2018年6月4日月曜日

Maya(6)『カルロス・カスタネダとの魔法の旅』4

カルロスは、子供のころ凧を飛ばすのが得意だった。後にタカを操るようになり獲物の鳥(彼の家族はどの鳥もキジと呼んでいた)を取ってくるので家族に喜ばれた。

白いハヤブサが鶏を捕っていくので、みんなが悩まされていた。カルロスの祖父は戦いを挑んだが、捕まえることができなかった。

白いハヤブサについては、こちらを参照してください。

ある日、カルロスがユーカリの木のてっぺんにいるのを見つけたがライフルの引き金を引くことができなかった。

ドン・ファンに会う20年前に起きたことだが、ようやくそれが予兆だったということがわかった。

アメリカに来てから数少ない友人に、昔いとこにいじめられていて自信を失っていたということを話していた。

彼といろいろ話した中でボタン鼻の少年の話がある。これは後に『分離したリアリティ』に登場する。

それは1934年の秋、カハマルカの小学校3年生の時の話だ。
彼の名前はJoaquin(ホアキン)。

彼はクラスでいじめられていた。
カルロスが黒板を彼の上に倒して彼の鎖骨を折ってしまった。彼が痛みに苦しむ様子が耐えられなかった。
本に書かれた通りの話だ。

いつもそうだったが、このような私との日常の会話では話の「寓意」については触れなかった。友人たちも後にカルロスの本に登場するたくさんの話を聞かされていた。

批評家たちは、こうしたエピソードは、単なる寓話でカルロスが超常的な人物というよりも詐欺師であるだけではないかと言っている。

しかし、これらの著書に登場する逸話が教訓的であるというだけでそれらが実際に起きたことではないとは言えない。

カルロスの本に登場するすべての素材は実際に起きたことでありすべて真実だ。

例の日本語版ウィキペディアに記載されている有名な記述の違いを確認してください。

1960年の夏、カルロスは実際にあるインディアンに出会っている。

実際には、彼は幾人かの情報提供者に出会っている。それらの何人かからシャーマニズムと幻覚性植物に関して習ったのだ。

彼はメキシコで数年に渡りインディアンの話を聞き、彼らの生活を学んだ。

彼は、ブラジルではなくペルーで生まれたがそれは大きな違いではないと思っていた。
彼はとにかく南米で生まれていたのだ。

僕の人生を”統計”で測るのは呪術を科学で解き明かそうとするのと同じだ。マジックと僕たちの目指しているものを奪い取るだけだ

彼の父親が大学教授だというのは確かにウソだが、彼が言っている父親・母親というのはよりシンボリックなものだととらえなければいけない。

彼の話と実際の出来事は入れ替えることができる。
彼の父親が意思が弱いという話は、彼自身のことなのだ。

僕は自分の父親なんだ。ドン・ファンに会う前は何年も鉛筆を削るだけで何も書けなかった。ドン・ファンがそれはおろかなことだと教えてくれた。人が何かをしたいときは完璧にやらなければならない。ただそれだけだ

1967年の夏、彼が手紙をよこした。「Valley(Topanga Valley)の昔のアパートに戻ってきた。感慨深いよ。Margarita、君は僕の大切な家族だ。僕の心は空っぽになってしまった

1950年代は、よく父親のことを教育を受けているが平均的でつまらない男だとけなしていた。

その一方、カルロスはPh. Dを取るなど教育を受けて学歴による保証のある生活を望んでいた。そして自分がつまらない人間になることを恐れてもいた。

それを防ぐために彼はくだらない人間のモデルを作ったのだ。それがかれが本に書いている彼の父親だ。

母親のイメージは、実際の母親の通りである。彼の本に登場する女性で”とても美しく子供のような”という女性は母親のイメージだ。

カリフォルニア大学アーバイン(UCI)校でカルロスが1972年に教えていたとき母親の話をしたそうだ。
そのことをJohn Wallace(当時の学生?)は、こう述べている。

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彼の母親が、こう言った。
「だれも私に何かを与えてくれたことがない。私はダイヤの指輪を持っていない」

彼女が泣き出した、彼も一緒に泣き出した。カルロスがドン・ファンにこの話を話した時、ドン・ファンは、
「もし誰も彼女に何も与えなかったのなら、彼女は世界を受取ればいい。もしも人が生きている恐怖から逃れて自由になりたいのなら、ひとはそれで充分なはずだ」
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しかし、そのエピソードの女性は彼の母親のことではない。それは私のことなのだ。彼は、そのエピソードを1960年よりも前に話してないはずだ。だから、そのネタは私だと思っている。

彼を指輪で困らせたのは、Susana(母親)ではなく私なのだ。アーバイン校の午後の大学院のクラスでその話をしたのは私のことなのだ。彼の父親は宝石商なのだから、彼女の母はいつでも指輪くらい持てたはずなのだ。

『分離したリアリティ』で、カルロスはペヨーテの幻覚で母親が何か告げていることを書いている。
彼は、母親の笑い声、家の中をペタペタするスリッパで歩き回る姿を思い出すのだ。

これもまた、実は私のことなのだ。1958年の春、私はペタペタする銀色のスリッパを買ったのだ。カルロスがこれを嫌がっていたので余計記憶に残っているのだ。

彼は私が部屋を音を立てて歩き回るのを嫌っていた。

そのスリッパはひどい」ついに彼が言った。「それを僕の実家にもっていっちゃうよ」と彼はブラジルにあるという52部屋ある大邸宅に持ち去ってしまうといっていた。

そのスリッパのイメージは彼の頭の中に残っていたのだろう、彼はそれを母親の描写に拡張したのだ。

この母親とマーガレットの交錯の下りは非常に面白いですね。

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