2014年1月8日水曜日

糸井重里とぼく

とタイトルを書いておきながらご本人とはお会いしたことありませんが、思い出として書いておきます。

場所も時期も忘れましたが、大昔ということだけは確かです。樋口可南子との間柄がまだ噂だったころですから。
なぜか、あたしは数人の同僚とあるマンションにいました。そこを管理している不動産屋さんが案内してくれた部屋なんですが、「ここほら、あの糸井重里さんが住む(買った?詳細忘れた)部屋なんですよ」
てな会話がありまして。

その機会は社用だったことは間違いないのですがなんであたしが人様がこれから住むマンションにでかけていたのでしょうか?>>って人に聞くなよ(笑) まったく記憶が戻りません。
しかも不動産屋さんだったのか、ビルオーナーだったのか?なんでそんな人様のプライバシーをぺらぺらしゃべったのでしょう?
青山近辺だったことは間違いないのですが、彼の会社が後に入るビルではなかったと思いますのでプライベートな不動産だったことは間違いありません。

ま、なんでもいいですが思い出せなくて気持ち悪いありさまです。
その時期から数年後のことです。

とある人から突然電話がありまして。仮にMさんとしておきます。

今から、とあるゲーム会社の会議室に来られないか?と言われました。ちょうど時間があったので駆けつけますと、Mさんのほかに数人あたしのように呼ばれた人間が2~3人。
彼の用事というのは、近々、その会社が発売するゲームの評価をしてほしいということでした。

あたしは別に有識者でもないのですが、なんとなく当時のゲーム業界の人と付き合いがあったというだけですが名誉なことです。

さてそのゲームの内容はさておき、実物をさわりつつ彼があたしたちにA4ペラ1の説明書を配布しました。

みなでああでもないこうでもないと話しますが、あたしは割合に静かでした。
というか元気がない。いや、すっかり落ち込んでいる(笑)

気が付いたMさんが「つかさん?どうしたの?元気ないじゃない?」

あたしは彼が配ったペラ紙をつまんでひらひらさせました。

「この企画書ですよ。たった一枚なのにすべてが超わかりやすく書かれていて、とにかくよくできてて。普段、あたしも企画書書く身だけど、Mさんにこんな企画書作られたらもう生きる自信なくしちゃいましたよ。トホホホ」

M氏、ニヤっと笑って。「なんだ、がっかりすることないですよ。それ僕じゃないです。作ったの糸井さんですから」

ガーン!!!! なのかホっとしたのか微妙な心理ですが。
要するに、これが言葉のプロの仕事なんだと。
所詮、あたしらは三流、四流、生涯半可通だという。
あ~ぁ。

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