2016年10月31日月曜日

ジェレミーの冒険(2)『ドン・カルロスの教え』(17)

そうした(異)世界を知覚するためのテクニックとしてドン・ファンは「集合点の移動」というテクニックを説明した。人は一度、第二の注意力に入る力を身に着けると、永遠に自分の存在をそこにとどめることができると言っている。

ジェレミーはこの考え方を知り元気づいた。(簡略)
ジェレミーは、ドン・ファンの教えをことごとく実践した。自尊心をなくすこと、目の使い方から反復(recapitulating)まで。(簡略)

そして少しずつ夢の中で「第二の注意力」を旅することができるようになってきた。

マジっすか!

ジェレミーは夢の中で山のどこかにあるギフトショップから第二の注意力に入り呪術師たちのところに行こうとしていた。

彼が廊下に入ると「精霊」が彼をつかんで何千人もの人がいる大きな町の広場に飛ばした。彼は再び大きな声で意図した。「わたしは呪術師のいるところにいきたい!」

場面が変わると暗くかすんだ場所だった。そこには小鬼のような生き物がいて自分に向かってきた。

ひき下がると別の場所にでた。そこには異なる存在がいた。まるで墓石のような存在だ。

怖くなってジェレミーは「わたしはChacmolたちがいる場所に行きたい」と叫んだが何も起こらなかった。そこで代わりに魔女の一人、タイシャ・エイブラーの名前を呼ぼうとしたが声がやめるようにいった。

あらためてしっかりと「わたしはChacmolたちのいるところに行くことを”意図”する」と言った。

場面が洞窟に変わった。そこでは原始人にいきなり襲われた。
あわやというところで穴を見つけて飛び込んだ。(簡略)

また場面が変わり空を飛んでいた。気持ち良くなった。精霊が飛行をコントロールしているようでショッピングモールに向かっていた。

今度はセックスショップに入った。ランジェリーやさまざまなグッズが棚にあった。
別の部屋で乱交パーティーが開かれていた。男性の一人が女性をつれてきてジェレミーに相手をするように言った。頭の中の声がやめておけ!といったが女性に触れたくなった・・・

目が覚めた。恥ずかしかった。戦士らしく振る舞えなかった。精霊の言葉に従うべきだった。

やはり、ここは「第二の注意力」じゃなくて、夢の中だったのね。

この章は、他の章と異なり内容も短く、カスタネダの事実関係を追う内容ではありませんでした。
実践した人間が本当にいたという例示ですね。

(ジェレミーの冒険 ~完~)


2016年10月30日日曜日

ジェレミーの冒険(1)『ドン・カルロスの教え』(16)

1985年の春、32歳のコンピューターエンジニアJeremy Davidsonは、ぐっすりと布団で眠っていた。そして下着一枚だけで山の上にいる夢を見ていた。

ジェレミーは、ドン・ファンの教えの通りに夢の中で行動していた。(簡略化してます)
山の上からスキップをして崖を飛び下り湖に向かった。(簡略化してます)

場面が一転して彼は小さな入江に立っていた。夢見を続けるために、彼は自分の手を少し眺めた。

入江を離れて深い森に入っていくとヘンゼルとグレーテルの家のような建物があった。彼は、それが打ち捨てられたリゾートホテルだとわかった。中を冒険してみることにした。

場面がまた変わった。ロビーや椅子、ギフトショップなどがあるが蜘蛛の巣がそこかしこに張っていた。見れば見るほど、風景がしっかりとしたものになっていった。

ギフトショップに入るとレジの後ろに開口部があって青緑色の世界がそこから見えた。
彼は大きな声で話した。
「わたしは呪術師たちがいるところへ行きたい。わたしを呪術師たちのところへ・・・・」

内気で非常に賢いJeremy Davidsonは70年代後半にカスタネダの著作に出会った。
高校で物理を専攻していた。彼はまえから普通ではないものごとに興味があった。幻覚性ドラッグも試したし東西の哲学書も読み漁った。彼は仏教徒でサイエントロジーの会員、無神論者で正統派のユダヤ人だった。最近、不幸な時期がありカスタネダの作品に出合った。『教え』からはじまり今は8冊目になる。

サイエントロジーは、日本でもトム・クルーズですっかり有名になりました。
Amazonで配信されている「プリーチャー」の第一回でいきなりトム・クルーズが爆発しちゃうのでビックリしました。トム・クルーズに許可なんてとってないと思うのですが、なんであんな大胆なことできるのでしょう?

カルロス自身は長い間公けに現れることはなかった。静かにパンドラの邸宅で魔女たちと暮らしていてアメリカとメキシコを行ったり来たりし、新しいタイトルを次々と出版して新たなメッセージと(呪術の)やり方を伝えていた。

カルロスは、ドン・ファンは1973年に戦士として”欠点のない死”を迎えたと言っていたが新しい作品でも継続してドン・ファンの新しい教えを書いていた。

熱心な読者たちはカルロスの作品がだんだんと文化人類学的な内容が減って来て次第に現象学や東洋の神秘学、実存主義などの影響を受けて退屈なものになってきていると感じていた。

ドン・ファンが去ってカルロスは呪術師の系譜を継ぐ者としてナワールになった。もう弟子ではなく彼が預言者となったのだ。
作品が進むにつれ彼の興味はどんどん「夢見」に傾いていった。

カルロスによるとドン・ファンは普通の世界と「第二の注意力」と呼ばれる見えていない世界の間をつなぐ存在だという。西洋の考えでは我々のこの世界はただひとつのものだが、ドンファンによると世界は連続的なかたまりでまるでタマネギの皮のようになっているという。ドン・ファンによると我々にはそうした未知の世界に入っていく力があるそうだ。(簡略化してます)

2016年10月29日土曜日

グロリア・ガーヴィンの話(4)『ドン・カルロスの教え』(15)

カスタネダの秘密を暴いてはいるが、デミルはカルロスの仕事に敬意を払っている。(少し簡略化しました)

「カスタネダはただの詐欺師ではない。彼は真実をもたらすために嘘をついたのだ」デミルは彼の最初の著書Castaneda's Journey(『呪術師カスタネダ』=『虚実』)で言う。

「彼の話は真実の話ではないが真実で満たされている。彼は簡単に理解できるような物語を書く寓話作家ではない。エクアドルのジャングルで命がけで現地踏査をして採話してくるような民俗学者でもない。これはシャーマンが生み出した贈り物なのだ、不可解で魅惑的、智慧と欺瞞を兼ね備えているのだ。

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最初にUCLAの学生会館で会った時から4年が過ぎていた。Gloria Garvinは、カルロスと実際に顔を合わせて会うようになった。彼の著書は全部読んだし、学内で横行しているゴシップにも加わっていた。

ゴシップの中には、非常に俗な内容でカルロスは女好きだという話もあった。カルロスが本当は砂漠にも行ったことがないのではないかという者もいた。
たまにいなくなるのは、砂漠に行っているのではなくて、とっかえひっかえ相手を変えているのをごまかすためじゃないかというのだ。

加えてカルロスとつき合っている図書館の司書がいた ~ 後に、カルロスによれば、ドン・ファンとの訓練でエネルギーが傷ついたためにパンドラ邸(the Pandora compound)に一緒に何年も済むことになる。

これがGabiとGregが障害のある住人が一人いるといっているのは、この人のことですね。名前は明らかになっているのでしょうか?Amy Wallaceの本に書かれているかもしれませんのでしばらくお待ちください。今、半分より少し先まで進んでいます。(追記:結局、判明しませんでした

カルロスは他にも二人、学部で巻き込んだ女性が二人いる。Regine Thal と Ann Marie Carterだ。二人は後に、Florinda Donner-Grau と Taisha Abelarに改名する。

ジーナ(フロリンダ・ドナー)も、UCLAの学生だったのですね。
フェデリコ・フェリーニとはどうやって出会ったのでしょうか?
カルロスは、フロリンダ・ドナーとはフェリーニを通して知り合ったのですから、カルロスの伝手でUCLAに入ったのかもしれません。

さらに既婚で二人の子持ちのJudy Guilfordという女性とも会うようになる。後に彼女はBeverly Amesと名乗り、最後には、Carol Tiggsに改名する。

中でもティッグスは、カスタネダ界隈では「第二の注意力」に10年間囚われていてカルロスと仲間たちを助けるために戻ってきた強力な呪術師として名をはせる。

なにしろ「女ナワール」ですからね。ドン・ファン・シリーズでも最後まで謎の存在として扱われるし。

Tiggs、Donner-Grau と Abelarの三人はカルロスの命を永らえさせるために三人の魔女体制をしく。
三人は各々が体験したドン・ファンとの弟子生活を記した本を出版する。

あれ?キャロル・ティッグスは本を出してないと思うのですが・・・。
追記:わかりました。出していません。詳しくはAmy Wallaceの本のところで紹介します

グロリアはたまにカルロスと電話や手紙で連絡をとっていたが個人的に会うことはこれまでなかった。1973年の冬、キャンパスで彼女は彼を見つけた。彼らの目が合い彼が近寄ってきた。彼はまるで昨日別れたばかりのように振る舞った。

そして、今、カルロスとグロリアは夕日の中ベンチで足を組んで座っている。二人で親しげに肩にブランケットをかけている。カルロスは自分の両手で彼女の手を優しく握って、彼女の金色に輝く青い目を見つめた。

「これは普通の出会いではないよ」カルロスが言った。

「君を連れていきたいが、僕はもう普通の人間ではないから普通には連れていくことができない。

君の面倒をみたい。僕の妻になってほしい。ずっとそう思っていたんだ。ドン・ファンにもそういわれていた。彼は君のことを見たんだ。君は夢の中で僕の周りにいたんだ。ドン・ファンは君のことを僕と嵐の真ん中にいる女性になると言っていたんだ。

他にも、東西南北の風があるが、彼らはとても冷たくて情け容赦ない女性たちなんだ。でも君は違う。君の面倒をみたい。君のために僕のすべての力を使いたい。これはずっと長い間決まっていた約束なんだ。ぼくたちの生命の存在を超えた約束だ」

最悪なゲスでしょ?

そしてカルロスはグロリアにキスをした。強い、直接的なキスだったが、情熱的ではなく、雑でもなく、自分を抑えていて、ただ直接的だった。彼女は他にどういっていいかわからなかった。その瞬間、海岸の音が静かになった。時間が止まった。

彼女は何かを彼に明け渡したように感じた。なにかとても深く、そして二度と取り戻せないものを。

(グロリア・ガーヴィンの話 ~完~)


残念ながら、グロリア・ガーヴィンのその後についてはこの作品では触れられていません。

パンドラ邸に暮らす仲間になったのか?それともカルトの手から逃れることができたのか?

この話に登場していることから最終的には集団を離れたことは確かそうで、それがなによりです。

2016年10月28日金曜日

グロリア・ガーヴィンの話(3)『ドン・カルロスの教え』(14)

カルロスの母親は、Susana Castaneda Novoaといって16歳で結婚した。
彼女はカルロスが24歳の時に亡くなった。

Amy Wallaceの本では、カルロスが25歳の時と記載されています。

カルロスは母親の葬式に出なかった。カルロスのいとこによると何も食べずに三日間自分の部屋から出てこなかったという。喪が明けると彼はアメリカに行くと言った。

子供の頃、カルロスは教会の侍者をつとめ地元の公立学校にかよった。

父の宝石店にもよく出向いた。次第に銅や金の扱いも巧みになったが自分が作ったものを売る商売を嫌っていた。カハマルカ(Cajamarca)の学校を中退するとリマに移り高校を卒業し、そしてBellas Artes, Peru’s national academy of fine artsに入学した。

当時のルームメイトはカルロスのことを「大ウソつきで最高の友達だった」といっている。
馬鹿騒ぎは大好きだったが酒も飲まずタバコも吸わなかった。ギャンブルで生計をたてていて、アメリカに行くことにとり憑かれていた。
ギャンブルで金持ちになるんだと言っていた。

当時のクラスメートは、カルロスは有能で好感をもてたが少しミステリアスだったと言っている。

そして「金の笑顔」でもてまくっていた。よく使えない時計をマーケットに持っていて売りさばいてはとんずらしていた。ありそうもない話をいつもしていた。と言っている。
(続いて経歴についてのカスタネダとタイム誌記者のやりとりは省略)

カルロスの人生のあやふやさより困ったものなのが彼の著書の学術的な信頼性の問題だった。(このパラフラフは簡略化してます)

カルロスの最初の二冊の著書に関して、デミルは幻覚性植物の専門家ワッソンの研究などを手掛かりに大量の偽造の証拠を見つけた。(こちらも簡略化してます。詳しくはデミルの”虚実”を参照してください)

デミルによると、ドン・ファンの教えはアメリカインディアンの民間伝承、東洋の神秘学、西洋哲学を組み合わせて作ったものだという、中でもHuxley and
Puharich, Slotkin and Wasson, Goddard and Yogi Ramacharakaの影響が大きいと言っている。
Yogi Ramacharakaというのは、アメリカ人(William Walker Atkinson)のオカルティストの偽名である。

デ・ミルはヤキ・インディアンの文化との不整合についても多くを指摘しておりドン・ファンの実在性に疑問を投げかけている。(同じく、ドン・ファンについてのパラグラフを省略します)

「Carlos Castaneda, Academic Opportunism and the Psychedelic Sixties」という著書で、文化人類学者のJay Courtney Fikesは、ドン・ファンは、ワッソンやUCLAの文化人類学者たちが研究した様々なシャーマンを組み合わせたものだと推論している。
カルロスは、UCLAの大学院研究図書館に入り浸っていた。

本章、グロリア・ガーヴィンの叔母(司書)が”カルロスはフィールドワークを実際には行わず図書館の資料をもとに作り上げたという説”の証人である、とにおわせています。

カスタネダのでっち上げたエピソードにいくばくかの真実があったとしてもHuichol, Yaquiや他のネイティブアメリカンの文化を矮小化している」とFIkesは言う「大量の怪しい材料ででっちあげられた内容にわずかだが真実が混ぜ合わされている。カスタネダの本の中に民俗学的な真実を見つけるのはふるいで金を捜すくらい大変なことだ」

このFikes氏は、例のBBCのドキュメンタリーのキーパースンとして登場します。
番組で彼はドン・ファンのモデルは、ヤキ・インディアンではなく、ウイチョル・インディアン(Huichol Indians)だと結論づけています。
Dr.Fikesについては、追って一稿立てる予定です。

あたしは、そうとも限らないなと思ってまして、上記にあるような「事実と虚構の組み合わせ」だと思い始めています。

番組の中でも述べていますが「文化人類学的」見地からいうと大きな損害があったことは間違いがないのでしょう。(ドン・ファンの出自や正体を隠したため)

カスタネダの虚構の混ぜ方ですが、『分離したリアリティ』の後半。「ヘナロの滝渡り」あたりから一気にフィクション化が進んでいると見ます。

2016年10月27日木曜日

グロリア・ガーヴィンの話(2)『ドン・カルロスの教え』(13)

三冊の著書(『教え』、『分離』、『旅』)が出版された1973年頃には、カルロスはすっかり人々から崇拝の対象となっていた。

ドン・ファンの弟子になりたがるカウンターカルチャーファンの旅行者たちがメキシコの砂漠にドン・ファンとキノコを求めて殺到した。

『ドン・ファンの教え』は、週に16,000冊も売れた。『イクストランへの旅』は、ハードカバーでベストセラーになった。

ペーパーバックの売れ行きでカルロスは億万長者になった。古いワーゲンのバスを新車のアウディに変えた。ウェストウッド・ヴィレッジのパンドラ通りに邸宅を構えた。

「タイム誌」がインタビューを申し込んだ。

タイムに掲載された(ウソの)経歴を紹介しています。

カルロスはブラジルのサンパウロの著名な一家に1935年のクリスマスの日に生まれた。
父親は後に文学の教授になるがまだ17歳だった。母親は15歳。彼は養鶏農家をやっている母方の祖父母の家に6歳になるまで預けられた。6歳になると親元に引き取られた。

