2017年3月4日土曜日

『ブルース~複製時代のフォークロア~』(2)

タイトルの本について、しつこいですが、もう一稿アップしておこうと思いまして。

ブルースの歌詞が、込み入った三角関係、ないし四角関係(本人と関係がこじれてしまった恋人、その新しい相手、そして本人の新しい相手)を扱うものが多いという話があります。(P131)
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彼らの相互の関係は、複雑なだけでなく、前の恋人の介入に典型的に見られるごとく、流動的である。
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著者の文体は、大げさで学術的な言い回しをしようとするあまり不必要に難解な感じを受けます。翻訳しますと、
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彼らの関係は込み入っていて、現在の相手に裏切られた腹いせにいったん別れた恋人とよりを戻したりする。
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こうした内容はポピュラー・ソングの歌詞にはあまり見られないとして、こう分析しています。
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そうした(込み入った)関係があまり現れないのは、その恋愛のモデルが10代の恋愛にあって、しかもその恋愛の延長(ゴール)に結婚を想定したイデオロギーが内包されているからではあるまいか。
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恋愛が成就する=結婚する(ずっと一緒に幸せに暮らす)というシンプルでおめでたい発想はブルースの世界にはないということですね。続いて、こうあります。
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(ブルースの)恋唄は、性愛と金銭への言及を喪失するとともに、恋愛という複雑な(緊張関係をともなう)人間の関係をドラマ化する手立てを幾分か失ってしまったのであろう。
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これは私見ですが、恋愛のゴールを結婚ではなく「別れ」とした方がグっと深みが増しますな。恋愛の延長上に結婚をおいた場合、その先に待ち受ける日常というものが待ち構えているわけですから離別の方が「思い出」としての恋愛が記憶に残りますので恋愛の一つのゴールは離別かもしれません。

ブルースがそれのさらに上手を行っている凄みは、結婚した先の日常の中から新たな恋愛やトラブルまで含めて歌にしているところでして。今、あたしが述べたようなロマンチックな思い出に浸っているヒマなどありません。
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ブルースの恋人たちは、何よりもまず大人であり、彼らの間では結婚と恋愛を結びつけるイデオロギーもまた希薄である。(中略)ブルースの<喩の恋人>たちの唄には大胆な性愛と笑いの表現があり、<概念の恋人>たちの唄には関係に対する繊細なまなざしがあるのだが、これらのどの唄にも生活の臭いなるものがとうしようもなくたち込めている。
日常性にどっぷりつかっていながら、これを超越しようとする唄、これがブルースの恋唄である。(P132)
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