2012年4月20日金曜日

ショッピングセンターの界隈性

少し前に、工事中のロボットの足の写真で記事をポストしましたが、そのロボット(ロボットじゃないって(笑))が立ってる新しいショッピングセンターが先日オープンしました。

テレビなどでもニュースになってましたので、近所でも話題に出ます。
中には、娘があそこで働きだしたんですよ。なんて話もありまして、いろいろ盛り上がってるようです。

あたしはどうも「オシャレ」には縁遠くてピカピカのファッション関係のビルはどうも苦手です。
しかし年月がたつと雑居ビルもだんだんと凄みが出てきまして、そうなってくると、あたしの出番ということになります。

中でも一番好きなのが「中野ブロードウェイ」(の辺り)。単独のビルではありませんが、様々な建物が複雑に入り組んでいて次第によっては遭難しかねない。

集合住宅も併設されていまして、あの複雑さ、ハイブリッド感は、まるで九龍城のようです・・・行ったことありませんので、たぶん。

ブロードウェイほどではありませんが、新橋の駅前ビル。これも捨てがたいものがありますよね。居酒屋、貸し事務所スペースから碁会所まで。
こうした事例を見ますと、ビル空間であっても「界隈性」が生まれるのだということを知ります。

新築のショッピングセンターが建てられた13号地は、もともと土地にコンテクスト(文脈)がありませんので中野や新橋など都市記憶が埋まっている場所に比べて界隈性の創出は非常に難しいと思いますが、設置する「装置」によっては少し時間を早めることができるかもしれません。

2012年4月17日火曜日

小節浅草案内の案内

さて、そんな『小説浅草案内 』の中で一番気に入っている話です。

例のごとく主人公が、居酒屋で飲んでいるとカウンターで二人の青年が話しています。

父親は、若いころから遊びが好きで母親を困らせてばかり。
もう、いい歳なのに向島に住んでいる女性といい仲になって調子に乗っている。

そんな中、母親が悪い病気にかかっていることが判明。
それもこれもオレがだらしないかったからだ、と猛反省した父親、子供たちの説得も功を奏し、向島の彼女に別れ話をしにでかけます。

家は浅草界隈ですので、向島へ行くには橋を渡らねばなりません。
原作が手元にないので覚えていませんが、たぶん言問橋でしょう。以下もうろ覚えなので間違いご容赦。

おりしも季節は春。
隅田川の桜は満開です。
ところが、でけかようとしたら雨が降り出したので傘を手にします。

ここで目をつぶって、雨の中、散る桜。
初老の男性が傘をさしながら、とぼとぼと言問橋を渡っているところを思い浮かべてください。

意を決して、彼女に別れを告げた父親。泣く泣く承知した女性。
行きよりももっとうなだれて橋を渡ります。

・・・翌朝。父親は、濡れた傘を乾かすためにバサっと開きます。
するってぇと・・・。

続きは原作でお楽しみください。

2012年4月12日木曜日

小説浅草案内

桜は散ってしまいましたが、春ですね。

あたしはSF小説家、半村良の大ファンでありまして、直木賞を取って「一般」の小説家に転じたときは複雑な心境でしたが、彼の手になる市井の人々の姿はSFでなくともステキでいろいろ読んだものです。

そんな中、存在も知らず未読のものが『小説浅草案内 』という作品でした。
すでに絶版になっていた10年前ほど、友達に教えられて近所の古書店で買い求めました。

浅草周辺の人々を描いた短編小説集なのですが、本当はみんな脚色された「実話」です。
免責&ネタにされた人たちに迷惑がかからないようにタイトルにわざわざ「小説」とつけたとみました。

しばらく下町を離れていた主人公(半村良本人)が、久々に故郷に舞い戻り、浅草寺の裏手、吉原方面にある浅草の見番のそばにアパートを借りて住み始めたところから話がはじまります。

