスが出版することについて、そのような奥義を明かすのはよくないことではないかという指摘を受けた話をします。

カスタネダは、ここで仏教の密教との対比をするので、カスタネダが東洋哲学を研究していたことがうかがえる一節になっています。

カルロスはドン・ファンに夢見の進み具合について聞かれ、カルロスが自在に内部の対話をとめられるようになったようだといわれ「内部の対話」を止める訓練に効く練習方法を教わります。
。(力21)

それは、どこにも目の焦点を合わせずに長い距離を歩くことで、わずかに寄り目にして視野に入ってくるすべてのものをその周辺部で捉えるのだそうです。(力21)(体術)

立体視の目の使い方ですので、あたしも、これを実際にやってみましたが、結構目がクラクラしますのであまりマネしない方がいいと思います。空間の奥行きが不思議な感覚になりますが、盟友は見えません。

瞑想の基本と同じといったら身もふたもないですが、呪術師の世界への道は、戦士が内部の対話を止めることを学んで初めて開けるのだそうです。(力22)

そんな「瞑想」をしていると、かん木の中に人間のシルエットを見た気がし、それから巨大な黒い鳥のような空を飛ぶ生き物がかん木の中からカルロスに飛びかかってきます。(力25)

これは、のちにカスタネダがflyerと呼ぶものだと思います。

恐怖にかられたカルロスは、気持ちが鎮まるまでその場で足踏みをしてから座り込みます。(力26)(体術)
ドン・ファンは、彼に強い口調で何事もなかったかのようにふるまえと言います。(体術)

これまで、あまりピックアップしていませんが、この「何事もなかったかのようにふるまえ」という指示がシリーズではよく登場します。

ドン・ファンがカルロスがみたものは「蛾」だったといいます。(力26)
今夜のカルロスには蛾との約束があって「知というのは蛾なんだ」といいます。

不安なカルロスを落ち着かせるためにドン・ファンが頭をゆらして目を使います。(力27)
お前もやってみろ」といわれますが、上手にできないでいると「胃の下あたりから目に伝わる感覚が頭をふらせるのだ」といわれます。(体術)(力27)

シカやコヨーテと話した経験について話したあと、ドン・ファンがふたたび蛾を呼び出します。
奇妙な音を立てる蛾の羽には黒っぽい金粉がついていて、それは、知識の粉なんだと言います。(力40)

奇妙な感覚にとらわれたままカルロスはキノコのような姿に見えた知人の幻影をみます。カルロスは、ドン・ファンの指示のまま次々と人(の幻影)を呼びだします。
その中には、弟子のエリヒオやパブリートがいました。(力49)

47人を呼び出したところで、ドン・ファンが全部で48人必要だといいます。
カルロスは、そういえば呪術師が持っているトウモロコシの実は48粒だと昔いっていたことを思い出します。(力50)

その48人目というのは、ヘナロだと言われてて「呼び出してみる」と目の前にいきなりヘナロが現れます。驚き慄くカルロスですが、これはすべて仕組まれたいたずらだとドン・ファンたちを疑います。

これまでいくども突然、登場するドン・ヘナロの遍在性に驚愕しているカルロスにドン・ファンがヘナロは自分の分身になれる、と告げます。(力57)

これは、今後のカスタネダの活動で重要な要素となる「ダブル」のことだなと思い、あらためて原典にあたってみますと、なんのことはない、この『力の話』でも”double”でした。
和訳の作法の違いに長い間すっかりだまされていました。

ドン・ファンがいいます。
何年か前にお前がヘナロと知り合ってからいままで、お前が本物のヘナロと顔を合わせたのはたったの二回なんだぞ。それ以外は、お前と一緒にいたのは彼の分身なんだ」(力61)

自分の分身が他の場所にいることについて「現実的な」疑問を呈するカルロスにドン・ファンは、呪術師は自分が同時に二カ所にいるなんてことは考えないのだといいます。

確かに、呪術師は自分が同時に二カ所にいたことにあとになって気づくかもしれん。だが、それは単なる記録で、呪術師が行動しているときに自分の二重性など意識していないという事実とは関係のないことなんだ」(力64)

このドン・ファンの言い回し。どう思います?
初期のドン・ファンとだいぶ違いますよね。超インテリ?
「寅さん」シリーズで初期の荒っぽい寅さんと後期の作品の優しげなキャラが全然違っているみたいな感じです。

分身のことを突き詰めるとカルロスは気が変になりそうになってしまいます。

2016年11月19日土曜日

力の話(1) 概要

ひさびさに、カスタネダの自著についておさらいを進めていきます。

シリーズ四巻目。『力の話』です。
今回は、太田出版から出ている新訳の本で、2014年4月8日第1版第1刷発行を使っています。

前に、この四巻目だけが、なぜ『未知の次元』というタイトルで「講談社学術文庫」に収録されただろう?と書きましたが理由がわかりました。

同じ太田出版から出ている『時の輪』(北山耕平訳)の訳者によるあとがきで事情がわかりました。

以下、引用します。
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1975年までに日本では三冊のカスタネダの本が二見書房という欧米の翻訳娯楽小説を扱う出版社から出版されていた。前述の『ドン・ファンの教え』、二冊目の『分離したリアリティ』、三冊目の『イクストランへの旅』の三冊だ。時期的には、ほんとうはもう一冊1974年にアメリカで出版された『力の話』が日本語訳されて出版されていてもおかしくなかったのだが、この本の翻訳権がアメリカのベストセラーの噂を聞きつけた大手出版社によって横取りされてしまい、同書は1979年になるまで日本語訳が出版されることはなかったのである。それどころか1978年には五冊目の『力の第二の輪(ママ)』の方が日本では先行して発売されるという異常な状況だった。(時の輪278)
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なるほどね~。横取りですか。

『時の輪』は、あまり具がなくて読むところが少ないコレクター・アイテムですが、買っておいてよかった~。

あたしは、前にも書きましたが、なぜか『未知の次元』を間違えて二冊買ってしまいまして
いつの間にか一冊どこかへ行き、先の「自炊作業」で残りの一冊もPDFと化してしまいました。

なんだか寂しいなと思っていたら、なんと!この一連の「カスタネダの旅」を進め始めてから職場のデスクの引き出しの中から『論語』と一緒にひょっこり出てきました。予兆ですな。

この『力の話』では、最後にカスタネダとパブリートが谷底に跳躍して終わります。
その後、どうなったかについては最後の著書『無限の本質』が1999年に出るまでは謎のままです。

1974年に『力の話』が出て、続巻の『力の第二の環』が出たのは1977年。『力の第二の環』では、谷底への身投げの後の話はまったくなく、普通にカルロスが生活を続けています。
(もっとも『力の話』の原稿を書いて出版しているのだから生還しているにきまってますね)

さて、この『力の話』から、いきなりドン・ファンのインテリ度がアップしてフィクション度もアップします。扉には、サン・ファン・デ・ラ・クルス(San Juan de la Cruz)という詩人の「孤独な鳥」という作品が引用されています。

この詩では、第三の規則に「孤高の鳥は、つるまない」(あたしの意訳です)というのがありまして、ピア・プレッシャー&ヒラメ王国の日本で昼飯も一人で食べられない男たちにかみしめてもらいたい一節です。

追記2018年6月14日)日本語による解説のあるブログにリンクを張らせていただきます

マーガレット・カスタネダの本とWikipediaの英語版では『力の話』は、カルロスの71年~72年の体験を書いているとあります。(Maya 2章)

『力の話』は、これまでの日誌形式の書き方ではなく、冒頭に1971年の秋とだけあり、その後日付については一切触れていません。

中で述べられている時系列がとりあえず前後せず順番に次の出来事に進んでいるということだけはわかりますので、一応、カルロスがドン・ファンとドン・ヘナロに免許皆伝をもらうということで修行の区切り、そして師匠たちとの別れが示唆されているので1971年~72年ということが想定できるという感じです。

2016年11月18日金曜日

外来語の適応について

最近、同僚と”ネーミング”について会話をしていました。

「ドラクエ」でも「ゆるキャラ」でもいいんですが、省略したり、いい易かったりしますな。

そんなネーミングというか言葉のカテゴリーの一つに外来語が日本語化したものってあるじゃないですか。

「外来」とはいいますが、広く「外」ではなくて実は「米語」が一般的ですよね。

おおもとの言葉が結構、発音しにくい用語だったのがいつのまに、街の高校生とかが日本語にして使っています。

セレブ・・・・・・・。

元の英単語は結構発音しにくいですよね。流行ったから略されるケースもあるかと思いますが、ネーミングの戦略で仕向けてるような気もします。

あたしの推論は、まず日本人には馴染みはないが、ネイティブは、普段使っている用語を持ってくる。
それを聞いた、洋ものの流行りに弱い先端のつもりの日本のとある層が、まだみんなが知らない”クール”な言葉だと思って少しずつ使い始める。って展開では?

