2010年9月28日火曜日

ホームにて

今年92になった母が入居しているホームに週に一回のペースで訪れます。

追記2017年5月25日この母も今年亡くなりました

そこは、元大手カメラメーカーの社員寮だった建物を改造した施設で、もともと老人ホーム用に作られたものじゃないので無理な使い方をしている感じがあります。
特にエレベータが狭く、かつ油圧式(棒で押し上げるタイプ)なのでトロい。風呂の時間帯は、車椅子の渋滞がおきています。

なにしろエレベータのカゴには、同時に車椅子一台しか入れないので、一人入居者が乗ると、きつきつ。
必ず付き添いのヘルパーも乗り込みますので、あたしは、かろうじてあいた角にぴったりと身を寄せています。

先週の土曜、あたしが乗り込んだときに、一人の男性が自分の車椅子を手押し車(お年寄りが買い物で使う、「椅子」兼用のあれね)代わりに乗り込んできました。
要するに、ある程度は自力で歩行できるのだけど必要に応じて車椅子を使うという状況。

えーと。それなりに場数をふんできますと相手の認知具合を察することができるようになります。

物腰や目の表情から、この人の認知具合は、シロか軽度と判断しました。
(ちなみに母は、かなりしっかりしてますが入居書類には軽度の認知と記されています)

その男性。乗り込んだ後も行き先階のボタンを押しませんでした。

あたし「(大きな声で)何階ですか?!」
かれ 「ん? あぁ、”上”です」

2010年9月24日金曜日

MacからWin PCにiTunesのミュージックライブラリを移行(引越し)する

おおげさなタイトルにしてありますが、Winマシン同士の引越しと異なるところは一箇所だけです。
とはいうものの、そこだけ書いても意味不明だし不親切なので巷に沢山解説がありますが、さらっと手順を書いておきます。

1)MacintoshのiTunesフォルダの中にある全てのファイルをバックアップします。

音楽ファイルは、「iTunes Music」というフォルダに入っていますが、何しろデータ量が膨大だと思います。これらは、分割してDVDなどにバックアップするか、外付けのハードディスクなどを使うといいでしょう。

2)(1)でバックアップしたデータを「iTunes フォルダ」毎、引越し先のPCにコピーします。

※この段階でMacintoshとはサヨナラです。
※引越し先のPCは、あらかじめ「表示オプション」で、ファイルの拡張子が表示されるように変更してください。

3)iTunesをShiftキーを押したまま起動します。(Macの場合は、optionキーだそうですが、この際、もう関係ありません(笑))

―――ここがポイント―――
するとiTunesが音楽ライブラリの在り処を尋ねてきますので、さきほどコピーした「iTunes」フォルダの中にあるライブラリファイルを指定するのですが、Win-Win引越しなら問題ないのですが、Macからの引越しではライブラリが見つかりません。
そのワケは、Macのファイルには「拡張子」がないので、発見できないのです。
さきほどコピーしたファイルの中に、「iTunes Library」というファイルがあるハズです。
こいつに「.itl」という拡張子をつけてください。つまり「iTunes Library.itl」という名称に変えます。これでウィンドウズが認識できるようになりました。
上記、(3)を実行する前に、この拡張子つけたし作業を済ませておくのが手順ですが、ここは説明にけれん味を加えて事後説明としました。
――――――――――――

これで、後はiTunesがせっせとファイルをチューニングしてライブラリを再構築?してくれます。


4)オマケ

上記の作業は、データベースを強引に引越ししているためか、いくつか、はたまた多くの音楽ファイルが「見つかりません」というエラーになることがあると思います。
僕の場合多かったのは、ギターの教則本に付属している音楽CDのファイルとの紐付けがほとんどなくなってしまいました。単体商品の音楽CDと教則本の付録と製造方法が異なっているためかも?と勝手に類推しています。

