2006年5月18日木曜日

コンピュータ黎明期(4) ~ バッチ・ジョブの時代 ~

ビル・バビンジャーが遊んでいた人工無脳「イライザ」との出会いから、さらに昔の話。

高校時代、コンピュータの授業がありました。・・・と今書いてもなんの驚きも感じないと思いますが、当時としては画期的なことです。

ただし、高校にあったのはIBMの「パンチカード」に穴をあける機械で準備した束」を週に一回大学にあるコンピュータセンターに定期便で送ります。
紙の 「束」でまとめてやってもらうから「バッチ・ジョブ」というわけです。(後にパンチカードが無くなり、DOSなどでバッチ・ファイルによるバッチ・ジョブについて教えてもらったときは、ちょっとした驚きでした)

束に打ち込んだプログラムの結果は一週間後に戻ってきます。
もちろん、エラーがあるので、直してまた送り直しで所定の結果を得るのに何週間もかかります。
授業の課題なので「所定の結果」ということも理解した上の話とわかっていても、最初からわかってるならわざわざ機械にやらせなくてもと思ってしまいます。

だから隔靴掻痒にもほどがあるというのがあたしの最初のコンピュータの印象です。
これは大学生になってもまだ続いている環境だったので、コンピュータを使って「デザイン」をするといわれても何のことを言っているのかピンときませんでした。
(ドット絵をプリンタに打たせるのじゃあるまいし。)

だから後の時代、「イライザ」の擬似AI機能よりも「端末」に打ち込んだ結果がそのまま画面に現れる新しいコンピュータのインタラクティビティーには感動しました。

「バッチジョブ」のおかげで身についたコンピュータとは「不便なもの」という偏見は、ビル・バビンジャーのクラスのおかげでだいぶあらたまりましたが、先に書いたようにTSOという利用環境が立ちはだかっています。
当時は気がつきませんでしたが、バッチもTSOも根は一緒でした。

「好きなときに自由に使えない。」これに尽きます。
ちょうどその頃、ようやくパーソナルコンピュータが出回り始めていましたが、アナログ生活に浸りきっていた自分とは無縁のものでした。

そして学校から娑婆へ戻ると、世間は一変していました。

アナログ世界の住人だったはずの友人たちがみなコンピュータ業界にかかわっていたのです。
ある者はCG制作会社に。ある者はファミコン用ゲーム業界で活躍しはじめていました。

かく言う自分もTSOを使った職場のプロジェクトに巻き込まれていました。
それはデザインから見積もりまで一環して管理する統合プロジェクトでした。

でも、TSOはどうにもなじまない。コンピュータセンターの住人が帰宅してしまうと手も足も出ないのです。コンピュータの本当の姿を知りたくなってきました。
そんなとき、上司からお呼びがかかったのです。


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