古いところでは、

エステ。

これってthがあるので結構発音難しくありませんか?
「麻酔」にスペルが似てます。
でも「アネステ」はない。流行る必要ないし。

エスニック。
これもthがある。

じゃ、thのあるところで、新しく、
ダスベ(どの場面で使うのか?)
thのあるところで、もう一つ、
アンスラ!(炭疽菌)ってのは?

コラボ。
アプリ。

最近、気に入ってるのが若い女子が使う「アプデ」。
アプデ・・・・か・・・。

コーデ・・・も、なんか・・・。 アプデ、コーデ。

デトックスってのもなんかすごいです。

じゃ、次は、まだ広まってない。

ハイジーン。

なんてどうですか?

2016年11月17日木曜日

ガイア・ブックストア

ドン・カルロスの教え』やAmy Wallaceの著書『Sorcerer's Apprentice』には、カスタネダが設立した団体「クリアグリーン」が主催する講演会やセミナー、ワークショップが登場します。

「第二の注意力(あの世)」に10年間消えていたキャロル・ティッグスが、突然、講演会にあらわれたり、Amy Wallaceがフロリンダ・ドナーと再会してカルト集団の一員への第一歩を踏み出したり、C.J.カスタネダ(カスタネダの養子)が父親との再会をしたくて訪ねて、Chacmoolに引き離されたり。

カスタネダをめぐる人々の悲喜こもごもがここで起きていたのです。

文献の中で書店名がはっきりしているのは、Phoenix BookstoreとGaia Bookstoreの二軒です。
いずれもサンタモニカ近辺ですが、前者については、情報がなく、後者のガイア・ブックストアについて調べたところ、下記の記事を見つけました。

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Gaia Store Abandons Bookselling / Owners close after 13 years in Berkeley
Rona Marech, Chronicle Staff Writer Published 4:00 am, Friday, March 10, 2000
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ガイア書店、廃業へ/バークレーで13年間の歴史に幕
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2000年3月の記事です。

13年間営業をしてきた、ニューエイジ、精神世界系の老舗書店もインターネットの波に飲み込まれついに閉店することになったという記事です。

新たにウェブサイトを開いて、そちらで営業を継続すると書いてありますが、どこにも購入ができるリンクがありません。

また、この記事によるといったん、近所に移動してしばらく営業を続けるようなことも書いてありますが、現在は、『Berkeley Apartments - Gaia』というポストモダン風のマンションになっています。

Berkeley Apartments - Gaia


以下の記事に、不動産をめぐる法的な措置などが記してありますが、なんだか難しいので読み込んでいません。オーナーが資金繰りで苦しかったということだけはわかります。

●GAIAビルディングをめぐる経緯

https://www.cityofberkeley.info/uploadedFiles/Planning_and_Development/Level_3_-_ZAB/ZAB_04-09-09_2120%20Allston_ATT%201%20Staff%20Report%2008-14-08.pdf

2116 Allston Way Berkeley CA 94704

●建物の改修工事の遅れについて

http://www.berkeleydailyplanet.com/issue/2002-08-07/article/13970?headline=Developer-working-to-replace-Gaia-bookstore--Patrick-Kennedy-Panoramic-Interests-Berkeley


夢の跡


2016年11月16日水曜日

Jay Fikesとネイティブの各部族について

ドン・カルロスの教え』が長編でしたので、少し口直しで休憩をとりたいと思います。
といっても本稿では、ちょこっとだけ結論めいたことも触れておきます。

BBCのドキュメンタリーの中に、Jay Fikesという文化人類学者が登場します。

Dr.Fikesは、あたしのこの一連の「Googleの中のカスタネダの旅」で、ひと様のサイトで度々見かけた名前ですが、時間の関係でサラっと流していた人物です。

番組で出ているスーパーによると
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Dr. Jay Courtney Fikes Yeditep University, Istambul
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トルコのイスタンブールにある・・・なんて読むのかイェディテップ大学ですか?
~の研究者の方です。

今回、番組では大変重要な役割を果たしていましたので、あらためて検索したところご自身で立てられているサイトがありましたのでご紹介まで。

JayFikes.com
http://www.jayfikes.com/home.htmlhttp://www.jayfikes.com/home.html

そこに「カスタネダ外伝(Castaneda Sequel)」というコーナーがあります。
http://www.jayfikes.com/castaneda-sequel.html

番組の中で、Dr.Fikesは、ドン・ファンはヤキ・インディアンではなくウイチョル・インディアン(Huichol Indians)だったと断言しています。

実際に、彼がドン・ファンの原型となった人物だろうと結論付けたシャーマン Ramon Medina Silva(故人)にたどり着き、未亡人のインタビューに成功します。彼が収録した録音テープで彼女は確かにカスティネーダに会ったと証言しています。

デミルは、ヤキ・インディアンがペヨーテを使う習慣がないことからドン・ファンの実在を疑っています。

一方、元妻のマーガレット・カスタネダとカスタネダの養子、C.J.カスタネダは、カスタネダがフィールドワーク先から寄越したハガキを出して証拠だと言っています。

C.J.にいたっては、カスタネダが保管している山のようなフィールドノートを実際に見たと証言しています。

Amy Wallaceの本で、ドン・ファンが去った(亡くなった)後、カルロスが新たな師を求めてうろたえている様子が描かれています。

1976年、エイミーの兄夫婦(David and Flora)はカルロスとロサンゼルス図書館の資金援助の会でたまたま遭遇しました。
カルロスはいきなりドン・ファンがこの世界から去るために燃える準備をしているととりみだしています。

この年は、一般にドン・ファンが1973年に去ったといわれている時期とかなりずれています。(Amy30)

カルロスは絶望的になっていて他の本物の先生を求めていたが、どいつもこいつも偽物ばかりだと失望していた」(Amy31)とあり、ティモシー・リアリーのパートナーやら太極拳の教師やらヒンズー教のグルの聖水(実は尿)の話などが面白おかしく紹介されています。

1960年に出会ってから16年、呪術の修行につとめドン・ファンから免許皆伝をもらっているような人物が今さら「本物の」先生を探すでしょうか?
(エイミーもそう思ったのでわざわざ書いたのです)

あたしは、カルロスが新たな先生を捜しているこのエピソードから逆にドン・ファンに相当する師匠(たち?)は実在していたのだと考えています。

そして、うろたえているくらいなので、呪術も極めていないし、最後まで戦士にもなれず真実も「見る」ことができなかったのです。

「分野」を問わず先生を求めている節操のなさからドン・ファンの原型となった師匠は複数いるという印象を深めました。(もちろん「師匠」に相当する文献もたくさんあったことは想像にかたくありません)

シリーズ後半でドン・ファンがいろいろな場所に家を持っていたという説明があります。それは”ドン・ファン”が何人もいたからなのではないでしょうか?

Dr.Fikesは、彼が専門とするウイチョル・インディアン(Huichol Indians)のシャーマンと限定していますが、カルロスの本にこれまで登場してきたインディアンの部族の中には他にもペヨーテを使う部族があります。

ドン・ファンのルーム・メイトだったドン・ヘナロが属するマザテック・インディアンもその一つです。

だからマザテックインディアンの中にも、ドン・ファンやヘナロのモデルがいたのだと思います。
ひょっとするとドン・ファン自身もマザテック・インディアンだったかもしれません。

番組の中でDr.Fikesは、ドン・ファンが一般的な呪術師が行う祈祷や治療を行わない変わった呪術師だという話をしますが、カスタネダの作品中で、ドン・ファンは昔はやっていたが自分はもう呪術師ではないと言っていますし、若いインディアンたちも、ドン・ファンは昔はすごい呪術師だったらしいけど、すっかりヤキが回っていると言っています

参考までに、ドン・ファン・シリーズに名称だけでも登場している部族を羅列しておきます。

■ドン・ファン・シリーズに登場するネイティブ・アメリカンの部族

1)タラウマラ(Tarahumara)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/07/blog-post_14.html


2)ヤキ(Yaqui)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/07/blog-post_14.html


3)ヤヒ(Yahi)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/07/blog-post_23.html


4)マザテック(Mazatec )
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/07/blog-post_29.html