この現象は音楽ファイルの実体はハードディスクにきちんとコピーされているにもかかわらず認識されないので、なんらかの理由でデータベースとの縁が切れたためと思います。

そのような曲たちは、iTunesのライブラリの曲目リストに(!)マークがついています。この項目を右クリックして「プロパティ」を表示させよう(あるいはプレイさせよう)とすると、「ファイルが見つからないけど、探しますか?」というおあつらえ向きのプロンプトが返ってきますので、指示にしたがいiTunes Musicフォルダの中に存在している実体ファイルを指定すると、ライブラリとの関連付けが無事復活します。

iTunesストアで購入したDRM(著作権管理)付きの音楽ファイルも、引越ししたそのまま新たにiPodと同期しようとするとエラーになりますが、引越し先のPCをiTunesのメニューから正規に認証すれば使えるようになります。

2010年9月22日水曜日

So long, Macintosh

新型iPod touchの発売決定された、その日に予約したのが先日到着。

先日の新型kindleといい、久々のガジェットブームに沸いています。

アップルから商品出荷の連絡メールが来たので配達状況を確認したら上海からくるとのことでしたが、距離的にも近いせいか?二日くらいで手元に届きました。

さぁ、使うぞ!なんて意気込んだら、いつものように(?)、パソコンと接続しろと来たのでMacを立ち上げました。

iPod touchを接続すると・・・。う。iPod touchは、iTunesの10でないと動かないんだそう。
ふーん。じゃ、iTunesをアップデートしなくちゃ。ってんで、ソフトウェアアップデートをかけたら「このソフトは最新です」と来た。

あれ?おかしいな、まいっかアップルからダウンロードしようっと。早速サイトから落として導入(インストール)しようとしたら!!!

なんとOSがSnow Leopardでなければ動きません!と来た。

うー。わしの使ってるOSってなんだったっけ? そういえば、ここ何年もマックのOSなんて気にしたことなかったなぁ。
だって、iPodの母艦としてしか使ってなかったんだもん。
結果は、Tiger。ふざけるな、と。たかがiPod touchごときにOSまで買えというのか。

そっちがその了見なら、こっちにも考えがあるってんで、WindowsマシンにiTunesのライブラリを全部引越しすることにしました。
さようなら、Macintosh。長い間、ありがとう。

Windows版のiTunes 10は、OSがXPであっても導入問題なしで、問題は、あの膨大な音楽をどうやって引越しするか。で、あります。

こちらは、巷の「How To」サイト的話題になりますが、次回、手順も含めて自分の覚えを兼ねてアップしておきます。

Macintoshで使っていたiTunesの音楽ライブラリを、Windows PCに移行(引っ越す)方法です。
お楽しみに!←って誰も待ってないって。

2010年9月20日月曜日

顰(ひそみ)に倣う

象潟や雨に西施が合歓の花

松尾芭蕉の「奥の細道」の中の一句でして、「ねぶの花」は、まるで世界三大美女の一人、西施のようだ。と詠った句かと思います。

西施は、「呉越同舟」とかで聞いたことがあるはずの呉の王様(臥薪嘗胆のエピソードで有名)の奥さん(愛人?)です。陳舜臣の「十八史略」によると敵方の越から送り込まれた秘密兵器ということになっています。

いかにも上品そうな出だしですが、ここから一気に下世話になります。

あたしの座席の前は、とある部門になってます。
管理職をはじめとし、つぶよりの美女がそろってます。 どのような神の采配なのでしょう。

そんな素敵な女性人の一人が、ウィキペディアに載るような経歴の持ち主だそうで。

彼女が困った顔をするととても素敵なのです。
そこで、西施を思い出したという次第で。

西施が、ある日頭痛でもあったのでしょう。顔をしかめていたところ、それが大層美しくて、それを見た宮廷の女たちがこぞって真似をしたという。
この逸話から「顰に倣う」ということわざができたそうです。

昔、ある女友達がしゃがんでまして。その姿があまりにも美しいので、声もかけずに見とれていました。
半年後くらいに、彼女にそのことを伝えたところ相手も覚えていまして、
「あぁ。あの時ね~。吐き気がしてつらかったのよ。」

西施も頭痛でイロケどころの話じゃなかったのに周囲の見る目、妄想ってのは実に勝手なもので。

机から目を上げるたびに、それらが目に入るとあたしが仕事にならないだろうとの配慮からか、事務方が、裸の大将似の男性社員を障壁に配置してくれました。
業務中によこしまな思念が発動しそうになると、裸の大将を見ることで気が静まるので大変助かっています。


