2011年8月22日月曜日

厩火事

「厩火事」という落語のネタは、既述のように「郷党(きょうとう)第十」という章に出てくる話題にちなんだ噺です。

あらすじをWikipediaから孫引きさせていただきますと

----------wikipediaより引用----------
髪結いで生計を立てているお崎の亭主は文字通り「髪結いの亭主」。怠け者で昼間から遊び酒ばかり呑んでいる年下の亭主とは口喧嘩が絶えないが、しんから愛想が尽き果てたわけではなく、亭主の心持ちが分からないと仲人のところに相談を持ちかける。
話を聞いた仲人は、孔子が弟子の不手際で秘蔵の白馬を火災で失ったが、そのことを咎めず弟子たちの体を心配し弟子たちの信奉を得た話と、瀬戸物を大事にするあまり家庭が壊れた武家の話をする。そして目の前で夫秘蔵の瀬戸物を割り、どのように反応するかで身の振り方を考えたらどうかとアドバイスをする。
帰った彼女は早速実施、結果夫は彼女の方を心配した。感動したお崎が「そんなにあたしのことが大事かい?」と質問すると、「当たり前だ、お前が指でも怪我したら明日から遊んで酒が呑めねえ」
----------引用終わり----------

落語ネタに登場する人気者女房でだんとつ人気なのが、このお埼さんでして。みな所帯持つなら、お埼さんとおっしゃいます。

とかなんとか、あたしも落語の話題をよく書きますが趣味と言えるほどは詳しくはありません。
以前、ほんの少しだけホール寄席関係の仕事をしたくらいです。
寄席に足を運んだ回数だって大したことはない。
それでも「厩火事」は結構な回数拝見しています。それぐらい有名な噺なのですが、原典の論語はさっぱりしたもので、

厩焼けたり、子朝よりしりぞいて曰く、人をそこなえるか?馬を問わず

これだけです。(うろ覚えで書いてますので書き下し文テキトーです)
これが落語では白馬になっちゃってますからさすがですね。

お埼さんは、仲人から聞いた「もろこしのえらい先生」という言葉がささっちゃって家に帰っても「もろこし、もろこし」。
自分の身を心配してくれた亭主に、「あんた。やっぱりもろこしだったね」と泣いて喜ぶところがけなげで可愛い。

厩火事が作られた年代は知りませんが、明治時代としますと、みな論語は共通の常識としてあった時代ですからネタ元としてうってつけだったんでしょうね。


2011年8月13日土曜日

論語

あたしの論語話は無責任です。
ただのよもやま話ですので、解釈が違ってたりしても決してムキになったりしないように。

さて、「論語」は全部で20編(章)でできてまして、章ごとの分量もまちまちです。
内容は、なんとなくかたまり毎に近い傾向のものが集められています。
各章ごとにタイトルがついてますが、章の内容とは無関係でして、たいていは中のエピソードの中の用語でできてます。

後半の16章ぐらいから、書きっぷりが変わってきてまして説教くさくなってきます。(前半では「先生がおっしゃった」なのが後半では「孔子はこういった」になってます)
かんたんに云うと、つまらない(笑)っていうんですか。
まとめられた時代が異なるのではと、何かの解説に書いてありました。

同じ「つまらない」でも第10章「郷党第十(きょうとうだいじゅう)」は、逆にカジュアルネタが満載で物足りない。って編纂した孔子の弟子たちが聞いたら怒っちゃうかもしれません。

論語は、師匠である孔子がなくなってから長い年月が経ってから編纂されたものなのだそうです。
でも、あたしは「郷党第十」好きですよ。なにしろ落語の「厩火事」の元ネタがある章ですからね。

昔は、日本でも論語を音読、暗誦していたようですが、もし時間があればぜひ、好きなパートを暗誦してみてください。


はじめは意味不明でも、繰り返し音読していく内に、ぼんやりと趣旨が伝わってきます。(気のせいかもしれないけど)

特に、「厩火事」のくだりは超短いので簡単に覚えられます。

2011年8月9日火曜日

ハンカチ検査

早稲田にあった雀荘での話。

これは、当事者から聞いたネタなのであたしはその場にはいませんでしたが、その雀荘はよく知ってます。

小さな店でジャン卓の数は、せいぜい六つくらいだったでしょうか。貸事務所かなんかを改造した風情で広間の中にそのままトイレの入り口があるんですな。中は、本当にトイレの便器だけで手洗いは小さい洗面器がトイレを出たところについている。

連中はそこで麻雀を打ってまして女が一人、後は男三人。おそらくその女が言い出したのだと思いますが、「こいつらは、用を足したあと手を洗ってないのではないだろうか!」

場が盛り上がりまして勝負はそっちのけでトイレの利用者の観察が始まりました。雀荘の客は大体が男ですな。結果は女の仮説が証明された形になりまして、ほぼ全員、早稲田の男子学生は手を洗わないということがわかりました。

その店で牌を混ぜる気も失せた連中はそのまま飲み会へ流れたとか。

さて時は流れて現代です。
最近、会社のエレベータホールに行きますとエレベータの呼び出しボタンが「濡れている」んですよ。
思うに、これは、手を洗った後、拭いてないのではないでしょうか?

ま、手を洗う分だけ早稲田の学生よりゃ数段マシでしょう。

思うに、連中。節電前までは「ジェットタオル」使ってたんでしょうな。それが止められたもんだからしかたなくてそのままにしてるのではないか?
んで、そのままエレベータホールに向かう。
これがあたしの仮説です。
いい大人なんだから手拭い持ち歩いてほしいものです。

濡れた牌をかき混ぜるのはもっとやだなぁ。


2011年8月3日水曜日

B.B.とぼく

時折、ギターの話題を書いていますが、続けてますよ。
でも進歩が非常に遅いのでこっぱずかしくてあまり書けないでいます。

その恥でもネタになるほど恥ずかしいトピックならよいかということで。
最近、B.B.キングの曲を練習してるんですよ。神をもおそれぬ所業ですよね。

スローブルースなんですが、実際に弾いてみるとですね。確かに曲はスローなんですが、演奏はまったくスローじゃなくて。スピードを60%ぐらいまで下げないと音を追えません。

B.B.キングの場合、歌とギターが交互に「対話」をする形式でして。
YouTubeなどで他のミュージシャンとの競演をみると実に楽しそうにギターで「対話」をしています。ちっさ~~くやさしく奏でたと思ったらいきなり荒々しかったり。泣いたり笑ったり。怒ったり。
スローなメロディーの中に登場する、個別の対話。単体では相当速い。

これを一個(フレーズ)ずつ。まるでカタツムリのような速度で愚直に練習するわけです。
でも不思議なのは、どんなに一所懸命にやってもその日の練習では上達しないものは上達しない。まとめてやってもダメでして。

でも、翌日、同じところをまた練習すると必ず少しだけ進歩している。こんな年でも、指が少しだけ覚えているんです。

これの繰り返しでね。もし、いつかほぼ近い形で演奏できるようになったら、この一曲だけでも果報ものだなぁと思います。