2006年5月17日水曜日

コンピュータ黎明期(3) ~ 汎用マシンとビル・バヴィンジャーの思い出~

その頃のコンピュータ作業はというと、TSOを利用した汎用コンピュータ(メイン・フレーム)によその頃のコンピュータ作業はというと、TSOを利用した汎用コンピュータ(メイン・フレーム)によるCADシステムが一般的でした

TSOとはタイムシェアリングオぺレーション(だったかな?)、大型コンピュータを使うときのOS(仕組み)で、利用者は端末から同時にひとつのコン ピュータにアクセスして、ゆずりあって使うので「シェアリング」なのです。(旧・旧マックのマルチファインダーを複数の人間で使っているようなもの?)

今のネットワークに繋がっているパソコンを端末と呼ぶことがありますが、TSO時代の端末はまさしく馬鹿(ダム)ターミナル。ブラウン管だけの代物でした。
意味不明のコマンドラインにIDとパスワードを入れて、暗記した”モード”のコマンド体系を覚えて四苦八苦した挙句、よく止まる。

トラブルに遭遇すると、端末のそばにある内線電話を使ってコンピュータセンターに連絡、直してくれるよう依頼します。プロッタからのプリントもマザーコンピュータを介して行うので隔靴掻痒なことこの上ありません。管理者の意向にしたがわないと何ひとつできないのです。

ジョブスやウォズニアックがパソコンに「自由」を見出したのは、あたしのように大学のTSO環境で不愉快な思いをしたからです。そして彼らには才能があってあたしにはなかったという―――。
あたしが通っていた学校でもマシンを「シェア」している人間が比較的少ない夜を狙って使うので、コンピュータ講義も、なんと夜行われていました。

先生のビル・バビンジャーは、昼間寝て夜7時くらいから授業を開始します。学生も一旦、家に帰り、夕飯を食べてから学校に再集合させられます。
そのように時間帯を工夫してもコンピュータの反応がとろいのでなぜだろうと尋ねたら、大学のマシンを町内会にあるNASAのロケット基地に貸し出しているのだといわれました。

当時(79年ごろ)から大学ではインターネットが使われはじめていて通信には大学でもカプラーを使っていました。ある夜、ビルが鼻息もあらく教室に飛び込んでくると「今夜おまえたちにすげぇものを見せてやる。人工知能みたいなものだ。」と。

カプラーに電話をつないで画面に現れたのが、あの「イライザ。」マックなどに繰り返し移植されている、いけすかない対話をする人工無脳プログラムでした。
今思えば、ようするにビル・バヴィンジャーは、オタクだったわけです。

余談ですが、ブルース・ガフという超クレージーな建築家がいまして。ビル・バヴィンジャーは、そのガフが立てた家で育ったのだそうです。
なので、そのクレージーな建築家の作品集には、「バビンジャー邸」というビルの実家の写真が必ず載っていす。中でも、居間の写真が有名でクレージーな居間の真ん中におかれているテレビを見ている少年の後姿。
この少年こそが後のビル・バヴィンジャーなのだ。と友人が教えてくれました。
「だから、ビルは、あんなにクレージーなんだよ。」

みんな、ビル・バヴィンジャーが大好きでした。

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