5)ウイチョル(Huichol)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/08/blog-post_10.html


6)ヤノマミ(Yanomami)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/08/blog-post_17.html

※この南米の部族だけはフロリンダ・ドナーが扱っています。

7)ピマ・インディアン(Pima)
http://handovermemos.blogspot.jp/2016/09/blog-post_11.html

2016年11月15日火曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(後篇)(3)『ドン・カルロスの教え』(32)

「ぼくは本当のことを知りたくてここに来ました」

グレッグは年取った紳士に少し皮肉っぽい感じで話しをした。
「ぼくが知りたいのは、彼が自分で燃えたのか?それともあなた方が彼を焼いたのか?です」

男性はどうするか決めかねてグレッグをしばらく見つめていた。グレッグは悪人には見えなかった。彼は礼儀正しく、そして正気に思えた。

彼は明らかに深く悩んでいるようだった。しかし、グレッグが言っていることは長年葬儀場で働いていろいろなことを経験してきているが、こんなばかばかしい話を聞くのははじめてだった。

「まぁ、おかけなさい」ようやく言葉が出た。

10分ほど待たされて、身なりの良い高齢の女性が応対を代わりグレッグは同じ説明をした。彼女は真摯な表情で話に耳を傾けた。
しかし、グレッグが「内なる炎」の部分にさしかかると頭を揺らして大声で笑いだした。

グレッグは女性を見つめほほえんだ。手のひらを上にむけ手をあげ、肩をすくめた。彼女は背の高い、堂々とした女家長のモデルになれそうな人物だった。

彼女はグレッグによりかかり彼女の腕をまわし母親のように抱きしめた。

「彼はもっといい場所にいきましたよ」とグレッグの背中をさすった。

グレッグは抱擁をといていぶかしげな顔をした。
「それはわかるんです」

「でも、ぼくが知りたいのは・・どこのいいところかってことなんです。確かに火葬されたのですか?」

「私がこの目でみましたよ」彼女がきっぱりと言った。
「ぜったいに?」
「彼の魂は去りました」

グレッグは女性にお礼をのべ車に戻った。

車のドアを開けて乗り込もうと思ったが立ち止まった。からだがマヒしたような気がした。
がっかりしたようなホっとしたような感じだった。
この6年間で100万に1回ぐらいのことだったがRichard DeMilleのことばが頭のよぎった。

「カスタネダは、ただの詐欺師ではない。彼のウソは私たちを真実に導いてくれる。彼の話は本当の話ではないのに真実で一杯だ。これは呪術師の贈り物だ、まったく正反対のもの―知恵と欺瞞を同時に扱う曖昧模糊とした魔法の書である」

グレッグはかつてカルロスのものだったお気に入りのスエードの肘当てがついているコーデュロイのスポーツ・ジャケットを脱いで、車の後部座席に投げ入れた。

さぁ、次に行くときがきた。

(”フォロワーズ(The Followers)”の話(後篇) ~完~)
(『ドン・カルロスの教え』~完~)

いかがでしたか?

あたしも各種作品をランダムに読み進めているので、次から次へと発見が続き楽しんでいます。
特に、Google Map を使ったヴァーチャルな旅が、こんなにワクワクするものとは思ってもみませんでした。感動の連続です。

内容についても、たとえばカスタネダの苗字のAranaですが、Amy WallaceがAranhaと書いていてあれ?と思ったのですが、この錯綜についてはMargaret Castanedaが詳しく書いていることを最近知りました。
間違っていたことなどは随時、後追いでも訂正していきたいと思います。

デミル(Richard DeMille)も改訂版を出しているそうです、そちらも買ってみる必要があるかもしれません。


2016年11月14日月曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(後篇)(2)『ドン・カルロスの教え』(31)

今夜は、21世紀最大のスーパームーンだそうです。次回は、2034年ですから見逃せませんね。


亡くなるとすぐにカルロスの身体は火葬され遺灰はメキシコで葬られたと報じられた。

カルロスを長年担当している弁護士のDebra Droozeは、カルロスは注目されたくなかったので死亡のニュースをしばらくしなかったのだと答えた。

「カルロスは、写真もとられたくなかったし声を録音されるのも嫌いでした。彼はスポットライトが嫌いだったのです。彼を尊重してプレスリリースも控えていました」

翌日、クリアグリーンのウェブサイトにも彼の死を悼んだ記事が掲載された。
クリアグリーンのスタンスは弁護士のスタンスとは少し異なっていた。

一部引用すると、
「カルロス・カスタネダは彼の師、ドン・ファンと同じように完全に覚醒して世界を旅だちました。
「私たちが知っている日常生活では、こうした現象を説明することができないので、カルロス・カスタネダが死亡したと宣言することにいたしました」

Timesの記事とウェブの情報の両方を呼んだがグレッグとガビはどのように理解していいのかわからなかった。カルロスとのこれまで関係でかぞえきれないほどの奇妙で素敵なことに出会ってきた。
通常の現実の世界では説明がつかないような謎めいた出来事の数々だ。

彼らはどのようにこれが終わってしまったのか知りたいと思った。真実を知りたかった。カルロスは人間と同じような死に方をしたのか?それとも呪術師のようにこの世を去ったのか?どっちなのか?

この何年もの間、ガビとグレッグをはじめ世界中の同じような人々が自分たちの世界認識をカルロスとドン・ファンに影響されて暮らしてきたのだ。

きちんとけりをつけたい。魔女たち全員がいなくなってしまったのも説明がつかない。
クリアグリーンにたずねても彼女たちは”旅”をしていると答えるだけだった。

これまで磨いてきた探偵のような技能を使ってグレッグはカルロスの死亡証明書にたどり着いた。わずかな聞き込み調査でカルロスが記載されている斎場ではなく別の場所に運ばれたことをつきとめた。
それは電話番号が記されていない斎場、the Spalding Mortuaryだった。

Very very thanks to Google Map !! 
続く月曜日の朝、L.A.Timesがカルロスの死亡記事を掲載された日、グレッグは、車を出るとCulver Cityの東にある衰退した工業地域にある目立たないレンガ仕上げのビルの扉を開けた。彼は、このミステリーの真相に近づいていた。

彼は廊下で背の高い黒人の紳士に出会った。ていねいに用件をたずねられた。

かつてはカルロスのものだったコーデュロイのコートを着て、グレッグはこちらのSpalding Mortuaryが最近、カルロス・カスタネダという名前の男を火葬したのですが、と話して続けた。

この男は、世界中にファンがいる非常に力のある呪術師だと言われている。
その教えの中でも呪術師は普通の死に方ではなく自分の身体のなかのエネルギーをためて、ちょうど人体自然発火現象のように”内なる炎”により燃えて別の世界に旅立つと言われていると話した。

人体の自然発火現象というのは、生きている人間が突然猛烈に燃えて灰になってしまうという怪現象で、オカルト・ファンにはお馴染みの怪奇現象です。Amy Wallaceもこの現象に興味があり調べていました。

2016年11月13日日曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(後篇)(1)『ドン・カルロスの教え』(30)

The Followersは、ほこりまみれのヒュンダイをSpalding Mortuary(スポールディング霊安室)の前の道路に停めた。

Culver Cityの東にある衰退した工業地域にある目立たないレンガ仕上げのビルだ。

 

1998年6月22日、月曜日、朝10時だった。太陽はまぶしいが気温は低く感じた。Greg Mamishianは、かつてはカルロスのものだったコーデュロイの上着を着ていた。(簡略)

ここ二年間、Gregと妻のGabiは、カルロスを追っていた。
カルロスの住居の外で何百時間も見張っていた。

ナワール(カスタネダのこと)や仲間たちが出かける後をついていきパーティや映画やセミナーなどを見張った。時間のある限りビデオで撮影し、カルロスたちが捨てたゴミを集め分別した。カルロスの生活の文化人類学的に研究のつもりだった。

この活動で彼らは偉大な男と彼の仲間たちについてたくさんのことを学んだ。

そして自分たちのことも学んだ。あらゆるカップルには共通の趣味が必要だ。奇妙な趣味だったが、カルロスは彼らのものだった。

激怒するChacmolにゴミ集めを見つかった魔法のような夏のできごとからすでに9カ月も過ぎていた。

クリアグリーンの女性(Chacmol)にもうこのようなことはしないと約束したので警察には届けられずにすんだ。だが、我慢は一週間も続かなかった。彼らは活動を一新しさらに熱心に取り組むことにした。

