2011年5月30日月曜日

続・好みの声

会議やミーティングでうたたねする人っているでしょ?
ステキですよね(笑)

先日、とある社外のそれも結構重要な会議で堂々と寝ている、関係各社の代表がいる中て猛者だと思いました。
あたしはMCの正面だったので瞬きすらできませんで、きつかったです。

年のいったサラリーマンなんかが会議でうつらうつらするのを見ると、やさぐれ感がイーハン上がりまして一瞬、ここが会議室ではなくて新木場の居酒屋だったのでは?と思うことありです。

その点、あたしの上司なんて大したもんです。会議で眠そうにしたところを見たことがありません。

偉そうに書いている自分はどうなのか?
基本的には寝ませんが、「好みの声」の人がしゃべってると辛抱たまらなくなる時があります。

MNさんという人が進行する会議はたまりません。
眠らないやつはゆるせん!というくらいの単調さとマイルドな声質で他者の追随を許さない。
あ~、以前のように彼の進行する会議に出たい。

また、月に一回部門内で予算の報告会みたいなのがあるのですが、そこで発表するとある最近であった管理職。彼女の声は大好きです。数字を語るリズムのミニマルさがまるで子守唄です。

「頭うつばりにかけ、錐(きり)ももを刺す」くらいでないと目を開けてられなくなりそうです。


2011年5月26日木曜日

好みの声

先だっては、長い間、香りというか匂いの話を続けました。

そんな話を先日、知り合いの若い女性に話したところ、「あたしは実家の排水口の匂いでリラックスします」と来まして、上には上がいるものだと思いました。

さて、今日は声の話。声にも好みが、ありますな。

こんどは男性(実はま、そこそこの著名人)との会話。その男性がある女性を可愛いと思うと、いうわけです。ま、自由ですから。

もちろんあたしも異論はありませんが、実はその女性の声、その人が昔好きだった人(かなり著名人)にそっくりなんですな。傷をえぐると気の毒なので指摘しませんでしたけど。

好きになっちゃえば、相手の声もファッションもクセまでも、みな好きになるのかもしれませんが、先にそうした部品やらパラメーターが「好き」の感情を引き起こしているのかもしれないし。

ひじょ~~に細かい話ですが、「いきものがかり」の「かげぼうし」という歌のサビの部分でヴォーカルの女性が声をわ~~んと伸ばすんですな。

で、最後にちょっとだけカスれる。このカスれであたしは萌えますな。シェリル・クロウの声も良いです。

このネタ少しだけ続きます。


2011年5月24日火曜日

『浅草紅団』

吉原の話が出たので、場所を浅草に移します。

表題の『浅草紅団』。
川端康成の小説です。

あたしは、中公文庫から出ているものを図書館で借りて読みました。ながらく絶版だったようですが最近復刊しているようです。

浅草で暮らす人々の人間模様を描いた青春小説。といってしまえば身もふたもないですが、永井荷風の「墨東奇譚」(”ぼく”は、さんずいに墨)、高見順の「如何なる星の下に」とならぶダウンタウン文学の最高峰のひとつです。

「紅」に限らず、「墨東」も「如何なる」も今は書店では手に入りずらい作品になってしまいました。
とうも大正期の大衆小説が失われつつあるような気がして残念です。

「紅団」は新聞の連載小説だったそうです。読めば、さすがノーベル賞。素晴らしいフレーズがてんこもりです。

「浅草は東京の心臓。」
「浅草は、人間の市場。」
「……私はなんて可哀相な女でしょうって、いいえ、いいの。それね、男ってなんていいものでしょうというのと、私には同じことなの」

