2011年2月26日土曜日

サイモン・シン

タイガー・ジェット・シンじゃありませんよ。(もう誰も知らないって)

先日、歓送迎会がありまして。
場所が虎の門だったので、まっつぐ銀座線で帰宅しました。

途中の駅で向かいに座った、おねえちゃん。
ま、こちらは犬と同じですので、おねえちゃんであればとりあえず顔を上げるわけです。
しかも、ちょっと気を引くファッションだったりすると、一層目が行くわけです。



そんなよこしまなあたしの目がとらえたのが彼女がおもむろに開いた文庫本。
カバーをしていないのでモロに見えるのですが『フェルマーの最終定理 』───ガーン!って何がガーンだよって感じで。
派手なおねえちゃんは、電車の中で『フェルマーの最終定理』読んじゃだめなのかよ(笑)。


まぁ、人は見かけによらないとはよく言ったもので。もちろん、この本、フェルマーの定理を解く本ではなくて17世紀に出された究極の定理に挑戦した人たちの姿を描いた科学ドキュメンタリーでして、このテの本の中でも手に汗握るというかめちゃくちゃ知的興奮を覚える名著なのであります。
著者はサイモン・シンという科学専門のライターでして、ほかにも『宇宙創成 』や『暗号解読 』といったベストセラー作家でもあります。

ハードカバー本で出たとき買いましてあまりにも面白かったので、会社の先輩に貸したらそれきり戻ってきませんでした。

本に対する思い入れって一人ひとりまったく異なっていて、これは別の人ですが、これまたある科学読み物を貸したところ、返してくれる代わりに会社の「公共文庫」においてありました。価値観があまりに異なるので、彼らに真意をただす勇気がありませんでしたが、ショックでした。
結局、『フェルマーの…』は、おねえちゃんのと同じ文庫版を買いなおしました。

あたしは家に置ききれない本は『図書キープサービス』というのを利用しています。
どこか埼玉あたりにある倉庫に本を保管してもらう仕組みです。
本という物体が好きなんですね。電子書籍、ほんとはイヤだなぁ~。

追記)この下の根がすっかり変わった数年後、電子書籍やら自炊やらにすっかり手を出してしまいました・・・・。

2011年2月24日木曜日

世代摩擦

自分が子供の頃ですな。
たとえば、ロックバンドの新曲でも聞いていたとしましょうか?
そこへ通りかかった父親。

父「お!これがいま流行りのアインヴィルか?」
子「…あ。う、うん。まぁね。」

とこんなことだけですっかり白けちゃうってことありません?この心理はなんなんでしょう。
(ふん。わかりもしないくせに。おもねりやがって)
といった感情なのでしょうか?

不思議なものでこれが他人、たとえば学校の先生だったりすると全然反応が違ったりして。ってその先生にもよると思いますが。
これは音楽に限らずファッション全般におけるジェネレーション・コンフリクトかなぁと思います。

ネットでいいますと、facebookとかね。
若手IT社長の口から出るとカッコよかったりするのが身近のおじさんたちが口にしだすともうダメ(笑)で。
自分も超オヤジだというのを棚にあげて、なんだか経済誌とかで特集とかされだすと、もう金輪際触るのもイヤになっちゃう。
え?facebookはファッションじゃないって?(笑)
ま、見てなさいって。

2011年2月17日木曜日

デュー・デート ~ネタばれあり~

飛行機の中といいますとやることがないので寝るか、映画でも見るかなのですが国際線ですと公開前の作品を見られるというのがありがたい。

昔は、乗っている間に全員が同じ映画を見るという、とてもゆったりしたシステムでしたが、今は自分が観たい作品を好きなときに好きなだけみられるという。あれってハードディスクレコーダかなんかなのでしょうか。

とても便利な仕組みですが、着陸間際になると、途中でサービスが終了しちゃいますな。
以前の国際線の帰路「KARATE KID」が途中で切れちゃいまして。今回のアムステルダム行きの便で続きから見ちゃいました。

で、本題はそこで鑑賞した「デュー・デート」。男二人のロード・ムービーですな。
ザック・ガリフィアナキス演じるイーサンは父親の葬儀でアトランタに来ていて、それからハリウッドで役者のオーディションを受けにいくために車を借りるわけです。主役のピーター(ロバート・ダウニー・Jr.)とひょんなことで一緒に旅をすることになるのですが、イーサンが「コーヒーの粉の空き缶」に父親の遺灰を入れて持ち歩いているのです。

「コーヒーの空き缶」に「遺灰」ですよ!しかも、後半には遺灰をグランド・キャニオンで撒きます。撒くのです。ぱぁ~~っとね。

これは由々しきことです。
「ビッグ・リボウスキ」のまんまじゃないですか。
しかも、オリジナルの道具立てと比べて、この作品のヒネリの物足りないことったら……。

わざとでしょうか?
はたまた、これは、アメリカのジョークとしては一般的なものなのでしょうか?