しかし幸せな時は短かった。母親が亡くなったのだ。医者の診断は肺炎だったが、カルロスがタイムに語ったところによると習い性になり麻痺した怠惰によるものだという。
「彼女は不機嫌で、美しく不満足だった。飾りのようなものだった」「僕は彼女に違う生き方をしてほしかった。でも彼女が僕のいうことを聞いてくれるわけない。まだ6歳だったんだ」
Oswaldo Aranha.jpg
 Oswaldo Aranha

(カルロスと架空の父との関係が記載されていますが、割愛します)

カルロスはブエノスアイレスのレベルの高い寄宿学校で教育を受け、そこでスペイン語を学んだのでドン・ファンとの対話で役に立った。

(イタリア語とポルトガル語はすでに堪能だった)15歳で手におえなくなったので一家の長である叔父―カルロスはその人物をOswaldo Aranha(オズワルド・アラーニャ)だと人には言っていた。

オズワルドは伝説のガウチョで革命家であり後のブラジル大統領だ。

ここで一言。

カルロスの苗字ですが、死亡証明書を参照しますとAranaが正解のようです。上記のOswaldo Aranhaとスペルが違います。
一方、Amy Wallaceの本では、カルロスはAranhaと書かれています。
こまかいことですが、一応人の名前ですので、あたしは役所の証明書をとってAranaを正とみます。

マーガレット・カスタネダの著書に名前の経緯が詳しく書いてありますので、別の機会にあらためて。

カルロスはその叔父にロサンジェルスの里親の元に預けられる。1951年のことだ。
彼は、ハリウッド高校に入学。二年後に卒業後、the Academy of Fine Arts in Milanで彫刻を学ぶためにイタリアに留学する。しかし「偉大な芸術家になるセンスに欠けていた」とわかった。
意気消沈してロスに戻りUCLAに入った。「人生をやりなおそうと思った」
そして文化人類学を学ぶことにしたとタイムに語った。

1959年に彼は苗字をカスタネダに変えた。

(つづいてタイム誌に掲載されたカスタネダの人物描写がありますが省略します)

カスタネダの人生の前半に関してタイム誌のインタビュー内容は後にカスタネダ研究者であるRichard DeMilleの調査と大分違うことがわかった。(デミルの出自を省略します)

このブログではこれまでもいろいろな部分でデミルの名前を使ってきました。
肝心のデミルの本の紹介がまだですが、あたしの「カスタネダの旅」の終わりの頃にやろうと思っています。

アメリカ移民局の記録によるとCarlos Cesar Salvador Arana Castanedaは、1951年に26歳でサンフランシスコに来た。そして1959年に米国に帰化した。ペルーの古代インカ帝国の町であるCajamarca(カハマルカ)で生まれた。

カハマルカの町は、魔女や民間療法師(curanderos)と縁が深い。
カルロスは、Cesar Arana Burungaryという時計と金細工職人の息子に生まれた。父親は、ダウンタウンで宝石店を経営していた。彼はイタリア移民の子供だった。

(カルロスの父親に関する描写も割愛します)

2016年10月26日水曜日

グロリア・ガーヴィンの話(1)『ドン・カルロスの教え』(12)

1973年の冬、カルロスとグロリアは、Malibuの海岸でブランケットにくるまって肩を寄せあっていた。



マリブは、ガビたちの家があるトパンガ峡谷のそばですね。
この後、風景描写がありますが、割愛します。

カルロスは、グロリアの手を優しく両手で包んだ。彼女の金色に輝く青い目が驚いていた。

あちらの文章では、かならず目と髪の色についての記述がありますね。これは日本の小説などではまず読んだことがない。
そして青い目が人気があるんですね。かならず強調する。この感覚もよくわかりません。たしかにキレイですが。

「きみはいつもカゴに閉じ込められた鳥のようだ」
「君は飛び立つ準備ができている。扉は開いているんだ ~ でも坐ったままだ。きみを連れていきたい。君が舞い上がる手伝いをするよ。だれも止められないんだ」

Gloria Garvin は、身を固くした。三文小説のセリフのようなセリフだったが、特別な感じがした。
彼女は魅力的な女性だったが、これまでこんなことを言われたことはなかった。

彼女は26歳。(容姿についての記述を省略します)
彼女は1969年上旬、まだ寒い頃、カルロス・カスタネダについてHaight-Ashburyにあるビクトリア調のタウンハウスではじめて耳にした。

彼女はボーイフレンドとFillmore West(有名なライブシアター)でグレートフル・デッドのライブにロスからサンフランシスコに出かけていたのだ。
コンサートがはけてから誰かが作ったハッシッシ入りのパンプキンパイを食べてごろごろしていた。
69fillmorewest.jpg
1970年のFilmore West (Wikipediaより)
「グレートフル・デッド」が好きということは、やはり、カスタネダ系のテーマが好きな人々ということですね。あたしの元上司が「グレート・"フルデッド"」だと思い込んでいたのがちょっと痛い数年前の思い出です。

翌日、誰かが『ドン・ファンの教え』(1968年)の書評を大声で読み始めた。

(「教え」の概要が書かれていますが割愛します)

カルロスがドン・ファンとグレイハウンドバスの停留所で会ったのは、ちょうど、カルロスがマーガレットと結婚した6カ月後のことだった。

(「教え」の中で述べられている数々の非日常現象についての記述がありますが、省略)

グロリアはLAに戻るとカルロスが頻繁に訪れていたUCLAの図書館 ~ 彼は稀覯本コーナーを特に訪れていた ~ で働いる叔母に頼んでカルロスとのミーティングをアレンジしてもらった。
(カルロスは、図書館の司書とも付き合っていた)

彼女はボーイフレンドと一緒UCLA学生会館でカルロスと会っていろいろな話題を愉しんだ。

別れ際にカルロスは彼女の手をとった「これはとても幸先のいい出会いだと思う」「ただ、あの愚か者を連れてきたのはとても残念だった」とボーイフレンドの方を向いて言った。

Amy Wallaceが、カスタネダの集会にSallyという親友をつれていったとき、カスタネダのスタッフの女性たち(DorothyとTarina)から同じような言い方で友人を侮辱されます。

DorothyとTarinaは、カスタネダの性格が伝染したんでしょうね。
部下はカリスマ上司のクセをマネするってよくいわれますから。

それからの数年間、二人は手紙と電話で連絡をとりあった。
カスタネダの強いすすめで彼女もUCLAの文化人類学部に学部生として入学した。
そしてこちらも強いすすめであのボーイフレンドとも別れることにした。

そのころ、『分離したリアリティ』(1971年)を出版し、そして博士号をとった『イクストランへの旅』(1972年)も出版した。

カスタネダは女性との関係を築くのに非常に長い時間をかけます。

Amy Wallaceとは73年の夏にはじめて出会ってから、モーテルでセックスをしたのが91年の秋です。18年もかけています。

グロリア・ガーヴィンとは69年に会って、本章最後でキスをしますが、それが73年の冬です。

この1973年ですが、カスタネダはAmy Wallaceに『分離したリアリティ』をプレゼントしています。同時並行して口説く対象の女性に種を蒔いているってところでしょうか。実にマメ&ゲスです。

この後、原文では、『イクストランへの旅』の解説がありますがこちらも省略します。

2016年10月25日火曜日

マーガレットの話(4)『ドン・カルロスの教え』(11)

カルロスは、非日常的現実に惹かれ、退屈な毎日にうんざりしていた。

カルロスは、カリフォルニア民族誌と名付けられた文化人類学の学部授業に出ていた。

論文の題材として、Puharich and Huxley, Wasson and Slotkinを取り上げることにした、そしてアメリカ南西部に自生する幻覚性植物について民族植物学の研究を実施することにした。

課題の条件では、実際にインディアンの情報提供者を見つけたフィールドワーク(実地活動)をしたものは成績Aを受け取れることになっていた。

****

そして今、この1960年1月の夜、カルロスが、つき合ってまだ二週間目のヨルダン人のビジネスマンと一緒に過ごしているマーガレットのアパートに現れた。

その間、カルロスはカリフォルニアの砂漠で成績Aをとるためにインディアンの情報提供者を捜しまわっていたのだ。

二人の男は数分間、友好的に話をしていたが、やがて話題がマーガレットのことになった。

男性の名前は、Farid Aweimrine。彼は、マーガレットが昔付き合っていた別の男の兄弟だった。
二人はクリスマスパーティーで出会った。

Aweimrineが言った。「僕は離婚が成立したらマーガレットと結婚するつもりだ」

「そんなことはさせない!(Over my dead body!)」

Faridが言った「じゃ、なんで君は彼女と結婚をしなかったんだ?」

カルロスは、一瞬戸惑いをみせた。腕を組んであごをかいた。

「なるほど」物憂げに言った。
「たしかに。そのテがあったか」

彼はマーガレットに向き合うとにやっと笑った。

「さ!マヤヤ!今夜、結婚しよう!」


(マーガレットの話 ~完~)
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並行してMargaret Castaneda著『Magical Journey with Carlos Castaneda』も少しずつ読み始めました。

まだ数ページしか読んでいませんが、Amy Wallaceの本と異なり構成や表現方法を見るとプロのライターが手伝っている気がします。
カスタネダのペルー時代についても考察が書いてあり、とても興味深いです。

大分先になると思いますがいずれこちらも感想と紹介をアップしたいと思います。

追記2018/5/30)『A Magical Journey With Carlos Castaneda』について書き始めました。

2016年10月24日月曜日

マーガレットの話(3)『ドン・カルロスの教え』(10)

【ご注意】性的な描写があります。

カルロスとマヤヤは完璧なペアだった ~ 情熱的、感覚が鋭く、エキセントリック。
カルロスは、貧乏だったがマーガレットは気にならなかった。

生活のためにカルロスは、タクシー運転手、スーパーマーケットの野菜担当、酒屋の配達、マテル玩具のデザイナー、アパレルショップの会計係などをしていた。

二人はコンサートや演劇、講演会や読書会、展覧会のオープニングセレモニーなどに出向いた。
できたばかだったハリウッド・ブルバードのビート族が集まるコーヒーショップの常連だった。そこでギンズバーグ(Allen Ginsberg) や ケルアック(Jack Kerouac)たちと肩を並べてコーヒーを愉しんだ。

カルロスの絵画や彫刻への興味は次第に薄れ、試作や散文に移っていった。
その頃作った詩のひとつはコンテストで優勝しコミュニティカレッジの学生新聞に掲載された。

(次のパラグラフは、カルロスが大の映画好きだったという説明ですが割愛します。)

カルロスはファッションに気を配っていた。

長い間着たシャツの襟が擦り切れてくると、切り離してから裏返して使ったりした。イタリアでジプシーの楽団と暮らしていたころに覚えた技術だと言っていたが、こうしたエピソードはいつも違っていた。(続く食べ物の好みも省略します)

白人社会である大学生活では背が低いこと、強いアクセント、肌の色などを気にしていた。
彼はよく人に自分は正統なユダヤ人だと言っていたが、マーガレットは本当かどうか尋ねることができなかった。

もうひとつ、彼女が尋ねることができなかったのは、なぜ彼が一度もセックスをしてくれないのかということだった。
カルロスはオーラルセックスについては熱心につくしてくれたが、それ以上に進まなかった。

いずれご紹介する予定のAmy Wallaceの本でもそうですが、欧米の女性たちのセックス描写というのは露骨で気色悪いです。
例のBBCのドキュメンタリーで本人たちが映像で登場して証言するのでさらに驚かされます。

英語だと、そのテの用語や言い回しが多いのでサラっと言えてしまうということもあるのかもしれません。

Amy Wallaceによると、カスタネダは精管切断手術(vasectomy)、いわゆるパイプカットをしていたそうです。(Amy)
日本人の年配の方がには大橋巨泉が有名ですね。(追記:ご冥福をお祈りいたします)

よって、後に子供が欲しくなったときC.J.カスタネダを養子にする展開が待っているわけです。
パイプカットは、もとに戻せると聞いたことがありますが、そうそう簡単なことではないらしいです。

パイプカットと上記のマーガレットとの性生活を知るに、避妊ということに非常に神経を配っていたのかもしれません。

実は、カスタネダは故国ペルーに妊娠した婚約者を置き去りにしてアメリカに来ました。(Amy

この体験がカスタネダを臆病にしていたのかもしれませんし、呪術師だから妊娠する心配がないという伝説を作りたかったのかもしれません。

マーガレットの好きな作家(ハックスレー、ヘッセ、ゴダード、行動主義者J. R. Rhineなど)に影響されカルロスはアストラル体投射やESP(超能力)などに興味をもつ連中とのつき合いをするようになった。

アパートに集まっては夜中まで大好きなMateus Roseワインを飲みながら話し込んだ。Mateus Roseについてはよく冗談で、「ぼくのいちばん大切な先生だ」と言っていた。
Mateus-CTH.JPG
これはロゼではありませんが

ここから、ドン・ファン・マトゥスという名前を考えたのではないかと言われています

カルロスが一番好きな話題は、ハクスレーのメスカリンを使った実験だった。

『知覚の扉』のことですね。素晴らしい本です。
あたしも絵がすてきだし大好きです。

彼はこのテーマをLACC二年の英語のクラスの論文にした。

LACCで準学士号を受け取るとThe Sacred Mushroom, by Andrija Puharich(プハリック)に影響されてUCLAの文化人類学部に転入した。

プハリックのこの本は、古代エジプト人だった自分の過去(前世)と行き来して前世の記憶を思い出すことができるオランダ人の彫刻家についての本だった。

この彫刻家が深い催眠状態になると古代エジプトのIVth Dynasty(王朝)の呪術師Ra Ho Tepになり失われたエジプト方言を話すことができた。

プハリックの本で古代のシャーマンが聖なるキノコ(Aminita Muscaria)を利用して幽体離脱を行っていたことが明らかになった。

Puharieh(スペル間違い?)は、原始神秘主義者たちの幻覚剤に詳しい文化人類学者、Gordon Wassonにインタビューした。

ワッソンは、例のデミルの本でペヨーテに関する批判の根拠となった学者です。

ワッソンは、そのような古代のキノコ崇拝がメキシコの砂漠に今も残っていて、curanderos(治療師)あるいは呪術師たちはシロシビンキノコを治療や占いの儀式のために食べると話した。

カルロスが特に興味をもったのは、Puharichがオルダス・ハックスレーの実験に関わっていたということだった。ハックスレー立ち合いの元、Ra Ho Tepは聖なるキノコを与えられ古代の儀式を執り行ったのだ。

Puharichの本は、文化人類学者、J.S.Slotkinとの対話も収録されている。Slotkinは、ペヨーテを使って夢による非日常的現実を扱うネイティブアメリカンの教会研究の専門家だ。

(次のパラグラフではカルロスの非日常的現実に対するあこがれについて記載されていますが省略します)

2016年10月23日日曜日

マーガレットの話(2)『ドン・カルロスの教え』(9)

「君の友達に会わせてくれるかな」カルロスが訛のある英語で静かに言った。

彼は痩せていて5フィート5インチ、広めの鼻、高い頬骨、厚い胸板そして山岳地域のインディアン的な短い足、ヘアオイルをつけて額の前にたらした黒いカールヘア。

左目の光彩が浮き上がってるように見え、いつもどこか遠くを見ているような印象を与えた。

いわゆるハンサムではなかったが、マーガレットはカルロスがとても魅力的だと思っていた。彼は彼女をマルガリタまたはマヤヤ(Mayaya)と呼んだ。
彼が耳元でささやくととてもエキゾティックだった。

たまに彼女の話に真剣に耳をかたむけていると彼の目が彼女の魂を吸い取るように感じた。

彼がステージでスポットライトを浴びているときなど華やかで情熱的で浮かれたように自分の人生、芸術、夢、恐れや欲望を何時間も語ることができた。

知らない人間の間では人見知りをするが、内輪の集まりでは活き活きしていた。彼はストーリーテリングについては天賦の才を持っていたし、素朴なユーモアのセンスを持っていた。

彼の存在感。徹底した自己管理のため彼とのつきあいは非常に疲れるものだった ~ まるで彼女に集中的に向かってくる純粋なエネルギーでできた波に次から次へと吸い込まれるようだった。

