2011年10月31日月曜日

もっちーの朝

ラジオ体操も、この季節になりますってぇと、子供の姿がめっきり減るもんです。
そんな中、最近登場した女の子がいます。

そうですねぇ。小学校1年くらいかと思います。
あたしゃもともと子供はあまり好きな方じゃありませんで、ましてや女の子供は、もろに所有欲むき出しだったり、いじわるが激しかったりするので目が向かない質ですが、一番先頭にひとりぼっちで立って一所懸命に体操する姿がけなげでして。

はじめ、一人で来てるのかと思い感心してたのですが、ある日、少し遅れて走りこんできた彼女。
後ろから「ワン!ワン!」と吠える犬。

走りながら振り返る彼女「もっちー!待っててね」
彼女は、もっちーの朝の散歩ついでに体操に参加してたってことなんですね。
つられて振り返ると、そこにはお父さんと犬。

お父さんは、犬を木につなぎまして自分も体操を始める。
犬は、その間、さみしくなってちょっと吠えたりする。と。

犬は、雑種でして、頭が黒い。毛も長いところやら短いところやら。体系も大きくもなく小さくもなく。
紐をピンとひっぱって恋しがるわけですわ。

体操が終わると、彼女はもっちーのところに駆けつけますな。
その時のもっちーの喜びようったらありゃしない。

2011年10月26日水曜日

イスラエルちゃん

少し前に、変な歌詞の歌の話を書きました。
前回は日本の歌でしたが、今日は外国曲の巻。

ひとつは、「ウスクダラ 」。トルコ語の歌です。
ウ~スクダ~ラ~き~て~み~て~おどろいた~~~

子供の頃、耳にした江利チエミの歌がず~~~と耳に残ってまして、中でも「それでは男が可哀相」の部分が何十年も耳に残っている。

うーん、やっぱり男って可哀相なんだ。あたしも常々思ってたんですよ。
可哀相だなって。
映画「お葬式」でも、高瀬春奈が言ってたものな。

もうだめだ、ちゃんと聴きたい!!ってんでCD買っちゃいました。江利チエミです。

他にもあったよな~ってのが、二曲。いずれもシングル盤の「レコード」持ってました!
中学生だったから、昔から変な歌好きだったんですね。

1)デスモンド・デッカー「イスラエルちゃん」

歌手の名前まで憶えてるってのがすごいですな。この曲名のインパクト!
意味わからないけど、妙に卑下したような歌詞!

今回、あらためてYouTubeで検索したら当人が歌ってる映像がありました。
へ~~~。この人、黒人の歌手だったんだ。
レゲエ??? なるほど!!! レコード買ったころ、レゲエなんてジャンル周りのだれも知らなかったもんなぁ。
あらためて聞くと、確かにレゲエです。とぼけた歌だなぁ。

2)ハリー・ニルソン「ココナッツ」

こちらはですね。歌手の名前を思い出せないので検索に苦労しました。一般的な名詞なので検索条件を考えないとつらい。
日本語では厳しいと思い「coconut song」として調べました。

すると見事!!一発。

しかし記憶から抜けてましたが、映画「レザボアドッグス」のテーマ?曲として採用されていたのですね。
タランティーノ監督もきっと耳に残ってたのでしょう。気が合うなぁ。

めちゃくちゃ変な曲です。歌詞に意味があるのかどうかも知りませんが、なんとなくドラッグを暗に意味しているように思えますな。

2011年10月19日水曜日

半タコ時空間

「半タコ」ってご存知でしょうか?
漢字では「半股引」って書くそうです。

おまつりの時に履く、「パンツ」といいますか、半ズボンといいますか。

普通の半ズボンですと、日本の足が入る筒状の空間が2本平行にならんでますな。
半タコも、確かに右足は右。左は左ってな「穴」状の空間になってますが、これが一筋縄でいかない。

「半タコ」のやつは、この二つの筒が「割れてまして」、相互に貫入するような、実に不思議な立体構造になっております。
「割れてる方」が後ろ側、そうでない方・・・・「割れてない方」とすっきり書けないでげすよ・・・割れてるような割れてないような方が前ですな。

まるで、「クラインの壺」のような存在なのです。
はんたこを、手に取って履き方を思案する時、「宇宙」を感じます。
ここに入る足はいったい宇宙のどこを通って、どこに出てくるのだ?


