やはしポールは少年でなくちゃ |
今もカビくさい文庫ですが大切に持っています。
映像美を満喫 |
メランジ(麻薬)によって変貌をとげた宙航士なんてイメージ通りだったし、スチームパンクの美術も美しかった。音楽もよかった。そっかぁ、確かにブライアン・イーノでしたね。
スティングもカッコよかった。
そんで、なにより、ジェシカ(主人公のポールの母親)が美しかった。フランチェスカ・アニスという女優さんで、劇場で見たとき、なんて美しいのだと思っていて、あらためてビデオ(TV放映用長尺版)で見たら、あれ?と思ったことがある。自分の中でイメージを思い切り増殖させていたのだと思う。恋なんてみんなそんなもんだからなぁ。
では、ナニがあたし的に問題か?と申しますと、これはポール・アトレイデ(昔の翻訳のままアトレイデスではなくてアトレイデってことで)。
役者さんの、カイル・マクラクランには罪はないのですが、あたしの中でポールは「少年」――それも石森章太郎描くところの少年というイメージが固定されちゃってる。だけど、映画のポールはオトナなんだもん。映画館で予告編を見た段階でがっかりしていた。
石森章太郎が描いていたジェシカも美しかったなぁ。そういえば。
リンチ監督が実現するまで、何度か「SFマガジン」でデューン映画化の噂を目にしていて、すっかり忘れた頃映画化されたのでビックリしました。
あらためて世の中のブログを逍遥してみるとリメークの噂があるとかないとか。
原作が長編の作品を映画化するのってほんとにむずかしいのだろうなぁ―――なんて話を書いていると、ついつい「指輪物語」についても触れたくなっちゃうけど、これは場をあらためて。
ところで「少数民族」テーマだと「アニミズム(原始宗教)」ってのが重要な要素になっています。
「砂の惑星」では、砂虫に「乗る」というのがフレーメン(砂漠の民)の「イニシエーション(大人になるための儀式)」になっているし。
アバターでは、ドラゴンに「乗る」ってのがイニシエーションの儀式に位置づけられていたけど、このテのイベントってなぜか映像化されると醒めちゃうのは自分だけ?―――たぶん、彼らの宗教観、自然観にそこまで同化されないので、その部分で急に地に戻っちゃうのかも?
オームじゃない |
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