五年に渡るカルロスとの奇妙で強引なつきあい方のせいでマーガレットは世の中でただ一人の女性になってしまった気がした。

しかし、カルロスは時に数週間も行方をくらました。不在期間はカルロスとつき合う場合の代償だった。

カルロスを本当に愛してしまったので彼がいなくなるのは辛かった。
彼からはなにもいらなかった、ただ一緒にいられればそれで幸せだった。彼が行ってしまうとなにか重要なものが欠けてしまった感じだった。
彼の風変わりな気の使い方が好きだった。

でも彼が自由なら私だって自由だ。

「入ってこないで」ドアを少し開けるとマーガレットが言った。
「どうか帰って。いつかまた話しましょう」

「いや」カルロスが言った「ただ入って彼にあいさつをして少しだけ話したいだけなんだ」

マーガレットはカルロスに洋服店ではじめてあったときから一目惚れだった。
二度目に会ったとき自分から名前と住所を書いたメモを渡した。
(上記の洋服店のエピソードは割愛しました)

それから毎晩ゴダードの夢のテクニックを使ってカルロスを呼び寄せようとした。
そして6か月後に夢がかなった。

1956年の6月の金曜の9時にドアベルが鳴ってカルロスが彼女の人生に入ってきた。
彼らの関わりはこれから15年に及ぶ。

カルロスはマーガレットより10歳若く、ロサンジェルスのコミュニティカレッジで心理学を専攻している二年生だった。彼はイタリアで1931年の12月25日に生まれたと言った。

スイスの花嫁学校(finishing school)の学生とブラジル人の非常勤の教授との非合法な関係で生まれた子供だと言った。

生まれてすぐ母方の叔母に引き取られサンパウロで育った。15歳のとき権威主義の私立校から退学させられてから世界中を旅した。イタリアで美術を学び、ロスに来る前はモントリオールとニューヨークで勉強をつづけた。

またアメリカ陸軍情報部(U.S. Army Intelligence)を退役したとも言った。軍役についてはあいまいで韓国とスペインにいてお腹から鼠蹊部にいたるアザは戦闘の際、銃剣で負った傷だと言っていた。

2016年10月22日土曜日

マーガレットの話(1)『ドン・カルロスの教え』(8)

Margaret Runyanは、つき合って2週間ほどのジョーダン(ヨルダン)のビジネスマンと二人で部屋にいた。

突然、誰かが訪ねてきた。

マーガレットは、ウェスト・バージニア生まれ。酪農家の6人兄弟姉妹。父の一番のお気に入りの娘だった。
ロスにきて15年くらい経つがまだバージニア訛が残っている。
本の虫で分厚い眼鏡。黒髪で青い目。

1960年1月のことだった。
二人は近くの中東料理のレストランで食事を楽しんで帰ってきたところだった。

作家のDamon Runyonの従妹で39歳。自分ではもてると思っていなかった。洋服のデザイナーである叔母の家に家賃なしで暮らしていた。ファッションは若い頃から大好きだった。
だいぶ前に大衆小説家のLouis L’Amourと結婚しそうになったことがあるが、男が貧しかったので見送った。

他の男性とも何回か婚約をした。そして二回結婚をした。最初は詩人。次がマフィアと付き合いのある不動産王。

どちらの男もパシフィック・ベルの交換手として働いていた彼女に仕事をやめて専業主婦になれといった。どちらとの結婚も6カ月ももたなかった。

マーガレットは、初期のポストモダン・フェミニストでニューエイジ・マニアで疑似科学に惹かれていた。哲学、宗教、文学に加え数秘学、占星術、超心理学を好んで読んだ。
ヘルマン・ヘッセとオルダス・ハックスレーがお気に入りだった。

またバルバドス出身の神秘家、ネヴィル・ゴダードの熱心なファンだった。
ネヴィルは、人間は夢をコントロールすることで未来を変えることができると信じ、たくさんの信奉者がいた。

有料セミナーと週一回のレギュラーTV番組を通じてプロモートした自費出版の著書「The Search」などに書かれている自己達成のゴールは、「To Go Beyond(彼方へ)」。

この言葉は、弟子たちの日常と現実世界の認識を揺さぶった。
ゴダードは、イマジネーションの瓶のフタを開けるには友人や愛する人々たちとの絆を絶って個人の履歴を消すことだと信じていた。

カスタネダの教義の原典の一つと匂わせています。

ゴダードは私たちの中に存在するI AMと呼ぶ神のようなものの力を呼び起こし方について説教をし自分は特別な力を持っていると言っていた。
講演中、彼の顔が光るように見えたし、同時に複数の場所で目撃されたこともある。彼は、自分の”エネルギーダブル”と呼ぶ複製をつくることができると主張していた。

”ダブル”も同様です。初期の訳では、「分身」となっています。

セクシーな黒いパンプスをはいたマーガレットが(5階にあったアパートの)ドア越しに来訪者をのぞきこんだ。
廊下には、彼女が5年間つき合っていた濃いオリーブ色のスーツを着た男が立っていた。
栗色の髪をした南アメリカ出身の文化人類学専攻の学生だった。

彼は、Carlos Aranaと名乗っていたが、UCLAにはカルロス・カスタネダとして登録していた。
二人はクリスマス前に別れて以来、会っていなかった。
部屋の中の親密な雰囲気を察し、彼と別れた後も彼女があまり悲しんでいなかったことがわかった。

もともと眼鏡で大きく見える彼女の青い目がもっと大きくなって叫んだ。

「カルロス!」

そして少し恥ずかしげに言った「来るなら連絡してよ」

2016年10月21日金曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)(5)『ドン・カルロスの教え』(7)

彼らはトパンガ峡谷にある家に持ち帰っては持ち帰ったゴミの見分を行った。
重要そうにみえるものは取っておいた。

彼らは捨てられた物からカスタネダについて多くのことを学ぶことができた。

70代、独身で孤独だと言われていた呪術師が少なくとも5人の女性 ~ 三人の魔女の内の二人(強力な呪術の実践者であり彼女たち自身もベストセラー作家。彼女たち自身もドン・ファンに教えてもらったと言っている) ~ 、50代の家政婦、カルロスが養子に迎えた若い女性、そして身体に障害をもった女性だ。
彼女は何年も前ドン・ファンとの活動の際にエネルギー的に壊れたと言われている。

Amy Wallaceの本で、魔女たちが自分の口でドン・ファンから直接習ったことはないと言ったとあります。養子に迎えた若い女性というのは、The Blue Scout、本名Patricia Partin、後にNury Alexanderに改名した女性です。彼女は、後にDeath Valley で白骨死体で発見されます。
障害を持った女性は、誰でしょう?Amy Wallaceの本が途中ですのでもし記載があれば追記します。

カルロスと60代になった魔女たちはたくさんの鶏肉と卵を食べていた ~ 菜食を心がけていたthe Followerたちは気に食わなかった。

彼らは、陶磁器の蛇やメキシコ製の陶器が好きだった。屋敷に住んでいる誰かはそそっかしいらしくしょっちゅう物を壊しては捨てていた。物を修理するつもりはないようだった。女たちは高級服が好きだった ~ アルマーニ、バーニーズ、ニーマンマーカス。

節約は好きではないのだろう。着古したものは細かく切って捨ててしまう。たまに切り忘れるときもある ~ ガビは、DKNY(ダナ・キャラン・ニューヨーク)のパンツを手に入れた。しばらく後では、魔女が着ていたものらしい皮のジャケットも手に入れた。
グレッグにぴったりだったので彼のお気に入りになった。

呪術師と魔女たちはトイレの匂い消しにマッチを使っていた。アナグラムやクロスワードパズルなど言葉遊びのゲームが好きだ。
髪は自分たちで切っていた。The Nation and to The New Republicを購読していた。ドイツのチョコレートとダイエットペプシ、小瓶のウォッカ、Kotex Light Daysの生理パッド。

魔女たちは、生理を自由にコントロールでき、止めることもできると言っていました
また女性たちがすでに60代ということから、逆にマジカルな印象も受けます。

インシュリン注射器、鍼灸の針、中国の提灯、赤い取ってのついた庭ばさみ、睡眠薬(phenobarbital)、Tiffany’sの小さな青い箱、健康食と肝臓がんについての本、使い終わった小切手の端、銀行書類、法務関連書類、印税の写し、高級ヨットのパンフレット、ハワイ旅行券の半券、ファンや狂信者からの手紙、大量の留守電のテープ、身内の電話番号リスト ~ 住人の一人はエコロジー関連の旅とフリオ・イグレシアスが好きだった。

呪術師本人はラスベガスでの結婚にご執心のようだった。

ゴミの中で見つかった結婚証明の中にはカスタネダが魔女二人と正式に結婚していることがわかった。二つの結婚の日付はたったの1993年の二日違いだった。記録によると(カルロス以外にも)魔女と内部メンバーの男性たちも結婚をしていた。カスタネダの出版エージェントであり作家でもあるブルース・ワグナー(Bruce Wagner)もその一人だった。
彼はこの件に関してインタビューを受けたが長くてとりとめのない内容で詳細に関して述べることを拒んだ。

ベガスで結婚した二人とは、フロリンダ・ドナー(1993/9/23)とキャロル・ティッグス(女ナワール)(1993/9/29)の二人です。(BBCNo.5)(Amy412-413)

二人が収穫物を持ち去ろうと車へ急いだとき、家の門から白い服をきた人間が現れた。

「ヘイ!」

The Followersたちは凍てついて振り向いた。門から出てきたのはChacmolの一人だった。30代のショートヘアの女性。
The Followersたちは、前に内部集会とつき合いのあったので、この女性を知っていた。

Chacmolは、メキシコのTula(トゥーラ)とユカタンにあるマヤのピラミッドに立っている”恐ろしい夢の番人”にちなんでつけられた名称だ。Chacmolsは、カスタネダのボディガードやヘルパーの役割を担っていた。
実践教室や有料講座では、マジカルパスのデモンストレーションを見せていた。

ここでマジカルパスの説明が続きますが省略します。

Chacmolは怒りに燃えた目でグレッグとガビをにらんで怒鳴った。

「どういうつもり?!」

「ただのゴミじゃない」とガビ。
不思議と冷静だった。
Chacmolはガビの手からゴミ袋をひったくるとグレッグにも袋をおくように身体で示した。「二度と私たちに近づかないで」袋を片付けながら叫んだ。

「そういうことか・・・」グレッグも冷静に考えた。ガビの手をとるとしれっと車に向かった。歩きながらグレッグがChacmolにいった「カルロスによろしくと伝えてくれ!」

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”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)~完~

2016年10月20日木曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)(4)『ドン・カルロスの教え』(6)

カスタネダ自身は、三冊目の著書『イクストランへの旅』が論文として認められUCLAの文化人類学部で博士号を取得していた。

カスタネダの旅は、学部生時代にアメリカ南西部に自生する幻覚性植物の民族植物学研究からはじまった。

The Followersは、自分たちの行動をある種、学術的な敬意の現れとも考えていた。
そして自分たちの動機は純粋で真摯な強い気持ちにもとづくものであることを知っていた。

カスタネダを傷つけるつもりはなかったし、彼のことが好きで尊敬もしていた。
カスタネダは常に非日常的現実を探求することについて語っていたので、彼にただ、近づきたかったのだ。

説明するのは難しいが、非日常的現実は彼らのものでもあったのだ。

ついにグレッグとガビはヒュンダイを降りて外に出た。

目立たない服を着るとドアを静かに締め注意深く通りを渡った。いつもの習慣で、彼らは建物のEastborne通り側からスタートした。カップルが健康のための散歩をしているかのように腕を組んでさりげない様子で建物に沿って歩いた。

ちょっと歩いたところで突然、彼らの前の植え込みからアライグマの一家が現れた ~ 2匹の親と2匹の赤ちゃんアライグマが一列になっていた。
この近辺でアライグマを見かけることは珍しいことではない。

しかし、the Followersはこの地域を昼も夜も知り尽くしているがこれまで一度も見かけたことはなかった。
二人は、うっとりして可愛い動物たちが歩道を歩いている姿を見つめていた。行列の最後の一匹は小太りでみんなに追いついていくのが大変そうだった。

The Followersは、アライグマたちをパンドラ通りの北の角までついていった。途中、母アライグマは、列をはずれて太った子供が遅れないように鼻でせかした。彼らがパンドラゲート(カスタネダと魔女たちが使う)に着くといきなり右に曲がり植え込みに入ってしまった。両親と一匹目の子供は見えなくなった。太った二匹目だけ立ち止まり振り返った。それはグレッグとガビを長いあいだ見て手招きするようなしぐさをした。キラキラ光る黒い目がまるで「ついておいで」と言っているようだった。

グレッグが一歩進んだ。太った赤ちゃんアライグマが植え込みに消えた。グレッグがまた一歩進んで行方を見ようとした。大きな黒い蛾が植え込みから飛び出した。数秒彼の顔の前をふらふら飛んだ。それは、立ち入り禁止と言っているようだ。

カスタネダの著書で「盟友」は蛾の姿だったり「知」そのものだったりします。

「おい!見たか?」

ガビは言葉を発することもできなかった。
二人は、その場にくぎ付けになり背筋がぞくぞくっとした。グレッグの首筋の毛が逆立った。

グレッグとガビは、見つめあい肩をすくめると20フィートほど北にある呪術師の私道に向かった。こっそりと近づくと置いてある大きなゴミ箱のふたを開け中を覗いた。

グレッグは中を漁って三つのゴミ袋をガビに手渡し、自分は四つ持った。

ゴミ箱漁りは最初誰が思いついたか覚えていない。ある日どちらからともなく始めた。
水曜日がゴミ集めの日なので前日の火曜日がねらい目だった。どのみちホームレスたちだって漁ってるのだ。

毎週火曜日が「ゴミ集めの日」になった。サンタモニカの貸スタジオで同志のfollowersと一緒にマジカルパスの練習をした後やってくる。

言われてみればマジカルな感じですね


2016年10月19日水曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)(3)『ドン・カルロスの教え』(5)

一般の人間には、呪術師は、カルロス・カスタネダの名前で知られていた。

1968年、サイケデリックエイジがブームの頃、彼は『ドンファンの教え:ヤキの知恵』を発表した。

12冊に及ぶシリーズの最初の本でメキシコの砂漠で暮らすインディアンのシャーマンに弟子入りして修行し、呪術師が体験する別の世界への旅の様子を記録したものだ。ヘルマン・ヘッセの『ステッペンウルフ』とオルダス・ハクスリーの『知覚の扉』と並んで、ドン・ファン・シリーズは、次の30年間、真実を求める人々のための必読書となった。

あたしも真実をもとめてこの歳になりました。

カスタネダ本人もカルト的な人気を博した ― 彼とは会えない、伝説的なちょうどティモシー・リアリーとL・ロン・ハバードを合わせて二で割ったような感じだ。背は低く、栗色の髪のブッダのようでメキシコ人のベルボーイのようだ。

栗色の髪のブッダってなんだ?

