2013年8月28日水曜日

新栄堂 ~放課後の学び舎~

『新星堂』じゃないですよ。念のため。

中学生の頃、日参していた近所のレコード屋さんの屋号です。
駅から家までの帰り道沿いがちょっとした商店街(街ってほどじゃないですが)になってまして、漫画家になりたかった頃は「大阪屋」という文房具やでかぶらペンやGペン。ケント紙を買い込んだり。
洋楽に夢中になったら今度は新栄堂です。

新栄堂は小さな小さなレコード屋さんで、町の商店街の中では比較的遅めにできた長屋風の木造モルタル作りの貸し商店の一つでした。隣は、おだんごやおにぎりを売る―――なんていうんでしょうね、あの手の店―――だったりスナックだったり。 

あぁ、そのスナックで学生時代、友達とカラオケしたことあるなぁ。その友達、中学から大学まで一緒だったのですが卒業の時に飲み屋のトイレでうっかり転んで打ち所が悪くて亡くなってしまいました―――。母からの突然の電話で訃報を異国で聞いた時は茫然自失でした。

と果てしなく脱線してしまいますが、その新栄堂です。
中学時代、お小遣いをためてはLPを買いました。お店のおじさんもおばさんもあたしの好みを知っていて月が替わるとお勧めの新譜を用意してくれていました。
楽曲のさわりしかわからないときも一緒にミュージシャンを探索してくれたり。なにしろGoogleも質問箱もないからね。

ギターもここで買いました。クラシックとフォーク。

書店と違ってレコードは買取なので自分たちの商品見立てがすごく大切だとおじさんたちが教えてくれました。おじさんは確か博報堂のOBで卒業後は、そのコネで博報堂本社(神田にありました)にたまに出店に行っていたと話していました。

お子さんがいなくて。あたしが大分大人になって行ったとき、老後が心配になったおばさんがあたしに店をやってくれないか?と尋ねたこともあります。どのように応えたか覚えていませんが、ちょっと真面目にこんな話をされたよと親に話しました。
自分の専門分野もあるので商売には不向きだなと思いそれ以上検討しませんでした。

やがてCDの時代になり、そしてネットが登場してもお店は細々と続いていました。
あたしも町を離れ今の住まいになったのでお店の様子を見る機会も減りました。

そしてある日、久々に商店街をあるくと店のシャッターが下り、木(もく)の平板が×印に打ち付けられていました。

そして先日、またまた久々に通ると、新栄堂も隣のおだんご屋もスナックも全部とっぱらわれ更地になっていました。

~玉敷(たましき)の都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、賤しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或いは去年(こぞ)焼けて、今年造れり。或いは大家(おほいえ)亡びて、小家(こいえ)となる~

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