各話は、たいがい近所の店で仕込んだ話題でして、店というのは飲み屋であります。
本の奥付を調べてみますと出版されたのが1988年。絶版になってから買った本ですので初出の小説誌に掲載された時期はもっと古いですね。
それでも、書かれた店や地名を確認したくて訪ねていったときもあります。

小説の文脈をくみ取って、ようやく見つけたある飲み屋さんでは、この本に登場するマスターはすでに亡くなられた後で、本を読んで来たと言ったら後をついだ奥さんがすごく喜んでくれたこともあります。
なので、エピソードは脚色はしてあってもおそらくみんな本当の話です。

続く

2012年4月11日水曜日

叔母のすまい

そんな母方の親戚に叔母がいます。

つきあいが絶えていますので今、「います」か「いました」かわからないのですが、アパートのひとり暮らしの後、自分でホームを見つけてとっとと入居したと聞きました。

彼女が一人住まいをしている頃、近くに用事があったので、ふと思いついてぶらりと訪ねていったことがあります。この叔母のたんたんとした雰囲気が割りと好きだったのです。
今思えば、ブログにはとても書けない苦労も含め呑み込んで飄々といきる様子はまさにブルースそのものだったのかも。

家族も巣立ち、事情があって一人暮らしをしている叔母の家は狭い二階建てのアパートの一室でした。
それが、実にさっぱりしている。家族たちと暮らしているときも整った暮らしをしている人でしたが、一人暮らしになってさらに物を減らしたのでしょう。余計な雑貨など何もありません。
都会暮らしなのに、まるで森の暮らしウォールデンです。

冷蔵庫から、お新香を出して冷えたビールをついでくれました。
ビールグラスも食器も限られた数しかありませんが、綺麗に整頓されている。
キンっと整頓されている。

自分も高齢になったらこうありたいものだ、というくらい整頓されている住まいでした。


※追記(2016年2月22日)
  その後、いとこからハガキがきまして叔母が亡くなっていたことを知りました。

2012年4月10日火曜日

親戚ってなんだ?

母方との親戚付き合いをしなくなって5年以上経ちます。

もともと母親と彼女の姉妹たちとの間がしっくりいかない状況が続いていたある日、従姉妹から電話がかかってきまして。

ようするに当時、一人暮らしをしていたあたしの母が頻繁に電話をかけてくるのだがやめさせてほしいと。かなりていねいに気をつかった言い方で。それでなんとなく他の叔母たちとの小さな出来事も想起しつつ、「あぁ。母方の親戚たちはようするに母との付き合いが面倒で仕方ないのだな」と勝手に拡大解釈しまして賀状などのやりとりもやめたところ歓迎された?のか、さっぱり縁がなくなってしまいました。

その後、そんな関係の従姉妹から突然喪中はがきが舞い込みました。彼女の旦那さんが亡くなったってんですね。
ふむふむ。死んだときにもお呼びがかからなかったくらいだから、これは本格的に縁が切れてしまったのだと確信しました。ひょっとしたら知らぬ間に、他にも死んでいるかもしれません。

父方の親戚も人がめっきり減ってしまいまして、かろうじて一本だけ細い縁がつながっていますが年に数回手紙やら電話でやりとりをするだけです。
わが家は、核家族ですから親戚の枝は、もう細くて細くて今にも枯れてしまいそうな感じです。
実はさほど懐かしくはないのですが、子供の頃は、あんなに賑やかだった親戚一同はまぼろしのようでひたすら時のうつろいを感じます。

2012年4月5日木曜日

ユニバーサル・ディズニー

しばらく前にディズニーランドにでかけたときのこと。

図々しくも、ユニバーサルスタジオのキャップを被っていきまして、バチが当たったのか園内で失くしてしまいました。

気に入っていたものなので一応落し物センターにいきましたが当日は届いておらず、半ば諦めながらも後日見つかったら連絡をもらえるようにお願いしておきました。

するとビックリ!何日も経ってからいきなりディズニーから見つかりました!と入電。超親切な対応に感激。

朝から仕事で不愉快なことばかりだったので、今日はひとつだけ幸せがあったなとココロの中でつぶやきました。