2011年1月16日日曜日

「礼」のこと

論語 」の中で孔子は、人にとってとても重要なことを漢字一語で表して弟子に伝えています。

たとえば、「命」(vision/mission)とか「恕」(empathy)とか。
んで、もっと重要なのでは「仁」(訳語は?)とかね。

どれも、とても大切なんだろうなぁってわかるのですが、これらと並んで「礼」ってのがあるんですね。
前にも書きましたが20章の最終章では、「命」、「礼」、「言」(※)がもっとも大切だと言っている。

でも、「礼」ってたとえば「命」と同じくらいの重みなんだろうか?なんて思ったりしていました。
「礼」って礼儀の礼ではあるのですが、論語で述べている礼ってもっと儀式的な意味の「作法・しきたり」みたいなイメージが強くて、そんなの別に、普通にわきまえていればいいじゃんか、なんて思ったりします。特に若い時はね。

会社で催される各種例年行事や、親戚で集まる法事やら果ては忘年会やらと時間をとられるしきたりって数ありまして、若い時には「ま、オレは出席しなくてもいいや。きっちりやることだけやってれば」なんて思ったりしていました。

それが、年とってきまして(今頃遅いかもしれませんが)、それらがなぜ重要なのかわかってきたような気がします。

「どう重要ってわかってきたのよ?」って聞かれてしまうとむずかしいのですが、世の中っていうか環境っていいますか、それらを成立させているものには、変化の激しいものと、非常に長い年月をかけて変わっていくものがあって、「礼」ってのはその後者のシンボルのようなもので人のコミュニケーションにとって欠かすことのできない媒介物のようなものなのだ。と。

ま、いまさらわかってもね。(笑)
優れた人(君子)は、そんなこと若いうちからとっくにわかっているのでしょうから小人の繰言ということで。


※「言」もそんなに重要かよ?という疑問もあるかと思います。ですが「言」あっての「見えてる世界」なので、これはとてもとても重要です。

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