2010年9月18日土曜日

Greater Tokyo

先日、吉祥寺に出かけてきました。

あたしの職場に居た方のご主人がビストロをやってるというので仲間の手配で集合しました。

下町から吉祥寺というとちょっとした旅でしす。

城西方面で育ったものでなじみのある土地なのですが、長い間訪れていなかったので、その完全なる地方都市への変貌振りにびっくりしました。
あれくらいのサイズですと、そこで生まれて働いてそこで老いて、逝く。というくらいの規模の町ですね。

吉祥寺は、地方都市じゃなくて東京の一部じゃないか?といわれてそうですが。
東京は、とにかく広くて。ロスの四倍もあって、しかも一般的な都市のイメージから言いますと東京全部が「ダウンタウン」だったりします。
すでに、大きすぎて東京の特徴をひとつでは現せない。違う都市の集合体になっている。

じゃ、どこが真の東京か?といえば、山手線を円にした右側の半分の半分くらい。それも厳密にいうと山手線の内側が「東京」でしょう。

臨海部は、港区なんて言ってますが江東区エリアですし、墨田区、江東区は、歴史的にいうと千葉県エリアです。

そんな東京の中、いろんな人が移り住んできますので広い地域の中で面白い風習が生まれます。たとえば車のナンバープレート。「練馬ナンバー」とか「品川」とか。「足立」はイヤだとか。これは東京がバカ広いのでこんなやりとりが生じるのですが、東京の側から言えば、どうでもよいことですな。

若い時分、松戸の駅前のテナントビルの設計監理を任されまして、たしか先輩の引継ぎだったのですが、週に何度も松戸にでかけていました。
親戚が長く松戸に住んでいたというのもあり、急激に地方都市化が進んでいるのに驚きました。これもずいぶん前です。

その後、仕事で吉祥寺にでかけた時、あたしがフと「久々に来たけど、松戸に雰囲気似てるね」ともらしたら同僚が「つかさん、んなこといったら地元の人が気を悪くするよ」なんてたしなめられました。
ん?なぜ、松戸と似てちゃだめなの?

2010年9月13日月曜日

国境の南

あたしのお袋は、若い時分に結核に罹り(結局、誤診だったそうですが、)「サナトリム」に入っていたそうです。

「サナトリウム」とは、辞書によりますと「空気の良い場所に建てられた、(主に)結核等を療養するための施設」でして長期滞在して栄養のよい食べ物をとって病気を治すという目的の施設。
当時、結核は恐れられていた病気で、たくさんの人が罹っていました。

時代は少し下りお袋が結婚してあたしが生まれてからも、叔父貴の一人が、清瀬にあるサナトリウムに入っていたことがありますし、珍しいことではなかったようです。

さて、母によりますと親はうつるのが怖くてあたしを入れたなんて憎まれ口を叩いていましたが、親としては心配だったのでしょう。
ま、この話の関係者はほとんど他界してますので差し障りはないと思いますが、一応場所は伏しまておきます。
そこは、サザンの歌などで有名な場所にある海の見える療養所だったそうで。夜、ベッドに横になっていると近くを走る海岸線の電車のゴトンゴトンという音が響いてきたそうです。

さて、サナトリウムは長期療養所ですので費用もかかるので、大金持ちの子供が沢山入所していたそうです。
では、なぜ母がそんな施設に入れたか?というと母の実家が戦争で当時は羽振りがよかったらしいのです。

追記2017年5月25日この母も今年亡くなりました

入院している患者の中には、どうやら仮病で兵役を逃れているお金持ちの子息なども混じっていたようで。財閥やらの家族がわんさと居たってのが母の言。
そんな一人に某大企業重役の娘がいまして母は仲良くなったそうです。その方の名前を仮にTさんとでもしておきましょう。

病人といったって健康ですから(笑)。若い男女が混じってると恋が生まれる。Tさん、施設にいた某財閥の子息のKさんと恋に落ちたんですな。
相思相愛です。だが、こちらも大手企業の娘とはいえ相手が悪い。なんてたって日本人なら誰もが名前を知っている一家ですからな、相手は。
家族に反対され、やがて退院し離別へ。