しびれますね~鳥肌ものです。
引用続けますよ。

「恋をしていると、夜涙が出るものよ。別れると、朝涙が出るものよ。この朝の涙が出なくなれば、まず女として一人前だわ。」

参った。
次の引用は長いです。

「私は浅草に生まれも育ちもせぬ。故郷という言葉の意味がちがう。だが、1日に20万も70万も浅草公園に流れ込んでくる人達のうちには、ここを故郷ならぬ故郷と思う人間がどんなに多いことか。失業者や家出人や犯罪者は、なぜ必ず浅草に足を向けるのか。自分というものをその中に隠したり、忘れたりするのに、一番具合いい雑沓が、なぜここにあるか。一口にいえば、浅草公園は恵まれぬ大衆がここに棄てる、生活の重みと苦しみとがもうもうと渦巻いて、虚無の静けさに淀み、だから、どんなにぎやかな騒ぎも寂しく聞え、どんな喜びも悲しげに見え、どんな新しさも古ぼけて現れるのだ。

加賀まりこの自伝『とんがって本気 』の中に、川端康成との対談のくだりがあります。
ノーベルのくせに、加賀まりこに向かって、スカートをもう少し上にあげれば?というとんでもないセクハラを言ったのだそうです。
でも、加賀さんもすごくて、そんな川端翁に官能を感じてしまったのだそうです。
文学者ですもの、おそらく相対する女性の、その場のココロの具合を巧みに察することができるのでしょうね。
でなければ、上に引用したような台詞は思いつかないでしょう。

長文の引用の最後に「浅草が古びている」と書いてありますが、この小説がかかれたのは昭和初期です。その頃から古びていたというのが深いです。

ずっとふるめかしいからこそ浅草なのでしょうね。


2011年5月23日月曜日

吉原

ブログサービスには、必ず「アクセス解析機能」がついています。

で、アクセスは検索サイトでひっかかるかどうか?どれだけ検索されるか?というのが肝なわけですが、今日のような表題にしますと、あからさまにアクセスが上がります(笑)。

この地域近辺の名称なども適宜入れておくとまた隠し味が効いてきます───「見返り柳」、とかね。

検索したあげくこのブログ記事を開いて舌打ちしている人も多いのではないかと推察します。

さて、本題は、オススメの本の話。

吉原はこんな所でございました 』(福田利子著)

この本は、非常に有名なので説明はいらないかもしれませんね。

ハトバスの東京観光でも立ち寄っていた松葉屋の女将だった福田利子さんの昔話を聞き書きしたもので、昔の人々の暮らしがていねいに描かれています。

一時期、絶版になってまして手に入らなかったのですが再度検索してみると文庫本が復活しているようです。


2011年5月19日木曜日

暗唱、付録のCD

百人一首の暗唱用テキストは、「奇跡の百人一首」ですが、「音」としても耳に入れておきたいので音源を別途用意しました。

といっても、もともと何故か?持っていたカルタの百人一首に付属していたCDをiPodに入れて利用しましていました、ただ読み方がゆっくりして日が暮れちゃう。下の句を二回読むし。(笑)
なんかいい素材はないだろうか?と思っていたところ、例の七田式から新作の「百人一首」のテキストが発売になりました。
こちらは暗唱用に作られたものなのできびきびしてますよ。しかも音源が子供の朗読ですから耳に残りやすい。同じ、七田のCDでも大人のプロが読んだものは、はっきり言ってイマイチです。上手すぎるというか印象が薄いんですな。(七田の「暗唱 達人編」も子供の朗読でして、出来が素晴らしいです)

ひとつだけ欠点は、「曲」が四首ずつの区切りになってまして自分が脳みそにいれた五つ区切りと、どうも間尺が合わない。でもたまに流して耳で復習をすることにしています。

追記)「百人一首」教材の扱いについて追記しました

2011年5月18日水曜日

暗唱ネタ「百人一首」好みの歌、イヤな歌

あたしの場合、百人一首自体は趣味ではなく暗唱の対象であって無意味な?暗唱そのものが趣味なわけです。(笑)
ですが、暗唱しますとだんだんと詳しくなりまして、やはり好みの歌というのが出てきます。
たとえば、嫌いな(笑)歌をあげてみますと

○小倉山峯のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ(貞信公)