ゴミ漁りは、夜中の3時にすることにし、以前どおり順調にこなした。自分たちでThe Followersと名付けたチームは活動を再開した。

そして、1998年の2月、いつもの場所で見張っているとChacmolの一人の車、青のFord Crown Victoriaがパンドラ通り側の門のところに来た。車がゆっくり止まると、家から内部メンバーが数名出てきて車に近づいた。

グレッグとガビは、信じられない光景にくぎ付けになった。それらの人々が偉大な男にかしづくように彼を車の後部座席からおっかなびっくり降りるのを手伝う様を見ていた。

カルロスの視力が衰えていることはわかっていた。彼らは拾ったゴミからインシュリンの注射器や処方箋を見つけていたからだ。

カルロスは痩せてか弱そうでボロ人形のように見えた。彼の皮膚は灰緑色で髪は短く、目の周りは黒いくまがあった。まるで抑留キャンプの収容者のように骨ばっていた。

歩くこともおぼつかず両側をChacmolに支えてもらい背中からBlue Scoutが押さえていた。

二人は顔を見合わせた。突然の悲しみが二人を襲った。カルロスが死にかけているのは明らかだった。

それは二人の愚行が終わることも意味していた。悲しみの淵にいながら、なにか異なるほろ苦い失望の味がした。もしカルロスがドン・ファンのように「第二の注意力」に旅発つ計画をしているのなら、急ぐべきだ。

あの様子ではあまり時間がない。

それから数週間、数か月、the Followersがカルロスを見ることはなかった。彼はセミナーにもワークショップにも姿を見せなかった。ダンススタジオで行われていたプライベートレッスンも中断された。

カルロスはもう映画にも食事にも外出することがなかった。

同時に、屋敷の活動も劇的に増えた。人々はシフトで一日に何度も出入りし医療品や食事を持ち込んだ。内部メンバーはみな新しい中型のフォードを購入した。新しい屋根が取り付けられ、細々とした修繕が行われた。

Followersには、彼らが物件を売りに出す準備を進めているように思えた。

2016年11月12日土曜日

C.J.カスタネダの話(5)『ドン・カルロスの教え』(29)

1998年4月27日の夜、アトランタ郊外にある家のベッドルームでC.J.Castanedaはぐっすり眠っていた。

父として知っているただ一人の人間にCho-choと呼ばれていたC.J.は目覚まし時計がしつこく鳴るので目が覚めた。

時計をみると4時40分だった。

スヌーズボタンを押すと、部屋の隅にある椅子の上に誰かが坐っていた。

青く光る影、C.J.だけのKiki、カルロス・カスタネダその人だった。

カルロスは若くて、幸福そうに見えた。まだ小さかったC.J.を持ち上げて肩車をするときの顔つきのようだった。昔、借りていたいた家で朝、台所にたってバナナの種をとりのぞいている時の顔つきだった。Cho-choは、バナナの種が嫌いだったのだ。椅子に座ったままカルロスは、C.J.に笑いかけウィンクいた。

C.J.は目をしばたたいた。カルロスがいなくなった。

7分後。4:47分。目覚ましがまた鳴った。C.J.はベッドから起き上がりシャワーを浴びた。

10分後、4:57分。まだ髪は濡れていたが服を着て飼い犬の首輪をつかんで寝室を出て一階に降りた。犬を表に出すとキッチンにいき犬の食事をボウルに入れた。

電子レンジの上にある時計を見ると、11:00となっていた。キッチンテーブルの上にある自分の時計を取り上げた。これも11:00だった。

わけがわからず、犬をまた家の中に入れてベッドルームに戻った。ベッドサイドの時計は11:01となっていた。

「リサ!」彼はささやいた。「リサ!起きて!」

妻は身動きし、寝返りをうち、時計を見た。

「どうしたの?」
「なんで着替えているの?」

「寝てからどれくらい経った?」C.J.が尋ねた。
「すこし前よ。なんで?」
「何時に?」
「11時くらいかな」
「リサ、いま11時1分なのに、どうして少し前なの?」
「何いってるの!」リサは不愉快そうに文句をいった。

C.J.は考えた。もしリサが11時に寝たなら、なぜ目覚ましが鳴って、スヌーズして、シャワーを浴びて一階にいくだけの時間があったんだ?今は11時2分だ。たった1分でそんなにたくさんのことができるわけない。少なくとも20分はかかるだろう―はじめに彼が目が覚めたとき彼女はまだ読書していたっておかしくないはずだ。

計算が成り立たない。

「もう一度寝たら?」リサはそういうとうつ伏せになって枕に顔をふせた。

「しまった!」とC.J。.
「え?」
「わかった!」
「なに?」

C.J.は背骨に奇妙な悪寒が走り、首の後ろの毛が逆立った。

「カルロスが死んだ」

(C.J.カスタネダの話 ~完~)

2016年11月11日金曜日

C.J.カスタネダの話(4)『ドン・カルロスの教え』(28)

Chacmolは、会場をさり車に乗り込む時、カルロスの手からC.J.が電話番号を書き込んだメモを取り上げると丸めてゴミ箱に放り込んだ。

よほど悔しかったのでしょう。C.J.は、例のBBCの番組でもこのエピソードを語っています。

3年後(1996年)、カルロスと連絡がとれないことに業を煮やしたC.J.は、400ドルを支払ってテンセグリティのワークショップに参加することにした。カルロスが登場すると書いてあったからだ。大好きなKikiにまた会えると思ったからだ。(C.J.36歳)

しかしワークショップの入口で彼は、クリアグリーンの主催者に素性を見抜かれてしまった。彼らは参加費をC.J.に払い戻し引き取るように言った。C.J.と彼の妻が食事をしようと向かいのモールに向かった後も、距離をおいてクリアグリーンのメンバーが彼らを見張り続けていた。

90年代に入ると、カルロスの昔の友人たちとの接触がまったくなくなった。
彼は今は視力がほとんどなくなっており、講演で演台にあがるのも人の手を借りなければならなかった。

Merilyn Tunneshende
そして訴訟ばかり起こしていた。クリアグリーンの弁護士たちは、”ナワール・ウーマン”と名乗るMerilyn Tunneshendeという著者を訴えた。彼女もまたドン・ファンの元で修行したと言っていた。

1995年には、古くからの知人でトルテック文化の教師であるVictor Sanchezという人物を訴えた。彼の本の表紙がカルロスの権利を侵害しているというのだ。

そして1997年、クリアグリーンの弁護士たちはマーガレットの自叙伝「A Magical Journey With Carlos Castaneda」の著者であるマーガレットと出版社を相手取り訴えを起こした。

いまだ手に入るということは、マーガレットとの訴訟は取り下げたか敗訴したのでしょう。

1997年2月、カルロスは最後のテンセグリティセミナーをカリフォルニアのLong Beachで行った。

Toltec Artistsの代表が「セミナーは軌道に乗ってきたのでもう自分がいる必要なはいとカルロスが決めたと言った

だが、異なる意見の人々もいた。
カルロスは治療中で、体重も減ってきている」とカルロスの追っかけたちが言った。「みんなは疑っている。もしテンセグリティが健康や幸福へ導いてくれるのなら、なんでカルロスはあんなに具合悪そうに見えるんだ?

1998年、Toltec Artistsは、カルロスの11冊目の著書、『The Active Side of Infinity』(『無限の本質』)の原稿を出版社に届けた。

彼のこれまでの著書からつづき、この本は、謎めいたこの宇宙について啓示的な視点を展開している。宇宙は、the Flyersという人々の知覚を守っている輝く覆いを餌としている影のような捕食者の存在について書いている。
カルロスは、この捕食者をはねつけるためにはテンセグリティを学ばなければならないと言っている。

カルロスはこの本でドン・ファンとの出会いを再評価している。シャーマンの知恵の最終的なゴールはすべての人間が死に際して通るべき限定的な旅をシャーマンが体験する「無限の本質」へと向かう旅に変えるための準備だと結論づけている。

われわれはみな死ぬ」とドン・ファンは言った。「われわれは不死ではない。しかし、不死であるかのようにふるまうのだ

『無限の本質』では、先達のナワールたちにとっての死について多く述べられている。悟りを開いた呪術師たちは普通の死に方ではなく、ちょうど人体の自然発火のように「内なる炎」に焼かれるようにナワールのエネルギーを使って彼のからだを別の領域に持っていくというのだ。