2011年10月17日月曜日

My Back Pages

幼馴染のK君の話を各所で話をしたところ、そこそこの反応でした。

「同窓会ってやつもあるね」と友人。

ですな。同窓会、卒業直後はまだしも、20周年、30周年なんてものに出かけていきますと同期の老け具合に愕然とします。

就いた職業と、オツムの状態が結構ビジュアル的には影響大かと思いますが、中には誰だか思い出せないやつもいる。

でも、不思議なもので30分くらい経つと、皆の顔が昔のものに戻っていくというのですか、時間が巻き戻りますな

----------巻き戻りません。
おそらく目が慣れるというか、まやかしに会うのでしょう。
でもね、

Ah~~, but I was so much older then, I'm younger than that now.

※追記)この歌について詳しく書きました。


2011年10月13日木曜日

秋は夕暮れ

今暮らしているところと実家は同じ都内でも少し離れてまして、たまにでかけて参ります。
いろいろね。掃除したり、あるいは物を持っていったりするわけですわ。
今回も手元においておかなくてよい本を置きに出かけました。

車を狭い私道に乗り付け荷物おろしまして、それから近隣の道。
幼馴染のK君の家の角を曲がって・・・と。

おや?めずらしく人が出てるやん。K君の家は、実家と異なりまして立派なお宅でして昔ながらの垣根があります。

禿とうのおじいちゃんが一生懸命、伸びた垣根の木を剪定してるわけです。

ん?まてよ?
・・・!!

げ~~! そのじいさんをよく見るとK君その人ではないですか!!!
ハンドルを握る手は震え冷や汗がでました(笑)

な、なんで。学校ではいつもトップクラスで運動も万能なK君。なんでお前が、じいさんになって剪定してやがんだよ。えぇ?(志ん朝調で)

そういえば、先日区役所から電話があってKさん民生委員になったって聞いたけど。

うーむ。「お前も、能書きたれてないで、まず鏡を眺めて、それから剪定でもしろよ。」ってところでしょうか。


2011年10月9日日曜日

世界は言葉でできている

世界は言葉でできている 』という深夜番組が始まるという話を聴きまして。

その通りなんだよ、わかってるじゃないか、と一人で答えました。
テレビ番組の本
あたしたちの世界は言葉によって認識されてまして、言葉によるイメージで作られています。

このテーマは哲学の分野の扱いでしたが「GIZMODE」に掲載された2010年の「言葉が違えば住んでる世界も違う」という記事で科学者が真剣に研究していることを知りました。

簡単な例では、ドイツ語やフランス語にある名詞の「性」の影響が述べられているのですが、興味深いのは空間認識の違い。

アボリジニの集団の中に、相対位置に関する用語を持たないグループがいて彼らの会話ではすべてに東西南北という方位をあらわして空間認識を行うのだそうです。この言語の場合、広い場所では違和感がないのですが、家の中でトイレを教える場合など非常に煩雑になります。研究者の実験では、円形の平面のホテルに配置された同じ平面の部屋がある場合。英語や日本語では、どの部屋も「同じ」という認識ですが、このグループの言語では厳密に異なる部屋としてとらえられるのだそうです。

「論語」では、最終章である尭曰二十(ぎょうえつにじゅう)の最後、オーラスですな。
ここで、「言葉を知らざるものは人を知らず」として締めくくっています。孔子も世界認識における言葉の最重要性に気がついていたのでしょうね。


2011年10月7日金曜日

One less Steven

スティーブが亡くなりましたね。ウォズやビルも悲しんでいるでしょうね。
6日の朝、職場に到着するなり、同僚が「聞いた?!」って教えてくれました。

でもその直後、職場に来ている一般の方に「スティーブがなくなったよ」といったら「え?どなたですか?」と聞かれました。ま、一般的にはそんなもんかと思います。

「じゃ、同じ、スティーブンでもスティーブン・キングは?」
「いえ、その人も知りません」
「うーんと、”スタンバイミー”って映画あるでしょ?あの原作者」と説明してようやくわかってくれました。