詠まれたいきさつなどを調べるといろいろあるようですが、”ヒラメ”っぽい内容がとにかく鼻につく。
と勝手に思い込んでおります。

※ヒラメっていうのは、故横澤彪さんの発明の言葉でしてサラリーマンで上ばかりみている追従者をいいます。

一番好きなのは、祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい) というお嬢さん(たぶん)の、

○音にきく 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ

ま、恋心の歌なのですが、とにかくリズム感がよくて耳に残る。
それと短歌に限らず「時空、時のうつろい」について詠ったものが好きなので、たとえば、

○み吉野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒く衣うつなり(参議雅経)

なぞは、お気に入りです。「衣うつ」ってなんだ?ってとこですが、きっと打ってるのだろうと(笑)
なんだかしらないが叩いているのでしょう。きっと秋の夕暮、カーン、カーンという音が里に響いているんですよ。ホっとしますよね。

それに引き替え、

○おほけなくうき世の民におほふかなわがたつ杣(そま)に墨染の袖(前大僧正慈円)

坊主のくせになんだか俗っぽいなぁといやになっちゃいます(笑)
解釈知りませんから勝手な解釈ですよ。
ちなみに、墨染めの袖というのはお坊さんの着物のことなのですが、家の近所の植物園で「墨染め」という桜があることを知りました。
で、あたしのイメージは油ぎった坊さんが「墨染め」満開の丘の上にすっくと立ち、世の中を眺めている。花びらがダァ~~~っと雪のように舞っている。
こんなイメージです。

クリスティーナの世界

誰も聞いてないよ、なんて言われちゃいそうですが(笑)、あたしがこの世で一番好きな絵は、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」であります。

70年代に建築家、ロバート・ヴェンチューリの著書ですっかりおなじみになった絵です。

アメリカ人にとっての「家」の原風景なのだろうと思いますが、日本人のあたしが見ても、とにかく懐かしい。

何年も行っていませんがニューヨークに行くと必ずMoMAで展示されている、この絵を見に行くことにしています。

さて、昔の話。画集「クリスティーナの世界」という図書がありまして、とうの昔に絶版になっています。しかたないので図書館で借りては返しの繰り返しをしていましたが、しまいにはどうしてもほしくなりました。

神田の古書店街を歩いても見つかるべくもなく、結局アマゾンの中古本で発見。原書版を手に入れることができました。この時ほどアマゾンが便利だと思ったことはありません。

ワイエスの描く空間には人の世のあまねくうつろいが凝縮されています。
カーテンの皺のひとつひとつに、置き捨てられたバケツの影に、胸がしめつけられるような感動を覚えます。

無名に生まれて無名に育ち、無名のまま死んでいく美しさ。

ワイエスが描いたオルソン姉弟はワイエスのせいで結局無名のままの人生では済まされなくなってしまいます。

でも、「クリスティーナの世界」で記されているワイエス一家との交流の様子をみると、彼らはあくまでも謙虚で誇り高い。
アメニモマケズ。

手に入れた画集は日本円で二万円。ちょっとした値段ですが、出費にみあう充足感。




2011年5月16日月曜日

暗証のグルーヴ感

百人一首の高速暗証でノリ切れないのは、おそらくネタのリズムの問題だと思います。もちろん一首一首はどれもノリがいいのですが、細切れなので「グルーヴ感」(笑)がない。
もしかすると作者の名前も一緒に暗証するのがリズム感を阻害しているのかもしれません。

暗証のグルーヴ感でいいますと。
たとえば、平家物語のような古文系の短文は非常にノリがよいです。
あ、教科書は、七田の『暗唱文集』を使います。詳しくはいずれ。

近代の小説はやはり古文に比べるとリズム感が若干落ちますが、ひとつだけ中島敦の「山月記」だけは、別格。
暗証するなら山月記。山月記といえば暗証(笑)くちずさんでいるだけで文章の風格にしびれちゃいます。できれば「発狂して」家を飛び出す場面まで覚えたいところですが、ちょっとだけ手前でストップしています。

追記)七田の教材について追記しました。(2013/1/22)

赤いネコ(2)