大人になってからTさんとはあたしも何度かお会いしたことがります。貴婦人です。タバコが似合ってた。

さて、彼女は、Kさんが忘れられず、その後独身を通します。

別れてから長い年月が経つ。それでも忘れられず。ある日、彼女はKさんの邸宅を訪ねます。というよりフラフラと足が向いた----------いや、思い出したぞ。その日は、Kさんの誕生日だったんだ。Tさんは花を持っていった。

屋敷の門前にぼんやりと立つ。そこに大きな車が来たそうです。後部座席を見ると、あのKさんが乗っている。車に駆け寄るTさん。車を急停止させて飛び出す運転手。守衛もかけつけ怪しい老女を取り押さえる。

車から降りたKさん。穏やかに、運転手たちに、怪しい人ではないので放してあげなさい、と指示を出し、彼女から花束を受け取ると、再び車に乗り込むと屋敷の中に消えていったそうです。

『South of the border』の歌詞が思い出されます。----------ま、母は話を大げさに脚色する傾向にあるのでどこまで真実かわかりませんが、昭和初期の誰も知らないロマンスであります。

2010年9月9日木曜日

エロティシズム(アルベローニ)

著名人と直接知り合いになった関係性について、『エロティシズム 』(フランチェスコ・アルベローニ著)の中に面白い事例があります。

この本では、ある女性が憧れのスターと知り合いになり、ついに結婚までする。
偶像と実生活のギャップがもたらす心の変化についてアルベローニが面白可笑しく解説してくれます。
男女限らず、そうした社会的なステータスというのはイロケに役がイーハンつくみたいで、有名人に限らす、各種「先生」、「上司」、あるいはステータスの象徴である「制服」なんてのも「役」がつきますな。

この「役」は、そもそもイリュージョンですので二人関係が近しくなり日常が入ると、あっという間に「化けの皮」がはがれる。
「従者に英雄なし」の下世話な解釈でしょうか。

その「化けの皮」は、なにも好かれた方がわざとつけてたわけじゃなくて、勝手に思い込んだ側が描いた幻想なので、相手にとっちゃあいい迷惑かもしれませんが、後の祭りですな。

そうそう、この例に限らずこの本は、男女の不思議に興味のある人は必読の書ですのでぜひとも一読あれ。

2010年9月7日火曜日

虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)

「ああ、ここはすっかりもとの通りだ。木まですっかりもとの通りだ。木は却って小さくなったようだ。みんなも遊んでる。ああ、あの中に私や私の昔の友達がいないだろうか。」

これは、宮沢賢治の『虔十公園林 』のワンシーン。

虔十が暮らしていた町を出て出世した博士が、久しぶりに郷里に戻ってきました。
ふるさとの風景に残っていた虔十の林を見て感慨に耽るひとコマです。

宮沢賢治の作品は、青空文庫のおかげでいつでも手元においておけるようになりました。

この作品に限らずいくつかの話は端末の移り変わりとともにいつも手近のガジェットに入れてあります。
あるときはPalmだったり、モバイルギアだったり、ザウルスだったり、ケータイだったり、シグマリオンだったり、iPadだったり。いずれも何べんも読んでいる作品なので通しで読むことはほとんどないのですが、やはりいつでも近くにおいておきたい文学ってのがありますな。

「虔十公園林」は中でも特に好きな作品です。
みんなに「足りない」といわれていた虔十が、親に頼んで買ってもらった杉の苗をせっせと育て、それがやがて町の大切な公園になる。

という時間の流れがココロに染み入るおはなしで冒頭の博士の感慨を読むとついつい自分の過去も振り返ってしまう。
また、杉をせがんだ虔十に対する両親や兄弟の優しさといったら。

先週、用事で三田の慶応大学におじゃましました。学校というのは、昔を思い出す典型的な場所でしてキャンパスに足を踏み入れたとたん静謐な空気が流れて汚れきった(笑)自分がじゃぶじゃぶと洗われるような感じになります。

共立女子大に教えに行っていたころは、朝がすごく早くて、何しろ八王子なものですから早朝の空気の新鮮なことといったら。

授業が終わって校庭にまろびでますと学校中ほどにあるバラ園(女子大でバラ園ですからね)では、学生のグループがそこここでくつろいでいる。

あぁ、あの中にあの頃のオレがいる(わけないですな)