7か国語で1000万冊も売れている本の作者なのにカルロスは30年間、彼の言葉によると可能な限り”アクセス不能”を守り、居所不明を通した。

多くの人々は、彼はソノラ砂漠のどこかにいるのではと推測した。ソノラ砂漠で彼はドン・ファン・マトゥスという名前のインディアンの老呪術師に師事したからだ。

ドン・ファンは、何年も前に自分の身体とブーツを閃光とともに”第二の注意力”に旅立たせた。カスタネダは、金の留め金と一緒に残された。

この下り、記憶にないんです。読み飛ばしてたのかもしれないので、再読で確認します。(pending)

だが、実際は、カスタネダはここバークレイヒルズからほど近い大学教授や学生たちが暮らす界隈であるWestwood Villageに住んで執筆をつづけていた。
実際は、人々が想像しているような遠くにはいなかったのだ。


Google Map ありがとう!! 感動しました。

The Followersは、住まいも当然調べ上げていた。
中でも自分たちが撮影したビデオが自慢だった。

呪術師の重要な信条に「履歴を消す」というものがある。カスタネダは、決して写真撮影や録音を許可しなかった。

今だったら、小型のICレコーダーやカメラが発達しているので逃げられないでしょうね。

彼が行った最後の正式なインタビューは1972年にタイム誌が行ったものだが、それですら顔が全部写る写真撮影をさせてもらえなかった。
結局、表紙は抽象的なイラストで決着した。
記事のタイトルでは、カスタネダを”トルティーヤにくるまれた謎”とした。

週3回、18カ月以上、グレッグとガビはこの秘密の巡礼を続けていた。

二人は、カスタネダと仲間たちをつけ回した。レストランや映画館、そして内輪で催される練習会など。
あらゆる機会をとらえてビデオに撮影した。何時簡にも渡るビデオ素材は、とても貴重なものだった。

The Followersは、自分たちが一体何を追っているのか確かじゃなかったし何か確証があるわけでもなかった。自分たちがやってることが覗き屋的でパパラッツィのようでちょっとダサくてしつこいとも感じていた。

まるで両親のセックスを覗いている子供のようだと思っていた。しかし一方では、自分たちが ~ アマチュアであるにもかかわらず ~ 正式な文化人類学の実習をやってるようにも感じていた。

2016年10月18日火曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)(2)『ドン・カルロスの教え』(4)

※基本色の文字は、原文の抄訳。色は、あたしのコメントです。
 カスタネダ用語は、にします。

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「完璧な戦士ってのは時間を気にするかな?」グレッグが皮肉っぽくいつものふざけた調子でガビにいった。「ま、光るタマゴのぼくたちには時間は関係ないね」

「うーん、わからない・・・」ガビはグレッグの冗談を軽く受け流して、通りの向こう側を神経質そうに見ていた。彼女は指で自分の薄い唇をつまんだ。

通常、彼女の声にはドイツ語の強いアクセントが残っているのだが、今夜、それが柔らかく心配そうに聞こえる。何かが気になっていた。何かがおかしい。

カスタネダ(呪術師)との別れについての彼女がとても腹が立つことの一つは、彼女がようやく進歩をしはじめていた時だったことだ。

上のパラグラフでカスタネダの後にカッコで呪術師と入れています。原文では、カスタネダの代名詞として呪術師と書いている場合が多いのですが、日本語になおすと”the”がないため、わかりにくいので、原文が「呪術師」となっていても以下、カスタネダに直してある場合があります。

それはちょうどグループがサンタモニカのスタジオを借りて”マジカル・パス”――武術のような動きでエネルギーを集める体操――の練習が終わる頃だった。

「グループ」は、Inner Circle(内輪の会)と呼ばれる集まりのことです。
「別れ」については前日のエントリーにも書きましたが、ちょっと経緯が不明です。
BBCの番組の発言からすると、カスタネダの教義に疑問をいだいてグループを去ったということかもしれません。

彼女が、カスタネダの3時間もの長さがあるレクチャーの一本を熱心に見ていたときだった―そのテープは、Lenny Bruce (October 13, 1925~August 3, 1966)やFidel Castro(August 13, 1926~)やメスカリト緑イボイボの頭をしたコオロギのようなペヨーテの精)についての非常に面白い内容だった―カスタネダの頭の左後方から渦、液体状の渦巻きが空中に現れたのだ。

そのことがあって以来、不可思議な事象と啓示が次第に強くなっているように思えた。

何カ月にも及ぶ「監視」を続けながら、世界中にある多くのファンによるグループ同様、グレッグと”マジカルパス”の練習を行ってきた結果、彼女は、最近、自分の内なる声に気づくようになった、それはある種、知恵の倉庫であり錨のようなものだった。

その声は、呪術師がいうところの「使者」だった。使者は彼女の質問に答え、選択を示し彼らの探求が宇宙の意志が支援していると言った。

そして声は1997年のこの火曜日に注意しろと伝えた。何かが違っていた。何かがおかしいと彼女は感じていた。

「行ってみよう」とグレッグが我慢できずに車のドアの取っ手に手をかけた。
「もうちょっとだけ待って、いい?」

UCLAからほど近いウェストウッド・ヴィレッジの高級住宅街に黄色がかったスタッコ仕上げの屋敷がある。低めのこけら葺き屋根。L字型の平面の建物で、窓には格子がつけれ、大きな中庭がある。通りからは約4メートルの高さの椿の生垣が目隠しとして植えられている。

グレッグたちが車を停めているPandora AvenueとEastborne Avenueの角からは、それら通りに面する二か所の門を見ることができた。各々の門はそれぞれ違う住所になっていた。



Eastborne通り側は、男性の訪問者だけが利用していた。

呪術師の教えによると「右」は、経験に基づく知識、私たちが通常知っている知識―トナールを象徴しているからだ。そして左側は、謎めいていて未知の―ナワールだ。

ナワールとトナールは、カスタネダ用語ではありませんが、カスタネダ・スクールが教えるトナールとナワールということで赤字にしました。

カスタネダは、トルテックの何千年もの歴史につらなるシャーマンの系譜を受け継いだナワールとしても知られている、トルテックは、マヤ文明に先行する中央北メキシコに住んでいた前ヒスパニック時代のインディアンたちだ。

パンドラ・アベニューに面した左側の入口は、呪術師本人と彼の仲間の女性たちが使用する。
三人の魔女the Chacmolsthe Blue Scout(青い探索者)、the Electric Warrior、の他、内部女性メンバーが使う。”フォロワーズ”は、そこをパンドラ・ゲートと呼んでいた。

変な名前の女性たちがずらっと登場しました。

Blue ScoutもElectric Warriorもカスタネダのオリジナルのようですが、Chacmolsだけは、オリジナルがあります。

メキシコを中心としてマヤ地代に作られた彫像のことだそうです。詳しくは、Wikiにて
チャクモールについて、本作の著者マイク・セイガーは、スペルを間違えていまして、Chacmoolのところo(小文字のオー)が一つたりませんで、Chacmolになっています。他にも固有名詞のミススペルを見つけましたので適宜コメントを入れることにします。

英語名をみていただくとわかりますように、Chacmoolだけは複数形になっています。
ニックネームというよりも「役職名」に近い感じです。Amy Wallaceの本では、Chacmoolひとりひとりの名前も登場します。

ブルースカウトなどは、単数形で個人個人につけられたニックネームです。Electric Worriorについては、ひとことありまして、こちらをご覧ください

2016年10月17日月曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)(1)『ドン・カルロスの教え』(3)

※基本色の文字は、原文の抄訳。色は、あたしのコメントです。
 カスタネダ用語は、にします。

■”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)(1)

先に説明をしておきますと、”フォローワーズ”は、本チャプターの主人公たちGabiとGregの二人が自分たちにつけた”チーム名”または活動名です。あたしの抄訳中は、カタカナだったりアルファベットだったりと気まぐれです。

フォロワーズは、埃まみれのヒュンダイのヘッドライトを消して、いつもの場所に車を移動した。そこは呪術師の屋敷の敷地交差点、斜め向かいの駐車禁止の場所だった。

(おそらく1997年)8月上旬、少し涼しい火曜日の夜だった。空はロスにしては晴れていた。神秘的な空が10年落ちの車の窓ガラスを通して誘い込むように瞬いた。
コオロギの声、犬が吠え、エンジンの熱でむっとしていた。
次のミッションに備え彼らはしばし無言であたりに漂うジャスミンの香りを楽しんだ。

「準備はいいか?」グレッグ・マミシャン(Greg Mamishian)は、屋敷の様子を窺いながらたずねた。髪は虎がり、グレーで目が輝いている。50歳、背は低い。

グレッグは、元陸軍のヘリコプターエンジニア、ベジタリアンで筋肉質。ベトナムに従軍していた以外は、これまでの人生、家から10マイルの活動範囲で暮らしてきた。

現在は、電器屋を自営、通勤時間も含めて1日5時間だけ働くことにしている。
トパンガ峡谷(Topanga Canyon)の荒野で快適な暮らしだった。薪ストーブ。テレビはなく二部屋だけの小屋で質素な暮らしをしていた。



地図で見ると、カスタネダの屋敷があるウェストウッドから10キロちょいですね。

グレッグは、単調な仕事をこつこつこなして自己管理をきっちりする生活を好んだ。
ばかばかしいジョークが大好きでいたずらの才能があり、ドタバタコメディの大ファンだった。

「おいらは人生ゲームのコマだ("Mongo just pawn in chess game of life")」大好きなブレージング・サドルのセリフを言った。

車のハンドルを握っているガビ(Gabi Geuther)が心配げに言った。「まだ少し早いわ。The Energy Trackersがまだ中にいるかもしれないから」

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The Energy Trackers
カスタネダが女弟子につけたニックネームのひとつ。他にもブルースカウトだとかオレンジスカウトだとかエレクトリック・ウォリアーだとか変な名前のメンバーがいます。
特に、本作にも登場するChacmoolsは、カスタネダの女用心棒たちのような存在です。
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小柄なガビは、ドイツのバヴァリア(Bavaria)で学校教師の家に生まれた。哲学、文学、宗教、政治学を学んだ。20代は過激な連中とのつきあいでベトナム戦争をやめさせようとハノイまで出向いたこともある。その後、キリスト教関連の活動をした。スペインをはじめとしてヨーロッパ各地でしばらく暮らした後、アメリカに移住した。そこでスクリーム・セラピー(primary scream therapy)を極めるつもりで。5年間、泣いて暮らした。
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絶叫療法、患者に叫ばせることで治療を行う、さまざまな心理療法の総称。
だそうです。アルクのウェブサイトより
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二人とも結婚は二回目だった。つき合って6年たつが籍を入れたのは最近のことだ。
そして二人を結びつけている共通の趣味が「カルロス・カスタネダ」だった。

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ガビは活動のビジョンとアイデア、そして熱意を受け持っていた。「予兆」を読んで、エネルギーの繋がり精霊をおいかけ、非有機的生命である捕食者を追いエネルギーを求めていた。
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上記カスタネダ用語の説明は省きます。
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彼女がまず生活に「呪術師の世界」を持ち込んだのだった。
だから呪術師のグループから追い出されたときもっとも傷ついたのも彼女だった。

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本原稿の後半でガビたちが元は、カスタネダのイナー・サークル(少人数の弟子グループ)の参加メンバーだったことがわかります。
この作品では何が理由で彼女たちが追い出されたかは書かれていません。
BBCの番組によると、二人はカスタネダに幻滅してから真実を追求するようになったとありますが、本作品では、ファン熱が高じてゴミ漁りまでしたようにもとれます。ゴミ漁りがバレて追放されたのかもしれませんが定かではありません。
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グレッグの役割は道具の手配や戦略立案、サポートと熱意、ユーモア、緑茶とマクドナルドのフライドポテトといったより現実的なものだった。

ガビは、クールで学究肌的な外見だったが内面に熱い感情をたたえていた。一方、グレッグは感情よりも、ばかばかしい冒険に夢中だった。

たぶんグレッグはガビほど入れ込んでいなかったようだ ~ もともと入れ込む質じゃなかった ~ 彼は、片足を別のところにおいたまま人と付き合うような感じの男だった。

いやひょっとすると彼が見た生々しい夢は「第二の注意力」への入口だったのかもしれない。彼は古代の呪術を練習し始めて集合点を動かせるようになっていたから。

彼は、翼を使わずに他の世界へ旅をし、素晴らしいもの、美しい物、信じられないものを見て人生が変わってしまった。

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第二の注意力異次元(あの世)
集合点肩甲骨の後ろ腕を伸ばしたところにあって、これを移動することで意識を高次にもっていくことができる・・・らしい

まじですか?グレッグは、ドン・ファンの教えを実践してなにができるようになったのでしょうか?それともドラッグ?瞑想をした影響(魔界)とか?

もしかすると、カスタネダ本人よりも凄いかも。
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2016年10月16日日曜日

『ドン・カルロスの教え』(2)概要(2)

■『ドン・カルロスの教え』の構成について

冒頭に「オムニバス」と書いたように複数の登場人物を巡ってのエピソードが全部で7話の構成になっています。第一話と第七話は主役が繋がっていて前篇、後編になっています。

ちなみに各話(章)のタイトルはあたしが適当につけたもので原文にはありません。

●1:”フォロワーズ”の話<前篇>
●2:マーガレット・ルニヤンの話
●3:グロリア・ガーヴィンの話
●4:ジェレミーの冒険
●5:メリッサ・ウォードの話
●6:C.J.カスタネダの話
●7:”フォロワーズ”の話<後編>

話によっては、前述のデミルの批評を引用して紹介するのが実はメインで主役のグロリア・ガーヴィン自身のエピソードは量があまりなかったりします。

また未読なので間違っていたらすいませんが、第二話のマーガレットに書かれているエピソードはおそらくマーガレットの自伝『A Magical Journey With Carlos Castaneda』(2001年発行)に書かれた内容を引いているのでは?と思います。

デミルとマーガレットの例から、他の人々の話ももしかすると原典があるのかもしれません。
できれば著者のマイク・セイガーには独自調査の内容については別途明記しておいてほしかったと思います。

一話目と七話目、”フォローワーズ”の主役、ガビとグレッグ夫妻は、例のBBCのドキュメンタリーに登場しますし、エイミーの著書にも登場するので「カスタネダ業界」では有名な人だったのかもしれませんし、もしかすると執筆年次が一番古いこの記事の著者、マイク・セイガーが発見者なのかもしれません。


■各章の概要

●1:”フォロワーズ”の話<前篇>

カスタネダの熱狂的信奉者の夫婦ガビとグレッグは熱が高じて魔女の屋敷のゴミ漁りをします。ここでカルロス・カスタネダを知らない人に彼の活動の概略が紹介されています

●2:マーガレット・ルニヤンの話

カスタネダの元妻マーガレットとカルロス・カスタネダのなれそめが紹介されています。カルロスの経歴についても記載されています。
少しだけ性的描写がありますのでご注意ください。

●3:グロリア・ガーヴィンの話

ニューエイジ時代の若い女性がカルロスにたらしこまれる様子を描いています。カルロスの女好き度合がよくわかる章です。エイミー・ウォレスの著書と合わせて読むとゲス度合が深まりさらにファン失望の度合いが高まること請け合いです。

また、ここでは『ドン・ファンシリーズ』の内容の概要が紹介されているとともに、カスタネダ批判で有名なデミルの批評の紹介があります。

●4:ジェレミーの冒険

IT関係のニューエイジオタク、ジェレミーは、『ドン・ファンシリーズ』に書かれた教えを実際に実践しています。短い章ですが、カスタネダが提唱する「夢見の技法」の一失敗例です。

●5:メリッサ・ウォードの話

これまた別の精神世界マニアの女性が口説かれる話ですが、カルロスも年を取ってきていますので妙な取り込まれ方をします。カスタネダのグループが行っていたビジネスについて記されています。エイミー・ウォレスの著書と合わせるとさらに実態が浮き彫りになってくると思います。

●6:C.J.カスタネダの話

カスタネダの嫡子。C.J.の物語です。ゲスだの女たらしだの書いていますが、この章を読むとカスタネダが不憫に思えてきます。
愛するものたちを捨ててまで得る戦士の自由とはなんでしょうか?