カルロス自身が旅立ちの備えをしているように、本の中でドン・ファンと仲間たちの旅発ちについて詳細に記している。

Don Juan Matusと15人の見るものたちがひとりひとり丘の上の霞の中、北に向かって消えていくのを見た。ひとりひとりが光のつぶになって丘の上に浮き上がった、まるで空の上にまぼろしの光が浮かんでいるようだった。彼らは山の上で一回、円を描くとドン・ファンは最後にこの素晴らしい地球を眺めるのだと言っていた。そして彼らは消えた

2016年11月10日木曜日

C.J.カスタネダの話(3)『ドン・カルロスの教え』(27)

末尾に追記あります。

C.J.が7歳のとき(1967年)、マーガレットとC.J.はロスを離れた。
カルロスはものすごく辛かった。

カルロスは何年間もマーガレットとC.J.に二人を愛し続けていると手紙を書き続けた。
そして少年のために貯金を残すつもりだった。

「昔、君が住んでいたThe (San Fernando) Valleyの古いアパートに二日前に寄って来たんだ。とても感傷的な気持ちになったよ」と1967年の8月、カルロスはマーガレットに手紙を書いた。

「きみたちは僕の家族だ。愛するMargarita。君には本当に世話になった。
きみのおかげでぼくの美しくて魔法のような夢、Cho-choと出合えた。君がその夢をくれたんだ。この夢にくらべれば他の夢なんてどうってことない・・・。元気で!かわいいCho-choによろしく!またCho-choとハイキングに行こうと伝えて」

次の年(1968年)、カルロスは、初めての著書をCho-choとマーガレットに捧げた。『The Teaching of Don Juan』。

今はあたしのPDFライブラリーになっているペーパーバックを見るとこんな書き方でした。
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For don Juan ー
and for the two persons who shared
his sense of magical time with me
----------
ドン・ファンに ~ そして、ぼくと彼の魔法を分かち合った二人のために


そして続くシリーズの中でもたびたびC.J.について言及している。
ドン・ファンに「むかしぼくが知っていた少年」について話し「これだけ時間が経ち、距離が離れてもぼくの気持ちはまったく変わらない」と言った。

1978年、カルロスはC.J.のアリゾナのTempeにあった高校卒業式に出席し、その後の3年間の大学の授業料を支払った。
数年後、ニューヨークで少しだけ付き合いが復活したことがある。

しかしクリアグリーンや他の会社が設立された1993年あたりから、C.J.とマーガレットに連絡をしなくなった。C.J.はくりかえしカルロスに電話をしたり手紙を出したが、クリアグリーンのメンバーに阻止されてしまった。クリアグリーンのメンバーは、カルロスの外界との接触をすべてコントロールしていた。
他の友人やUCLAの教授たちも同様に連絡を断られていた。

魔女たちはカルロスの財産が狙われていると思ったのでしょうか?
よくある話です。

1993年の10月、カルロスが講演をすると知り、C.J.は、カルロスに会うためにサンタモニカまで飛んだ。(カルロス67歳。C.J.33歳)

C.J.は、(講演会が催される)書店の表にある駐車場で待ち構えていた。そしてカルロスががっしりしたハンサムな若者を見つけると大喜びした。

カルロスはC.J.を情熱的に抱きしめ、両頬にキスをし、背中をさすり優しく話しかけた。だが、二人の再会は短時間に終わった。二人のChacmolがきて、ひとりはカルロスをもう一人がC.J.の腕をつかみ乱暴に押しやった。

この書店は、おそらくニューエイジ系専門店の「ガイア・ブックストア」です。この場所については、項目をあらためて書きたいと思っています。
追記2018年6月29日)
間違いかもしれません。マーガレット・カスタネダの回想録『カルロス・カスタネダとの魔法の旅』によると、サンタモニカのフェニックス書店(the Phoenix Bookstore)だそうです。
ただ『カルロス・カスタネダとの魔法の旅』のエピソードと出会いの雰囲気が若干が違うのが不思議です。

2016年11月9日水曜日

C.J.カスタネダの話(2)『ドン・カルロスの教え』(26)

マーガレットとGerritsen ~ 彼は当初、ソルトレイクシティにいる女性と既婚だった ~ は、しばらく後にメキシコで結婚した。

新婚の二人は所帯を持つことはなかったが、1961年の8月に男の子が生まれた。

誕生して間もなく、カルロスがマーガレットを訪れ、メキシコで行った離婚の手続きはカルロスが研究活動をしている間、彼女をなだめるための芝居だったと告白する。
その内、いつかまた一緒に戻れるだろうと期待していたのだといった。

実は二人はまだ婚姻状態にあって彼女が生んだ子供を養子にしたいのだという。

ってことは、この時点でGerritsenさんとは離婚してたのですかね?
彼らの婚姻がカルロスの策略というか差し金ということだとすると、離婚も計画の内ですか? マーガレット的にみると本当に酷い話です。

カルロスは、ブロンドの男の子によく会っていてすでに気持ちが入り込んでいた。彼は男の子をCho-choと呼び、子供はカルロスをKikiと呼んでいた。

カルロスは男の子をいろいろなところへ連れて行った ~ 海や山、カルロスのパワースポットだったTopanga Canyonや映画に連れていった。

Topanga Canyonは、例のGabiたちの家があるところです。
もしもメキシコでの修業が虚構だったとすると、彼が描く山や谷の風景はTopangaだったかもしれませんね。

人々は栗色の髪の男性がブロンドの少年を肩にのせてでかけているのをよく見たものだ。
カルロスは、Cho-choをUCLAの授業にも連れて行った。人に尋ねられると、カルロスはCho-choのことを血がつながっている息子だと答えていた。見た目の違いを言われるとスカンジナビア人の母親似なんだと言っていた。(マーガレットはウェスト・バージニア生まれの米国人)

Cho-choが二歳(1963年)のとき、カルロスがマーガレットのアパートに現れた。カリフォルニアの厚生省(Department of Public Health)の書類を持っていた。書類には、カルロスがCarlton Jeremy Castanedaの実父であると記載されていた。マーガレットとGerritsenの関係はとうに解消されていたのでマーガレットは書類にサインをした。
少年には父親が必要だった。カルロスだけが少年が知っている父だった。

それから5年あまり(~1968年)、カルロスとCho-choとは頻繁に一緒に過ごした。カルロスの借家によく泊まった。朝は、Cho-choがすくすく育つようにバナナやハンバーガーを食べさせた。手をとって学校まで送って行った。夜はカルロスが本を書いているので、後に魔女になる二人の女性たち―フロリンダ・ドナー・グラウとキャロル・ティッグスがベッドで本を読んできかせた。

こんなほほえましい風景とカルト集団。実にアンビバレントです。

夜寝る前、Cho-choはカルロスのデスクの横に立って「なにを書いているの?」と尋ねた。「Cho-choのための本を書いているんだよ」とカルロスは答えたものだった。
「お前がこの本をすごい魔法の本にするんだ。お前はこの地球で一番すごい呪術師なんだからね」

金銭面で問題はあったが、カルロスはCho-choをサンタモニカにある特別なモンテソリ教育の学校に通わせたいと主張し授業料を工面した。

当時のCho-choのクラスメートにはチャールトン・ヘストンの娘がいた。

カルロスは、Cho-choの医療費や洋服代も出したし、空手やスキー教室の費用も出した。彼は養育費をマーガレットとの正式な離婚が成立する70年代の半ば(1973年12月17日)まで払い続けた。(C.J.12歳まで)

2016年11月8日火曜日

C.J.カスタネダの話(1)『ドン・カルロスの教え』(25)

C.J.カスタネダ(C.J. Castaneda)は、大きなグラスで水道水を飲むと、キッチンの照明を消してアトランタ郊外の家の二階にあるベッドルームに向かった。

1998年4月27日の午後10時30分だった。
いつものような長いつらい一日の終わりだった。
ブロンド、目は青く、36歳で痩せていた。

元不動産鑑定士だが、いい生活を目指して発明もしていた。
天才的なIQの持ち主で最近ドライブスルーのコーヒー販売チェーンの事業を始めた。遠方にある各企業へのロジで彼はあちらこちらへ飛び回り週七日、朝から晩まで働き詰めだった。

彼のハンサムな顔にも陰りがみえてきていた。ボディビルディングで鍛えた腹のあたりも少し柔らかくなってきた。

ため息をついてベッドの横に坐わりもぐりこむと妻のLisaにキスをしておやすみを言った。
いつもの習慣で、彼女は就寝の前、30分は読書をすることにしていた。
C.J.は、目覚ましを4:40にセットした、寝具を頭に引っ張り上げた瞬間、眠り込んでしまった。