2010年9月5日日曜日

『死ぬ瞬間』(エリザベス キューブラー・ロス著)

ひと月前くらいから、お風呂に入って椅子に座るとき、両足のヒザの裏側の筋肉。関節ではなくてスジというか筋肉系が痛むようになりまして。

それが次第に痛みが増してきて、ついに二週間前から、かかりつけの整骨院に厄介になっています。
朝、早くから処置をしてくれるので、込み合う月曜以外は、職場へは、なんとかギリギリセーフで到着できています。

だいぶ痛みは軽減してきているのですが、これという原因が思い当たらない。
実家の屋敷(笑)の草むしりか? ギターの練習で片足を台に乗せたまま固定していたので固まったのか?

お風呂の椅子で、なぜ痛みが一番ひどいのか? 仔細に観察するとヒザの位置が腰よりも高く、かなり鋭角的に折り曲げるときに痛みが走るなということが判明。

むむ。そういえば、ラドン温泉とかの椅子って最近、背の高いタイプが多いですよね。あれだとヒザの曲がりは90度なので痛まないハズ。と思い、背の高い椅子を導入しました。この椅子、母が実家で使っていたもので(ってまだ生きてますが)それを拝借したところ快適。

む? ラドン温泉? 母?-------よーするに、年寄りは背の高い椅子を必要としている。 あたしも、背の高い椅子を必要としている。 すなわち、あたしは年寄りである。

長寿のベストセラー『死ぬ瞬間 』(エリザベス キューブラー・ロス著)によりますと、死に行くプロセスは、5つの段階を経るそうです。

1.否認 2.怒り 3.取引 4.抑うつ 5.受容

老化についても受容にいたるまでには、似たような段階があるのではないでしょうか?

1.否認  :オレはふけてない。
2.取引  :アンチエイジングにすがる
3.抑うつ :もうだめだ
4.受容

さすがに、なんでオレだけが!と老化に怒りを向ける人はいないと思いますが、人生いろんな場面で、入学で、就職で、結婚で似たような受容へのプロセスを踏んでいるのかもしれませんな。

2010年9月3日金曜日

Machinima

マルチメディアCD-ROMが登場したとき、みんなはこれで「誰でも自由にエンターテイメントを作れる!」なんて感動したものです。
あたしも、「Spaceship Warlock」の作者が来日して催された講演会の帰り、興奮がなかなか醒めませんでした。

ヴォイジャー社の「Expanded Book」(電子出版アプリ)の説明書の前書きに、「これで僕らは自由だ!」みたいな文言が書かれていました。社長の萩野さんの文章でしたが、非常に感銘を受けたので当時、某女子大で教えていたあたしは学生に教材として読ませたものです。

ジョブズとウォズニアックの二人がパーソナル・コンピュータを作ったとき、これで俺たちは「ネットワーク(昔からあったんですよ)コンピュータ」から自由になれる。と考えたそうです。あたしもワークステーションを与えられ、TSO(time shareing=昔のネットワーク大型コンピュータ)から開放されたとき、「オレは自由だ~」と思ったものです。

インターネットが普及し、WWWで個人がホームページを作り自由に情報をやりとりできると、こぞって発信してきました。
iPhoneを購入したハッカー連中は腕を競ってjailbreakを楽しんでいます。jailbreak、すなわち「自由」ですよね。

さて、またまた新しい自由?の話。

Second Lifeやコンピュータゲームのキャラクターを動かすCGモデリング技
術を使って「映像」を作ることを「Machinima(マシニマ)」と呼びます。マシニマについて記されているWikipediaの記事の末尾には「マシニマで進む映像制作の民主化」という項目があります。これで俺たちは自由だ!というワケです。

マシニマの元となる技術は日々進化していまして、今では劇場用映画の下書き(pre-visualization)としても使われているそうです。

Second Lifeを初めてみたとき、コミュティにはまったく興味を惹かれず、まず「マシニマ」を作れるな。と思いました。「マシニマ」という単語はその時知らなかったのですが、すでにコンピュータゲームのキャラクターエンジンを使ってCMをつくったりということでマシニマという用語も誕生していたようです。
マシニマという用語を知ったとき、あぁみんな同じこと考えるのだなと思いました。