●7:”フォロワーズ”の話<後編>

ガビとグレッグ夫妻がうっかりバケーションにでかけている間にカスタネダが亡くなります。オタクの名誉にかけて二人は真実を探ります。

どの章も面白いですが、中でも”フォロワーズ”の活動は傑作です。

では、次回より本編の紹介を進めます。

2016年10月15日土曜日

『ドン・カルロスの教え』(1)概要(1)

カスタネダ著作の「ドン・ファン」シリーズのおさらいを一旦中断、タイシャ・エイブラーの『呪術師の飛翔』について書いてきましたが、続きまして、本邦初(だと思いますの記事をご紹介いたします。

タイトルは、
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The Teachings of Don Carlos(Mike Sager著)
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(『ドン・カルロスの教え』)

という記事です。たまたまネットで見つけました。
『飛翔』の連載の間は、やや退屈だったかもしれませんが、この『ドン・カルロスの教え』は、面白いです。

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カルロス・カスタネダの周辺で彼に関係のあった人物のエピソードをオムニバス形式で描き、カスタネダの実像に迫ろうとするドキュメンタリーです。
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この記事は、「LONGREADS」という「長文で良質の記事」を掲載するサイトに出ていました。そのサイトの紹介文を翻訳します。
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Longreadsは、世界のひとびとに読み物を提供するために2009年に設立された。私たちは1500語を超えるノンフィクション、フィクションをはじめ私たちのコミュニティが推薦した多くのストーリーを紹介している。
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とあり、掲載記事はすでに出版されているものでもいいし、自身の著作ではないが是非、紹介したい記事などの情報も寄せて欲しいとあります。

「Longreads」の紹介文によると、この『ドン・カルロスの教え』は、マイク・セイガー(Mike Sager)というライターが1999年、”ローリング・ストーン誌”向けに執筆したものだそうです。

しかしストーン誌が、紙面が足りないことを理由に掲載を見送ったので(雑誌出版では珍しい理由だそうです)自分の最初のコレクションである”Scary Monsters and Super Freaks”で2003年に出版したそうです。

この記事をLongreadsで見つけたのち、アマゾンでタイトルを検索したところペーパーバックとKindle版で同記事を収録した本が出版されていることを知りました。

Stoned Again: The High Times and Strange Life of a Drugs Correspondent 』(2015/4/21)


著者のマイク・セイガーの作品を集めた本で、その中にこの『ドン・カルロス』が収録されています。
タイトルを完全に意訳しますと
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『ドラッグ世代の奇妙な生活よもう一度』
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かな?

99年に寄稿したものの没になった。でも面白いので自薦か他薦かによりLongreadsに2003年に公開された。その後、マイク・セイガーの作品集発行の際、あらためて同文が収録された。という流れです。

余談ですが、2003年には、エイミー・ウォレス(Amy Wallace)の『Sorcerer's Apprentice: My Life with Carlos Castaneda (呪術師の弟子)』が出版されています。

Amy Wallaceの本は、カルロス・カスタネダの正体について書かれた決定版と言えますが、マイク・セイガーは、時期的にこの『呪術師の弟子』を読んでいません。

エイミーはカルロスのいわば身内(恋人)ですが、セイガーは部外者としてとてもいい線まで近づいていますし語り口も皮肉っぽく楽しめる内容になっています。

(エイミーの方は、まだ半分しか読んでいませんが、いわばカルト集団体験記ですのでけっこう読むのが重苦しいです)

セイガーの記事は、今後も日本語化される可能性は限りなく低いと思います。
でも一応、商品化されている記事ですので当初、全抄訳をご紹介しようと思っていましたが、著者の許諾も得ていませんので概略と一部引用という形で抄訳を載せることにしました。

あたしも人様の文章、それも2万3000ワード(文字数11万)の英文をかりにも翻訳するなんて生まれてはじめてのことですので、途中でくじけるかなと思いましたが、そこはやはり興味のあるテーマですから最後までなんとかやりました。

ということで以下ご了承ください。
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・素人翻訳なので誤訳ふくめ無保証です。おまけに相当簡略して意訳しています。

・一部、文学調でレトリカル過ぎたり、英文の評論にありがちな教養をひけらかすような、情景描写を演出するため修飾語の羅列などは割愛しています。

・他にもカスタネダ批判で有名なリチャード・デ・ミル著『呪術師カスタネダ ~世界を止めた人類学者の虚実~』(『虚実』)に記載された批判の事例なども『虚実』の紹介の際にあらためてご紹介したいのでここでは省略しています。
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例えば、本記事の冒頭ですが、上記の免責事項の二番目の例としては、こんな感じの文章が多いんです。
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8月上旬、少し涼しい火曜日の夜だった。空はロスにしては晴れていた。神秘的な空が10年落ちの車の窓ガラスを通して誘い込むように瞬いた。
コオロギの声、犬が吠えている。エンジンの熱でむっとしていた。
次のミッションに備え彼らはしばし無言であたりに漂うジャスミンの香りを楽しんだ。
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これでもデミルの『虚実』よりは教養ひけらかさない分だいぶマシです。

(つづく)

2016年10月14日金曜日

『呪術師の飛翔』(9)

ようやく『呪術師の飛翔』最終回です。

●18 マンフレッドの秘密

「17呪術師の管理人」では、「意図」を叫んだあと意識を失ったタイシャが目が覚めると空中に、皮製ハーネスのようなもので吊るされていました。(飛翔305)

この「空中から吊るされる」修行?は、ドン・ファン・シリーズでは『イーグルの贈り物』(贈り物pending)に登場します。

この修行法は一般的なものなのでしょうか?

木からどうにか降りてハーネスをとりはずしたタイシャは、この屋敷での三人目の教師、エミリートと出合います。(飛翔335)
エミリートは、「忍び寄り」(stalking)を教えるのだそうです。(飛翔335)

エミリートが空のひょうたんから何かを飲む動作を奇妙に思ったタイシャがたずねると、その中には「意図」が入っていると言います。(飛翔332)

犬のマンフレッドは、エミリートが高速の八号線で、アリゾナのギラ・ベンド(Gila Bend, AZ)からおよそ60マイルのところで死にかけているところを見つけたのだそうです。

メキシコではありませんが、お馴染みの地方ですね。




●20ダブルの門

「19空白の時間」では、タイシャがアリゾナの本屋で働いていたと記されています。(飛翔357)ここでいうアリゾナというのはツーソン(飛翔357)のことです。

アメリカの地方都市では書店の数は限られていますので根気があれば、そしてその書店がまだ存続していれば確認することも可能かと思います。

エミリートは、タイシャのナワールは、ドン・ファンではなく新しいナワールのグループの一員であると告げます。(飛翔360)
新しいナワールとは、カスタネダのことです。

エミリートが彼らの師弟関係について述べているので一応羅列しておきます。

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タイシャは、ネリダの跡取りである。(飛翔365)
エミリートの師匠はナワール・フリアン・グラウである。(飛翔367)
ナワール・フリアンの先生はエリアス・エイブラーといった。
エミリートにはもう一人先生がいてタリアといった(飛翔368)
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”家系”についても説明しています。
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エイブラーは忍び寄りの系列
グラウは夢見の系列(飛翔372)
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”忍び寄り”と”夢見”のスタンスの違いも述べています。
本の終わりにむかって大慌てでまとめている感満載ですな。
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「忍び寄りの人は計画を立てて、その計画から行動を起こす。(中略)夢見の人は計画も考えも持たずに進んで行く。」(飛翔373)
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「ダブル」の「目覚め」についての記述があります。
うなじにパキンという割れるような音が聞こえたら、それがダブルが目覚める音だそうです。(飛翔376)

ここは「うなじ」ですが、ドン・ファン・シリーズの『力の第二の輪』では、窮地に陥るとカルロスの首のつけ根のところがポキっとなって恐ろしいダブルが登場します

●21呪術師の飛翔

エミリートの部屋に入りますと、目の使い方についていわれます。

「部屋にあるものは何であれ、じっと見つめちゃいかん。見たいものは何でも見てもいい。でも視線は素早く動かして、ざっと見るだけに留めるんだ。」
(飛翔396)

例の「目の使い方」をすると人々が集まっている幻影?を目にします。

そこには、カスタネダ。フロリンダ(ビッグ・フロリンダ)とネリダがいて二人はうり二つだそうです。(飛翔404)ナワール以外で14人。女9人。男5人。

二人のネリダにクララとその姉妹。それと5人の見知らぬ女性。その内3人は高齢。二人は若い。男四人は年を取っていて、一人は若い。
これがカルロスですが、この本ではディラス・グラウという名前になっています。

●訳者あとがき

この本は、日本でテンセグリティの活動を行っている団体の紹介をしています。
日本に実践しているグループが見当たらないと書いている個人ブログを見たことがありますので、実践に興味のある方々には貴重な情報だと思います。

先に記事をアップしてありますが、あとがきでBBCが製作したドキュメンタリー番組について触れています。
あたしは、その存在をまったく知りませんでしたので、それを知っただけでも買ったかいがあるってもんです。

BBC Carlos Castaneda And The Shaman. Tales From The Jungle 2007
(飛翔410)

このドキュメンタリーには、カスタネダの研究者をはじめカルロス・カスタネダの元妻マーガレット・カスタネダやカスタネダの子供(嫡子)C.J.カスタネダの証言があり非常に貴重な映像です。

このブログの最重要コンテンツの著者Amy Wallceも出演しています。

この番組は2007年のオンエアですのでAmyが51歳の時のありし姿です。彼女は、この7年後に心臓病で他界します。彼女の著書を読むと体調がすぐれずけっこう薬飲んでましたからね。

そして、GabiとGregというカスタネダの「元追っかけ夫婦」の姿まで見られまして、勝手に感動しています。

GabiとGregについては、次のコンテンツ紹介でじっくりと書きたいと思います。

2016年10月13日木曜日

『呪術師の飛翔』(8)

【注意】一部、性的な描写があります。
気味悪いかもしれませんが核心的要素ですのでご容赦を。

●14 呪術師の大作戦

この章では、ドン・ファンが体の各所にあるチャクラのようなものを説明します。
呪術師の最終目的である(ドン・ファン・シリーズでいう「第二の抽象」への)抽象的飛翔をするためには禁欲が前提となっているそうです。(飛翔254)

「13呪術師の敵」で屋敷に暮らす人数の総計を確認しました。ここでもドン・ファンが「我々は私を含んだ十六人と一匹からなるグループだ」と念をおしています。そのうち10人が女だそうです。(飛翔256)

この章は、タイシャの空手大会と並んで語られる青春時代の「反復」エピソードが紹介されます。
そして、このエピソードがドン・ファン一派とタイシャを結びつける重要な結節点ということが判明します。

タイシャが15歳のとき、アルバイト先のドライブインシアターの売店で、つきあいはじめたボーイフレンドとフードカウンターの上でセックスに及ぼうとします。下半身裸になったまさにそのとき、トイレと間違えて部屋に入ってきたドン・ファンに箒で背中をたたかれ外に追い払われ下半身裸のままの姿を大ぜいにみられ大恥をかいた、という顛末です。

タイシャは、この出来事をもちろん覚えていましたが、大恥をかく原因をつくった老人がドン・ファンだったとはこの時まで知りませんでした。

ドン・ファンは、間違えて部屋に入ったとき、箒で背中の上部をたたいてタイシャにナワールの印をつけたのだそうです。(飛翔266)

その印があるのでこれ以降、呪術師たちは彼女をトレースすることができたといいます。
ナワールであるドン・ファンは、うっかりミスはしない。にもかかわらずトイレと間違えてタイシャたちのセックス現場に出くわしたことは「予兆」だと判断したといいます。

ま、「予兆」だというところまではよしとしましょう。

でも、呪術師候補生はタイシャではなくボーイフレンドでもよかったんじゃないですか?
かわいこちゃんの方がよかったのかな。

タイシャは、この事件を「5年ほど前のあの晩」と言っています。つまり、クララの家に来たのは19歳か20歳ということになります。


●16 禁断の廊下

「15呪術師の瞳」では、前半の導師クララが去り、年上のネリダ・エイブラーという女呪術師が先生として登場します。(飛翔281)タイシャの両親が南アフリカ時代のエピソードも語られますが省略します。(飛翔284)

この16章で、ネリダはいきなりエネルギーを集めるといってスカートをまくりあげて自分の性器をタイシャに見るようにせまります。そしてネリダの特殊な子宮から出るエネルギーがタイシャをくつろがせます。(飛翔292)

まじか?

カスタネダは、どうやら女性の性器~ヴァジャイナ~に関して偏執的思い入れがあるようです。
いろいろな原始宗教には男根・女陰にたいする特別な扱いがあるように、秘教的色合いを自身の教義に加えてようとしたのかもしれません。

副次的な(あるいは主目的かも?)効果として性器に呪術的役割を持たせることで自身が女性信者と交わる理屈を立てやすいというのがあったのではとゲスなあたしは勘ぐっています。

カスタネダに限らずカルトの教祖は、どうしてもそのような傾向になってしまうようです。そのような外道に陥らない人物だけが本当の宗教者なのでしょうね。

ドン・ファン・シリーズ『力の第二の輪』では、ラ・ゴルダたちの母親ドニャ・ソルダード(Dona Soledad)がいきなりスカートをめくってカルロスに性器を見せ自分とセックスをしろとせまります。
”小説”の中のカルロスは、しおらしくふるまいビビります。

ラ・ゴルダもカルロスに同じようなふるまいをします。
ネリダ、ドニャ・ソルダード、ラ・ゴルダ、同じような直裁な「表現」です。

いきなり”性器を見せたから”ってその気になるのか?という疑問が生じます。
これは男女逆の設定、男⇒女の表現でもありましてナワール・フリアンが女性を誘惑する不思議なシーンもありますのでいずれ紹介させてください。(pending)

例のBBCのカスタネダに関するドキュメンタリー「Tales From The Jungle」に出演しているありし日のAmy Wallaceは、「カルロスは”あたしのヴァジャイナがブルー・スカウトと同じヴァジャイナだ”って言ってたわ」と発言しています。

ちなみにブルー・スカウトというのはカルロス流の呪術師たちにつけるニックネームのひとつで、パトリシア・パーキン(Patricia Partin(別名 Nury Alexander))という19歳、元ウェイトレスの女性だそうです。独自の”洗礼名”をつけるのもカルトに共通のふるまいのようです。

彼女が南カリフォルニアのどこかから云々とAmyが話しているのですが、その部分だけ英語がわかりませんでした。
動画にポルトガル語のスーパーがついているのでGoogle翻訳を使ってみましたが、その聞き取れなかった句動詞?のパートは翻訳されていませんでしたので「連れてきた」というだけかもしれません。

パトリシア・パーキンについては、こちらに詳しくあります

この家で暮らす16人のメンバーは二つのグループに分かれていて各々8人。クララの方はグラウ家。ネリダの方はエイブラー家。タイシャはエイブラー家の一員だと言われ、廊下で『意図』という言葉を叫ぶように言われ気を失います。(飛翔303)

2016年10月12日水曜日

『呪術師の飛翔』(7)

●11 影の世界

クララもドン・ファンと同じく「逢魔が時」についてコメントします。
この家では、大声で言うことには気を付けなきゃいけないの。特に黄昏時にはね!
黄昏時は、「影のない時間」だそうです。(飛翔195)

ところで、マジカルパスを教える際、タイシャは、クララが”馬歩”という武術の態勢をとるのを見守った、とあります。(飛翔197)

クララは、空手やクンフーの使い手ですから”馬歩”の姿勢をとります。
(”マーブー”と読みます)

空手も”馬歩”という用語を使うのかどうかは知りませんが、これはある種の「スクワット」でして両足を広く開いて腰を低くする態勢のことで、読み方は「マーブー」と読みます。懐かしいです。

原文を見ていませんので、英語で実際に、”馬歩”をなんと言っているのかはわかりません。

●12 呪術師のマスター

タイシャは、ついにナワールと呼ばれているジョン・マイケル・エイブラー(ドン・ファン)と向き合います。
ドンファン曰く「知覚が拡張すると、実在するものは何もないし、架空のものも何もない。ただ知覚のみがある」(飛翔209)

色即是空空即是色ですか。

ドン・ファンがダブルについても解説します。
我々は、そいつの外側にある硬い包装物だけにしか気づいておらん。意図をそいつに戻してやれば、我々は霊的側面に気づくようになる」(飛翔210)

以下、どうとでも取れる書きっぷりですが、ドン・ファンの容姿についての記述があるので一応引用しておきます。
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思っていたよりはずっと老けていたが、ずっとピンピンしていた。年齢不詳。四十歳、ないしは七十歳くらいだろうか。非常にガッチリしていて、痩せても太っても見えなかった。色は浅黒く、インディアンみたいだ。突き出た鼻に、しっかりした口元。えらが張っていて、黒い瞳がキラキラ輝いている。洞窟で見た時と同じように、精悍な顔つきをしていた。そして豊かでつややかな白髪の散切り頭が、これら一つ一つの造作を引き立てていた。(飛翔213)
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会えてとても嬉しいよ、タイシャ」力強く握手をしながら、エイブラーさんが完璧な英語で言った。英語がうまいとほめると。
それは光栄だな」と答えて
しかしながら英語は上手くしゃべれて当然なんだ。私はヤキンディアンで、アリゾナで生まれた
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カスタネダの著作ではドン・ファンとの対話はスペイン語でなされていたとなっています。デミルの著書では、植物学者のワッソンが英語での対話のようだと疑義を述べていることが書かれています。