ほとんどの人が知らないことだったが、Carlton Jeremy Castanedaはカルロスの養子だった。

彼は、Margaret Runyan とAdrian Gerritsenというモルモン教徒のビジネスマンとの間に生まれた子供だった。カルロスの人生の大部分がそうであるように、C.J.の誕生もまたこみ入っていた。

カルロスとマーガレットがメキシコで結婚した半年後(結婚が1960年1月なので1960年7月)

ある日の午後、カルロスがアパートに戻ってくると、メキシコ国境に近いアリゾナのグレイハウンドのバス停で年老いたインディアンに出会ったと興奮した口調で彼女に話した。

カルロスはUCLAの文化人類学部の学部生でカリフォルニア民族誌という授業を受けていた。

彼の教授は、もし卒論のために実際のインディアンの情報提供者を見つけた者には成績Aをつけてやると約束したのだ。

何カ月もカルロスは古代から伝わる幻覚性植物について教えてくれる現地の賢者を求めて砂漠地帯に出かけていたのだ。

かつては偉大な芸術家を目指していたが、カルロスは方向を転じて文化人類学の教授になりたいと思っていた。UCLAには優秀な学部があった。
砂漠での出会いは、彼のキャリア形成のいい兆しに思えた。

もちろんマーガレットは、考えが異なっていた。彼女は深くカルロスを愛していた。
彼に家にいてほしかった。これは彼女の三回目の結婚だった。

とてもロマンティックなはじまりだったが ~ 深夜メキシコの治安判事の元で婚姻を行うために車を飛ばした時が最高潮だった ~ その時、すでに関係が崩れ始めていた。

カルロスが他の女性と会っているのではないかという疑いに加えて、二人の予定がまったく合わないというのが大きな問題だった。

マーガレットは電話交換手として日中はたらき、カルロスは日中は学校に行き、夜はロスのドレスショップで会計担当として働いていた。

そして、この多忙な予定に加え、カルロスは週末をこの謎の老人と砂漠で過ごすことにしたと伝えたのだ。

喧嘩や不和が絶えず、すぐにカルロスはアパートを出てしまった。

マーガレットはユタ出身のモルモン教徒で背が高くハンサムなGerritsenとつきあいはじめた。
Gerritsenは、衣服関係の仕事に就いていてバイヤーとして頻繁にLAに来ていた。

Gerritsenを好きになりマーガレットはカルロスに離婚を申し出たところ、驚いたことにカルロスは受け入れてくれた。

彼らはふたたびメキシコにドライブし同じ治安判事の元に出向いた。
しかし、マーガレットは知らなかったことだが係官は離婚の正式な手続きを済ませていなかったのだ。

これもまたマーガレットが知らなかったことだが、Gerritsenはもともとカルロスの知り合いだったのだ ~ 彼らの出会いをアレンジしたのもカルロス自身だったのだ。

その上、カルロスの死後に行われた遺言の検認においてGerritsenは、カルロスがGerritsenにマーガレットと子供を作り、その子供をカルロスの養子にさせてもらうことを頼んでいたと証言したのだ。

Amy Wallaceの著書によると、カスタネダは、精管切断の手術を行っていたようです。
パイプカットは、また元に戻せると聞いたことがありますが、検索してみるとそんな簡単なことではないようです。

パイプカットの時期がマーガレットとの結婚以前とすると、子供がほしくても自分はできないので、知人に頼んだということのようですが、子作りの相手までカルロスに企まれていたとみると非常に気色の悪いいきさつです。
また、Gerritsenという男性はどういう料簡でそんな非常識な頼みを引き受けたのでしょうか?

2016年11月7日月曜日

メリッサ・ウォードの話(7)『ドン・カルロスの教え』(24)

1994年の終わりごろ、メリッサは仲間やカルロスたちの中に変化を感じていた。

Cleargreenはたくさんのセミナーを開催して大きくなっているのに、グループは方向性をなくしてきたように思えた。
何かを待っているだけのような、次に何をするのか迷っているような感じだった。

カルロスですら「何をしたらいいのかわからない」と言うことがあった。

彼がメリッサに言った「どこへ向かっているのかわからない。何が起きているのかわからない」

その上、カルロスは魔女たちの独裁に文句を言うようになってきた。

彼女たちが威張っていて彼の言うことも聞かなくなってきたのだ。

ある日曜のクラスではタイシャが自分の分だけハンバーガーを作ってカルロスの分を作ってくれなかったとずっと文句を言っていた。

なんだか可愛い。

彼は明らかに視力に問題がでてきたようだった ~ 糖尿病の噂を聞いていたが、誰もはっきりとは口に出さなかった。

みんなが突然、鍼治療や栄養に興味を持ち始めた。

メリッサはこうした領域に詳しかったし、仲間に受け入れられていたのでいろいろアドバイスを求められた。

ひとつだけ確かなことがあった。
カルロスは具合が悪かった。

肌の色は灰色になり、髪の毛も完全にグレーになった。
歩くとすこしよろよろしていた。

たまに彼が近くにきて握りこぶしの練習を手伝うとき酸味のある体臭がした。
メリッサの母親が死ぬ前にしていた臭いと同じだった。

そしてカルロスが二人の時に言った。「ぼくはもうすぐいなくなるよ。君もほかのメンバーも一緒に連れていくからね」

メリッサは戦慄した。

最初に思ったのはJim Jones(人民寺院)、Kool-Aid, Guyanaの集団自殺のことだった。

メリッサは、返事ができなかった。

(メリッサ・ウォードの話 ~完~)

2016年11月6日日曜日

メリッサ・ウォードの話(6)『ドン・カルロスの教え』(23)

その夜から、メリッサは仲間(the inner circle)の一員となった。

いったいぜんたい、そのthe Electric Warriorというのがなんなのかさっぱりわからなかったし、誰も説明してくれなかった。

他にも似たような存在がいた ~ the Lecture Warrior, the Blue Scout, the Orange Scout, The Trackers, The Elements, the Chacmols ~ ほぼ全員が若くて魅力的な女性だった。

自分の父親ほどの男からこれほど気にかけられているのは少し気味が悪かったが、誰も彼女に触らないし、不適切なこともまったくなかった ~ ただカルロスが彼女にこぶしの握り方を教えたがるのが変だった。

実際のところ、仲間に入って楽しかった。
メリッサは長年友達がいなかったし、仲間といると抱えている問題を忘れていられ、大きな慰めになった。

メンバーはみな賢く教養があった。流行に敏感だし、おしゃれで気が利いていた、冗談好きでドアに水が入ったバケツをしかけたり幼稚ないたずらも大好きだった。お互いの家や素敵なレストランででディナー・パーティを開いた。トニー・ロマのスペア・リブも好きだった。メリッサはベジタリアンだったが、10ポンドも太ってしまった。

ある時は、Tracy Kramer(エージェント)の素敵な家でカルロスがデザートのゼリーを作った。彼はダツラが材料だと言った。彼はこれで飛ぶことができると言ったが、メリッサには何も起きなかった。

The Sorcery Theater とか the Theater of Infinityと呼ばれる馬鹿げた催しもよく行われた。

Bruce Wagnerが脚本を書いた寸劇は楽しかった。
小道具や衣装に凝ったつくりでカルロスの教義をテーマにしているがパロディだった。

お気に入りのひとつは、ジプシーの占い師がメンバーである観客の一人を選んでそお人のことを面白おかしくいじるネタだった。他にはthe Chacmolsが裸で手に鋭いナイフを持ってマーシャルアーツのような動きをするものや、6フィートの張り型を使った劇があった。

劇の中にはメリッサとthe Lecture Warriorをネタにしたものもあった。これはJesus Christ Superstarの“I Don’t Know How to Love Him”をミュージカル版にしたものだった。

その内に、魔女たち ~ 彼女たちはみな超ショートヘアでデザイナーブランドを着ていた ~ は、メリッサを受け入れるようになってきていた。
一緒に映画に行ったり、Pandra邸から歩いて行けるショッピングモール、Century City Mallに買い物にでかけた。


2016年11月5日土曜日

メリッサ・ウォードの話(5)『ドン・カルロスの教え』(22)

彼はメリッサを私のベイビーと呼んだ。彼は彼女の生活、家族、過去のセックス、性病歴などについて尋ねた。

マリファナを吸っていたかたずね、もしそうならやめるべきだと言った。そしてセックスは完全にやめなければいけないと言った。

「あそこをジッパーで閉じなければいけない!きみのかわいいあそこを人に触らせてはいけない!」

彼は、彼女のもっとも隠している秘密を教えるように言った。また彼はこれまで白いコートを着た男たちに連れ去られたことがあるかと尋ねた。
しばしば、彼女をお昼や夕食に誘った。彼の好物だった寿司やキューバ料理だった。たいていは断った。