赤いネコ』は、アトムのエピソードの中でも一風変わっています。

マンガの導入部とエピローグの部分に「ヒゲオヤジ」が登場して読者に武蔵野の自然について語りかけます。

大切な武蔵野の自然が失われつつあるなぁ。という独白なのですが、ここで国木田独歩の『武蔵野』を引用しています。

のんびりと武蔵野を歩くヒゲオヤジの姿は小学生だった自分でも逍遥を誘われるエピソードで忘れられません。

ところで国木田独歩の語る武蔵野は、「渋谷」近辺だったりするので完全に自然は崩壊しちゃってますな。

もし今、武蔵野の面影が残っているとすれば埼玉の平林寺近辺~野火止~清瀬エリア。南に下りましてそれこそ現武蔵野。ってところでしょうか。東京にはもう武蔵野は残ってませんな。え?武蔵野市は東京だって?えへへ。ま、いいじゃないですか。

「赤いネコ」では、ヒゲオヤジが読者の子供を想定して原文をかみくだいて話してくれてますが、下記は原文のママ引用します。

武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向く方ゆけば必ず其処に見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。(中略)
されば君若し、一の小径を往き、忽ち三条に分かる処に出たなら困るに及ばない。君の杖を立ててその倒れた方に往きたまえ。或はその路が君を小さな林に導く。林の中ごろに到て又た二つに分かれたら、その小さな路を撰んで見たまえ。あるいはその路が君を妙な処に導く。

その後、あたしは、ヒゲオヤジの薦めに従い「武蔵野」を読んだわけでして。マンガなんて読んではいかんなんて昔から言われてましたが、よい影響もたくさんあったのですよ。




2011年5月12日木曜日

赤いネコ(1)

学生時代、学校に要請がきてNHKの番組に呼ばれました。
内容は、手塚治虫を囲んでマンガについて語り合うみたいなものだったと思います。

収録が終わって手塚治虫とスタジオの片隅で二人で話すチャンスがありました。何を話したのだろう?

話の後、巨匠が色紙にマジックでさっさっとブラックジャックを描いてくれました。
うまい!!うますぎる!!!!!!!神だ!!!

この時、あぁ~オレは今、「て・づ・か・お・さ・む」と一緒にいるのだ!と実感しました。
(まさか”ブラックジャック”読んだことありませんとは言えませんでしたが…(笑))

熱烈なファンというのではありませんが、小学生の時には「アトムクラブ」いうファンクラブにも入っていましたし、(毎月、オマケにアニメのセル画がついていまして、もしきちんと保存していたら・・・・今頃は?総資産が増えていたかもしれません)、先生の会社を危うくしたアニメ『千夜一夜物語 』のサントラ盤も持っています。(これは今も持ってる)

とはいえ、やはり手塚治虫と言えば、やはり『鉄腕アトム』でしょ。

そのアトムのエピソードの中で最も好きなのが『赤いネコ』というエピソードであります。

(つづく)

2011年5月11日水曜日

暗証ネタ「百人一首」

今、覚え中の暗証ネタもあるのですが、挫折する可能性もあるので(笑)、済ませた暗証ネタについて記しておこうと思います。
「百人一首」については、以前も触れましたが「奇跡の百人一首」というテキストを使いました。

一ページ一首になっていて、10首ごとに紙の色が変わっています。とにかく暗証のために作られた本なので使いやすいです。
この暗証は、覚えにくい部分だけ適当に考えた語呂合わせ以外のテクニックは特に用いず順番にひたすら覚えていきました。

競技かるたをやるつもりはないので、暗証する際に作者の名前も一緒に覚えてしまいました。
このブログを書くのでアマゾンで再度チェックしたら文庫にもなっていました。そこに教師をされている読者の方が感想を寄せていまして高速暗証について触れていました。いわれてみると高速もポイントだというのをすっかり忘れていました。円周率1000ケタは、調子にもよりますが3分以内でできますが百人一首は、反復を手抜きしていまして今でも10分以上かかってしまいます。途中で気が散っちゃうのですね。それと暗証ネタとしていまいちノリが良くない(笑)。暗証にノリもヘチマもあるかと思いますが。やはり好みってのがあるのでしょうね。