前にも書きましたが、ドン・ファンが英語をしゃべるとなにが問題なのかわかりません。

そしてドン・ファンの素性についてはぼかしてあるので、実はアリゾナ生まれのウイチョル族の老人かもしれませんし、ドン・ヘナロと同じマザテック・インディアンだったかもしれないのです。(カスタネダの著作が文化人類学を毀損したかどうかという議論はわきにおいて)

ところで、Amy Wallaceによると、タイシャ・エイブラーは、後にドン・ファンには会ったことがないと告白しています
要するに、この本は創作物ということになってしまいますが、めげずに紹介は続けます。


●13 呪術師の敵

この章では、クララの呪術の師匠、ナワール・フリアンのフルネーム?「ナワール・フリアン・グラウ」が明かされます。(飛翔232)
といっても「グラウ」をつけただけですが。

ドン・ファン・シリーズでは、別のフルネームで登場していたような気がしますが、今その箇所を見つけられないのでペンディングとさせてください。(pending)

そしてタイシャの先生は別の人間だと言われます。(飛翔236)

クララがのべる呪術師の定義がシンプルなので一応引用しておきます。

鍛錬と不屈の努力によって、通常の近くの限界を破ることができる人をいう」(飛翔238)

クララは、この屋敷には、タイシャが会っていない人がまだ14人いるといいます。(飛翔239)

タイシャはクララとエイブラーの二人に会っていますので「2奇妙な約束」で屋敷には二世帯が暮らしていて左右各々8人ずつで16人が暮らしていっていましたので計算あってます。

呪術師には、二種類あるそうです。

古代メキシコに存在した伝統的呪術師のように現実的な呪術師は、自尊の念を増長させて、個人的な力と喜びを追及する。一方で抽象的な呪術師は、知覚能力を拡張し、自由を追求するそうで、(飛翔239)ドン・ファンたちは抽象的な呪術師だということですね。

この屋敷には他にマンフレッドという犬がいまして、この犬も古代の呪術師に属しているのだそうです。(飛翔245)

2016年10月11日火曜日

『呪術師の飛翔』(6)

●9  クリスタルの秘法

タイシャは、ドン・ファンから贈り物としてクリスタルをもらいます。(飛翔146)
このクリスタルを使った力の動作をクララから習いますが、クリスタルを時計周りに回すと危険だからぜったいにしないように言われます。
それは古代の呪術師がクリスタルを武器として使う方法に関係があると言われます。(飛翔158)

クリスタル(水晶)に関する話題は、ドン・ファン・シリーズでは二度、登場してます。
一回目は、『教え』の序文で。もう一回は、『旅16 力の輪』です。
ドン・ファンは、『旅』の方でクリスタルを武器として使うことについて言及しています。

この章にはタイシャの経歴に関して記述があります。

彼女は、かつて日本の空手を習っており、国際空手道選手権大会に参加するため日本に行ったことがあるそうです。(飛翔149)

大会の会場は、武道館です。先生たちが男性の生徒だけをステージに立たせるつもりだったことに腹をたて会場でアピールし強引に出場して大恥をかいて破門された話をします。

空手には団体がいろいろあるようなので、どの団体なのかわかりませんが、武道館を使うことができる団体は限られていると思います。

あたしが太極拳を習い始めたときは日本太極拳教会という団体関連のグループでした。座長の三浦英夫先生(故人)という某新聞社出身の会長?がいまして、その団体だけが武道館で練習をやっていました。だから空手業界もたぶん同じだろうと思います。

空手でそんな団体を検索してみましたが、残念ながら1900年代の記録はネットには上がっていないようです。もしタイシャの話が事実なら変な外人の”少女”がいきなりマイクを持って騒いだ大会を覚えている空手選手の方、きっといらっしゃると思います。

タイシャを”少女”と書きました。この『飛翔』の中のクララに出会うタイシャは、19歳です。その時点での「反復」作業の思い出ですから少女と書いたわけです。

まったく余談ですが、あたしがはじめて中国に行ったとき、上海で上述の三浦英夫先生とホテルで同室、二人部屋だったことがあります。

あたしも若かったので大先生と同室でもおじいちゃんと一緒みたいな感じでどうってことなかったなと思います。

むしろ三浦先生の方が神経が細くてあまり眠れなかったようでした。三浦先生は、外見が(写真の)楊澄甫に似ていました。懐かしい思い出です。いきなり「楊澄甫に似ていました」って言われても・・・それ誰?

考えてみれば、太極拳の洪均生老師は、あたしたちから見ればかなりドン・ファンだったなぁと思います。

この章では、すでにおなじみの「見る」ことに関する説明もあります。(飛翔154)

●10 呪術師のダブル

この章でタイシャははじめてマジカルパスという言葉に出会います。(飛翔163)
またダブルについて、クララは「二重露光」のようなものだと説明します。(飛翔178)

「反復」作業の一環でタイシャの家族との確執が話題になったとき、クララが言います。
「思うに、タイシャの問題は、子供の頃約束したことに端を発しているんじゃないかしら?子供の頃、何か約束しなかった、タイシャ?」

まじか?!

これはカルロスの「こどもの頃の約束」と同じ展開です。
これを読んだとき、占い師や民間療法士などがよく使うテクニックだったのだとわかりました。

考えてみれば、このフレーズは悩みをかかえている人間に対して万能の言葉ですよね。

例)
「あの。妻とうまくいってないんです」
「どれどれ、ちょっと背中を軽くたたかせてください。
 むぅ。ひょっとして、あなた。子供の頃なにか大事な約束をして忘れていませんか?」
こどもの頃の約束なんていくらでもしてますし、そしてすっかり忘れてますから、その後の患者の答え方次第でどのようにでも持っていけますよね。ハンコとか壺売る時も役立ちそうなテクニックです。

これが、「あなた、こどもの頃、骨折してますね?一度」なんて質問だったりしたらはずれてたら一発でダメですからね。ま、それでも「そうですか、してませんか?おかしいな。それに近い感じの怪我をした感じを受けるのですが・・・」とか持っていけます。

2016年10月10日月曜日

『呪術師の飛翔』(5)

【ご注意】一部、性的な描写があります。

●5 子宮に巣食う虫

タイシャは、反復はまず自分の性行為に的を絞ることから始めなければならないといわれドン引きします。

「男は(性交を通じて)女の体内に特殊なエネルギーラインを残していくのよ。さながら光るサナダムシってもんで、エネルギーをすすりながら女性の胎内を動くんだわ」

「ってもんで」ってのも古めかしいですね。

詳細は割愛しますが、そのサナダムシは関係した男に別れたあともエネルギーを供給しつづける。ただ7年間禁欲すれば姿を消すか自然消滅するといいます。

「でもこのご時世やこの年齢では、出家するか自活していけるだけのお金でもない限り、そんな風に七年も禁欲を保つなんて不可能に近いでしょ」

禁欲されたら困りますが、残念ながら禁欲するための鍛錬をするらしいのです。
彼女らは子供を作ることも否定してますので相当アブナイ思想ですよね。

ドン・ファンは、孫もいるくらいですから、こんなことは言わないと思いますよ。

●6 無限の眼差し

クララは、アリゾナの山の中で迷っていたとき(ドン・ファンの恩師、ナワール・)フリアンに出会い、彼女をこの屋敷に連れてきたのだそうです。

「中国」の仙人とメキシコの呪術師を比べている記述がありまして、あたしが思う「メキシコだけが優れているわけじゃないだろう」という疑問に対し下記のように言っています。

「中国の仙人たちは、神話にとらわれていて自分たちが言っているような自由ではない」(飛翔105)

ところであたりまえみたいに言ってますが「仙人」って「シャーマン」みたいに実在しているんですか?
仙人”みたい”な暮らしをしている人はいるかもしれないけど。

●8 スピリットの声(7章「影たちの道化」は割愛)

タイシャも「夢見の訓練」をはじめます。

ある夜、いつも瞑想を行う洞窟へ向かうとき懐中電灯を忘れたのに気がつきましたが道中何にもつまづかなかった自分におどろきます。クララによると「意図」したからだといいます。これはカルロスが学んだ「力のあしどり」でしょうか?(飛翔125)

クララは、タイシャに瞑想のとき舌先を口蓋につけて鼻から息を吐くようにいいます。(飛翔130)

これはあたしが太極拳を習っていたときによく師匠の中野春美さんがいっていました。彼女によると唾液がよくでるから身体に良いそうです。

また、この章では、呪術の修行の一環として「しないこと」についての説明があります。「私たちに押し付けられた在庫品に含まれていないもの全てを指すの」(飛翔138)

「しないこと」については、ドン・ファン・シリーズを読まないと理解が深まらないと思います。

2016年10月9日日曜日

『呪術師の飛翔』(4)

●2 奇妙な約束

クララの家に誘われたタイシャを伴って二人は途中、グアイマス市に寄ります。



食堂で二人にいいよってきた男をきつい調子で追い払うエピソードでかなりなフェミニストだということが知れます。

時代性もあってAmy Wallaceの本に登場するフロリンダ・ドナーはじめカスタネダ・スクールの女性たちも極端なフェミニズムに傾倒しています。

タイシャが招かれた、クララの家は左右、二つの領域に分かれていてタイシャはクララと右側の領域で暮らします。ここには二世帯(グループ)が住んでいて8人ずつで16人が暮らしているそうです。

● 4 反復(recapitulation)の技法

この本は、この章に限らずマジカルパスという太極拳によく似た体術に関する記述に多くさかれていますが、実践できるほどは詳しく書かれていません。

興味のある方は、カスタネダ著『呪術の実践』を手に入れるといいかもしれません。ビデオも出ているそうですが今は手に入るかどうかわかりません。(Youtubeにも動画がいくつかアップされています)

さっそく「ダブル」という存在の説明があります。(飛翔68)

私たちの身体は、精神もしくは自我を宿す肉体と、その分身で、私たちの基本エネルギーの器であるダブルとからなっているそうです。
身体を分離する話については、「ドン・ファン」シリーズでは、『力の話』から登場し、『力の第二の輪』では、非常に危険な存在として登場します。

ドン・ファンが去った時期は、この『力の話』(1974年)から『力の第二の輪』(1977年)が発行された時期とオーバーラップしています。
『力の話』の「原稿」は当然のことながら発行年より前に書かれていますので、少なくとも1973年以前に執筆されたものです。

先にあたしは、Amy Wallaceの著作によりドン・ファンが亡くなったのは1976年という仮説を立てました。
ドン・ファンが亡くなるまでのプロセスを想定しますと、上記の二冊がカスタネダの前期・後期の過渡期の作品と位置付けられると思います。

前期が、実在のドン・ファンの言葉や実体験を織り交ぜた作品群。
後期は、過去のドン・ファンを拡張してカスタネダ・スクールを設立・運用するため、あるいは設立する契機となった作品群。

このスクールは、Cleargreen(出版社、カルロス・カスタネダの"Tensegrity"というブランドでセミナーやワークショップを運営する団体)という名前でCleargreenのホームページによると設立は、1995年となっています。

話をシンプルにカスタネダ「教」としてもよかったのですが、カルトっぽい音感を与えすぎるなと思いますので「スクール」としました。

Amy Wallaceの本によると、もうカルトと呼んで支障ないくらいの異常さですが、まだ読了していませんので判断は控えることにします。

この『飛翔』に登場する「ダブル」や「マジカルパス」そして前期作品には語られることのなかったフェミニズムの香りが濃い「性」に関する記述は、カスタネダのオリジナルとみます。

タイシャの著作は、1992年。こうしたカスタネダの新理論を補強するために出版されたものとみるのはうがちすぎでしょうか?(あまり補強にはなってないと思いますが)

『飛翔』の70ページから、クララによる呼吸法についての説明がはじまります。

カスタネダの「ドン・ファン・シリーズ」では、このテの伝統文化に共通の呼吸法についての話がまったくありません。それは、かねがね不思議だなぁと思っていたのですが、カスタネダもテンセグリティを開発するにあたり含めたのではないでしょうか?

クララは、幼児の呼吸法(飛翔110)や力の呼吸(飛翔119)やら次から次へと繰り出します。

でもね。月並みな呼吸法とか俗な体術がないのがドン・ファンのいいところだったのかもですよ。

呼吸法を習うと、クララはタイシャに、これまで知り合った人々全員と、これまで感じたこと全てを思い出しリスト化する「反復」(recaputilation)という作業をするように言われます。

「反復」も後期作品に登場する考え方で、カスタネダの遺作『無限の本質』も、「反復」の成果物という話になっています。

「世界を止め」られるかどうかは別にして、なんだか奥深い作業だと思います。
特に『無限の本質』を読むとその気持ちが強くなります。

2016年10月8日土曜日

『呪術師の飛翔』(3)

ここから数回にわたり、本文の内容についていくつか記しておきます。
読み物としてはこれまで以上に羅列的で面白味にかけると思いますがご容赦ください。

また、タイシャが学んだ呪術の修行内容やマジカルパスについては割愛します。
ご興味のある方は、本編をご覧ください。

●カスタネダによる序文

序文は、フロリンダの『魔女の夢』ほどはあっさりしていませんが、シンプルで下記のような内容す。
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三人の女性グループ(三人の魔女)については一切口にしないという暗黙の了解があったので20年間、オープンしていなかった。
呪術師には”夢見の人”と”忍び寄りの人”の2タイプにわかれている。
前者は、夢をコントロールすることによって、高められた意識に入り込む才能を生まれつきもっている呪術師を指し、後者は生まれつき現実対処能力に恵まれ、自らの行為を操作、コントロールすることによって、高められた意識に入り込める呪術師を指す。
この本の著者タイシャは、後者のグループに属している。
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●1見知らぬ女性

タイシャは、南アリゾナのグラン砂漠でスケッチをしていたとき、クララという女性(実は呪術師)に出会います。クララは30歳から50歳の間、5フィート9くらいの背の高さの女性です。年齢幅ありすぎますね。

なんだかハナから興ざめかもしれませんが、Amy Wallaceによると、フロリンダ・ドナーもタイシャ・エイブラーも実は、後年、当人の口からドン・ファンには会ったことがないと聞いたと書いていますので『呪術師の飛翔』は、全編「創作」の可能性があります。カスタネダの「ドン・ファン・シリーズ」ほどには超常的な出来事がおきませんので創作だとしてもまぁ害は少ないかもしれません。

その創作の中で触れられている「事実関係」を掘り下げてもあまり意味がないですが、興味本位ということでご容赦ください。

まず、冒頭の「グラン砂漠」ですが、さくっと調べたところ南アリゾナではみあたらずメキシコのソノラ州の中にある砂漠のようです。ま、アリゾナの国境と接したエリアですから現地では南アリゾナって呼んでいるのかもしれません。

あたしは、List of North American deserts(北アメリカの砂漠一覧)から、Gran Desierto de Altar, Sonora, Mexicoというのを見つけました。



クララは「ソノイタにあるアメリカ国境の検問所に行くところなの」といいます。
こんどはソノイタの場所を確認しましょう。おなじみのノガレスと近いですね。


Sonoita, Sonora, Mexico


タイシャは生まれたときはタイシャという名前だったそうですが、アメリカ人らしくないというので途中母にちなんでマルタと呼ばれたのですが、それも気に食わないのでマリーという名前にしていた、と言っています。彼女の名前については、Amyの本の中でも詳しく触れられています。(彼女の背景についてはこちら

タイシャは子供のころドイツにすんでいました。父はアメリカ人、母はハンガリー人でオーストリアの古い家の出。第二次世界大戦後、南アフリカで暮らしていました。

一方、クララは、一人っ子。両親は亡くなっていて、父親の家族はオアハカ出身のメキシコ人。母はドイツ系アメリカ人。ソノラとフェニックスの両方で半々の割合で暮らしています。
彼女のソノラの家はナボホア市の近くにあると言っています。

ナボホア

ナボホアは、あたしが「くさい」と言っているトリムの町と非常に近いです。ナボホアは、ドン・ファン・シリーズでは一度も出ていない地名です、それもかえって怪しい。

ここもドン・ファンの家がある町候補としては結構いけてるのではないでしょうか?