2011年2月12日土曜日

昼休みの冒険 ~ベルリンの楽器店~

ドイツのベルリンにでかけていました。

長い会議の連続で、最後の日だし、このままではまったく自由時間がなく、さすがにベルリンに失礼だということを思いまして。

昼休みを利用して街に出ました。といっても1.5時間しかありませんので、もう必死です。

前の晩から距離を念入りに調べまして往復できっちり戻ってこられる地域のあたりをつけました。
目的地は、「Musikalienhandlung Riedel」という楽器店です。もともと知っていたのではなくネットでの事前調査。口コミが重要なのですが、そこはそれドイツ語の口コミなのでさっぱりわからない。

幸いにも一件英語のコメントがあってベタ褒めでした。何が凄いって、ありとあらゆるクラシックの楽譜が揃っているそうでプロのミュージシャンたちも、ここを訪れて掘り出し物を探すと書いてありました。

ここまで書かれると何がなんでもでかけねばということで到着しますと、確かに。楽器も売ってますが、メインは楽譜。奥の方は「中古」と書いてありましていかにも年代者の楽譜がずらっと並んでいる。荘厳な感じ。
来ているお客もドイツ人なので風格がある。

楽譜は買ってもしかたがないので、ドイツといえばHOHNERだし、小型(どれも小型なのですが)の製品を記念に買いました。

お店の人にシャッターを押してもらったりして図々しいことこのうえない。
おぉ!そうだ店の写真も欲しいなってんで店を出てから通りすがりの老婦人にお願いしたら、なんとプロのカメラマンだそうで「いま、個展会場からの帰りなのよ。高いわよ」と来ました。得した気分。
行き当たりばったりでそこらの店に入って軽食をかきこみ息せき切って会場に戻りました。

旅行って人とまとまって行動しているとなぜか記憶に残らないですよね。タクシーでぱぁっと移動したりして。
逆に一人でレストランに入ったり、自力で活動すると脳みそがフル活動するので深い思い出になります。
なので、どこに行っても、こんな具合に、必ずちょこっとでも単独行を加えています。

ミュンヘンの話、入荷しました。

2011年2月4日金曜日

クリエータ魂~あきらめきれない連中~

先日、「アンヴィル」というドキュメント映画について書きましたが、音楽関係の人たちは特に表現という行為への執着が強いような気がします。
音楽に限らず、あたしの周りには年老いてもクリエータ魂が枯れない連中がたくさんいます。

誰もが才能があればよいのですが、こればかりは自身の力ももちろんですが、めぐり合いなど幸運にも恵まれていないと華開くことはありません。
また、流行や時代精神というものもあるので、たとえ一時はうまくいっても、自分の力を長年維持するのは、とても大変なことだと思います。

他人の才能ということについて他人が何かいう権利なんてあるのか?なんてことも思います。
そこで「批評」の技術というのが必要になってくるのかと思います。

あたしは建築の意匠(デザイン)出身なのですが、日本の学校で受けるデザイン作品に関する評価は良くても悪くても釈然としないものが多かったように思えます。
「イヤぁ、この作品はすばらしい!!」だけだったり、はたまた「論外!」の一言だけだったり。

その点、その後受けた学校での批評(critと言います)は、すばらしく先生たちは夜まで教室に残って、どうしてこのデザインがよくないのか?どうすれば、このデザインはよくなるのか?など徹底的に学生が納得するまで指導してくれました。

また、学部生は二年生(sophomore)の終わりに、この先、自分の進路を本当にデザインに進むのかどうかの面談をします。

明らかに目のない学生には教授陣がはっきりとその点を指摘していました。
ある学生はショックのあまり泣き出してしまったそうです。しかし、そこが先生たちがプロだったところで彼女の才能が別のところにあるところを見出していたのですね。

彼女は、その数年後、街のトップ・フォトグラファーとして大成功を収めました。
彼女は転向してうまく行った例ですが、そのかげにはデザインをあきらめた数多くの学生もいたことと思いますが、先生たちの責任ある指導を早い時点で受けることで後々の不幸は避けられたのかも―――なんて聞き分けがよくちゃクリエータにはなれないかな(笑)