2010年9月7日火曜日

虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)

「ああ、ここはすっかりもとの通りだ。木まですっかりもとの通りだ。木は却って小さくなったようだ。みんなも遊んでる。ああ、あの中に私や私の昔の友達がいないだろうか。」

これは、宮沢賢治の『虔十公園林 』のワンシーン。

虔十が暮らしていた町を出て出世した博士が、久しぶりに郷里に戻ってきました。
ふるさとの風景に残っていた虔十の林を見て感慨に耽るひとコマです。

宮沢賢治の作品は、青空文庫のおかげでいつでも手元においておけるようになりました。

この作品に限らずいくつかの話は端末の移り変わりとともにいつも手近のガジェットに入れてあります。
あるときはPalmだったり、モバイルギアだったり、ザウルスだったり、ケータイだったり、シグマリオンだったり、iPadだったり。いずれも何べんも読んでいる作品なので通しで読むことはほとんどないのですが、やはりいつでも近くにおいておきたい文学ってのがありますな。

「虔十公園林」は中でも特に好きな作品です。
みんなに「足りない」といわれていた虔十が、親に頼んで買ってもらった杉の苗をせっせと育て、それがやがて町の大切な公園になる。

という時間の流れがココロに染み入るおはなしで冒頭の博士の感慨を読むとついつい自分の過去も振り返ってしまう。
また、杉をせがんだ虔十に対する両親や兄弟の優しさといったら。

先週、用事で三田の慶応大学におじゃましました。学校というのは、昔を思い出す典型的な場所でしてキャンパスに足を踏み入れたとたん静謐な空気が流れて汚れきった(笑)自分がじゃぶじゃぶと洗われるような感じになります。

共立女子大に教えに行っていたころは、朝がすごく早くて、何しろ八王子なものですから早朝の空気の新鮮なことといったら。

授業が終わって校庭にまろびでますと学校中ほどにあるバラ園(女子大でバラ園ですからね)では、学生のグループがそこここでくつろいでいる。

あぁ、あの中にあの頃のオレがいる(わけないですな)

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