2011年5月10日火曜日

利己的な遺伝子(3)

香りフェチの彼女に、きっと彼女もあたしも、犬族出身なんだよとあたしの「進化論」の話を披露したところ妙に感心されちゃいました。

そういえばある管理職ですが、彼が隣の席にいた時分、女性スタッフが入れ替わり立ち代わり彼のもとを訪れてきていました。

癪に障るので(笑)、目を閉じて香で誰が来ているのかトレーニングをしたものです。

ま、好みの香りとそうじゃないのがあって、これはキツイなぁなんて種類の香もあるのですが、Dさんのつけているものは非常に香がよくて、あ~この香水の銘柄知りたいなぁなんて思ってたものです。

しかし、さすがにこの図々しいあたしも、さして親しい間柄でもない人に何つけてるの?なんて聞けるはずもなくそのまま月日が流れています。

女性が女性に聞くならまだしもね。と思ってネットで検索してみたところ回答例によっては、一向に構いませんよ、なんてのもあったりして。

ま、いつかチャンスがあれば教えてもらうかなぁなどと思っている初夏のオフィスなのでした。


2011年5月8日日曜日

利己的な遺伝子(2)

さて、その理解ある同僚に、嗅覚の話をした続きです。

すると彼女曰く、
「あら。私もつかさんと同じ香りフェチですよ。」だって。

あたしは、俺は別にフェチじゃないけどなとは思いましたが、せっかく話を聞いてくれた貴重な方なので逆にエピソードを披露してもらったところ町で通りすがりの人を追いかけて行って、つけてる香水の銘柄を尋ねたことがあるそうです。ま、女同士だから大丈夫かと思いますが、つわものです。

彼女の話の続きを書きましょう。

「で、その人の後をおっかけていって銘柄を尋ねたんですよ。というか、私が想像したブランドかな?と思ったら全然違っていて。匂いってむずかしいですよね。組み合わせて使っている人も多いし。それと、その人自身の体臭とブレンドされて、それが新しい香を作りだすというか奥が深いです。」
と来ました。

うーむ。さすがフェチというだけのことはある。


2011年5月6日金曜日

日本劣等

小学校やら中学校で英語を習うとき、生徒が「本格的」に発音をすると冷やかされるので、わざとカタカナっぽい発音をしてしまい学習の妨げになっちゃうなんて話を最近読みました。帰国子女ですらそうだというので。

からかう方の心理はなんなんでしょうな。
韓国も中国もみな英語がものすごく達者ですよね。知らないので推測ですがきっと韓国の小学校とかでは上手に英語話しても誰もからかったりしないのでは?なんて思います。

歌なんかでもそうですな。歌習っている生徒が、本格的に歌ったりするとからかわれたりする。
音楽にノってるとからだが自然と動いてきますが、なかなかのりきれない日本人に通じるような気がします。

さらに飛躍しますが、お許しを。
日本人の男性がオフクロを大切にしたりするとマザコンとか言って揶揄したりしますが、白人男性がMomなんていって母親孝行するのは感心したりしますな。

英語の発音も、音楽のノリも、母親孝行も外国人ならオーケーなのでしょうかね~。
しょうもない話ですいません。

利己的な遺伝子

分厚いけど読みやすいですよ
あたしはリチャード・ドーキンスの本が好きですので生き物の進化(適応)については異論はありません。

でも、ほんとのことを教えましょうか?

人は猿から進化したのじゃあございませんよ。いえ、正確に言いますと猿だけじゃあございません。猿以外にも、猫から進化したヒト。犬から進化したヒトなど、実は各種動物から別系列で進化したんでげすよ。

顔つきやら嗜好などから、こいつはどうみてもネコから進化したな!なんてタイプやら、こいつはキツネだよね。なんて雰囲気の人がいる。
おそらく、あたしの祖先は犬です。

用事をすませまして、職場の入り口をくぐると節電前はそこで新しいアプリのデモなぞをやってた小さな展示スペースになってます。誰もいなかったのですが、ほのかなパフューム(?)の香りが。直前にここをだれか通ったのだ!