と、この段階でもミスター・ジョブスが誰だかは知らないわけですが、当然、その人はiPhoneは知っているわけですよ。

あたしらが、Apple IIは凄い、とかMacは革命だ!なんて言っているときには誰もウォズのこともジョブスのことも知らなかったのに今やトップニュースですものね。

彼らがXeroxのパロアルト研究所に見学に行ってMacのヒントを得たときの様子は、まるで自分が体験したかのようなイメージが頭の中に焼き付いています。

・・・なんて打ってたら、このパソコンとの長い年月がじわ~~~とよみがえってきました。やばい。

2011年10月6日木曜日

ヒッカリコマタキ

前回、洋楽曲の歌詞について書きましたが、日本の昭和初期の歌には変な歌詞のものがありますね。

たとえば、森山加代子の「じんじろげ」の歌詞では、後半のデタラメさは秀逸で、そもそも「ジンジロゲ」がまずなんだかわからない。

「ホーレツラッパ」って?何だ? 「ヒッカリコマタキ」とは一体?
「サヨナラバス」なんてものじゃありませんね。
この意味不明な歌詞をひねり出すパワーはいったいなんだ?

他にも変な詞ですと「オッペケペー節」や「ツーレロ節」なんてのもありますな。

でも、やはりメロディーの良さに加え一番インパクトがあるのが「東京節(パイノパイノパイ)」の意味不明フレーズ。
「ラメチャン」っていったい誰(笑)なんでしょう?

この歌は、榎本健一(エノケン)のしゃがれた声で脳裏によみがえります。彼の歌声はYouTubeでも聴くことができますが、声質がボブ・ディランのようでなんとも味がある。

記憶違いかもしれませんが、確かテレビで「トムとジェリー」がオンエアされていた時、エンディングのアニメでこの曲(ただし、メロディーだけですので、原曲「ジョージア行進曲」ですね)がかかっていました。

この歌には、替え歌がありまして誰から教わったのでしょうか、それとも映画などで観たのでしょうか?
さびの直前の歌詞を部分的に覚えていますが、こんな具合です。

♪ タロージローの戦隊記。お前の頭はハ○アタマ~

2011年10月3日月曜日

洋もの楽曲の歌詞

少し前に「スウィートホーム・シカゴ」の歌詞のことを書きましたが、インターネットのおかげで洋楽曲の歌詞に関する情報が結構豊富になりましたよね。(ややこしいので権利的な話はちょっと脇におかせてください)

「なんとかlyrics」と検索するといくつかの歌詞サイトがひっかかってきます。で、不思議なのはネイティブの人が記してくれている歌詞なのにいくつもバージョンがあったりするんですよ。

変だなと思っていたら、どこかのブログで「・・・この歌は、ネイティブでもうまく聞き取れなくて・・・」みたいな書き込みがありまして、なんだか不条理な気がしました。

だって歌詞って歌を作った人がいて、その人が詞を作ったわけじゃないですか?
なんであらためて聴き取りをしなくてはならないのか?

百歩譲ってオリジナルの歌詞が失われてしまったとして、ネイティブがそんなに聞き違ったりするものなのか?

日本の歌でそこまで何歌ってるのかわからないのって桑田佳祐くらいではないでしょうか?

サニーボーイウィリアムスンの「Don't start me to talkin'」という曲の歌詞についてです。
この三番の歌詞で女房かガールフレンドが美容院に行くといって自分から金を借りて浮気に行く場面(どんな歌なんじゃい(笑))があるんですが、後半の歌詞がわけわからない。
どの歌詞をみてもバラバラ。どのサイトでもひとつひとつが違う?

(ちなみにこの歌の二番ですが、女房が町に買い物に行きますと。ジョージに出会って殴られ顔に青たん作ります。家に帰って亭主にウソをつくというご機嫌な歌詞です)