根負けして承諾すると、必ずChacmolが連絡をしてきてキャンセルするのだった。カルロスが具合が悪いとか急に街を出なければならなくなったというのが理由だった。

二人は一度も教室の外で会ったことがなかったが、毎朝の電話はかかってきた。
彼女のエネルギーは素晴らしく、二人はソウルメイトで彼女を離したくないと言った。

メリッサは、カルロスの執着がよくわからなかった。彼の口調は明らかに性的な感じがするのに絶対にアクションは起こさなかった。まるで女性が彼のことを好きになることだけに夢中で彼女らを手の届くところにおいておきたいだけのように思えた。

カルロス、たぶんAB型だな。

彼女はカルロスに性的魅力をまったく感じなかったが、中毒してしまうような魅力があった、理性とはうらはらに惹かれてしまうのだった。

その内に、カルロスはメリッサに彼女が彼らが長い間探し求めていたthe Electric Warriorだと言い出した、そして1993年のクリスマスイブに彼らが彼女ためのスペシャルディナーを催すことになった。

the Electric Warriorでました。Amy Wallaceによると彼はまわりの女性の半数に、きみはthe Electric Warriorだといって口説いていたそうです。もちろんAmyも言われたことがあります。

彼女はいやいやながらも、Westwoodの四つ星フランス料理のレストランで18人が出席するディナーに出席した。

魔女たちが一人一人挨拶をしてかわるがわる彼女の隣に座っておしゃべりをした。魔女たちはとても意地悪で少し敵意を持っていた ~ 例えば、彼女が好きな音楽を聞いて、それからそれを激しく非難した、まるで結婚を望まない相手の家庭に招かれた花嫁のような気分だった。

こうした陰険な態度もAmyが受けた仕打ちと同じです。これは一連の仕組まれた手順なのか、はたまた新メンバーに対する嫉妬からくる嫌がらせなのか?

テーブルの一方にカルロスがすわり、反対側にはフロリンダが坐った。60代の新郎とその花嫁が坐っている結婚式場のようだった。

ありがたいことに彼女が疲れたのでそろそろ帰りたいと言ったら誰も止めなかったことだ。
家に着いた瞬間、カルロスから電話があった。”カルロスは興奮して言った。
カルロスが話している間にも電話がかかってきている話中音が聞こえた。

「みんなきみに夢中だよ、ベイビー!」

2016年11月4日金曜日

メリッサ・ウォードの話(4)『ドン・カルロスの教え』(21)

カルロスは、ドン・ファンにマジカルパスは秘密にしておかなければならないと言われていたと言っている。カルロスはこの新しい方針(マジカルパスを公開するきっかけ)は、とんでもない事件があったためにきまったと言っている。

三人の魔女の一人、キャロル・ティッグスがメキシコシティのホテルから「第二の注意力」に入り消えてしまった。「暗い意識の海」の側からビーコン(信号)として人を導くため彼女は10年間いなくなっていたと言うのだ。

ところが1985年、カルロスがカリフォルニアの書店で講演会を行っているとそこにティッグスがいたというのだ。彼女が復活したことは、マジカルパスを広く公開していいという「自由へのメッセージ」であると解釈したというのだ。

シニカルにとらえる人もいる。文化人類学者のCourtney Jay Fikesだ。
「カスタネダは、ドン・ファンシリーズで自分を預言者として作り上げたのだ」
「いわば聖書だ。しかしそこにはなにも儀式が書かれていない。だから発明したんだ」

例のBBCのドキュメンタリーでおなじみになったFikes氏ですね。
まったく同感です。

それから数年、多くのセミナーが開催された。週末だったり長いものは三週間にも及んだ。アメリカやメキシコそしてヨーロッパから多くの熱心なファンが参加した。セミナーは200ドルから1000ドル。Tシャツやビデオも販売された。ビデオは著名な小説家・脚本家のBruce Wagnerがてがけた。マジカルパスを行うコンサートで使用するツールも販売された。(個々のツールの説明とセミナーの様子は省略)

Amy Wallaceによると日本からも参加者がいたそうです。いまは、カスタネダをどのようにとらえているのでしょうか。
糖尿病で視力が衰えているカスタネダの晩年、メンバーの中に、プロの物書きがいたことは注目に値します。

そして続く数年間、テンセグリティのオリジナリティに対する議論が起きた。
テンセグリティが、カルロスが習っていたHoward Leeというカンフー教師の教えている内容と同じだというのだ。ちなみに『イクストランへの旅』はこのHoward Leeに献呈されている。

Howard Leeへの献呈の箇所は、英語版(1974年10月発行のペーパーバック)、日本語版ともで確認できませんでした。考えられるのは、英語版のハードカバー版ですが、今は調べる手段がないのでpendingとさせてください。

またリーがクリアグリーンに訴訟を起こさないようにカルロスは多額の金とピューマのペニス(なんらかの呪いの品?)をリーに渡したともいわれているが、リーは否定している。

リーは、テンセグリティのオリジナリティについてコメントも拒否しているが、カルロスがテンセグリティを教え始めてからは二人の関係は悪くなったことを認めている。

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1993年のある夜、メリッサはサンタモニカのアパートで40人ほどの人々とすしづめで一緒にあの偉大な男の話を聞くことになった。

ノートを持参してきたが途中であきらめた。怒涛のようなアイデアや話、ジョークなどが脈絡なく流れてくるだけなのだ。はじめはイライラしたが、だんだんと慣れてきた。彼の話はなぜか暖かいジャグジーに入っているような感じがしたのだ。
どうであれステキだった。彼女の気分が良くなった。

カルロスは二時間話しつづけた。スタンディング・オベーションだったが、メリッサはなんだかからだが麻痺したように坐ったままだった。気がつくとカルロスが自分のところに来て自分を見おろろしていた。

”あなたはいいエネルギーを持っている”そして去って行った。

翌日、The Chacmolsの一人がプライベートレッスンに来ないかと連絡してきた。
彼女がでかけるとカルロスが目の前に坐った。まるで彼女一人のためにレッスンをするようだった。そしてまたその翌日、The Chacmolsの一人が連絡をしてきてカルロスの家に訪問しないかと言ってきた。

それからカルロスが毎朝9時に電話をしてくるようになった。時には夜にもかけてきた。

2016年11月3日木曜日

メリッサ・ウォードの話(3)『ドン・カルロスの教え』(20)

そのときメリッサは知らないことだが、ナワール(カスタネダ)と彼の仲間の一大方針変更により20年ぶりに人々の前に姿を現したのだった。

という経緯で、ここ数年、少しずつ生徒を集めては毎週ダンススタジオを借りて教室を開いていたのだった。そして明らかに、彼らはドン・ファンの教えをより大きなスケールで一般に広めるべく活動を拡大していたのだった。

カルロスと魔女たちは弁護士を雇っていくつか法人を立ち上げた。
「モダンな世界に作られた企業グループの努力と過ぎ去りゆく時代の意志との間に魔術的な関係を打ち立てる」のが目的と言っている。

Toltec Artistsという会社がカルロスや魔女たち、そしてその他の関係する作家たちの著作物を取り扱うマネージング代理業を行っていた。

Toltec Artistsは、内輪のメンバーの一人、ハリウッドの有名なエージェント、Tracy Kramerが経営していた。

エイミーによるとRick FostermanがToltec Artistsがマネージメントをしていたと書いてあります。その後、同一人物が改名をしていたり人の変遷がいろいろあるようなので追って整理します。

追記:Tracy Kramerは、おそらくカスタネダ晩年の経営者と思われます。Amyの本では、カスタネダの死後、警察との対応の下りで登場しています。

Laugan Productionsという会社は、教則ビデオや他のプロダクトを販売していた。
最も重要な会社は、クリアグリーン(Cleargreen)だった。出版社であり「カルロス・カスタネダのTensegrity」というブランドでセミナーやワークショップを運営していた。

上記のLaugan Productions。例のフロリンダ・ドナー著『魔女の夢』の出版社ですね。
ところで、タイシャ・エイブラーの『呪術師の飛翔』のところで触れましたが、『飛翔』は、『夢』の7年後の発行です。にもかかわらず、クリアグリーン系ではなく大手のペンギン系の出版社から発行されたのはなぜでしょう?

tension(緊張)とintegrity(統一)から作られた用語、Tensegrityという運動は、ドン・ファンの系譜の呪術下たちが27世代にわたって密かに伝え続けカルロスや魔女たちに教えた”マジカル・パス”という動作を現代版にしたものだそうだ。

