2017年2月25日土曜日

『ブルース~複製時代のフォークロア~』湯川新(ゆかわあらた)著

あたしは、洋楽は子供の頃から大好きでしたが、一度も能書きを垂れることができるほど詳しくなったことがありません。バンドのメンバーの名前も憶えないしアルバムの発売順も、人の行き来やら子弟関係やらの紆余曲折も知りません。

中でもブルース(ズ)は新参者でして、自分でブルースハープを吸うようになってから知るようになったくらいのものです。ただ楽器だけでなく歌をうたうようなって歌詞に親しむようになってから、なんだか内容が落語と似ているなと思うようになったと前に書いたことがあります

歌詞の中身が、故立川談志が言っている「人間の業の肯定」に立脚しているように思ったからです。

男女関係を描いている歌も、普通のポップスのように美しいだけじゃなくて間男あり、浮気のしらじらしい言い訳あり、金の貸し借りありと・・ただ好きだったり、降られて悲しかったりするだけじゃあありません。そんなあたしの感想を支えてくれるような文章を表題の『ブルース』という本の中にありましたので引用させていただきます。

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ブルースには恋愛の相手を理想化する態度はうかがえない。恋愛は性に絡んでくるものだし、恋愛関係の維持に金銭的義務が伴うことを見落としてはいない。この義務を怠るならば、朝起きるなり「あんたに用はない」と言われてしまうことさえあるのだ。(p.75)
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あたしがこりゃすごいと思ったのは、ジュニア・ウェルズの歌だったと思いますが女に向かって「おれのポケットに手を突っ込んだって、もう金なんてないぞ」という曲でして、いい歌詞(笑)だなと思いました。

次は、ブルースの詞の中の恋人を別の言葉に喩えた言い回しについて書かれた章の中からの引用です。

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(ブルースに使われる”喩(たとえ)を”恋唄の文脈において眺めると、それが恋というそれ自体緊張に溢れた関係をいっそう劇的なものとするうえで、大きな役割を果たしているということに否応なく気付かせられる。ここに不在の恋人について、「彼は何処へ行ったのか」ではなく、「あたしのぶんぶん蜂(bumblebee)」は何処へ行ったのか」と発語されるとき、二人の間柄の濃密な性愛までが吐露されてしまう。主人公の不安のみならず、素敵な恋人を持っているという自負もまた伝わってくる。恋愛は通常のポピュラー・ソングの場合のごとく、たんに心理的な平面で語られるわけではない。相手の浮気を語る場合ですら、そのおおげさな誇張によって、怒りのみならず笑いとペーソスがともなうのである。(p.113)
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この本、法政大学出版局から出ていまして、結構堅い内容のシリーズの一冊なのですが、あたし的にはこうした詞の解説が結構楽しめました。英語の元詞と日本語を併記してあるので英語の勉強にもなりました。ただブルースの一般的な解説書ではないので、少し深く知ってみたくなったあたしのような半可通向きの本なのかと思います。

(『ブルース~複製時代のフォークロア~』湯川新(ゆかわあらた)著
2007年11月20日 改装版第1刷)

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