私は彼らが話しためちゃくちゃなエピソードを信じた――といっても有名人のよくある軽薄なゴシップではない――二人の出会いは20世紀が生んだ類まれな人物たちのものなのだ。
私がなぜこのようにびっくりするのかわかった。カルロスが私に話してくれた面白い話はもう聞けないが、でもいまもまだカルロスの教えが私の体の中に残っているということだ。
信仰をなくしたカトリックがいまも十字を切るような、禁煙をしたスモーカーが、口寂しさにつまようじを噛むように、私の中にはまるでパブロフの犬の反応のようにカルロスの教えが残っているのだ。
信頼や信仰が失われていても、かつて信じていたものはまるで要塞ようで一晩の嵐程度では崩すことができないのだ。ひとつひとつ崩していくしかないのだ。
私見だが、カルロス・カスタネダは世界に、これまで書かれたもっとも素晴らしい本のひとつをもたらしたと思う。
今日に至るまで私は『イクストランへの旅』が一番好きな本だ。そこに描かれた美を多くの読者たちと同じように受け止めている。
すべてのカルロスの愛読者に伝えたい。あなたこそがマジックなのだ。
カルロスの最後の言葉のひとつは「素晴らしい一日を!アライグマになって、おいしくて貴重な人生の最後の瞬間までむさぼるんだ!」
彼は、おなじみの陰気なマントラを唱えなくなった。「私は恐れにつきうごかされている(I am drive by frea)」そのかわり毎日のすばらしさを訴えるようになった。
無限を知ることで彼は暗闇の中に光をみつけたのだと思う。
私はいまも魔法を信じているが、その定義は変わった。
私の父は驚くべき超常現象を体験している。私もテレパシーと心霊治療を体験した。
だが今は、書くこと、そして愛することが人生の秘密なのだとわかった。友情も貴重だ。
カルロスとちがって、私は友人たちのマジックを楽しむために一緒に寝たりする必要はない。
そしてLord Alfred Douglasの詩のように、「Under the common thing, the hidden grace」「あたりまえのことの中に不思議がある」のだ。
それと愛すること。
今日まで私は邪悪さというものを理解できない。だからグループから浮いていたのも当然だ。私は、彼らが信じるものの根幹を拒否していたのだ。私は愚かなほどロマンティストだった。だからカルロスの嘘や虚勢の下にある彼を信じていたのだ。
もしも私がめまいがするほどの高みにつけたら、彼に駆け寄って尋ねるだろう。私がこんな自由を手に入れると思っていた?私が彼を乗り越えてたどり着いたと思う?
きっと恋人のような言い合いをするだろう。
「ここはエキサイティングだろ?ここは特別な場所なんだ。ここはみんなのためのところだ。夢を見るみんなのためのね」
混沌から
アートが生まれる
混沌から
歌が作られる
―Michael Hartnett, Tao
(はじまり)
この後、『付録』に入りますが、フォロワーズの話の中に出てくるパンドラ邸に暮らしていたハンディキャップのある女性とは誰だったのでしょうか?この本では判明しませんでした。
ブルースカウトやタイシャ・エイブラーならフォロワーズたちは、そうした呼称を使うはずですから別の人物のハズです。
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