Tensegrityという用語を巡って、オリジナルのバックミンスター・フラーと揉めたという話がAmy Wallaceの本に出てきます。バックミンスター・フラーは、カスタネダとは違い一般的な超有名人ですので、ご存じない方はぜひウィキでご確認ください。

この運動をすることによりトルテックの呪術師たちは高められた意識に達することができるとカルロスは言っている。(簡略)

テンセグリティはマーシャル・アーツや瞑想、ヨガやエアロビクスのような運動で健康や活力、明晰さを得ることができるという。そして「集合点の移動(the Assemblage Point)」や「夢見」で他の世界へ旅するためのエネルギーを獲得することができるという。

呪術は孤独に極めるものとされていたが、いまやグループで修行することでより強力な結果を得ることができるとカルロスは言っていた。

カルロスは「マジカルパス」については著書ではこれまで一度も触れたことがなかった。
前ヒスパニックインディアンにはそのような伝統はないと文化人類学者たちは主張した。カルロスは、このテクニックを高額なセミナーを通じ商売することについて言及を避けていたがクリアグリーンは、ドン・ファンの教えを大衆に高額な値段で広めようとしていた。

なぜマジカルパスを広めることにしたのかはわからない。誰かがカルロスにニューエイジファンたちが心と身体にいい商品を求めていると提案しのかもしれない。

あるいはカルロスが活動しなくなってきたので魔女たちが采配を振るうようになったのかもしれない。

フロリンダとタイシャは東洋の武術に詳しいですから、あり得ますね。フロリンダは特にやり手のようです。

2016年11月2日水曜日

メリッサ・ウォードの話(2)『ドン・カルロスの教え』(19)

何日か本を読み続けていると、カラスはだんだん図々しくなってきた。

窓をくちばしで突き、デッキの上を跳ねまわり、ハーブの植木鉢を倒したりして自分をアピールしていた。

三日目になると彼女の好奇心がまさりデッキに出てカラスのいるそばに坐ってみた。

カラスが彼女の椅子の上に乗ってきたのでブドウを与えた。彼女はもうろうとしてはいたが、カラスがとても奇妙な存在であると思った。うまく説明はできないが彼女が辛い時期を過ごすのを助けるためにカラスが彼女のためにいるというのがわかった。
カラスは、彼女が回復するまで毎日やってきた。

そして彼女が回復するといなくなった。

時が経ち、自分の生活が軌道にのるとカルロスについても忘れてしまっていた。仕事をいろいろと渡り歩き、彼女はUCLAの学部生になっていた。(38歳)

大学三年の時、1993年の冬、彼女の生活は充実していて多忙で幸せだった。
パートタイムの栄養コンサルタントとして働き、大学新聞にも寄稿していた。

女優ジェシカ・ラングの映画会社にインターンシップでつとめ、大学の授業もフルにとっていた ~ 卒業したらジャーナリストかエンターテイメント業界で働きたいと思っていた。

ある日、彼女の母親から電話がかかってきた。彼女はガンで死に侵されていた。

つづく9カ月は地獄のようだった。
看病をして最後まで看取って葬儀も取り仕切った。(少し省略)

通常の生活にもどろうとサマー・スクールに入ったが、既婚のライターである教師と不倫関係になって悲惨なことになってしまった。夏の終わりには学校もやめて部屋に引きこもり絶望の呪文(原文:manta of despairだがおそらくmantraのスペルミス)を繰り返すばかりだった。

「だれも気にしてくれない。希望なんてない。人生は最低だ」

(1993年)9月のある日、メリッサは健康食品の店で友人にばったりあった。
彼は、これから友達のアパートでカスタネダが小人数のグループに話をする会に行くんだと言った。

そのセッションは、Gabi Geutherというドイツ人の女性の尽力で実現したものだという。彼女は、熱心なニューエイジ信者でスクリーム治療のベテランだった。彼女はサンタモニカの書店の朗読会でフロリンダ・ドナー・グラウ他のカルロスの内輪のメンバーと親しかった。

メリッサはあの辛い時期を一緒に過ごした不思議なカラスを思い出した。彼女は一緒についていくことにした。

ここで「The Followersの話」のGabiが93年にはまだインナー・サークル(内輪の会)のメンバーだった時代だということがわかります。

Amy Wallaceの本によると、カスタネダのメンバーは書店でこのような催しを行うことが多かったようです。Amyの本にはGAIA書店というニュー・エイジ系の専門書店でのできごとが多く登場します。(ガイア書店はサンタモニカではなくUCLAのそばですので、メリッサが行った書店は別の本屋だと思います)

この書店については稿をあらためて立てるつもりです。


2016年11月1日火曜日

メリッサ・ウォードの話(1)『ドン・カルロスの教え』(18)

1993年のクリスマスイブ。朝9時。メリッサ・ウォード(Melissa Ward)の電話が鳴った。ひどいインフルエンザに罹ってしまい一人でいたかった。電話がなんども鳴った。しかたなく、ついに受話器を取った。

「ベイビー、調子はどうだい?」カルロスが歌った。
「ごめん、ぜんぜんダメ」
「今夜、夕食大丈夫だよね?」
「カルロス、わからない」ため息をついた「トラックに轢かれたような気分」
「でも君はいなくちゃ。きみのためのディナーなんだから」

彼女は天井を見上げた。
「そのときになってみないとわからないわ」

「そうだ。チキンスープでも作って持っていこうか?」
「いえ、いい」すぐに言った「大丈夫、ほんとに。大丈夫だから」
「そうか、とにかく休んで」カルロスがいった「仕事は休んで、なにもしないで、休むこと。そうして夜に備えて。今夜君は僕たちの仲間になるんだから」

「ええ・・・」メリッサは言いながら前髪をかきあげた。
カルロスはこの怪しいディナーについて何週間も前からいっていた。メリッサは正直、気味悪いと思っていた。

”僕たちの仲間になる!” げげっ。

この時、カルロスは67歳であります。念のため。

カルロスのいいかたで身震いした。なにか明らかにカルトっぽい響きがする。とにかく好きじゃなかった。「なんとかがんばってみる」心のこもったフリをした。

「かならずそうしなくちゃ!」カルロスが大声を出した。「全部準備ができてるんだ。きみは電気の戦士だ!(the Electric Warrior)僕たちは永遠の中から君を見つけたんだ。僕たちは間一髪で君を発見したんだ。きみはこなくてはいけない!」

この作品のはじめ。「”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)」のところで、Electric Warriorが登場します。
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パンドラ・アベニューに面した左側の入口は、呪術師本人と彼の仲間の女性たちが使用する。
三人の魔女、the Chacmols、the Blue Scout(青い探索者)、the Electric Warrior、の他、内部女性メンバーが使う。”フォロワーズ”は、そこをパンドラ・ゲートと呼んでいた。
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本章(メリッサ・ウォード)のエピソードは、1993年。一方、「”フォロワーズ(The Followers)”の話」の方は、前篇・後編で1997年~1998年のエピソードですので、「フォロワーズの話」に登場する上記の「the Electric Warrior」は、メリッサ・ウォードのことかもしれませんし、他の女性のことかもしれません。Amy Wallaceの本によると、このthe Electric Warrior」は、Amy本人もふくめ、何人も呼ばれていたそうです。

38歳、小柄でチャーミング。Melissa Wardはthe Aleutian chain(アリューシャン列島)の基地でthe Northern Lights(オーロラ)の下で生まれた。

ヒッピー文化にはちょっと若いが、70年代のカウンターカルチャーに親しんで育った。18歳の時にはじめてカルロスの作品を読んだ。ちょうどヨーロッパのバックパッキングから帰ってきて大腸炎にかかって苦しんでいるときで、ハーブで自然治療しようとしていた。たまたま手にとった『イクストランへの旅』の死についての記述を目にして、ハマってしまった。

本に夢中になって一、二時間たったころ外で何かを引っ掻くような変な音がした。ベッドから這い出して窓から外を見た。外のデッキの上に真っ黒なみたこともないような大きなカラスがいた。まるで彼女の気を引こうとするように奇妙にデッキの上を跳ねていた。

『イクストランへの旅』の中でもカラスは重要な役割をしていた。
ドン・ファンの世界では、カラスは強力な呪術師や精霊の化身と考えられている。

ダチュラの作用によりカルロス自身もカラスに変身したことがある。
 ~ 頭から翼、くちばしや足が出て天まで飛び去ったのだ。