Salasというペルーの町には、幻覚性植物を扱う治療師(curanderos)がたくさんいた。
さまざまな植物を扱っていたが、なかでもSan Pedro(Mother Cactus)は強力だった。
カルロスが生まれた町(カハマルカ)から50マイル西には、the Temple of Brujo(呪術師の寺院)と呼ばれるピラミッド状の建物がある。
The Temple of Brujo(エル・ブルホ・アーキオロジカル・コンプレックス)
San Pedroは、Mother Cactus(母なるサボテン)と呼ばれていたが、そのスピリットは奇妙な男(hombre)、Mescalitoと呼ばれていた。
カルロスのドン・ファンの教えの原型は、ペルーの呪術にもとづくと示唆しています。
ドン・ファンの教えの「履歴を消す」に従い、1960年9月、カルロスは私と別れた。
(正式な離婚は1973年です)
1965年には膨大な原稿を用意していた。『ドン・ファンの教え』はその3年後に出版された。1974年の秋に『力の話』が出版された。
『力の話』には、カルロスの71年~72年の体験が書かれている。
1973年の10月。カルロスが言った。
「僕は(呪術を)実践しようと思う」
「彼らが言っていることを確認したいので、きちんとやろうと思う。すごく重要な事柄について書かなくてはならないんだ。僕は何も持ってない。下着とズボンしかこの世で持ってないんだ」
70年代でもっとも謎めいた男の言葉にしては変な話だ。彼のファンの数はどんどん増えていて、大金が銀行にあり、3冊も本が出版され、書きかけの4冊目のラフ原稿がデスクの上にあるのに。
「このダメな頭をめちゃくちゃ使わないとだめだ」とうめき声で言った。
彼を悩ませているものは膨大な書き物だけではなかった。カルロスは自分が書いたものすべてを自分で信じ始めていたのだ。
Salas, Peru
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