あたしは以前、このクララをビッグ・フロリンダとみなしていましたが、間違っていました。
タイシャは、カルロスをナワールとする次の世代の一員でして、フロリンダ・ドナーとキャロル・ティッグスの三人が「魔女」と呼ばれるグループになります。

クララが古い世代というのは間違いないのですが、最終章の「呪術師の飛翔」(飛翔404)には、本著後半に登場するタイシャの教師ネリダがフロリンダという女性と瓜二つだという記述があります。

ネリダは、かなり高齢の女性として描かれていますので、そのネリダと瓜二つのフロリンダこそがビッグ・フロリンダであり、クララではないことがわかります。

また、クララは前述のように前のナワール(ドン・ファン)世代の一員ですので、カルロスのグループに属する『魔女の夢』の著者、フロリンダ・ドナーとも別人であることがわかります。

この本は、前述のようにカスタネダの著作にもまして大部分が創作くさい(私見です)ですし、クララもヤング・フロリンダも空手の使い手であることから、クララのモデルがフロリンダ・ドナーである可能性はあるかもしれません。

しかし、この本では、クララは「父親の家族はオアハカ出身のメキシコ人。母はドイツ系アメリカ人」となっています。一方、フロリンダ・ドナーは、自著『魔女の夢』で自分でヴェネズエラ出身と書いていますので、仮にどちらかが嘘の経歴だとしてもカスタネダ・スクールとしてはいずれかに整合性をとるはずです。

したがってクララはカスタネダ・ワールドの既存の登場人物なのか、まったくの異なるキャラクターなのかは決めこめず、ここまでとします。

2016年10月7日金曜日

『呪術師の飛翔』(2) 概要と紹介2/2

タイシャの本が出た92年は、カルロスがドン・ファンから独り立ちして10数年経った時代のものなので「マジカルパス」という健康術を開発していて本の中でも頻繁に登場します。

そこで邪推ついでに余談をひとつ。

以前、カスタネダの『無限の本質』がフロリンダ・ドナーの構成とそっくりと書いたことがあります。その時は、『魔女の夢』もフロリンダではなくてカルロスが書いたものかもと思っていました。

しかし『無限の本質』は1998年発行、カルロスが亡くなった年の発行です。
カルロスは72歳で他界、その前に糖尿病により視力はほとんど失われています

ですので、前回あたしの邪推はそそっかしい勘違いでしたが、逆にカルロスではなく『無限の本質』の著者もフロリンダだったという可能性もありえるかもしれません。

話をもとに戻しまして『飛翔』の方は、カルロスの手によるのではないかと思う理由がもうひとつあります。

『イクストランへの旅』のおさらい「旅18 呪術師の力の輪」の回で、一度書いていますが、カスタネダの本には、ドン・ファンやドン・ヘナロがカルロスをコケにして馬鹿笑いをするシーンが多く登場します。

タイシャの本は、登場人物たちは異なりますが、タイシャの呪術教師たちが同じように、さして面白くもない場面で弟子である主人公タイシャをコケにして笑い転げるシーンが何か所も出てきます。

例)
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クララが大笑いした。あまりに激しく笑いすぎて、息を切らしながらベッドの上にひっくり返ってしまったほどだ。(飛翔236)

二人がどっと吹き出した。(飛翔255)

エミリートが堰を切ったように笑った。あまりにも激しく笑いすぎて、むせばぬよう、行ったり来たりしなければならないほどだった。(飛翔355)
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どちらの本も場面がいつでも師匠と弟子の対話集なので、ややもすると単調な内容になってしまいがちです。

そこで書き物として会話の間にいろいろな気分転換のシーンを入れ変化をつける必要があったのかと思います。

あまりにも『飛翔』と「ドン・ファン・シリーズ」のテクニックが似ているので、そちらはそちらで、あたしは同じ書き手(カスタネダ)ではないかと疑っているわけです。

実は、Amy Wallaceの本で、カスタネダのグループには非常に優秀な作家も一人いることも知りました。しつこいようですが、フロリンダの『魔女の夢』と『無限の本質』がとても似通っていてレベルも高いので、そちらはそちらで勘ぐっています。


この『飛翔』を退屈なイメージにしているのは内容と出版社の編集力に加えて日本語訳が非常に年寄りくさいからというのもあると思います。

随所に下記のようなとんでもなく古くさい日本語表現があります。

例)
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「私の価値を一体何だと心得る?」
「そりゃあ簡単至極よ。」
「しかしこちとら、そんなお気楽な気分ではなかった」
「まあ、お食べなさいな。でもそれについては、しじゃこじゃ言わないこと」
「勘違いもはなはだしいですな。お嬢さん」
「どういう意味でしょうか、旦那様?」
「ご冗談でしょう、」
「耳の穴かっぽじって、よーく聞いてよ」
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思いますにこの本の翻訳者は、相当年配なのでは?年配のあたしにいわれたくないと思いますが。

予算の関係でこの本に関しては原文を手に入れていませんが、たとえば上記の「旦那様」はSirで「お嬢さん」は、なんでしょうね?young ladyですか?もっと親しくbabyとかsweet heartでしょうか?
無理にすべてを日本語化しないで省略してもよかったのでは?

それと、この方は、人がセリフを言うときのカギかっこ(「」)の最後の閉じのかっこ(」)の手前に句点のマル(。)を入れています。

これは厳密なルールではないそうですが読書好きの慣れの問題で、プロなら「。」つけないだろうという印象を持ってしまいました。
おそらく編集者がどれくらい手を入れてくれているかにもよると思いますが、これはあたしだけの印象ですのでご容赦ください。

その点、ドン・ファン、シリーズの方は難解なドン・ファン用語もいい感じで訳しているし、登場人物たちが生き生きとしてとても腕が立つ翻訳者なんだなぁとあらためて思いました。

2016年10月6日木曜日

『呪術師の飛翔』(1) 概要と紹介1/2

フロリンダ・ドナーの『魔女の夢』に続いて、カスタネダの愛弟子であり魔女の一人、タイシャ・エイブラーの『呪術師の飛翔―未知への旅立ち』の紹介をします。

まずはファクトから。
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呪術師の飛翔―未知への旅立ち 単行本  2011/3
タイシャ エイブラー  (著), Taisha Abelar (原著), こまい ひさよ (翻訳)
単行本: 420ページ
出版社: コスモスライブラリー (2011/03)
発売日: 2011/03
(c)1992 The Sorcerer's Crossing by Taisha Abelar
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ドナーの『魔女の夢』を読んだ後、ほどなく読了していたのですが、カスタネダ本編のおさらいの方を進めていましたので後回しにしました。

正直言いまして、超つまらなかった。
カスタネダファンの方々が今もどれくらいいらっしゃるのかわかりませんが、これからの方は、これは特に読まなくていいと思います。

内容は、
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アリゾナでクララという謎の女性に誘われるままにメキシコの呪術師の屋敷で暮らすようになったタイシャは、自分が呪術師候補として14歳のころからグループに目をつけられていたことを知る。クララやジョン・マイケル・エイブラー(ドン・ファン)たちを師として呪術の修行をする。
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です、以上。

タイシャは、改名する以前は、Maryann Simkoという名前で、Amy Wallaceによると90年代初期にカルロスがハリウッドの社交界で華麗な交流をしていたとき、アンナ-マリー・カーターと呼ばれていました。

この本は、原題が”The Sorcerer's Crossing by Taisha Abelar”。1992年の発行でドナーの『魔女の夢』の7年後の発行、カスタネダが66歳の時の作品です。

フロリンダ・ドナーの『魔女の夢』は、ドン・ファンとはまったく系列の異なるベネズエラの治療師との生活を描いたものですが、タイシャの『飛翔』は、彼女が直接、ドン・ファンたちと接触した”体験ということ”で書いたものです。

だからタイシャの『飛翔』はカルロス・カスタネダの著作に書かれている呪術の体験と重なる部分が多いだけに「作文能力の巧拙」が気になってしまうのかもしれません。

ようするに文章が下手で、そこで描かれている呪術の体験も薄っぺらい感じがしてしまうのだと思います。

これは、カルロスの本とタイシャの本の出版社が異なるのも原因のひとつだと思います。前者は、SIMON & SCHUSTER。そして後者は、Penguin Bookのグループ、Vikingとなっています。

Amy Wallaceは、SIMON & SCHUSTERから自著を出版していた関係で同社の親しい人間から、カルロスの文章を書き直すライターがいたことをつきとめています。

エイミーは、カルロスがくれた『分離したリアリティ』に書かれていたカルロスの自筆の文章をみて彼の英語のライティング力が高くないことに気がつきました。それでゴーストライターの存在を調べてみる気になったと書いています。(Amy24)

この文章の下手さとカスタネダの後期の作品との整合性からみてこの『呪術師の飛翔』は実はカルロスが執筆して編集者が仕事流して加筆修正を加えず、そのまま出したものではないか?という邪推をしています。

ドン・ファンの後期シリーズの内容を補強するために、そして「カスタネダ・スクール(クリアグリーン)」の整合性をとるために書かれた作品なのでは?とも思います。
(ファンの方も多いので再度強調しますが、個人的邪推です)

あたしもふつつかながら、90年代にMacintoshの入門書というのを出したことがあるのですが、編集者との連携がとれなくてえらい恥ずかしい本になってしまったことがあります。編集がいかに重要な業務か痛感しました。

ドン・ファンが亡くなったのは、ドイツ語Wikiによると1973年となっています。
一方、1976年、Amy Wallaceの兄夫婦にカルロスがドン・ファンが去ってしまうとうろたえていたというエピソードがあります。(Amy30)

亡くなったにせよ、未知の世界へ去ったにせよドン・ファンがカルロスから去ったのをAmy Wallaceの兄夫婦という「常人」の証言を信用して76年という仮説を立てます。
しがないあたしの仮説です。

Amy Wallaceのいうことが全部本当か?というのもありますが、あたしは全面的に信じることにしました。

2016年10月5日水曜日

カスタネダを取り上げたドキュメンタリー:Tales From The Jungle 2007

あたしが30年も放置していたのが、そもそもいけないのですが、Amy Wallaceの『Sorcerer's Apprentice』の初版が出たのは割と最近の2003年ですし、日本語訳も出版されてないし、知らなくても仕方がないですよね。

それにしても、おそまきながら認識をあらたにしています。

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日本にもカスタネダのファンがほどほどいたこと。
カスタネダには妻がいたこと。最初の妻と別れた後に、重婚していたこと。
カスタネダには養子がいたこと。
テンセグリティという哲学?を開発していたこと。
多くの女性たちを弟子にしてカルト化していたこと。
彼らの活動を調べた著書や関係者の手記が出版されていたこと。
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そして、テレビ番組まで制作されていたこと。

YouTubeを見るとテンセグリティの健康運動マジカルパスについて女性たちがテレビ番組に出演して解説している映像だったり。
メンバーの中でも有名な魔女の行く末をちゃかしたような動画があったりと、グループの活動は米国ではかなり有名だったことがわかりました。

日本ではカスタネダ本人も含め、現在はほぼ無名といってもいいのではないでしょうか。

ちょうど『イクストランへの旅』までのおさらいが一通り済んだので、いったん、本編から離れて上記の魔女の一人、タイシャ・エイブラーが著した『呪術師の飛翔』をご紹介しようと準備をしています。


この本は、とてつもなく退屈な内容なので大して語ることもないなぁとはじめ思っていたのですが、ついつい余談含みで下原稿的には結構な分量になっています。

本はつまらなかったですが、同書の「訳者あとがき」でBBCが制作したカスタネダのドキュメンタリーがあることを知ったのは大収穫でした。

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BBC Carlos Castaneda And The Shaman. Tales From The Jungle 2007
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日本でBBCのiPlayerは使えませんので、申し訳ないですが、YouTubeにアップされている、おそらくポルトガル語圏向けの動画を視聴してしまいました。
動画は1本10分前後で6本に分割されています。
YouTubeの記載を見ると「2006年」となっていますが、BBCのサイトでは2007年となっています。

以前、ちょこっと書きましたが、この動画には、今は亡きAmy Wallaceやカスタネダ批判で有名なデミル他、多くの関係者が登場しています。これまで文字でしか知らなかった人たちが実際に動いて語るインパクトは強烈です。

コマーシャル放送では視聴率とれないと思うのでNHKさん、ぜひオンエアお願いします。

今は、90年代のはじめ『ラジニーシ・堕ちた神(グル)』という本を読んだときと同じような感慨です。
(当時、周囲にインドに行って帰ってきた人何人も出会ってました。なんか名前もらうんですよね、ちょっと気色わるかったけど、悪いのでだまってました)

余談ですが、アマゾンでラジニーシ関係の本に寄せられているコメントにはインパクトのあるものが多く信じる世間、けなす世間、楽しむ世間がわかります。

そして、上記のBBCの番組のYouTube動画に寄せられているコメントも似た雰囲気のものが多く寄せられています。カスタネダのファンなのでしょうかぼろくそに書いている意見も散見します。

このBBCの番組についてもいずれ日本語の解説をつけたいと思っています。

でもね。ドン・ファンは今でも好きですよ。
ただ、弟子選びはもっと慎重にすればよかったと思います。戦士なんだから。


2016年10月4日火曜日

旅20 イクストランへの旅

『イクストランへの旅』の最終回です。

ここでようやくカルロスは、ドン・ヘナロ(ジェナロ)が、マザテク・インディアンの呪術師であると所属する部族名を明かしています。(旅314)

日付をたぐると1971年5月24日の昼過ぎ、出かけていたヘナロが戻ってきて、三人で昨日の山に向かいます。

ドン・ファンがドン・ヘナロの盟友との出会い体験を話してくれと頼みます。

ドン・ヘナロが若いころ、家に帰る途中、かん木のかげから盟友がでてきたので組み合います。恐ろしかったが、恐怖で首がコチコチに堅くなったので自分の準備ができていることがわかったそうです。

首のあたりがポキンとなると恐ろしいダブルが出てくる話が『力の第二の輪』で出てきます。(こちらにも同じ現象が出ています

戦いにあたっては、怖くてふるえるから舌をかまないように口を閉じていなければならず、適切な姿勢をとるといい、目の前でその格好をしてくれます。

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からだはひざのところでいくぶん曲がり、指をそっと曲げて腕は両側にたらしていた。リラックスしているように見えたが、しっかり地についていた。(体術)(旅347)
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それからドン・ヘナロが急にとびあがりました。そのときカルロスはドン・ヘナロが人間のかたちをしたなにかをつかまえているという印象を持ちます。カルロスの様子を見ていたドン・ファンがカルロスはいまヘナロの盟友を”見た”ぞとヘナロに告げます。

ヘナロが回想を続けます。

盟友と長い時間組み合ってようやく盟友を自分のものにできたことを実感したものの、激しい組合の中、盟友にどこか知らない場所へ運ばれてしまったことがわかりました。

ドン・ヘナロは、イクストランにある自分の家の方向へ向かおうと歩き始めましたが、途中、数多くの人間の”おばけ”にたぶらかされそうになり、その度に、あやういところで逃げ出し先を急ぎます。ヘナロは歩き続けます。

日本の怪談「のっぺらぼう」に似たような話ですね。
自分以外が全部、おばけだという。『ボディスナッチャーズ』ですな。

ドン・ヘナロは、自分は出会った連中を”おばけ”といったがそれらはたしかに人間だ。しかし現実のものではない、と言います。

盟友と出会ってからは、あらゆるものが現実じゃなくなったんだ

それで、最後にはどうなったんだい、ドン・ジェナロ?
最後だと?
つまり、いつ、どうやってイクストランへ着いたのかってことさ」(旅354)

二人は、すぐに大笑いをはじめた。

そうか、それがおまえにとっての結果ってことか」ドン・ファンが言った。「それは、こう言おう。ジェナロの旅には最後の結果なんてものはなかったんだよ。これからもないだろうよ。ジェナロは、今だってイクストランへの途中なんだ!

