2011年2月4日金曜日

クリエータ魂~あきらめきれない連中~

先日、「アンヴィル」というドキュメント映画について書きましたが、音楽関係の人たちは特に表現という行為への執着が強いような気がします。
音楽に限らず、あたしの周りには年老いてもクリエータ魂が枯れない連中がたくさんいます。

誰もが才能があればよいのですが、こればかりは自身の力ももちろんですが、めぐり合いなど幸運にも恵まれていないと華開くことはありません。
また、流行や時代精神というものもあるので、たとえ一時はうまくいっても、自分の力を長年維持するのは、とても大変なことだと思います。

他人の才能ということについて他人が何かいう権利なんてあるのか?なんてことも思います。
そこで「批評」の技術というのが必要になってくるのかと思います。

あたしは建築の意匠(デザイン)出身なのですが、日本の学校で受けるデザイン作品に関する評価は良くても悪くても釈然としないものが多かったように思えます。
「イヤぁ、この作品はすばらしい!!」だけだったり、はたまた「論外!」の一言だけだったり。

その点、その後受けた学校での批評(critと言います)は、すばらしく先生たちは夜まで教室に残って、どうしてこのデザインがよくないのか?どうすれば、このデザインはよくなるのか?など徹底的に学生が納得するまで指導してくれました。

また、学部生は二年生(sophomore)の終わりに、この先、自分の進路を本当にデザインに進むのかどうかの面談をします。

明らかに目のない学生には教授陣がはっきりとその点を指摘していました。
ある学生はショックのあまり泣き出してしまったそうです。しかし、そこが先生たちがプロだったところで彼女の才能が別のところにあるところを見出していたのですね。

彼女は、その数年後、街のトップ・フォトグラファーとして大成功を収めました。
彼女は転向してうまく行った例ですが、そのかげにはデザインをあきらめた数多くの学生もいたことと思いますが、先生たちの責任ある指導を早い時点で受けることで後々の不幸は避けられたのかも―――なんて聞き分けがよくちゃクリエータにはなれないかな(笑)

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