2017年6月26日月曜日

病気(健康)の話(9)がんと世間(3)

さて、保険組合で働いている元同僚にトイレで遭遇した話の続きです。

手を洗って出ようとすると呼び止められました。
深刻そうな顔をしています。

「つ、つかさん。どこか具合悪いの?」
「いや、ちょっとね」(あらあら・・・)

彼が保険組合にいるのは知っていたので、そんなこともあるかと思ってはいましたがやはりね。ま、あたしが彼なら知らないフリしますが。
現役時代からちょっと足りないところがありましたから。

普段会わない彼にその日はなぜか、その後もエレベーターで二度も一緒になりました。

一度などは、降り際に閉まりかけたドアに手をやって、「あ。あのさっきはごめん。個人情報だから。ただ、つい心配になっちゃって。でも大丈夫だから。(個人情報)守ってるから」

「うん。心配しなくてもだいじょうぶだから」(あらあら・・・)

と言いまして。次に会った時も同じ感じで(笑)。
くどいからますます不信感募っちゃう。

とまぁ、こんな感じで、まぁ、いろいろ不安だったり良くないわけですが。

今回、この病気を持っていることを知ってひとつだけ、良かったことがあります。

建物などから表に出て眺めたときの風景がとても美しく見えるのです。

これは心の中にせっぱつまったものが生じてきているためだと思います。
これまでも、それなりに今を大切にしてきたつもりですが、ますますそれが重要に思えてきているということなのでしょうね。

追記)堀辰雄の『風立ちぬ』の一節にこんなものがあります。婚約者の節子と自分が過ごしている山のサナトリウム。眺めている風景をことの他美しく感じた主人公。

――私は、このような初夏の夕暮がほんの一瞬時生じさせている一帯の景色は、すべてはいつも見馴れた道具立てながら、恐らく今を措おいてはこれほどの溢あふれるような幸福の感じをもって私達自身にすら眺め得られないだろうことを考えていた。

そんな主人公の様子を見ていた節子が話しかけます。

「……あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだと仰おっしゃったことがあるでしょう。……私、あのときね、それを思い出したの。何んだかあのときの美しさがそんな風に思われて」そう言いながら、彼女は私の顔を何か訴えたいように見つめた。



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