む!! この香りはDさんに違いない!
自分の嗅覚を確認したく、あたしは脱兎のごとくオフィスに走りこみました。
すると、あたしの想定通りDさんがパントリーでお茶を入れていました。

嗅覚の勝利をだれかと分かちたくなり、あたしの与太話を聞いてくれそうな同僚に報告をしました。
取られ方によっては変態ともとられない話題ですので、その相手にはていねいに前提から説明をします。(←アホです)


2011年5月5日木曜日

いつもポケットに

最近は、歩いているときもエレベーターに乗っている時も、手持無沙汰なのか寂しいのか手に携帯電話を持ってる人が多いですよね。
用もないのにしょっちゅう画面をチェックしちゃう。

会社の中でも携帯開いて読みながら歩いている。エレベータを待っている時なんかでも携帯の画面を読んでいるフリをすれば苦手な社交辞令のあいさつもしなくて済むし。なんてうがち過ぎですかね。

かくいうあたしも携帯が手から離れなくなってましたが、ここのところ携帯の代わりにハーモニカを握っていることが多いです。いえね、吹くわけじゃあないんですよ。ただ握ってる。
この凡庸なあたしがそうなんだからハーモニカ吹いている人って結構こんな感じなんじゃないかななんて想像してます。

2011年5月4日水曜日

ひとりメシの話~こわい事例~(3/3)

そんな、ひとりメシができない男性社員が一人いました。

社内の引っ越しで席が大幅に変わり、彼のそばになったわけです。
引っ越しのあいさつがわりが、「お昼、一緒に行きましょうね」でした。
いい歳したオヤジがハナから昼飯の心配してるのかよ~。

ソゾっとなりまして。でも、目上の人だったので一回付き合ったら以降結構誘ってくるんですよ。
面倒になりまして、それから誘われる前、少し早めに出ちゃうようにしたところ、しばらくして

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A氏「つかさん、って今日も昼前にスルっと居なくなりましたよね」
(あたし。ぞぞっ~~~~。)
A氏お昼に誘おうかなぁなんて思ったらもういなくなってたので」
あたし「あ、あ、そういえば今日は、別館で用事があったので」
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単純に一人のお昼が好きだってのもあるけど、人と合わせていると出遅れて店が混んじゃってるっていう現実もあるじゃないですか。その点一人だと時間をずらして空いている時に入れるし。
ジャンクフード食べたい時も気兼ねしなくていいし。
おしゃべりもしないので余った時間で買い物もできるしね。

2011年5月3日火曜日

金魚のジョッキ

前回、霜降りジョッキのことを書きましたが本来はこちらがメインのネタでして、霜降りネタが長くなっちゃったので分けました。

さて、件の焼き鳥屋。みなさんジョッキでがんがん行くわけですが、その店ではジョッキに当たりとハズれがある。
ま、あたしの命名ですが、ハズレは「金魚のジョッキ」といいまして金魚の匂いがするジョッキでございます。

ジョッキを大量に洗って、よく乾かさずにしまうもんだからある種「部屋干し」状態になって良くないにおいがついちゃうんだろうなと思います。カビとかなんでしょうか?
大衆居酒屋なのでうるさいことはいいません。

万一(もっと頻度高いですが)「金魚ジョッキ」に当たってしまった時は自分の運命を素直に受け入れることにしています。

金魚にしてもいいがかりつけられたようなもんで気の毒ですが、どうしても金魚のイメージになっちゃうんでね。

スイカやキュウリが嫌いな人がよく「カブトムシの匂いがするからキライ」なんていいますがカブトムシもいい迷惑でして不憫な連中です。


ひとりメシの話~ひとり飯は暗いか?~(2/3)

