2006年5月14日日曜日

コンピュータ黎明期(1) ~ ワープロが職場に来た日~

80年代初頭の話。職場にワープロがやってきました。
エプソンの機械でブラウン管に黒い画面と緑色の文字。

そのころ、インドネシアやシンガポールの計画に携わっていたので英文の手紙を打たされることが多く、ワープロがくる前は、たしか手書きの原稿を「タイプ室」に持って行ったような記憶があります。(「テレックス」の原稿も本社にいるオペレータに頼んでいました。)

ある日、上司から「ワードプロセッサの講習会があるから参加するように」という指示がありました。
ワープロが何なのか?ということについては上司も理解していたのですね。

しかし、ふたを開けてみると講習会とは名ばかりで、オフィスの空きスペースにおかれたワープロのラックを人々がわさわさ囲んでいるという風景で、その集まりの中で男は自分ひとりでした。

画面サイズは14インチ程度。
上司から8インチのディスケット(フロッピー)を渡されてグループで共用するので、大切に使うように言われた記憶があります。

原稿を「太字」にしたり、いまは懐かしい「倍角」にしたりは「範囲」を指定するのでまさに「マークアップ言語」そのものです。
貴重なマシンはディスケット同様みなで順番に使います。
しばらくすると台数も増え、オフィスには「ワープロコーナー」ができました。(88年に転職しましたが、行った先でもまだそんな感じでした)

用事があると自分のデスクを離れて「ワープロコーナー」あるいは「ワープロ室」に出向きます。
そこには手書き原稿を渡された女性スタッフたちが鈴なり。
「これをワープロにしておいて」の世界であります。

この世界に甘えた男性陣たちは、のちのち臍(ほぞ)をかむことになります。
でもその時は一人だけ女性にまじってワープロにいそしむ自分を彼らは~女の中に男がひとり~奇妙な目で見ていたようです。
未来の肩身のせまさを知りもせず、いい気味です。

このときは、後のエントリーであらためて書きますが、長年タイプライターに親しんできた割には、タッチ・タイピングができませんでした。

しかし、キーボードを見ながらでも「かな打ち」で相当上達すると、原稿なしで場当たりに文章が打てるようになってきました。

(初出:2005年04月06日)

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