ぜったいに、おれはイクストランへはたどり着くまいよ」とドン・ヘナロが言います。
だから今もヘナロの現実からみたらカルロスも幽霊だといわれショックをうけます。

カルロスが盟友を手にいれたら、そこへ残してきたものは永遠に失われもとの場所には戻ることができない。愛している人たちも、みんな置き去りにされるだろうといいます。

カルロスがロサンゼルスに戻れるか?と聞いたらそりゃ、どこだって戻れるさとからかわれます。

マンテカ(Manteca)もテメクラ(Temecula)もトゥーソン(Tucson)もな
それにテカテ(Tecate)もだ
それにピエズラース・ネグラース(Piedras Negras)にトランクウィリタス(Tranquitas)もな

二人がふざけてリストアップした町も念のため地図にプロットしてみました。ツーソン以外は茶色にしてあります。ちなみにトランクウィリタス(Tranquitas)だけはなぜかGoogle Mapに入力すると「サンパウロ」という名前の町が表示されます。




ドン・ファンはカルロスに詩人ファン・ラモン・ヘメネスの『決定的な旅』という詩を詠んでくれと頼まれ、それがヘナロが話した気持ちだといいます。

抄訳を済ませてある日本未公開の文献『The Teaching of Don Carlos』という記事によるとカルロスはUCLAに入る前に通っていたロサンゼルス・コミュニティ・カレッジ時代、詩作のコンテストで入賞するくらい詩に造詣があります。

創作説に立ちますと実は詩が先にあって後から「イクストランへの旅」のエピソードを考えたのかもしれませんね。とはいえいい話です。

ドン・ファンは詩が大好きで、よくカルロスに詩の朗読をねだる場面が登場しますが、『ドン・ファンの教え』、『分離したリアリティ』にはありません。

前回も書きましたが、この巻から、ドン・ファンは”トリックスター”といったり詩が好きになったりインテリ度が増している気がするのはあたしだけでしょうか?
次巻の『力の話』では、ドン・ファンはスーツ着て登場しちゃうし。

ジェナロは自分の情熱をイクストランに置いてきた。家庭も、家族も、大切なものもな。それで、今は、自分の感覚のなかを歩きまわっとるんだ。奴の言うとおり、いつか、イクストランの一歩前まではたどり着けるだろう。わしら、みんなそうなのさ」(旅358)

同感です。
・・・あたしはドン・ファンを信じてるのかどっちなのか?

カルロスを残して二人は立ち去ります。
野原の先にある暗い谷で盟友がカルロスを待っている。盟友を自分のものにするのはいまでもいいし先でもいいといわれ、カルロスは二人を見送ったあとその場を去ります。

本はここで終わってますが、この日に至ってあたしは遂に知りました。
カルロスは盟友は手に入れていませんし、見てもいません。

下の地図は、ドン・ヘナロが決して戻れない町、イクストランです。オアハカのそばですね。

2016年10月3日月曜日

旅19 世界を止める

翌日(1971年5月23日)は、前日の車消失事件のおさらいをします。
いつまでも合理的説明を求めるカルロスにドン・ファンがいいかげん覚悟をきめろと迫ります。(旅332)

わしらは二人とも、いずれ死ぬ身だ」彼が静かに言った。「しなれたことをする時間はないんだよ。わしが教えてやった”しないこと”をみんな使って”世界を止め”にゃいかん」といいます。

あの(南東にある)やさしい山へひとりで行ってこいと言われ一人で過ごします。

カルロスは山の中で、かぶと虫を見て死について考えます。
虫と自分が平等な事実を実感し感動して涙します。

かなり遅いなと思いませんか?ふつう、10代で気がつきますよね。

そしてコヨーテに出会い、話しかけ対話をします。そのうちコヨーテが輝き始め山々を見ると『世界のひも』が見え、至高体験を体験(日本語ヘン)し眠り込みます。

上の行の「至高体験」の記事をみると元は2005年。あたしの趣味は代わってません。

舞台は、翌朝(1971年5月24日)のドン・ファンの家。
コヨーテと話した報告をすると昨日の体験は「世界をとめた」だけだと言われ、背中をたたかれます。(旅340)

ところで、世界が止まるときの「止まったもの」とは「人が世界はこういうものだぞ、とおまえに教えてきたこと」だそうです。既成概念ですな。

以下、いい話ですので引用します。
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「きのう、世界は呪術師がおまえに教えたような世界になったんだ」
「その世界じゃコヨーテはしゃべるし、シカもしゃべる。(中略)だが、わしがおまえに学んでほしいのは、”見る”ってことだ。たぶんおまえにも、”見る”ってことは、ふつうの人が世界と呪術師の世界とのあいだに入り込んだときしか起きないことがわかったろう。今、おまえはその二つの中間にいるんだ。(後略)」
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二つの世界がどちらも現実じゃないのかと聞くと、どちらも現実の世界でカルロスに働きかけることができると答えます。

コヨーテに知りたいことをきくこともできる。しかしコヨーテは”トリックスター”だから信用できない、とドン・ファンがいいます。

トリックスターは、tricksterという英語ですが、あたしがこの言葉を知ったのは18歳くらいの時、ユングがはじめて一般人向けに書いたユング心理学入門書『人間と象徴』を読んで知りました。

いまでこそ、日本語でもこのように一般的に使われていると思いますが、カルロスとドン・ファンの時代の英語圏の人たちの間ではどうだったのでしょうか?

英語ネイティブの年配の人に尋ねたいです。
このことば普通の英語ネイティブの人たちが昔から使っていた言葉なのでしょうか?
英英辞典によると「神話・文学」用語と書いてありました。
ドン・ファンのようなおじいさんが使うような用語なのでしょうか?
このあたりから急にドン・ファンがインテリになってきていると思います。

カルロスは、ドン・ファンに「(おまえは山で)世界のひもを見たから、盟友と会う準備はできたな」といわれます。
もう何度も会ってるじゃないと思いましたが、盟友を手に入れる準備ができたということらしいです。

彼(盟友)はきっと、わしのためにおまえを連れて行く平原の端でも、おまえを待っとるだろうよ」(旅342)

ジェナロもきっと、その谷へわしらといっしょに行かにゃなるまい」「おまえが”世界を止める”のを手伝ったのは奴だからな

後に明らかにされますが、ドン・ファンとドン・ヘナロは両者ともカルロスの教師なのだそうです。

ドン・ヘナロが車を消したのはカルロスの既成概念を緩めるために強制的に呪術師の世界を見させたために起こしたシンプルな事象なのだそうです。

カルロスが”見る”ためには盟友がカルロスに組みつかなければならないが時間がないといわれる。(旅343)

ここで時間がないというのはドン・ファンたちの(現世を去るまでの)時間がなくなってきているという意味かと思います。

2016年10月2日日曜日

旅18 呪術師の力の輪

ここから『イクストランへの旅』の第二部「イクストランへの旅」に入ります。(旅314)

1971年5月(22日(旅8))弟子としての最後の訪問だそうです。

あたしの「おさらい」作業では、まだ『力の話』の段階ですのでドン・ファンとの別れに関する時期的整合性の確認は当分先になりそうです。

マザテク・インディアンの呪術師、ドン・ヘナロが一緒にいた
とあります。ここで晴れて、ドン・ヘナロがマザッテク(マザテク)インディアンだということが明示されました。

6か月前に訪れたとき、その二人に会っていた、とあります。

あたしの即席年表によると、これは、1970年10月にドン・ヘナロが「隠れ身の術」を見せた話のことです。(分離306)
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わたしが、二人はいつもいっしょなのか、ときこうかきくまいか考えていると、ドン・ヘナロが、自分は北部の荒野がとても好きで、わたしに会うのに間に合うようにやってきたところだ。
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ドン・ヘナロは、オアハカの住人なのでソノラ方面に北上してきたのです。
ドン・ヘナロは、いつものようにカルロスの石頭ぶりをからかいます。
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彼は、子どものようにからだをゆすり、足をバタつかせて、どうしようもないほど笑いころげていた。
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上記をわざわざ引用した理由ですが、今、平行してタイシャ・エイブラー著『呪術師の飛翔』についてのエントリーを書いています。

カスタネダの本には、ドン・ファンやドン・ヘナロが馬鹿笑いをするシーンが非常に多く登場します。

タイシャの本でも登場人物は違いますが、タイシャの呪術教師たちが同じように、さして面白くもない場面で主人公をおかしく思い笑い転げるシーンが何か所も出てきます。

どちらも師匠と弟子の対話集なので、ややもすると単調な内容になってしまいがちです。そこで会話の間にいろいろな気分転換のシーンを入れる必要があります。

座持ちのためにやたらと登場人物にトイレに立たせる日本人作家の作品であきれたことがありますが、カスタネダは「カルロス」の頑迷さ、西洋的合理性を師匠たちに笑わせるシーンを多用したと思います。

あまりにも『飛翔』と「ドン・ファン・シリーズ」のテクニックが似ているので、あたしは同一の著者じゃないかと疑っているわけです。(カルロスが『飛翔』の真の著者だと思っています)

カルロスは、半年前の訪問でドン・ヘナロが見せた奇怪な「力の誇示」について回想します。(「分離17 ひとつの移行期」

笑いながら、ドン・ヘナロがドン・ファンの家の床をすべるように「泳ぎ」ますが、前回の奇怪なふるまいにくらべたらどうってことないくらいだといいます。

カルロスは、これまでもドン・ファンたちの芸当を合理的に理解しようとする心が邪魔をして「見る」ことができないといわれていたのでぼぉ~っと眺めるようにしたができなかったと言い募ります。

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彼を(そうやって)見ているうちに、目がより目になってきた。(旅316)
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「立体視」を「交錯法(クロス法)」で見る場合、このように寄り目からスタートするときがあります。

ドン・ファンは、戦士に限らず人には前に飛び出すための「一立方センチのチャンス」があるといいます。その「幸運」をのがすなといいます。

あぁ、あたしは、これまで何万平方メートル逃してきたことだろう・・・。

ドン・ファンがカルロスの車を動かなくしたことを覚えているか?といいます。

ドン・ヘナロがもっといいことができるといいます。ドン・ファンとドン・ヘナロは二人で漫才のような軽妙なやりとりを続けながら「(カルロスの)車を調べよう」といいながら表に出てカルロスが車をとめたところに行きますが、ロックをかけていた車がなくなっていました!

ドン・ヘナロは足の筋肉だけで車を運転するマネをしてさらにカルロスをびびらせます。(旅321)

見ているうちに可笑しさを通り越してそこらの石を必死に投げてイライラしているとドン・ファンがわたしのわきへやってきて、背中をたたきました。(旅322)

みじめなさまを見せて恥ずかしいというと、ドン・ヘナロもカルロスの背中をくりかえしたたきます。

追記2017/6/6)これまで見逃していましたが、この背中を叩く描写は、かなり「高められた意識」へ持っていく体術に近いのでは?と思いました。

カルロスは、車消失事件を共謀者を巻き込んで大人数で運んだケースや催眠術をかけられたトリックだと勘ぐりつづけます。

ドン・ヘナロがふざけて車はどこにいったんだと、そこらの石をひっくりかえして下を捜します。そのあと怒ったふりをしてその石を放り投げてからかいます。
ふざけた車探しが続きます。

さんざん探したあと、ドン・ヘナロが自分の帽子で不可解な「凧」をつくり飛ばします。見とれていると帽子がおりた場所に車がありました。

きつねにつままれたカルロスは茫然として二人を車に乗せて家に戻ります。

2016年10月1日土曜日

旅17 ふさわしい敵

1962年12月11日に、カルロスが「力の肉」にする獲物用のワナをしかけましたが一日かけてもつかまらないのを見てドン・ファンが、「誰かがおまえの狩りのじゃましとるな」とつぶやきます。

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一カ月以上前、わたしは『ラ・カタリーナ』と呼ばれる女呪術師と、恐ろしい対決をしたのだった。(旅293)
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デミルの指摘通りラ・カタリーナとの対決した日は明示されていません。この日誌から逆算すると1962年11月11日より前ということがわかります。

以前の推論で、カタリーナとの対決を下記の期間としてありました。
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1962年4月16日~5月13日 (ア)
1962年5月15日~6月22日 (イ)
----------
ここで、もうひとつ
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1962年11月11日以前 (ウ)
----------
が加わりました。上記の書き方からみますと、設定の(ア)と(イ)は、見当違いだったようです。
このあと、カタリーナに関する情報は出てきませんので追跡は、ここまでが限界かもしれません。

人を騙してまでして呪術を学ばせるやり方に異議をとなえるカルロスですが、ドンファンは「わしらはトリックにかけられなけりゃ、ぜったいに学べんのだ」と答えます。

その後、二人はドン・ファンの指示どおり車で小さなメキシコの町まで行きます。商店街のある店の前で止めろといわれてみるとそこにラ・カタリーナがそこに立っていました。

----------
きれいな女性だ、と思った。彼女はとても黒く、ふくよかなからだつきをしていただ、強そうで筋肉質のように見えた。(中略)
どう見ても、せいぜい三十代はじめぐらいだった。(旅296)
----------

美しさに気を取られうっかりスキを見せたカルロスを守るためにドン・ファンがかん高い笑い声でカタリーナを撃退します。なんてたってカルロスはあたしたち以上に女に目がないですから。

その後、ドン・ファンが得た予兆にしたがって場所を変えカタリーナを待つことしますが、カルロスは黒い大きな影に襲われます。影は空を飛びうしろのヤブの中へ落ち、かん木にあたる音と不気味な叫び声がします。

家に戻った後もこれに関する解説はしてもらえませんが、あの影が女だったことをカルロスは認めざるをえません。

翌日(1963年12月12日)、ドン・ファンは妙な用事を片づけるために出かけ、カルロスは別なコミュニティーのヤキの友人を訪ねたとあります。
でも、「妙な用事」(some mysterious errand)ってなんだ?

1963年12月12日。そのコミュニティーはガダループの聖母マリア(the Virgin of Guadalupe)を祝う『フィエスタ(祝祭)』の準備中でした。

町は、パーティの準備でメキシコ人の店主とジュリオという名のシューザズ・オブレゴン(シウダード・オブレゴン、Ciudad Obregon)ある道具屋との間で、パーティで使うレコードプレーヤーとレコードの扱いについてちょっとしたいざこざに遭遇します。(旅301)



カルロスが訪れたこのコミュニティはおそらくトリムではないでしょうか?

パーティでよそ者扱いされて気まずくなったカルロスがこっそり集まりを抜け出したところ、暗がりでラ・カタリーナの不意打ちにあいます。

ラ・カタリーナは、鳥のように一度に3メートルもはねカルロスは怯えます。

ところでカタリーナの不意打ち事件に至るまでの祭りの準備やら町のひとびとのやりとはいつになく詳細です。
もっとも、いつもはドン・ファンとカルロスの二人だけのシーンが多いからそう感じるのかもしれませんが、この風景描写は時期や場所はともかく真実ではないでしょうか?

翌日(1962年12月13日)、ドン・ファンにことの顛末を報告しますが、パーティに参加するにしても戦士の心構えがなっていなかったと叱責されてしまいます。

カタリーナにぶちのめされなかったのはよかった、いまのカルロスの唯一の守りは自分の『うさぎの足たたき』の踊りをおどるだけだと言われます。(体術)

ふーん、「戦いの形」ってそういう名前なんだ。

あたしは以前、うさぎを長年飼っていたのでよく知ってますが、怒ると足を踏み鳴らすんですよね。バタバタって。怒っても可愛いです。

ドン・ファンにこれからラ・カタリーナの家を確認に行くといわれカルロスはビビります。
昨夜の待ち伏せも含め、カタリーナの住まいもトリムかもしれません。

彼女の住まいのそばに近づいて空いたドア越しに彼女の姿を見て、暗闇で襲ってきたのがたしかにあの女だと確信します。

この後、不思議なことにカタリーナとの直接コンタクトをするエピソードはありません。

後に、カタリーナがカルロスを好きになったとドン・ファンが語るシーンがありますが、その過程を示すストーリーもありません。