同僚のハチ公が、ある日あたしに言いました。

「ねぇ。つかさん。こないださ。Iさんたら一人で新福菜館で昼飯食べてたんだよ。暗いね」

ふーむ。一人で飯を食べるののどこが暗いんだ?と思ったのですがハチ公と無駄な議論はしませんでそのまま流しました。
そのことが気になったので、その後ハチ公の様子を見ますと、絶対に一人では昼飯を食べにいけない。誘い合わないとダメなんですな。ひどいときには、遠くのオフィスにいるあたしにまで電話かけてきて誘う。むりやり仕事の要件にかこつけて昼飯を誘う口実にするなんてこともあります。

さらに職場を子細に観察しますと、この手の新人OL系の男性中年社員がフロアには山ほどいるということがわかりました。ひとりなぞは、昼時になるとそわそわしちゃって、誰かが声をかけるまでとにかく落ち着かないやつもいる。

あたしと同じように「ひとり飯」がすきな友達にこのことを話したら、ひとりで行くのが寂しいわけじゃなくて、ひとり飯は暗いと思っているわけだから自分も暗いやつと思われたら嫌だと思ってるわけだよ。と言われました。「ひとり飯って最高に楽しいのにね~」だって。

他の連中と昼飯にいくと昼の時間がまるまるとられちゃいますよね。こちとら、本屋や銀行や郵便局やダイソーへ行ったり、すきを見つけちゃハーモニカ吹いたりしなくちゃいけないのでそんなヒマからきしないわけです(笑)

2011年5月2日月曜日

ひとりメシの話~おやじメシ~(1/3)

「おやじメシ」。検索するとずいぶんとひっかかる単語で一般化しているようですが、あたしはこの用語については独自に開発していました。25年前くらいの話ですが。
あたしの定義する「おやじメシ」とは、「おやじと一緒に食べる飯」でして広い意味では、「なりゆきで食べる飯」のことです。なので、状況によっては一人で食べる飯でもあります。

勤め先の女性社員やスタッフを見ていると昼飯の「連れ」での悩みが絶えないようで、ひどいことになると朝から誰と食べるかが気になって仕事も手につかないみたいな時があるそうです。

そんな女性社員がその後、飯を食べる相手に頓着しなくなる時が訪れます。
それは、仕事が本当に忙しくなってきた時でして、仕事を真剣にやってるものですからいちいちメシを食べる相手なんて気にしてられなくなる。腹が減ったら食べないと、食べられる時に食べておかないとってんで、その場にいたいたオヤジに誘われて間が合えば一緒に行くし、自分だけしか都合がつかなければ一人で済ませてしまう。

あたしの言うところのオヤジ飯が食えるようになれば社会人としても一人前だなと。
ま、そんなところです。(続く)

霜降りジョッキ獲得技法

中学生の時、友達数名と近所の私塾に行ってたことがあります。
授業が終わってから帰り道の「下駄ばきアパート」沿いにあった焼き鳥屋で「シロ」をおやつ代わりに買うのが楽しみでした。
シロってのは鳥じゃないので正確にいうと焼き鳥屋ではなくて焼き鳥&焼きとん屋ってことでしょうか。

さて、あたしとハチ公がたまに行く焼きとん屋さんがありまして。ここのシロもうまくて、焼き物に限らず料理は結構いけます。

焼き鳥と言えばビール。
ビールを頼むとキンキンに冷えて霜のついたジョッキに注がれてくる。
おいおい、ビールはそんなに冷やして飲むもんじゃあないだろという通の人もいるかもしれませんが、いいじゃないですか。好きなんだから。

この霜振りジョッキ。カーっと飲みきって「お代わりください!」ってやるとお兄さん、そのジョッキを持っていて注いできちゃう。

二杯目も、霜降りジョッキでいきたいよねてのが、下衆の発想でして、一杯目に2センチくらい残ってる状況でお変わりを注文する。
するとお兄さん新しいジョッキで持ってくるんですな。
ま、このテクニックも夜が更けて店が混んでくると霜降りジョッキはすべて出払ってしまいますのでもう効きません。

なんて陽気がよくなってきたのでついビールに頭がいきますが今年の夏は節電だし、中国みたいに生ぬるいビールってことでいくかな、などと殊勝なことを考えたりします。